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新・アジア経済共栄圏

 26日午前9時45分ごろ、大阪府豊中市柴原町3丁目の市立桜井谷小学校(福森洋一校長、児童数624人)から「運動会の練習をしていた児童が頭痛を訴えている」と119番通報があった。市消防本部によると、児童計37人が体の不調を訴え、病院に搬送された。いずれも熱中症とみられ、意識はあるという。
http://www.asahi.com/national/update/0926/OSK201209260034.html

またか、である。ついこの間、同様の事件が起きたばかりではないか。
テストに合格する勉強ばかりやってきて、いきなり「先生」と呼ばれるような職についたはいいけれど、社会的経験はゼロ。世間知らず。想像力もない。そもそも人間理解が浅いというか、皆無に近いまま、閉じた世界で齢を累ねている人たちではあるが、教職に誇りがあるなら、少しは現場環境を改善する自発能動の主体性・行動力を持ってもらいたいものだ。

 アルバイト先の塾の女子生徒にわいせつ行為をしたとして、警視庁昭島署は、東京都あきる野市上代継、元小学校長で無職(75)を強制わいせつの疑いで逮捕し、27日発表した。「容疑に異論はない。性的欲求を満たすためにやった」と認めているという。
http://www.asahi.com/national/update/0927/TKY201209270214.html

学校の先生はこども好きだ。いろんな意味で。
その齢でアルバイトというのも、こども好きが昂じてのことか。

 今では中国に「ベッタリ」の印象が濃い旺旺だが、日本との間にも切っても切れない縁があった。「東洋経済オンライン」は2011年10月12日、蔡社長のロングインタビューを掲載。この中で、倒産寸前だった旺旺の前身会社が今日のような大企業に成長した功労者として日本企業の名を挙げている。新潟県の米菓メーカー、岩塚製菓だ。
 蔡社長は、当時の岩塚の社長で創業者の槙計作氏(故人)に提携を持ちかけた。断られながらも粘り強く交渉を重ねて、最後は直談判で了承を得る。蔡社長は今も槙氏を「旺旺の父」と尊敬し、自社の経営理念には槙氏の言葉を取り入れた。ウェブサイトを見ると、旺旺の新社屋の除幕式には岩塚製菓の現社長を招き、同社の上海本部には槙氏の銅像を建てたと書かれている。
 日本企業から受けた「恩」に誠実にこたえていた蔡社長が、その日本に向けて弓を引くように抗議船の「黒幕」になったとしたら、それほど中国の存在が大きいという意味だろうか。専門家の中には、中国側が日本にさらなる揺さぶりをかけるため、旺旺に協力を呼びかけたのではないかと見るむきもあった。
 旺旺は現在、新聞「中国時報」やテレビ局「中天電視」のオーナーで、ラジオや雑誌も持つ一大メディアグループとなっている。だが台湾内では、旺旺のこうした動きを必ずしも歓迎していない。マスコミ独占に危機感を抱いた市民が反対デモを開いたこともある。
http://www.j-cast.com/2012/09/26147816.html?p=2

技術のキャッチアップが済むと突然反旗を翻し攻め込んでくるのが韓国人・中国人のいつものパターン。
日本人は別段恩に着せるつもりもないが、「だからといってそりゃないだろう」と、みなガッカリさせられるのだ。
むかし日中友好を信じて中国人留学生の世話を一生懸命にしていた人が中国人留学生らによって殺されるという事件があった。
あのとき「こういう根性じゃダメだな」と私なぞは早々に見切ったものだが、巨大市場に目が眩んだ商売人は今ちょうどその報いを受けているところ。

 今後、さらに支持率が下がるリスクもある。9月23日の第2回公開討論会で、竹島について「共同管理に持って行くしかない」と発言した問題だ。この発言をめぐっては、「韓国に譲歩することになる」という批判が多い。
 実際、産経新聞は9月25日の紙面で、発言を
「外交・安保政策の不安露呈」
という見出しで報じている。同日朝の囲み取材では、記者から、
「今まで維新の会は、『固有の領土』論者というか、いわゆる保守層からの支持が厚かった面があると思うが、そういったところから支持を失ってしまう懸念はどうか」
という質問も出た。これに対して、橋下市長は、
「別にいいですよ、別に議席を得るためにやっている訳じゃない。だって僕は、『固有の領土』は全然譲ってない。『固有の領土を進めるために、何をするんですか』ということ。僕は領有権を確定するためには国際司法裁判所(ICJ)(に訴えるべき)と言っている」
と強気だった。
http://www.j-cast.com/2012/09/25147647.html?p=2

領土問題についてマスコミでは「オトナの対応」ということばかり言っている。
だがそんな腹芸が通じるほど国際社会は甘くない。
全てを明確にし、ディベートでもなんでもやって、積極的にアピールし、白黒つけるしかないのだ。
それが出来ないと国際社会では「大人」とは認めてもらえない。

 沖縄県・尖閣諸島をめぐって悪化する日中関係をみて、インドが日本企業に「救いの手」を差し延べている。インドの有力紙「タイムズ・オブ・インディア」は、2012年9月24日付の社説で、「インドは日本からの投資を引き出すチャンスだ」と報じた。
 インドは、面積で欧州連合(EU)27か国とほぼ同じ。人口12億1000万人は世界第2位。経済力は東南アジアのアセアン諸国10か国に匹敵する、大国。在インド日本大使館によると、日本からは2011年10月時点ですでに812社が進出している。
http://www.j-cast.com/2012/09/26147822.html

日本人は基本的にインドという国を尊敬しているよ。
なにしろお釈迦さんとガンジーとカレーの国だもの。
あ、これ前に書いたっけね。

中・韓抜きの新・アジア経済共栄圏を考えるべき時に来ていると思う。
経済でも政府間の外交でも民間レベルの交誼でも、誠意と感謝の念をお互いに持たないと続くものではない。そのことが一連の竹島・尖閣問題で明白になったのだから、むしろ良かったのではないか?
今後は信頼するに足る人たちと共に手を携えて歩んでいくべきだろう。

Johnny Braff – Nobody Can Take Your Place(1967)

Billy Butler – Right Track(1975)

  ※(追記:この動画は削除されました

 
◆    ◆    ◆

Sam Lanin’s Dance Orchestra – Side By Side(1927)
vocal: Arthur Fields

recorded March 11 or 12, 1927
1st Recording Of “Side By Side”
Issued on multiple labels (using various pseudonymns for band & vocalist…such as “Bob Green” and “Harry Crane” on the pictured scan), this track was the first of three different versions of the song recorded by prolific studio dance band conductor Lanin during that month. Popular recordings of “Side By Side” in 1927 includes those by Paul Whiteman and Nick Lucas. Kay Starr successfully brought it back in 1953

Broadway Bell-Hops – Side By Side(1927)
probably conducted by Sam Lanin
vocal: Irving Kaufman
recorded in NYC March 21, 1927

Nick Lucas “The Crooning Troubadour” – Side By Side(1927)
with guitar accompaniment

recorded in NYC March 24, 1927
Lucas includes a seldom-heard second verse of this familiar song hit, also posted to the channel in the popular 1927 Paul Whiteman version and the early-50s Kay Starr update.

Sam Lanin and his Famous Players – Side By Side(1927)
vocal and ukulele by Johnny Marvin
recorded in NYC March 25, 1927

Aileen Stanley-Johnny Marvin – Side By Side(1927)
4-piece orchestra conducted by Nat Shilkret(plus Marvin’s uke)
recorded in NYC March 25, 1927

Ipana Troubadours – Side By Side(1927)
conducted by Sam Lanin
vocal: Charles Kaley

recorded in NYC March 30, 1927
This was one of three different versions of the Harry Woods standard that Sam Lanin recorded in 1927 (under various pseudonyms for various labels). Also available on this channel are the popular “Side By Side” releases from that year by Paul Whiteman and Nick Lucas

Charley Straight and his Orchestra – Side By Side(1927)
vocal: Keller Sisters and Lynch
recorded in NYC March 31, 1927

Paul Whiteman and his Orchestra – Side By Side(1927)
vocal: The Rhythm Boys

recorded in NYC April 29, 1927
The 1927 song hit features a taste of early Bing Crosby along with his fellow Rhythm Boys Al Rinker and Harry Barris.

Cliff Edwards – Side by Side(1927)

Lee Morse – Side By Side(1927)

Nick Lucas – Side By Side(1944)

Kay Starr – Side By Side(1953/01)
orchestra conducted by Harold Mooney

Harry Woods’ 1927 standard was imaginatively arranged for two voices (both of them Ms. Starr’s) and enjoyed a three-month stay on Billboard’s singles charts, peaking at #3. Kay’s other 1953 hits “Half A Photograph” and “Allez-Vous-En” are also included in this collection.

The Ames Brothers And The Mcguire Sisters – Side By Side

<参考>
Billy Butler – Come Over To My Side(1967/05)
シングル “Love Grows Bitter” のB面。

<参考>
Shirley Horn – Don’t Be On The Outside(1965)

◆    ◆    ◆

Leroy Van Dyke – Walk On By(1961)

A top-5 pop hit, this single also spent a remarkable 19 weeks at #1 on Billboard’s country music charts…longer than any other record during the entire 1960s decade.

<参考>
Leroy Van Dyke – Geh’ Nicht Vorbei(1962)
“Walk On By”

Margie Singleton – I’ll Just Walk On By(1962)
“Walk On By” へのアンサーソング。

Conway Twitty – Walk On By(1962)

Dionne Warwick – Walk On By(1964/04/06)
conducted by Burt Bacharach
2度目の引用。

Pop Chart Peaks: Billboard 6, Cash Box 6, Record World 6
Dionne’s second consecutive top-10 record hit (following “Anyone Who Had A Heart”).

J. E. Morgan – By My Side
Cannonball Adderley “Mercy, Mercy, Mercy” や James Brown “I Feel Good” を連想した。
B面は同曲インスト。

Aretha Franklin – Walk On By(1964)

Lou Johnson – Walk On By(1967/08)
Composer: Bacharach, David
Arranger: Allen Toussaint
Producer: Allen Toussaint, Marshall Sehorn
バカラックとアラン・トゥーサンの接点。

The Embers – Walk On By(1967)

The Zodiacs – Walk On By(1967)
Jamaica
Maurice Williams & the Zodiacsとは別のグループ。

Johnny Jack – (By)My Side
この Axis レーベルはペンシルベニアにあったようだ。

Isaac Hayes – Walk On By(1969/07 mono 45 single version)

produced by Al Bell-Marvell Thomas-Allen Jones
Pop Chart Peaks: Billboard 30, Record World 41, Cash Box 69 – R&B Peak: 13
First popularized in 1964 by Dionne Warwick, the Burt Bacharach/Hal David tune got a Hayes makeover with his 12-minute “Hot Buttered Soul” LP track, edited down to four minutes for this 45 single.

Tony Cody – Walk On By(UK:1972/06/30)

The Caprells with the Sul Brothers Band – Walk On By(1975)
もっとも原曲から離れたカバー。

<参考>
Karen Small – To Get You Back Again(1966)
“Walk On By” のパクリ。

追加記事

日本のない世界地図 サムスンギャラクシーノート Galaxy note 10.1
公開日: 2012/09/24

アメリカで放映中のサムスンのコマーシャル。
その世界地図から…なんと日本の本州がまるまる消滅しているのを発見。


(2012年9月25日)

追加記事

 中国の楊潔篪(よう・けつち)外相が27日夜(日本時間28日午前)、米ニューヨークでの国連総会一般討論で演説した。沖縄県・尖閣諸島について「中国固有の領土」と主張、「日本が中国から盗んだ歴史的事実は変えられない」と強い表現で日本を非難した。日本側は「答弁権」を行使し反論。中国側も再反論し各国代表団も驚く異例の展開となった。
 楊外相は「日清戦争末期に日本が中国から釣魚島(尖閣諸島の中国名)を盗んだ歴史的事実は変えられない」と強い口調で主張。尖閣国有化について「日本政府の一方的な行動は中国の主権に対する重大な侵害だ。反ファシスト戦争勝利の結果を公然と否定するもので、戦後国際秩序への重大な挑戦だ」とした。
 共同電によると、これに対し日本の児玉和夫国連次席大使は、議場で反論する権利「答弁権」を行使。「尖閣は日本固有の領土。中国と台湾が尖閣について主張を始めたのは1970年代になってからだ」と述べ、領土問題の存在を否定した。ここで中国の李保東国連大使が再反論。国有化を、犯罪で得た資金を洗浄し正当なものであるかのように装う「マネーロンダリング」になぞらえて批判。日中とも総会で認められている2度の答弁権を使い切る主張の応酬となり、議場にいた各国代表団も驚きの表情を浮かべた。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/09/29/kiji/K20120929004214940.html

韓国の金星煥外交通商相は28日、国連総会で一般討論演説を行い、「戦時の性的暴力は根本的な人権侵害だ」と述べて実質的に旧日本軍の従軍慰安婦問題に言及し、被害者への賠償と加害者への法の裁きを求めると強調した。韓国が一般討論演説で慰安婦問題に言及するのは初めて。
 日本は慰安婦問題について、日韓請求権協定により決着済みとしているが、韓国側は首脳級が集まる国連総会で改めて「責任ある措置」を要求し、日本への圧力を強めた形だ。
 金外相は「いかなる国も他国の領土的一体性や主権の侵害を目的に国際法手続きを乱用すべきではない」とも述べた。領有権をめぐって日本と対立する竹島問題を念頭に置いた発言で、「法の支配」の原則の下、国際司法裁判所(ICJ)を通じた問題解決を求める日本側に反論した。
 金外相はまた、「安定した国家関係を築くには健全な歴史認識と、過去の過ちに対する心からの反省が求められる」と指摘した。
 日本政府はこの演説に対する答弁権を行使しなかった。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012092900104

歴史的事実に対してあまりに不誠実な中国人・韓国人。
四の五の言わずに、捏造でない証拠と国際法で白黒つければいいだけだ。
(2012年9月29日)

追加記事

2012/10/06
 「長年にわたり、卒業生を大量採用してきた内陸部の複数の職業訓練校から、紹介は当分行わないと通告された」。上海に本社のある日系電機メーカー幹部は、肩を落とした。信頼関係を築いてきたつもりだったが、新卒者の採用が長期間にわたって途切れれば、中国での生産態勢は見直さねばならない。
 学校側は「日中関係の悪化とは関係ない」と説明したというが、日本政府による尖閣諸島国有化への対抗措置の可能性が高い。
 一部が暴徒化して店や工場が襲撃された反日デモや、日本人を標的にした暴力行為など、目に見える直接的な被害は影を潜めた。しかし、日本製品の不買運動に加え、「日系企業はずし」ともいえる間接的な被害が、じわじわと広がっている。
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20121006/frn1210061315001-n1.htm

「信頼関係を築いてきたつもりだったが」
彼らとは信頼関係は築けません。
(2012年10月6日)

追加記事

 前出のベンチャー企業社長によると、もうひとつ大きな変化があるという。
 サムスンなど韓国企業に在籍する日本人からの応募が、急に増え始めたというのだ。社長は「履歴書を見ると、日本の一流電機メーカーに在籍した後、サムスンに転職したケースがほとんど。韓国企業に引っ張られたが『用なし』になったのでしょう」と推測する。つまり、サムスンが技術を盗むために引き抜いたが、盗み終えたため、彼らを雇用していく積極的理由がなくなったというわけだ。
 彼らは数カ月の猶予を与えられ、その間に職探しに奔走しているという。このベンチャー企業とは別の半導体設計会社の幹部も、「韓国からの『逆輸入』技術者が採用に応募してきた」と語っており、出戻り組は増えているようだ。国内の半導体関連市場は、ルネサス、エルピーダ、そして韓国からの逆輸入組が、三つ巴で椅子を奪い合っている状態というわけだ。
 ルネサス、エルピーダが沈みゆく船であることは間違いない。一方、ぬるま湯である日本の半導体メーカーから出て生き残るには覚悟が必要だが、人材紹介会社の社員は「今のタイミングで飛び出すことは正解だろう」と語る。残るも地獄、飛び出すのも地獄ならば、新天地を求めるのは当然。
http://news.livedoor.com/article/detail/7066092/

技術者を海外に流出させた「日本の一流電機メーカー」とやらも罪深いですな。
貧すりゃ鈍すで、会社も社員も目先の利益のことしか考えられなくなってしまった。
なさけない限りです。
(2012年10月25日)