2015/04/29
今年8月12日に1985年の発生から30年を迎える日航ジャンボ機墜落事故で、乗客乗員520人が犠牲となった群馬県上野村の事故現場「御巣鷹の尾根」が29日、山開きし、今季の慰霊登山が可能になった。
午前11時すぎ、日本航空の大西賢会長(59)が慰霊碑「昇魂之碑」に手を合わせた。「20年近く山開きの日に登らせていただいている。30年は節目の年かもしれないが、毎年、空の安全・安心に気持ちを持つ。特別なわけではない」。事故当時の社員がグループ全体の10%以下に減っているといい、「安全におけるリーディング・カンパニーとして、事故の経験を航空に限らず運輸業界で共有していきたい」と語った。
http://www.asahi.com/articles/ASH4Y2QVNH4YUHNB001.html
2015/05/30
「あれがU字溝です」
前橋市のヘリポートを出発し藤岡市街地を南下、山並みが現れ、いよいよ尾根にさしかかろうとしたとき、成田晃一副隊長が機内マイクで声を上げた。
機体がぶつかり、山がU字に削れた場所だ。新緑に覆われていて、上空からだとわかりにくいが、登山すると、はっきりとU字に削れているのが今でも視認できるという。
出発してから約20分、事故現場上空に到達した。尾根のピーク付近の少し開けた部分は、手前の尾根に何度かぶつかった機体が最終的に墜落した場所だ。そこで機体は3方向に分断され斜面の樹木をなぎ倒した。炎を上げ周辺を燃やしたという場所は、現在も木が生えてこない部分があり、山肌がまだらになっていた。
ピーク付近の地肌の見える場所は広場のようになっていて、「昇魂之碑」が建立され、慰霊の人たちだろうか、碑の前で輪になっているのが見えた。亡くなった誰かを思い会いに来たのだろうか。今でも消えない事故の爪痕を上空から目の当たりにし、30年の月日の重さを感じた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150530-00000066-san-l10
2015/06/11
日本航空123便の墜落事故から30年。家族や友人を失った人の悲しみはいまだ癒えない。親友を亡くした俳優、赤塚真人(64)もそのひとりだ。親友をモデルにした舞台「8・12」を2004年から続けているが、今年は新たな物語「8・12~白球~」として上演する。なぜ上演を続けるのか。
赤塚が主宰する「劇団裏長屋マンションズ」の同作は16~22日、東京・築地本願寺のつきじブディストホールで上演。甲子園に出場する息子を応援するため、123便に搭乗した父親の実話をもとに、事故で亡くなった父が、あるスナックに集う人たちの身体を借りて、息子に会いにくるというストーリーだ。
「父親は47歳で亡くなった。そして、その息子が30年目の今年、47歳になる。息子は事故後、現場に向かい、甲子園に立てなかった。きっと父親は息子が甲子園に立つ姿を見たかったんだ。だから、せめて舞台だけでも甲子園に立たせてあげたかったんだ」
事故への思いは深い。ドラマーだった親友が事故機に乗っていた。勘当されていた父親に会いにいくためだったという。互いに成功を夢見て、酒を酌み交わし、がむしゃらに生きていただけに、悔しかった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150611-00000019-ykf-ent
2015/07/19
520人が亡くなった日航ジャンボ機墜落事故から8月12日で30年となり、遺族41人の手記集「茜雲(あかねぐも)」が刊行された。亡き父と同じ年齢を迎える娘、娘を忘れないと誓う母――。悲しみと向き合い、空の安全を願う一人ひとりの思いが込められている。
遺族でつくる「8・12連絡会」は事故翌年から毎年、遺族の手記を「茜雲」と題して主に会員向けの冊子にまとめてきた。節目の今年は、事故を知らない世代にも広く伝えようと一般向けの出版を決めた。
http://www.asahi.com/articles/ASH7J740SH7JUTIL05Q.html
2015/07/29
”ある特定の遺族”とは、指定暴力団の元組員だったAという人物だ。事故で内縁の妻を亡くしたというAは、犠牲者の年齢などから算出された4500万円という”規定の補償額”に対してゴネまくり、最終的に7000万円という補償金を手にしたという。
しかも、話はこれだけでは済まない。
「Aは、事故から5年以上も経った’91年に旅行代理店を設立。日航のグループ会社から大量のチケットの供給を受け、手数料も大幅に上乗せさせた。わずか3年で、会社の売上を30億円にまで伸ばした。最終的にAが日航から受け取った額は5億円以上とも言われている」(同)
この問題は、事故後の各マスコミの検証取材によって明らかになり、『朝日新聞』や『週刊新潮』などが、何度も記事にして取り上げている。当のAも、『朝日新聞』の取材に対して、日航からの利益供与があったことを大筋で認めるコメントを残している。
ただし、Aは’02年に病死しており、今となっては真偽を直接、確かめることはできない。
(中略)
伊藤氏が続ける。
「ヤクザの看板で日航を脅していたのはAだけじゃない。もう一人のBという元ヤクザの遺族も同じことをやって、法外な補償金を手にしている。こいつらは言語道断だが、遺族会の一部の人間も、会を私物化するようなことをしたり、遺族という立場を利用して私腹を肥やすなど、目に余る行為をやめない人間もいる。こんなことを、亡くなった犠牲者たちが聞いたら天国で悲しむはずだ」
http://wjn.jp/article/detail/0896468/
2015/07/30
天野氏も、事故直後からは「遺体回収作業」に従事。退職後も遺族のケアを続けた。
「私は事故当時50歳でした。発生直後は”初動の世話役”を事故翌日からやりました。これは1遺族に対して、JALの4職級の係長以上の社員が1人付いてお世話するもので、私は和歌山のご遺族の担当をさせていただきました。藤岡市(群馬県)の体育館に派遣され、ご遺体が発見・確認されるまで、ご遺族に付き添わせていただいたのです。
この和歌山のご遺族のご遺体は4泊5日で見つかり、ご遺族を和歌山までお送りして、49日までそこで面倒を見させていただき、東京に戻りました。そして、その後も『清掃登山』を続けたのです」(天野氏)
清掃登山とは、ひと通りの回収作業が終わった後も、数年にわたって続けられた”残りの遺体の捜索作業”のことだ。
「事故発生後、ご遺骨はバラバラになり、日が経つと骨が土中にめり込み、雨などで土が溶けて流れると、骨が出てくるという状況でした。その際、ご遺骨なのか、プラスチックなどの機体の一部なのかを見分けるのが難しく、断片に血球を作る組織があれば、『これはご遺骨だ』などと判断することもやりました」
http://wjn.jp/article/detail/2276050/
2015/08/08
娘3人を一度に失った「あの日」から30年がたとうとする今もなお、兵庫県西宮市の田淵輝子さん(81)は現実を受け入れられない。
これまで体調を崩したときを除いて、春、夏、秋と年3回は必ず事故現場の御巣鷹の尾根に登り、娘たちに”会いに行く”。
「年3回も登ることで気持ちの目標ができる。毎年の繰り返し。けど、そのスケジュールに今日も私たちは生かされている」
行動をともにする夫の親吾さん(86)は、慰霊登山が2人の生きる支えになっていることを明かす。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150808-00000508-san-soci
2015/08/09
1985年の日航ジャンボ機墜落事故の7年前、米ボーイング社のチームが約1カ月にわたり日航の整備工場で機体後部の圧力隔壁を修理した際に撮影された未公開写真を、共同通信が関係者から入手した。
ボーイング関係者が作業し、日航職員が見守る様子を捉えている。墜落原因となった作業ミスがあり、注目されてきた圧力隔壁修理の実態の一端が明らかになった。
捜査関係者らによると、日航が撮影したとみられ、同様の写真が複数あった。遺族らでつくる「8・12連絡会」事務局長美谷島邦子さん(68)は「公開を求めてきたが、応じてもらえなかった。実際の作業の写真を初めて見た」と話している。
当時、捜査当局は、ミスをした作業員の特定や日航の検査実態解明に向け、これらの写真を重視。ボーイング側に作業内容や人物を照会した。「修理の写真であることは確かだが、ミスをした作業に関する写真はない」との回答だったという。
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2015080902000051.html
2015/08/09
「生存者で生き証人の落合さんから、いろいろな話を証言を聞きました」(元群馬県警 星野守さん)
元群馬県警の星野守さん(67)です。事故当時、機体の最後部に座っていた落合さんは、墜落前の異常事態を目撃していました。
「機体後部のカーテンが揺らいで、パンとかドンとか音がしたと。天井に穴が開いたと。後部の圧力隔壁から垂直尾翼に至る付近が損傷したんじゃないかと」(元群馬県警 星野守さん)
1985年8月12日、群馬県の御巣鷹の尾根に墜落した日本航空のジャンボ機。機内の気圧を一定にするための圧力隔壁が壊れたことが事故の原因とされました。
墜落したジャンボ機は、事故の7年前に「しりもち事故」を起こし、製造メーカーのボーイング社が圧力隔壁を修理していました。しかし、ボーイング社の修理は、マニュアル通りではない、不適切なものだったのです。
「マニュアルにのっとって修理をやっていれば、この事案は起きなかった。航空機の修理が終わった段階での検査をきちんとしていれば、修理ミスを見逃すことはなかったと」(元群馬県警 星野守さん)
星野さんらは修理の点検や検査する立場の日本航空や運輸省を捜査し、本丸のボーイング社の捜査に着手。しかし・・・
「相手はアメリカのボーイング社。大きな壁が立ちはだかっていた」(元群馬県警 星野守さん)
ボーイング社は修理ミスを認めたものの、個別の作業員の聴取を拒否。群馬県警は氏名不詳のまま修理担当者などを送検しましたが、地検は立証が不十分だとして不起訴としました。
「520人の方々の犠牲に報いることができなかった」(元群馬県警 星野守さん)
http://www.mbs.jp/news/society/20150809/00000023.shtml
ボーイング社の不誠実極まる対応に怒りを禁じ得ない。
「日本の黒い霧」が講和独立後も今日に至るまで続いていることが透けて見える話だ。
さて、今年も8月12日が巡ってくる。
日航ジャンボ機墜落事故からもう30年が経ったという。
早いものだな、つい先日のような気がしてならないが、、、
30年前、国内の移動でジェット機を使う人はエグゼクティヴか金銭的に余裕のある人々だった。そのため突然の事故死は各方面に大きな影響を与えた。
有名人も何人か乗り合わせていた。中でも国民的歌手だった坂本九の名が伝えられた瞬間は衝撃的だった。満43というまさに油の乗りきった齢(とし)の坂本は誰からも愛されるキャラクターだった。
少年時代どこにでもいるワルガキだったという坂本は、芸能界で地歩を固め、人気者となってからはすっかり善い人の代表選手となっていた。歌手、俳優、司会業、ラジオパーソナリティのほか、NHKの『八犬伝』のナレーションでは新境地を拓き、さらに芸域を拡げていた。
坂本九はまさに努力と誠実と情熱と慈善の人、そしてよき家庭人でもあった。
もし健在だったら2015年の今年74になっているという。
2020年の東京五輪の開会式で『上を向いて歩こう』をぜひとも歌ってほしかった。
もしあの墜落事故がなかったら、日本を代表する世界的歌手として間違いなく歌ったことだろう。
明日の命日を前に、今年もその歌声を聴き、またともに歌って、彼と彼の生きた時代へ思いを致し、犠牲者たちの無念を慰めたい。
大島花子 / 「上を向いて歩こう」SUKIYAKI 2015.5.3 @横浜みなとみらい・臨港パーク
dedicate to fukushima
2015/05/04
Sukiyaki / Kyu Sakamoto [Music Box]
R3 Music Box
2015/01/14
Susan Boyle – The First Star
スーザン・ボイル – 上を向いて歩こう/The First Star
from the CD album “Someone To Watch Over Me” bonus tracks for Japan(JP:2011/11/02)誰かが私を見つめている
原田末秋 – 上を向いて歩こう
KIONA PRODUCE / キオナ プロデュース
2015/02/01
SUKIYAKI Naomi Suzuki 鈴木ナオミ in 英国会議事堂(東日本大震災追悼コンサート)
Naomi Suzuki channel
2015/07/14
英国会議事堂で日本人がコンサートをしたのは今回が初めてです。
Terry Wood – Sukiyaki
from the CD “East Meets West by Terry Wood”
自主制作盤らしい。
インスト曲。
Sukiyaki by Kupaoa and Kaulana
KupaoaMusic
2014/08/16
Tommy Emmanuel – Sukiyaki(live)
from the album “Center Stage”(Australia:2008)
Whistling Sukiyaki, polyphonically
Guerin Barry
2011/09/12
口笛による演奏。
Brave Combo – Sukiyaki Twist(instrumental)
from the album『音楽 ブレイヴ・コンボのええじゃないか』(JP:1991)
テキサスのグループで、このアルバムも同州デントンで録音されている。
Terry Wood – He Quedado Sola
from the album “Canta En Español”(Peru:1982)
アメリカの歌手。
坂本 九 – 上を向いて歩こう(JP:1961/10/15)
Kyu Sakamoto – Sukiyaki(US:1963/03/25, UK:1963/06)
4度目の引用。
Retitled “Sukiyaki” for release in English-speaking countries, this #1 hit’s original Japanese title was “Ue o Muite Arukō,” which translates as “I look up when I walk.” The song returned to Billboard’s top 10 in 1981 by Taste Of Honey and again in 1995 by 4 P.M. (For Positive Music).
KISS “Sukiyaki (上を向いて歩こう)” “Heaven’s On Fire” live Budokan – Tokyo, Japan 2013/10/24
Takashi Frank Kurosaka
2013/10/28
2014年のアメリカ映画『インヒアレント・ヴァイス(Inherent Vice)』(2015年4月 日本公開)のサウンドトラック盤に、坂本九の『上を向いて歩こう』が収録されています。擬似ステレオ化とはまた違うようですがオリジナルテイクにエコーがかけられている感じです。
<参考>
Inherent Vice – Official Trailer [HD]
Warner Bros. Pictures
2014/09/30
<参考>
Carlito – Sukiyaki Teriyaki
カリート – スキヤキ・テリヤキ
from the album “World Wild”(JP:2007/09/26)世界はカリート!
メキシコから東京へ行きたがってる男の歌。
<参考>
モーニング娘。- すき焼き
アルバム『愛の第6感』(2004/12/08)所収。
作詞曲:つんく、編曲:高橋諭一、プロデュース:つんく♂
沖縄民謡風の賑やかな歌。
<参考>
Sukiyaki – One Night Stand(2015)
アーチスト名が「Sukiyaki」。
このアーチストの存在とは別に、日本の富山県発で『スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド』というワールドミュージック中心の音楽祭が行われています。
- 上を向いて歩こう(スキヤキ) register movement 第五ステージ
- 上を向いて歩こう(スキヤキ) register movement 第五ステージ
- 上を向いて歩こう(スキヤキ) register movement 第四部
- 上を向いて歩こう(スキヤキ) register movement 第四部
- 上を向いて歩こう(スキヤキ) register movement 第四部
- 上を向いて歩こう(スキヤキ) register movement Part3
- 上を向いて歩こう(スキヤキ) register movement Part3
- サントリー提供の 懐メロ ヒットパレード more register movement
- 上を向いて歩こう(スキヤキ) more register movement
以下、「ジェット機」「飛行機」「飛ぶ」「Fly」を含む投稿。
- バカンスの季節 register movement 第四部
- お正月も3日やると飽きるね register movement Part3
- 「エンジン故障。ただちに引き返す」 register movement Part3
- ロッキード社製モノレール register movement Part3
- 上を向いて歩こう(スキヤキ) register movement Part3
- ご新造さん、東京湾はァ、よ、汚れとる register movement Part3
- ピースメーカーとペースメーカー、トラブルメーカーはどっち? register movement Part3
- 冷し酒 梅酒 泡盛 一夜酒 チューハイ ビールはとりあえず生 register movement Part3
- スコブル若き英雄たち register movement Part3
- 自分が生きていたという証拠を残す架空の人物 register movement Part3
- 真冬の帰り道は来た時よりも遠かった register movement Part3
- Girl Talk register movement Part3
- 鎮魂2013 register movement Part3
- 上を向いて歩こう(スキヤキ) register movement Part3
- 「そうだ 京都、行こう」と異教徒は言った register movement Part3
- 翼の上で register movement Part3
- くるわを漢字で書くと郭/廓/曲輪 register movement Part3
- 避難住民/避難民/難民の、きのうきょうあした register movement Part3
- 等閑視される深刻な地下水汚染 register movement Part3
- 力道山を刺した男、十分長生きして死ぬ、、、モトイッ 天寿を全うす register movement Part3
- 聖火台(点火)――平均台(の妙技)――(安田講堂)時計台(放送)――秋吉台(道路開通)――(マハラジャの)お立ち台 register movement Part3
- ハイそれまでヨ 續 more register movement
- 誅戮(ちゅうりく)とは「罪ある」者を殺すこと。罪なくして殺さるゝは非業の死といふなり 續 more register movement
- 懐かしのジョージ・タウン 續 more register movement
- 巴里は いよいか住みよいか しゃれた文句に 振り返えりゃ 續 more register movement
- 飛びますッ飛びますッ 續 more register movement
- Tears On My Pillow 續 more register movement
- 片肺飛行は放送要注意語か? more register movement
- ラクダといえば大駱駝艦。あれは72年の結成。60年代じゃないんです。 續 more register movement
- 見上げれば 涙は横に伝わりて 不孝の詫びをば 口笛で吹く (英二) 續 more register movement
- 収容所(日本)列島 續 more register movement
- 単数形では精神・霊・生気、複数形では蒸留酒 續 more register movement
- シンニ ノ ホムラ? 續 more register movement
- やっかいな隣人 續 more register movement
- Red Bull verleiht Flügel 續 more register movement
- 株式会社フェニックスは小岩駅南口から徒歩約3分 more register movement
- 懐かしき人々 more register movement
- Put On A Happy Face more register movement
- サントリー提供の 懐メロ ヒットパレード | more register movement
- となると、首都直下も間近じゃないかとフツーに思われ more register movement
- 諸君、偉大なる博士は風となったのである。果して風となったか? 然り、風となったのである。 more register movement
- スチュワーデスは時給1100円 more register movement
- 春秋に富む=若い/春秋高し=年老いている more register movement
- 表参道のアンティークマーケット more register movement
- 日航ジャンボ機墜落から25年 more register movement
- パレスチナの血と砂 more register movement
- 1945-2010年 我らの時代にあったこと(3) more register movement
- そのままのメロでいて more register movement
- The High And The Mighty more register movement
- 上を向いて歩こう(スキヤキ) more register movement
- タイムリーな「沈まぬ太陽」 more register movement
- 廃墟よーい、ノコッタノコッタァ! more register movement
- 013 緑の季節 more register movement
- あなた、飛行機に乗るのは好きですか? 佐久間航 全文書
- 鐵鋼新報 観測者からは太陽があたかも「沈んだ」かのように見える
- 鐵鋼新報 VHSテープ――>DVD-Rコピー(1982 01 31~) 4
- 鐵鋼新報 夏の大敵ボーイング暴食
- 冒険者たち more register movement
追加記事
2015/08/12
520人が亡くなった1985年の日航ジャンボ機墜落事故は12日、発生から30年を迎え、遺族や関係者は早朝から墜落現場となった「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)に慰霊登山した。歳月に思いをめぐらせながら犠牲者を悼み、空の安全を願った。
登山できない高齢遺族の増加や日航社員の世代交代で事故の風化が懸念されている。一方、事故を直接知らない遺族や交通機関の関係者らが尾根を訪れ、教訓を受け継ごうとする動きも出てきている。
http://www.nagasaki-np.co.jp/f24/CO20150812/na2015081201000875.shtml
2015/08/12
520人が亡くなった日航機墜落事故から、きょうで30年を迎えました。墜落現場の御巣鷹の尾根を目指して、けさから遺族らが慰霊登山を始めています。
日本航空のジャンボ機が群馬県の御巣鷹の尾根に墜落したのは、30年前の8月12日です。
犠牲者の遺族らは、きょう午前5時ごろから御巣鷹の尾根を目指して慰霊登山を始めています。
(中略)
遺族らはその後、墜落現場近くに建てられた「昇魂の碑」に到着し、花を手向けました。中には、墜落機を操縦していた高濱雅己機長の妻の姿も見られました。
きょう一日で、遺族と関係者らおよそ350人が慰霊登山をする予定です。
http://www.mbs.jp/news/society/20150812/00000017.shtml
2015/08/12
日航ジャンボ機墜落事故が起きてから30年の間に、日本航空は整備トラブルなどを連続して起こしたために業務改善命令を受け、経営破綻にも直面した。一方、世界の航空界では情報技術(IT)を中心にした新技術、格安航空会社(LCC)などの新ビジネスが登場している。環境の激変の中で、事故防止の最前線である整備現場はどう変わったのか。ジャンボ機事故当時は整備士だった鈴鹿靖史・同社監査役(58)が証言する。「8月12日の午後6時半ごろだったと思う。工場にいたらJA8119(123便)が『ドアに不具合があり戻ってくる』という連絡があった。だが、いつまでたっても到着したという連絡がない」
鈴鹿さんは当時、整備士6年目。整備マニュアル作成や、トラブル時の修理方針策定を担当する羽田整備工場技術課に勤務していた。12日夜はドア修理を担当していたこともあり、事務所に待機した。
「やがて『レーダーから機影が消えた』という連絡がライン(現場整備)から来た。大変なことが起きたのは理解したが、どうすればいいか分からなかった。混乱したまま、会社は事故に突入していった感じでした」
(中略)
9月ごろになって、原因は後部圧力隔壁の修理ミスの可能性が高まった。「圧力隔壁の厚みは1ミリ以下。そんな薄い金属が原因で、こんな大事故になってしまうのかと驚き、怖くなりました」修理ミスを招いたのはボーイング社の作業だったため、事故翌年の1986年、新セクション「シアトル米州技術部」が発足した。業務は、ボーイング社に発注した完成機の受領時点検に加え、製造状況にも必要な意見を言うことだった。
同部に87年に赴任した鈴鹿さんは下請けの製造協力会社も含め、視察に歩き回った。当時のボーイング社では、私服の作業員が足や腕のカバーを着けずに機体を結合する作業をしており、「異物が混入する可能性がある」とカバーの装着を申し入れて実現させた。事故後だったため、ボーイング社、下請け会社とも協力的だった。
90年代に入ると、ボーイング社は大型旅客機「777」の生産から、運航会社も開発に加わる「ワーキング・トゥギャザー」(共に仕事をする)を本格化させた。JALは85年の事故以来部品の不具合情報を蓄積した「信頼性データベース」を提供し、英語で書かれた「整備マニュアル」に平易な言葉を使うよう申し入れた。
だが、JALは2004年末から05年にかけ、車輪の部品を間違って使用するなど連続してトラブルを起こし、国土交通省から業務改善命令を受けた。さらに事故から20年の同年8月12日には、福岡空港を離陸直後のDC10機のエンジンが爆発し、部品が人のいる地上に落下する事故を起こした。技術企画部長だった鈴鹿さんは「作業量の増加に、現場の整備力が追いついていかなかった。私自身も責任者として、そうした状況を解決できていなかった」と反省する。<日航機事故30年:羽田の整備士が語る123便 再発防止に「記憶語り継ぐ」 | 毎日新聞 より一部引用>
http://mainichi.jp/feature/news/20150812mog00m040002000c.html
2015/08/12
520人が犠牲になった1985年の日航ジャンボ機墜落事故から30年となった12日、墜落現場「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)の麓にある「慰霊の園」で追悼慰霊式が営まれ、遺族や日本航空の大西賢会長ら356人が参列した。
遺族は慰霊塔に1人ずつ白菊を献花した後、塔を囲むように立てられた520本のロウソクに点火。墜落時刻の午後6時56分、全員で黙とうをささげた。
この日、遺族らは早朝から慰霊登山に訪れ、御巣鷹の尾根の墓標を目指した。参加した遺族は過去最多の106家族406人。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150812-00050099-yom-soci
(2015年8月12日)
