懐かしのスプートニクが墜落

 70回目の「原爆の日」を迎えた6日、広島市中区の平和記念公園には外国人も多く集まり、平和への祈りをささげた。平和記念式典には米国のケネディ駐日大使ら、過去最多の100カ国と欧州連合(EU)の代表が参列した。山口市で開催中の世界各国のボーイスカウトが集まる行事に参加中の134カ国の134人も式典に参席した。
 各国の首脳らも70回目の「原爆の日」に声明やコメントを寄せた。EUのモゲリーニ外交安全保障上級代表は「広島と長崎の被爆者が、原爆投下の最後の被害者となるべく、我々は責任を負っている」との声明を出した。インドのモディ首相はツイッターに「広島・長崎への原爆投下は戦争の恐ろしさと人類への影響を思い起こさせる」と投稿した。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM06H7V_W5A800C1FF2000/

鎮魂の祈り、川面照らす 広島で灯籠流し

KYODO NEWS
2015/08/06 に公開
広島に原爆が投下されて70年となった6日、広島市中心部の爆心地近くを流れる元安川­などで、犠牲者の鎮魂を祈る灯籠流しがあり、約1万個の光が夕闇の川面を照らした。

原爆の日の広島で灯籠流し、平和願う Hiroshima marks atom bomb anniversary

AFPBB News
2014/08/06 に公開
69回目となる原爆の日を迎えた広島市で6日夜、灯籠(とうろう)流しが行われた。参­加者らは、平和祈念公園の原爆ドーム前を流れる元安川にさまざまな色の灯籠を浮かべ、­犠牲者に祈りを捧げて平和を願った。

2発の原爆が日本に落とされた。
日本の狂信的戦争指導者たちが戦争をやめなかったこと、
アメリカが戦争の早期決着と世界覇権を念頭においた示威のために使用を急いだこと、
が直接の原因だ。

日本も戦時中 原爆を開発していたことは、かなり前から知られている。
だからこそヒロシマ・ナガサキの新型爆弾が何であるかがすぐに理解できた。
今日本はアメリカの内諾を得、いつでも核兵器を製造できる準備が整っているようだ。
そのための原発であろうが、逆に原発を叩かれれば核ミサイルを製造する前に決着がついてしまう。

「戦争反対」「核兵器廃絶」「平和友好」は殆どの日本人が賛成するに違いない。
しかしそのことを呪文のように何百回唱えたところで、悲しいかな現実にほとんど影響を与えない。
戦争はこの瞬間も途切れることなく世界各地で起きているし、核兵器は拡散し続けている。

日本の周辺では、プーチン皇帝が恐怖政治で支配するロシア、中共一党独裁の中国、金王朝狂信崇拝ファッショの北朝鮮が、核弾頭をつけたミサイルを保有している。
中国は尖閣諸島や沖縄を自国のものだと公言し、ロシアは火事場泥棒でぶんどった北方領土を占領したまま。韓国は日本領竹島を武力制圧して尚そのうえ対馬は我が領土と言って憚らない。
彼らに「戦争反対」「核兵器廃絶」「平和友好」を説いてもヘラヘラとせせら笑うばかりだ。

日本が戦後70年間「平和」だったのは、アメリカ側が定めた憲法9条および「負けて痛切に反省している」立場を建て前として利用し、アメリカという最強の軍事大国の「虎の威を借る」ことで、政治家と官僚が巧く立ちまわったからであって、日本国民の大多数が「平和主義者」だったからではない。
確かに平和な国家ではあったが、国民が平和主義の堅い信念のもとに築き上げた平和国家ではなかった。

留意すべき点は、ファシストも「平和主義」を金看板にしていること。まじめに平和を考える者たちにとっては実に腹立たしいだろうが、平和主義もどきの害は想像以上のものがあり、鋭く見抜いて化けの皮を剥がさないと大変なことになる。

政治・経済に続いて軍事的にもアメリカの属国であることを闡明にしようとするのは、アメリカの「命令」と日本のファシズム勢力の「利益」が一致したからで、安倍首相一人の企みではない。ついでにいえば天下取りを熱望してやまない信濃町との利害も一致している。

そして、残念ながら状況はかなり悪くなってきている。

150806_01『マンガでわかる永続敗戦論』
白井聡・原作 岩田やすてる・マンガ
朝日新聞出版 1300円
 本書は、2013年に発売、石橋湛山賞などを受賞し、ベストセラーとなった『永続敗戦論』(白井聡/太田出版)のエッセンスをわかりやすくコミック化。ストーリーに沿って読みながらある学者と出会うことで、「永続敗戦レジーム」について理解していくという内容となっている。
 原作者の白井氏がいう「永続敗戦」とは何か。第2次世界大戦の敗戦後、東西冷戦構造に規定される形で、アメリカの許しを得て戦前の支配層は再び日本の中枢に舞い戻ってきた。その経緯やCIAの資金提供により結党された自民党がほぼ一貫して政権をとってきたことからも、戦後日本の政治体制は「対米従属」を基本とする半傀儡的なものだった。よって敗戦はいまなお続いているといえる。
 現在、ニュースとなっている沖縄の基地問題、原発、TPP、安全保障問題の槻幹には何があるのか。本書を読めば、それらの問題は「永続敗戦レジーム」にいきつくとわかる。
 白井氏の書き下ろし解説も必見・戦後レジームからの脱却といいつつ、対米従属を深める安倍政権の欺購を鋭く指摘している。(黒田誠)

<週刊朝日2015年8月14日号77ページ より一部引用>

自民のように、対「鬼畜米英」従属のまま、戦前型のファッショの復活を目指すのは、大東亜戦争で死んだ「英霊」や「民草」に対する裏切りでしかない。
けっきょく、国体カルトも天皇存在も、彼らにとっては国民支配の道具でしかないということ。共産党にとっての共産主義、天下取りを目指す信濃町にとっての宗教も同じ。
おそらくそのことをよく知っているから、今上天皇はあたかも安倍政権に逆らうがごとき振る舞いを続けているのだろうと拝される。

似たもの同士の自公があっさりタッグを組んだのは現時点で互いの存在を必要としてるからで、どちらかが圧倒的優位を獲得すれば、本来の感情である「近親憎悪」が吹き出し、相手を抹殺することは疑いない。

150806_02(左)永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04)
単行本: 224ページ
出版社: 太田出版 (2013/3/8)
著 者: 白井 聡

革命党の宣伝機関ででもあるかのように左翼におけるエリートの倨傲を体現している朝日新聞が、書評(2013/6/16)で大絶賛した、という点について、著者はどう受け止めているのだろうか。

 韓国に「活貧団(ファルビンダン)」と名乗る、反日・反共の右翼団体がある。言うならば「昔からの名物右翼」であり、「言うだけ…」の代表のようにもされている。
 それにしても、「安倍晋三首相の暗殺」「東京の三菱本社を血の海に」と公然と述べるなど、「言うだけ…」の内容は過激だ。日本の入国管理当局が、そんな団体の日本入国を認めているのは“まともなこと”なのだろうか。
(中略)
 「活貧団」は昨年1月にも、日本大使館前で“記者会見”して「第2の安重根(アン・ジュングン)になることも辞さない」と述べ、天皇陛下や首相に対するテロ予告をした。実際に日本に行ったが、国会前でプラカードを掲げている写真を撮っただけで帰国したらしいが。
 いくら「言うだけ…」団体の風物詩だとしても、現に「テロ予告」まで発している団体メンバーの入国を認めるとは、日本の当局はどうかしていないか。
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150806/frn1508061140001-n1.htm

日本人が「テロ予告」をすれば警察に捕まる。
外人だから黙過し、国内に入れるというのではダブルスタンダードだ。
この国のインチキぶりがよく分かるよ。

 厚生労働省の調査によると、派遣労働者の数は約126万人(2014年)。減少傾向にあるが、中高年(40~50代)の占める割合は04年の21・6%から12年には35・7%まで上昇した。労働問題に詳しい三浦直子弁護士は言う。
「派遣法は1999年に大幅に自由化されました。その頃に派遣労働者になった人たちが、40~50代になっています。ただ、若い頃は派遣先が決まりやすくても、40代で働ける職種が狭まり、50代になるとさらに厳しくなる。家庭を持ち、子どもがいれば最も支出が増える年代に、収入がどんどん減っていくのです」
 最近、定年後に受け取る年金が少なく、貯蓄もないために生活費に困る「下流老人」の増加が問題となっている。中高年の派遣労働者は日々の生活が厳しく、下流老人の「予備軍」になっているのが実情だ。

<週刊朝日2015年8月14日号18ページ より一部引用>

 安保の陰に隠れてこっそり進めた労働者派遣法改正案も、酷(ひど)いもんじゃん。これから先、派遣社員はずっと派遣で、残業代もゼロにしていき、企業が金払えぱ、雇っている人を筒単にクビにできるようになってしまう。
 そうそう、7月19日の日曜討論で、生活の党・共同代表の山本太郎さんが、安保のことをこういっていた。
「安保法案は国民のためではなく、経団連の武器産業のため。安保法制や集団的自衛権が推進されることで儲かる人たちが居る」と。
 白公の政治家は自分の身の可愛さに、あたしたち国民の幸せや権利を、十把一絡げにして、経団連に差し出すのね。

<室井遊月「しがみつく女」319「十把一絡げにされる側」 週刊朝日2015年8月14日号44ページ より一部引用>

国民の利益をパトロン大企業に付け替えた弱者いじめの自公。
ここまで来てまだ目が覚めない信者どもは自業自得であるが、国民は大迷惑だ。

 吉本新喜劇の座長を務めた喜劇俳優の花紀京(はなき・きょう、本名・石田京三=いしだ・きょうぞう)さんが5日午後7時44分、肺炎で亡くなった。78歳。
 告別式は7日に近親者のみで営む。
 大阪市生まれ。「しゃべくり漫才」で一時代を築いた横山エンタツの次男で、花登筐はなとこばこの門下生として劇団「笑いの王国」に参加。1962年に吉本新喜劇に入り、翌年、座長に抜てきされた。一升瓶を片手に、地下足袋を履いた作業員姿で絶妙のボケをみせ、岡八朗さんや原哲男さんらと吉本新喜劇の黄金時代を築いた。
 新喜劇退団後も俳優を続け、ひょうひょうとした人情味あふれる演技で活躍。2001年には音楽ユニット「Re:Japan」のメンバーとして、ダウンタウンら後輩タレントと「明日があるさ」でNHK紅白歌合戦にも出場した。73年に上方お笑い大賞金賞を受賞。弟子に間寛平さんら。

http://www.yomiuri.co.jp/culture/20150806-OYT1T50059.html

喜劇人の二世は大成しないパターンが多いが、この人は違っていたね。
昭和40年代に東京のテレビでも吉本新喜劇の中継をやっていて、その時この人の存在を知った。ちょうど花登筺作のドラマも流行っていて、ちょくちょく出ていたのを憶えている。
関西の喜劇人として全うした姿に、その矜持が窺えるのではなかろうか。

 

150806_03
Source: Acid Picdump (101 pics) | AcidCow.com

この写真はなんだ???
「懐かしのスプートニクが墜落して、高級車を直撃」みたいな状況。
世界中のおもしろ写真サイトに転載されていて、調べてはみたものの どこのオリジナルかは分からなかった。

追加記事

2012/08/09
 私の両親は、日本の植民地だった朝鮮の慶尚南道(キョンサンナムド)から渡来しました。翌1940年、私は広島市で生まれた。
(中略)
5歳だった「あの夏」は忘れない。
 その時、家を出るところでした。自宅は爆心地から2キロと離れていなかった。でも海抜約70メートルの比治(ひじ)山が、熱線を遮ってくれました。家屋は全壊し、意識が戻り最初に記憶しているのは、私らをかばって覆いかぶさっていた母の血の赤い色。先に逃げなさいと言われ、近くのブドウ畑に避難した。人肉の焼ける強烈な臭い。叫声を上げながら、近くの猿猴えんこう川に飛び込み亡くなっていく人々。夜通し続くうめき声。
 2日ぐらいたち、比治山で勤労奉仕中に行方不明になった姉が、服の名札を手がかりに担架で運ばれてきました。優しくて、美人で、慕っていた姉でした。それが顔も分からないような無残な姿になって、「熱い、痛い」と。私はブドウを取って、姉の口に持っていった。汁が出たかは覚えていない。でもかすかに姉が、勲ちゃん、ありがとうと。母は着ていたチョゴリを引き裂いて、不眠不休で冷やそうとした。1日半ぐらい、生きていましたかね。
 皆さん70年と言うけれど、我々にはまだ、戦争は終わっていないんだよね。

<熱風私をかばった母…元プロ野球選手 張本勲さん 75 まとめ読み「NEWS通」 読売新聞(YOMIURI ONLINE) より一部引用>
http://www.yomiuri.co.jp/matome/sengo70/20150808-OYT8T50000.html

凄絶な体験談。
苦難の道は戦後も続いたようだ。

(2015年8月9日)

追加記事

(2017年10月4日)