- サイケデリック・ロック more register movement
- サイケデリック・ロック(2) more register movement
- サイケデリック・ロック(3) more register movement
「サイケデリック」と聞いて、「レイヴ」だの「トランス」だのを連想するのは80年代以降の人でしょう。
あなた、どうですか。
え? それすら知らない? LOVE PSYCHEDELICO(ラブ サイケデリコ)の世代ですか・・・
私が連想するのは1960年代のサイケデリック・ロック、ヒッピー・ムーヴメント、あるいは日本のサイケ・ブームとかですね。
まずは敬意を表して、グレイトフル・デッドを。
The Grateful Dead – Viola Lee Blues(1967/06/18, live at the Monterrey Pop Festival)
(邦題は「シスコ・ブルース」。スタジオ録音のアルバムからシングルカットされた日本盤では、10分1秒の曲をパート1、パート2としてAB面に分けて収録)
一口にサイケデリック・ロックといいましても、途中でボサノバみたいになっちゃうのもあれば、イギリス民謡風、マザー・グース風、民族音楽調のもある。フォーク・ロックやジャズ・ロック、どう考えてもカントリー・ソングだろというのもあります。そのスタイルは一様ではありませんでしたから、総称としては「サイケデリック・ミュージック」というほうが正確だったかもしれません。
そうそう、インド音楽を取り入れたラガ・ロック、ハイな気分を宇宙的イメージで表現したスペース・ロックなんて派生ジャンルもありました。
アーチストでいうと、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、13thフロア・エレヴェイターズ、ストリベリー・アラーム・クロック、ドアーズ、グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン、ヴァニラ・ファッジ、ラヴ、ヒューマン・ベインズ、シーズ、イッツ・ア・ビューティフル・デイ、ジミ・ヘンドリックス、クリーム、ファンカデリック、ナッズ、アーサー・ブラウン、トロッグス、ジュリー・ドリスコール、スウェーデンのシャムロックスなどが有名ですし、
バーズ、アニマルズ、ピンク・フロイド、ザ・フー、ゼムのように一時期サイケデリックに傾倒していたバンドは数知れず。あのビートルズでさえ、いっとき、やれインドだ、マハリシ・マヘシュ・ヨギだ、ハレ・クリシュナだとか言ってたくらいですからね。
そしてそこから瀬を早み 岩にせかれ百花繚乱の60年代ポピュラー音楽界、その後期のハードロック、70年代のヘヴィメタルへと連続する奔流は、まさしく「ロック的」なるものの ある意味「早すぎたクライマックス」と言い切ってよい極上の展開を見せたのでした。
そんな中で、最もロック的なサイケデリック・ロックのヒット曲として知られているものに、バブル・パピーの1969年3~4月のヒット『ホット・スモーク・アンド・ササフラス』があります。
これは今も評価が高い曲です。
The Bubble Puppy – Hot Smoke & Sasafrass(1968/11)
The lone top-40 hit for the Houston group.
デトロイトのガレージ・サイケ・バンド=アムボーイ・デュークス(当初の日本語表記はアンボイ・デュークス)のこれなどはどうでしょう。
ずばりトリップがテーマの曲で、邦題は『夢幻の旅』。1968年8月、ビルボード第16位のヒットとなりました。
ロックらしいスピード感にあふれていて、聞き応えがあります。
The Amboy Dukes – Journey To The Center Of The Mind(1968/05 mono 45)
Co-written by the group’s guitarist Ted Nugent.
当時「陶酔する」は trip out がふつうで journey はタイトル用にあえて使った ややもったいぶった比喩 だったんじゃないかな。
<参考>
Haymarket Riot – Trip On Out
The 45 was released in 1968 by Riot Records and the catalog # is R-45-101.
This group hails from Oklahoma.
<参考>
同時期、イギリスで活動していた同名のロックバンド。
Amboy Dukes – Turn Back To Me(1967/02/17)
Four Tops “Reach Out(I’ll Be There)”(1966/08/18)に似てますね。
<参考>
ハイトアシュベリーのヒッピーを描いた映画「Psych-Out」の予告編
Psych-Out (1968) trailer
カリフォルニア発、ロンドン経由のブルース・ロック・バンド、ザ・ミスアンダーストゥッド。
彼らのタフなサウンドもいかにも60年代ロックの精華といった感じです。
The Misunderstood – Children of the Sun
これがブリティッシュ・サイケデリックともなると、捻りや諧謔精神が入ってきて、また面白い。
ただしロックではなくポップスですね。
Nirvana – Rainbow Chaser(1968)
もうひとつUKのサイケデリック・ポップ。
World Of Oz – The Muffin’ Man
- World Of Oz – Peters Birthday(Black And White Rainbows)(1968)
- World Of Oz – Like A Tear
- World Of Oz – Jacky
次のは “Lucy In The Sky With Diamonds”(1967)に影響されたと思しき、いかにもの楽曲。
こういうのはむしろアメリカ人がやりそうなアプローチという気がします。
Geranium Pond – Dogs In Baskets
The record was released in 1968, and this group hails from the UK.
クインテセンス、この人たちは民族音楽~ジャズ・ロック系サイケデリック。
quintessence は本質、真髄のほかに、物理学で膨張宇宙を説明するために仮定された「ダークエネルギーの形式」という意味があるのだとか(何のこっちゃ?)。一方 the cream にも精髄、エッセンス、醍醐味という意味があります。バンドのミナサンはそういうことを考えてたんですね。
The Quintessence – Midnight Mode
ドノヴァンのこれはカラフルなイメージを歌ったフィーク~ソフトロック系。
Donovan – Wear Your Love Like Heaven(US:1967/11/06)恋は天国
from the album “Wear Your Love Like Heaven”(1967)
Pop Chart Peaks: Billboard 23, Cash Box 26, Record World 27 – UK uncharted
The fifth of Donovan’s eleven Billboard top-40 hits between summer’66 and summer’69.
ブリティッシュ・サイケデリック。ちょっとロック方向へ軌道修正しましょう。
のちにハード・ブギ・サウンドで世界的盛名を馳せたステイタス・クォーも結成(改名)当初は流行りのサイケデリックをやってました。
The Status Quo – Pictures Of Matchstick Men(UK:1968/01/05, US:1968/03 mono 45)
ステイタス・キュオ – マッチスティック・メン
ステイタス・クォー
日本盤シングル(1969/02)では “Ice In The Sun”(アイス・イン・ザ・サン)のB面。
タイトルは、イギリスの画家 L. S. ローリーによる細長く無個性な人物たちのイラストに由来しているらしい。
Pop Chart Peaks: Cash Box 11, Billboard 12, Record World 17 – UK Peak: 7
The only major U.S. hit for the VERY popular English rock band (over 60 UK chart singles).
このひとたちのはオルガンの音がいいですね。
Toby Twirl – Romeo and Juliet
次もイギリスのサイケデリック・バンド。
私の中ではサイケデリック・ロックというとこういうサウンドでゴーゴーを踊るイメージです。
Fleur De Lys – Gong With The Luminous Nose
同じ時期、日本のサイケデリック・ロックはどうだったでしょうか。
欧米の音楽に「サイケデリック」が1965年ごろから現れはじめ、67年の「サマー・オブ・ラブ」でピークを迎え、69年の後半から急激に退潮していったのに対して、
日本にはロック・シーンそのものが69年ころまで、沖縄を除いてほぼ無かったため、少し遅れて70年代前半に、そうした音楽(サイケデリック・ロックのようなロック)が若干現れたようです。
なにしろ数年来の「エレキは不良」というムードがまだ続いてましたから、公会堂や文化会館など公営施設でロック・バンドにステージを貸すところはまず無かった。
GSに見切りをつけロック的アプローチをめざしたミッキーカーチス&サムライも内田裕也のフラワー・トラベリン・バンドも海外武者修行に「出ざるを得なかった」というのが正直なところでしょう。
一方、歌謡曲では1968年、「サイケ」「ハレンチ」「アングラ」などの流行語に対応する動きがありました。
(上)ポリドールレコード(日本フォノグラム)昭和43年8月5日発売 9月新譜 サンプルLP。
サイケデリック・ムード歌謡とでも称すべき歴史的珍盤『ラリラリ東京』(三浦正弘とアロハ・ブラザース)と、ただのワルのりコミックソング『サイケ・カッポレ』c/w『ミックス・モンスター』(ザ・レンチャーズ)が同月同日にリリースされていることからも、レコード会社のサイケ・ブームへの対応企画が1968年夏ころであったことが判ります。

(右)シングル「サイケデリック・ソングNo.1 BACHI BACHI(バチ・バチ)」c/w「ヨシコと歩けば」林家三平 東芝音工
サイケデリック・ソングNo.1と銘打たれたこのレコード、ダンスの振り付けが写真付きで解説されてまして、表3に囲みで以下の特記事項が印刷されてます。
(左)シングル「私のビートルズ」c/w「悪い風を起すな」常田富士男(ときた・ふじお) 日本コロムビア 1970年10月
作詞:吉岡オサム、作曲:神津善行、編曲:佐々永治
この歌、「ハッシッシ」の語がヤバイと当時も云われてました。
1970年ですから、もう「サイケ」は流行おくれになってて、「シュールな」という形容が多かったように記憶しています。
日本レコード協会には『レコード製作基準委員会規定』が、日本民間放送連盟には『放送音楽等の取り扱い内規』というものがありまして、ストレートにサイケデリックな状態を表現すれば、当時も今もマスメディアからシャットアウトされてしまいます。
ホントにラリってる雰囲気に聞える『ラリラリ東京』はどうだったかというと、「取り扱い方A」すなわち「放送しない」曲として1968年と1973年の2回、指定されてます。
『ラリラリ東京』は歌詞を差し替えて『イライラ東京』として再発売され、さらに『メロメロしっちゃかめっちゃか東京』、『イヤイヤ東京』となりますが、詳しいことはネットに出てるでしょうからそちらをご覧いただきたいと思います。
レコード製作基準委員会規定
日本レコード協会(前略)
レコード製造会社は次の基準に基いてレコードを製作するものとする。
- 国家及び社会公共の安寧秩序を乱したり、良い習慣を破壊し、悪い風習を助長して国民の健全な生活を害するようなことがらは取扱わない。
- 正義を踏みにじったり、生命を軽視したり、或いは犯罪行為に魅力を感じさせるようなことがらは取扱わない。
- 徒らにみだらな性的観念を刺激するようなことがらは取扱わない。
- 個人・団体・民族・国家等の名誉を傷つけたり、精神的肉体的欠陥をもつ人たちの心情を刺激したり、或いは国際親善関係に悪影響を与えるようなことがらは取扱わない。
- 児童心理を尊重して次の時代をになう児童に与える影響には特に留意する。
なお文化財として記録保存する必要のあるものはこの製作基準の適用をうけない。
日本民間放送連盟
放送音楽などの取り扱い内規
昭和34年7月制定
昭和35年8月改訂
昭和38年3月改訂
昭和41年9月改訂
昭和42年5月改訂
昭和48年5月一部改訂
昭和51年7月一部改訂日本民間放送連盟は、歌謡曲などの放送にあたり、家庭とくに青少年への影響を考慮して、連盟放送基準にもとつく取り扱い内規を定め、自主規制を行なうものとする。
一、審査基準……次の各項に該当するものは、要注意とする。
- 人種・民族・国民・国家について、その誇りを傷つけるもの。国際親善関係に悪い影響を及ぼすおそれのあるもの。
- 個人・団体・職業などをそしるとか、軽蔑するとか、その名誉を傷つける表現をしているもの。
- 心身いずれかに欠陥のある人々の感情を傷つけるおそれのあるもの。
- 違法・犯罪・暴力などの反社会的な言動を扱い、共感をおぼえさせ、もしくは好奇心をいだかせるおそれのあるもの。
- 情事を露骨に、あるいは扇情的に表現しているもの。肉体関係を連想させるおそれのあるもの。
- 不純な享楽や不倫な関係などを扱い、社会の秩序をそこなうおそれのあるもの。
- 男女の性的特徴を扱い、品位に欠けるもの。
- 頽廃的・虚無的・厭世的あるいは自暴自棄的で、著しく暗い印象を与えるもの。
- 卑猥・不潔・下品・愚劣など、不快な印象を与えるもの。
- 表現が暗示的、あるいはあいまいであっても、その意図するところが連盟放送基準に触れるもの。
二、要注意歌謡曲の取り扱い区分……指定曲は次のように取り扱う。
(A) 放送しない。
(B) 旋律は使用してもよい。
(C) 不適当な個所を削除または改訂すればよい。その取り扱いに当たってはあらかじめ著作者の了解を得るものとする。三、指定期間……指定した年から5年間とする。但し、特に必要と認める曲は除く。
四、審査機関と審査方法
- 審査機関 審査は、日本民間放送連盟放送基準審議会の委嘱により放送音楽専門部会が行なう。放送音楽専門部会は、部会長(放送基準審議会委員)と委員若干名(音楽資料責任者または考査責任者)から成る。
- 審査対象 放送音楽専門部会が収集する資料、および民放各社において要審査と認め、放送音楽専門部会に提出する資料。
- 審 査 原則として事前審査とし、各社からの審査要請のつど行なう。
- 要注意の指定と通知 要注意の指定は、放送音楽専門部会委員の三分の二以上の出席を得て、多数決をもって決定する。指定曲は、決定後すみやかに全国各社に通知する。
映倫と同じで、国家権力に介入の口実を与えないためには、こういう倫理コードが必要なのでしょう。
では最後に自称「サイケデリック・バンド」だったモップスをどうぞ。
ザ・モップス – 御意見無用
<参考>
日活『野良猫ロック 暴走集団’71』(1971)予告篇
同年1月3日封切の正月映画だった。
追加記事
当時、ヒッピーという言葉はカッコよすぎて日本でそれに当てはまってそうな人は見かけませんでした。
代わりに瘋癲(ふうてん)という古めかしい言葉が使われて、風来坊・放浪者というニュアンスで「ふうてん」「フーテン」と表記されたりしました。
(右)シングル「ふうてんブルース」緑川アコ 1967年 クラウン
この歌の主人公にはしかしヒッピー的な浮薄さはなく、1965年に竹越ひろ子が歌った「東京流れもの」みたいに、ずいぶんと硬派な「ふうてん」になってます。
(2010年1月6日)
追加記事
サイケデリック・ロックとはまた違うのですが、当時のヒッピーがどんなことを考えていたかをうかがわせる不思議な歌があります。
フォー・ジャックス&ア・ジル(Four Jacks & A Jill)の「マスター・ジャック」(1968年5~6月のヒット)と「ミスター・ニコ」。
Four Jacks And A Jill – Master Jack(1968/02)
The only major U.S. hit for the South African folk-rock group featuring lead vocalist Glenys Lynne.
Four Jacks And A Jill – Mister Nico(1968/07)
非キリスト教的世界観への興味や自然回帰の傾向、物質文明への疑問、そしてトリックスターへの幻滅、、、、といったところでしょうか。
少し後のこれも「ヨガ」「瞑想」がテーマとなっています。
The Free Design – I’m A Yogi
from the album “Stars / Time / Bubbles / Love”(1970)スターズ・タイム・バブルズ・ラヴ
(2010年1月6日)
追加記事
ハイトアシュベリーの映像です。
San Francisco: Summer of Love, 1967
ヒッピー文化の映像に「ヘイ・ジュード」はミスマッチ!
Summer Of Love 1967 (All You Need Is Love-The Beatles)
どうしてもビートルズなら、1967年7月発売の「愛こそはすべて」のほうが内容的にもぴったりです。
※(追記:この動画は削除されました)
(2011年8月18日)
追加記事
Dr. Timothy Leary – Turn On Tune In Drop Out(1967)
- Turn On, Tune In, Drop Out (album) – Wikipedia, the free encyclopedia
- Turn on, tune in, drop out – Wikipedia, the free encyclopedia
(2012年3月3日)
追加記事
Las Sicodélicas(1968)- Intro
タイトルは「サイケデリック」の意。
メキシコ・ペルー共同制作のアクション・コメディ映画。
(2012年5月4日)
追加記事
ロサンゼルスにおけるLSDパーティーの急増が一般的に認識されるようになったのは、一九六二年七月のザ・ジャーナル・オブ・ザ・アメリカン・メディカル・アソシエーション(AMAジャーナル)に掲載された、精神科医シドニー・コーヘンと同僚キース・ディットマンによる論文にロサンゼルス・タイムスが目をつけてからだった。一九五〇年代からすでにビート・ジェネレーションの文学仲間の間ではLSDパーティーが流行していたにもかかわらず、カリフォルニア州麻薬課がこれを把握していなかったことを同紙はつきとめた。以前仲間内でLSD-25と呼ばれていたそれは、一九四三年四月十六日にスイスのバーゼルで発見された薬物で、サンドス研究所に勤務する化学者アルベール・ホフマンが、最初にこの薬物で幻覚症状を起こして倒れた。それは麦角菌として知られる有毒のライ麦菌から派生した、リセルグ酸ジエチルアミド溶液の二十五回目の調合をおこなっている最中の出来事だったが、偏頭痛の処方薬を作るというこの研究の一過程で、彼が指先から透明な溶液を吸収してしまったのが原因だった。
(中略)
彼がLSDと名づけたこの“問題児”はCIAの目にとまるところとなり、一九六〇年代と一九六〇年代には、何人かの人間が本人には知らされないまま実験台として使われた。
<ティモシー・ホワイト著、宮治ひろみ訳『ビーチ・ボーイズとカリフォルニア文化』259~260ページ より一部引用>
ローカル・ヒッピーたちは1967年10月6日、このブエナ・ヴィスタ・パークで「ヒッピーの死」と題した葬儀を行った。サンライズ葬儀社によって葬儀は盛大に執り行われ、「マスメディアの息子、ヒッピー」と名づけられた棺桶の中にはビーズや花々、ハシシ入りのブラウニーが詰められたのだった。10月6日を「葬儀の日」としたのは、ちょうど1年前の同じ日、カリフォルニア州が「LSDの使用禁止条例」を発令したからである。つまり、1年前のその日を境に、あらゆることがアンダーグラウンドになったのだった。1966年10月5日、LSDを摂取することは合法だったが、その翌日からその行為は犯罪になったのである。
<ビル・モーガン著、今井栄一訳『アレン・ギンズバーグと旅するサンフランシスコ』195~196ページ より一部引用>
(2013年2月7日)
追加記事
- 自己啓発の歴史(1) CIAとLSD 橘玲 公式サイト
- 自己啓発の歴史(2) サイケデリックの発見 橘玲 公式サイト
- 自己啓発の歴史(3) 「自己実現」という魔法の言葉 橘玲 公式サイト
- 自己啓発の歴史(4) エスリンとニューエイジ 橘玲 公式サイト
- 自己啓発の歴史(5) 洗脳と超越 橘玲 公式サイト
- 自己啓発の歴史(6) サイケデリック革命とインナートリップ 橘玲 公式サイト
覚醒剤は脳神経を破壊するだけで自己啓発、自己発見にはつながらなかったというのが50~60年代における自由意志による人体実験の結論――というのが私の理解。
(2013年2月17日)
追加記事
(2014年4月20日)
追加記事
当時のゴーゴークラブにおけるサイケデリックな照明効果、色使いなどが分かる映像。
Free Grass – Psychedelic Club – 1969
“The Trip”(1967)Trailer
“The Trip”(1967)
Directed by: Roger Corman
Produced by: Roger Corman
Written by: Jack Nicholson
Starring: Peter Fonda, Dennis Hopper, Susan Strasberg and Bruce Dern
And music by: “The Electric Flag”
(2014年6月29日)
追加記事
he Summer of Love I British Pathé
2014/07/20 に公開
英パテ社の秘蔵フィルム、ダイジェスト。
(2014年7月22日)
追加記事
(2014年9月15日)
追加記事
(2015年4月5日)
- サイケデリック・ロック more register movement
- サイケデリック・ロック(2) more register movement
- サイケデリック・ロック(3) more register movement


サイケデリック・サウンド。最初出会ったころは嫌いでした。
ドラッグでラリッてる表現がなじめませんでした。エレキ・シタールや無駄に長いエレキソロ、暗いボーカルパートなどは好きなバンドの中でもだめでした。
65年から75年までを聞きこんでいけば否応なしに耳に入ってくるのでそのうちなんとも思わなくなりましたけどね。
動画サイトで日本のコミューン(日本にあったのかね?)を舞台に繰り広げる
ザ・ガードマンがありますよ。削除される前にどうぞ。9つに分割してますけどね。
ここでもモップスがコミューンの広場で「いいじゃないか」を演奏しています。
ザ・ガードマン第344話「煙突の上で無理心中したヌードの美女」①
※(追記:このツイートは削除されました)
SONO-COLOでも語られているナレーション
「アメリカのヒッピーが50年代のビート思想を通俗・
大衆化したものであるとするならば我が日本のヒッピーたちはその風俗ビートの単なる
カバーにすぎなかったのではないでしょうか。」
は80年代から見た評価ですがどうですか。
2010年の今、アメリカのヒップ・ホップシーンをまねて
そのまんま日本でヨー!ワッツァップ!!て叫んでる兄ちゃんとかわんないですね。
ドラッグで音楽活動を中断した60年代のアーチストはホント多かったですね。
ラヴやアムボーイ・デュークスみたいにメンバーのほとんどが中毒になってグループが立ち行かなくなりやむなく解散なんて連中もたくさんいた。
50~60年代の惨憺たる“人体実験”で、各種ドラッグが芸術創造の秘薬とはいえないことをアメリカ人は理解したはずです。後に残るのは単なる実用性ですか。
CIAがパナマの将軍に密輸商売をやらせるなど、親米勢力育成の政治的実用性もあったようです。
「拳銃」「ドラッグ」「人種間の対立」で市民社会が常に「不安」で「不安定」なアメリカに較べて日本が曲がりなりにも平和だったのは、それらが抑止されていたからだと思われますが、それゆえに日本はいろんな意味で(さまざまな意図から)今後ターゲットにされていくような気がします。
おそろしい、、、ことでございます。
> 「アメリカのヒッピーが50年代のビート思想を通俗・
> 大衆化したものであるとするならば我が日本のヒッピー
> たちはその風俗ビートの単なるカバーにすぎなかった
> のではないでしょうか。」
そういうスクリプトを確かに書きました。すっかり忘れてましたよ (^^;;
アメリカのビート詩人たちの作品がヒッピーたちの知的アクセサリーになってたのは、当時盛んだった詩の朗読会やコミューンに関連する印刷物などから検証はできますが、勤め人が日曜日に着替えてピッピーのマネをする通称「プラスティック・ピッピー」が60年代後半アメリカの若者のヒップ(hip=いかしてる)なライフスタイルとなってたのも確かで、
そのウソっぽさをバリー・マンは、1968年、
「The Young Electric Psychedelic Hippie Flippy Folk And Funky Philosophic Turned On Groovy 12 String Band」
なる曲で揶揄しておりますね。
私がアメリカのヒッピー・ムーヴメントとビート・ジェネレーションとの関連性を意識するようになったのはギンズバーグやバロウズの訳詩者としても知られていた詩人・諏訪優の本を読んでからです。ピッピーはビートの若いの版であろうと。おっしゃるとおり、今にして思えばそれは80年代の初頭でした。
> ザ・ガードマン第344話「煙突の上で無理心中したヌードの美女」
さっそく見てみました。初見です。
過激派、アングラ演劇、ヒッピー、悪魔崇拝、ヌーディスト・・・てんこ盛りですね。
川津祐介「ヒッピーのことなら俺に任せてくれ」には思わずニヤリです。
結末をタイトルでバラしちゃってるところ、緑魔子が最後までイノセントなキャラで、たとえば実は潜入麻薬捜査官だったみたいな仕掛けがないところが、いかにもあのころのテレビっぽいなと感じました。
緑魔子で緑川アコ「ふうてんブルース」のことを思い出し、投稿に追記しておきました。