兵庫県弁護士会の人権擁護委員長に韓国籍弁護士白承豪さん(48)が就いた。韓国にいた幼少期に交通事故で右腕を失い、家族と沖縄へ移住した後、国籍と障害の二つのハンデを乗り越え、弁護士になって20年。外国籍では異例の起用だが、法曹界ではなお国籍の壁は厚く、過去に2回、家裁に調停委員の選任を拒否され、今年、三たび推薦を受けて家裁の判断を待つ。
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20100508-OYO1T00738.htm?from=main1
この方のご苦労には同情をするしその努力には深く敬意を表するものであるが、
「人権擁護委員は公権力を行使する公務員で、日本国籍が必要」
という家裁判断は差別でも何でもなく、ごくごく当然のこと。
それをことさら民族差別と結びつけること自体、私には理解し難い。
特別悪く扱うことが差別であるように、現代において特別良く扱うこともまた差別となる。特別扱い(優遇)してくれと要求することは自ら差別を助長し継続させようとするに等しい。このことは“生まれ”で人を良く差別するいわゆる天皇制にも当てはまる。
私は、“生まれ”で人を良くも悪くも差別してはいけない、という立場である。また差別と区別を、人権・平等と個性・性別・資質・能力をごっちゃにしてはいけないとも思っている。
(※愛知)県美術館(名古屋市東区)が開催する展覧会「小川芋銭と珊瑚(さんご)会の画家たち」で、展示作品の画題「鮮人」が差別的だとして抗議があり、同館が画題の変更を検討していることが分かった。
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20100428/CK2010042802000025.html
「鮮人」という熟語、文字の組み合わせ自体には「邦人」「外人」と同じく、本来は差別的な意味はない。従って「鮮人」の上に「一般鮮人」「不平鮮人」「不逞鮮人」等の形容が付くことが多かった。
がしかし、それが普通に使われていた時代(明治~大正~昭和戦前)は日本人のほとんどが朝鮮人を蔑視、ないしは格下の存在として意識していたので、事実上、「かつて侮蔑的ニュアンスを含む言葉として使われた言葉」と定義しても間違いではないと私は思う。
ただし作者が作品タイトルとして当時そう名付けた歴史的事実自体をなかった事にはできないので、説明文を加えるべきだろう。
現代の韓国・朝鮮人が、日本人を「チョッパリ」、天皇を「日王」、在日韓国・朝鮮人を「パンチョッパリ」などと蔑称するのも明らかに民族差別・地域的差別であるが、韓国・朝鮮人のほとんどはそれを悪しきこととせず改めようとはしない。ちょうど昔の、あの思い上がった日本人たちと同じである。
この点でも彼らが過去の日本の悪いところをお手本とし踏襲し真似をしている、といえるだろう。
