越後高田地震はなかった

暗がりの中でとつぜん映画の一場面のように現れたのは女である。毛利郁子を小顔にした感じの厚化粧の女がバストサイズで画面の左半分にいて、おれに親しげに話しかけている。
どうやらそこはそこそこ混んでいる電車の中。女の化粧や洋服、乗客の風体、車体のようす、そして何より青緑に退色しているアグファカラーっぽい空気などから観て、時代はおそらくは昭和30年代、それも前半に違いない。

駅に着き、人がどっと降りてゆく。
おれは先頭車両の進行方向右側、乗務員室の前にいる。強い視線を感じたのでふと振り返ると、ドア脇の席にいる小太りの中年男がおれを睨みつけている。進行方向の景色を眺めていたのに、そこへおれが立ってしまったので、怒っているようす。
小心者のおれは、ドアが閉まったタイミングで何気なさを装いながら進行方向左側へ移動した。1メートルほど離れてさっきの女がいて、両手に小荷物を下げている。いったい何の荷物なのか。

おれと女は仕事でこれからどこかの誰かを訪ねるらしいのだが、それがどこで、誰に、なぜ、というのがまったく分からない。忘れてしまったのか、突然ボケたのか。何しろつい今しがた「気がついた」ばかりなのだから、状況から想像するしかない。
おれは困惑し、「前後不覚」が女にバレてしまうその瞬間が、刻一刻と迫っていることに焦りを感じた。

進行方向を見ているうち、この電車が終点の駅、ホーム全体が屋根で覆われているようなそれなりに大きいターミナルに入線し、いよいよ停車しようという段階であること、それとなぜかその駅が京阪神地区の山あいにあることが理解された。
木材を三角に組んだ昔風の車両止めが目前に迫ってきたが、一向にスピードが落ちない。おれは恐怖で凍りついた。
が、電車は何の衝撃もなく車両止めを「透過」し、いかにも昭和30年代前半の品で溢れている売店をも通過して、摩訶不思議な話だが左へ直角に曲がってようやく停止した。

乗客は何事もなかったかのように、ぞろぞろと降りてゆく。
おれはその中に一瞬 女の姿を認めたが、女は人の波に消え、すぐに見失ってしまった。
おれが誰で、これから何をしようとしてるのか、それを思い出す唯一の糸口がその女だった。女がどこの誰かも分かっていない。いい年こいたおれは掛け値なしの「迷子」となってしまったのだ。

慌てて女を捜すおれ。
駅の構内はいかにも郊外のそれらしく、コンクリで固めただけの簡素な床が続き、柱と云えば大屋根を支える鉄骨があるのみで、壁さえ見あたらぬ。
人の流れは前後に岐れていた。女はどっちへ行ったのか?

もはや判断力さえ失くしたおれは、前へ行く人の流れに従って数メートル歩き、右側の小さな改札へ向かった。改札は中央にこれまたコンクリ製の囲みが1つあるだけで駅員がその中でこちらを向いて切符を受け取っていた。その先には山が迫っている。

このまま出てしまうと、万一女が反対側の改札へ向かった場合、会えなくなってしまうかもしれない。このまま出るべきか戻るべきか、おれは悩んだ。
が、人の列はどんどん進んで、おれは右手で切符を渡した、、、気がした。
振り返ると、駅員がおれの渡した切符とおれの顔を交互に見て、ギョッとしている。やはり何か問題があったのか?

女の姿は見えない。どうしたものか……
最初 女に気づいた瞬間から改札を出た今に至る間に、事態を収拾・解決することも出来たはずだった。それなのにこの体たらく。おれのこころに無力感が広がり、鉛のようにからだが重くなるのを感じた。

――と、ここで目がさめた。
トイレへ行かなければ。あゝ寒いなぁ。でもトイレだな。しょーがない。
枕許の時計を見ると午前6時3分だった。
その瞬間、弱い地震がたしかにあったことをポンと思い出した(あとでチェックしたら午前5時16分、千葉県北西部でM3・7の地震があり、東京では震度1。たぶんそれだろう)

トイレへ行かせるため目覚めさせようと、脳のある部位が「感情が刺激され緊張を覚えるような幻想」を夢という形で意識させた、という例によって例の如き「警告夢」であったが、
どうもおれの見る夢に出てくる「駅」は昔のものが多い。9割がたは昭和30年代前半の佇まいである。

◇    ◇    ◇

これは札幌の地下鉄「大通り駅」に現れた、あり得ない”動き”をする青年を撮影したものだ。
http://j-town.net/tokyo/news/localnews/235833.html

面白いね。

 

2016/12/01
東芝は1日、光学ドライブの製造販売を手掛けている東芝サムスンストレージ・テクノロジーが韓国裁判所に対して申立てを行っていた韓国現地法人となる東芝サムスンストレージ・テクノロジー韓国社(TSST-K)の民事再生手続き申し立てが却下されたことを発表した。
これにより、東芝サムスンストレージ・テクノロジー韓国社は民事再生手続きではなく、破産手続きに移行することが決定したこととなる。
東芝は、今回の韓国裁判所による決定について「TSST-Kに対して当社は約6億円(2016年9月末時点)の債権を有していますが、全額引当を計上しており、また、TSST-Kの負債についても当社は債務保証等の責任を負っていないため、当社の当期業績に影響はありません」とコメントしている。
http://market.newsln.jp/news/201612011938000000.html

つまり出した分だけパーになったってわけ。

韓国のテレビ局SBSによると、離陸を控えたアシアナ航空機の操縦室内で操縦士2人が殴り合っていたことが明らかとなった。
2日午前11時、仁川空港から米ニューヨークに向かう予定のアシアナ機が1時間以上遅れて出発した。原因は操縦室内で操縦士2人がけんかしたこと。けんかの理由はまだ明らかにされていない。2人とも軍用ヘリコプターを操縦していた元軍人で、1人は病院に運ばれるほどのけがを負ったという。
ところが、アシアナ航空はこうした騒動があったにもかかわらず、もう1人の操縦士にそのまま操縦を任せた。幸い同機は約14時間のフライトの後、無事ニューヨークに到着したが、心理面などを考えるとリスクがあったと言えそうだ。
http://www.recordchina.co.jp/a156726.html

「船頭が多くて」という話は世の中いたるところにある。
異なる組織の共同プロジェクトにおいては不和・反目は当たり前と覚悟しておいたほうがいい。
上掲記事の場合は一つの会社内で、正副の地位・階級・役割分担・命令系統が明確になってるにも関わらず殴り合いになったという、かなりしょうもない事例。
しかも離陸直前とは!
「殿中でござる、、、イヤ、機内でござった」

 江戸城・松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に切り付けた「忠臣蔵」の刃傷事件の後、吉良の様子を伝える記録が西本願寺(京都市下京区)の所蔵史料から見つかった。吉良について「痛みも軽く、食事も変わらない」と記されていた。西本願寺によると、事件直後の吉良の様子を伝える史料は極めて珍しいという。
 史料は「江戸江遣書状留帳(えどへつかわすしょじょうのとどめちょう)」。西本願寺から江戸の築地本願寺に出した手紙の内容を記録したもので、刃傷事件から赤穂浪士の討ち入りまで、2年足らずの吉良と寺側のやりとりが含まれていた。
 史料によると、元禄14(1701)年3月14日の刃傷事件後、吉良家と親交のあった西本願寺は江戸の関係者らに、見舞いや原因究明を求めた。同年4月5日の手紙には「吉良殿、痛みも軽く、食事も相変わらず」と記述。同10日の手紙では吉良の辞職について触れ、西本願寺側の人間が吉良本人と直接面談したとの記述もあった。
 刃傷事件が起きたときは「不慮の儀」(思いがけないこと)と記述していたが、その後は「(浅野の)乱心」と表現。西本願寺は「うわさでもいいから詳細を知りたい」と江戸に要請するなど、深い関心を寄せていた。
(中略)
 本願寺史料研究所の大喜直彦上級研究員は「吉良家と近い関係だった寺側にも、事件の真相はつかめていなかった。浅野家にとっても同様で、この不透明性こそ、討ち入りに発展した原因ではないか」と話している。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016120300037

ご公議の情報統制が災い致し、その意に反して「物語」化は歴史的成功を収めてしまったのでござる。
かてて加えて信頼に足る史料が少なきこともこれあり、史実がどうでござったか見えにくくなってしまったのは、まことに以て万歳悔ゆる仕儀でござる。

忠臣蔵~松の廊下

以下、「忠臣蔵」「赤穂浪士」を含む投稿。

 江戸時代の弘化4年1月1日(1847年2月15日)に、越後高田(新潟県上越市)で「長屋を破損させた」と科学データ集「理科年表」などに記している地震は、古文書にある同4年3月24日の地震の日付を取り違えたもので、実際には起きていなかったとみられることが分かった。京都大防災研究所の加納靖之助教(地震学)が3日までに学会誌に発表した。
 1月の地震は東京大地震研究所が編集した「新収日本地震史料」第5巻(1985年)で初めて取り上げられ、主要な地震記録集でも掲載。3月24日の地震は長野県で多数の死者を出した善光寺地震とみられている。
http://this.kiji.is/177686327357965821

 加納助教は「過去の地震は、将来起きる地震の予想にも必要で、間違った記述は削除すべきだ。今まで誰も気付かなかったことが問題だ」と話している。
 加納助教によると、新収日本地震史料の編集過程で使用したとみられる古文書の写真はとじられて管理されていたが、3月24日の日付部分の写真がなかった。直前の写真にあった1月1日の出来事として読めてしまう構成になっており、原本を確認せず、誤認した可能性があるとしている。
 古文書は、上越市の高田図書館が所蔵する「原田家台所日記」。3月24日には「夜五ツ半過ぎに大地震」とあり、「明け方までに大小度々揺れ」「山鳴りは数度」などの内容が記されており、新収日本地震史料の「弘化4年1月1日」の項にも同じ文章が掲載されていたことから、加納助教は同じ地震のことを記していると推測。日記の1月1日に地震の記述はなかった。
http://www.sankei.com/west/news/161203/wst1612030069-n1.html

史料の取扱い上の不手際が間違いの原因だった。
昔の人が間違えて書いたわけではない。

オレゴン州立大学のある研究によって第6の基本味が特定され、すでに知られている甘味、塩味、苦味、酸味、旨味に加わる可能性が出てきた。
科学誌『Chemical Senses』の誌上で説明されている通り、発見者たちによって「starchy」(「デンプンの」という意味)と定義された新しい味は、食品の専門家にとって、ある本質的な質問に対する答えも与えうる。すなわち、どうしてわたしたちはこれほどまでに炭水化物に抗えないのか、だ。
http://www.sankei.com/wired/news/161203/wir1612030001-n1.html

最近 味覚が落ちてきた気がする。飲み物などは、口に含んでなおかつ空気を口から吸わないと味が判らない。
毎朝 口腔洗浄剤を使ってるせいだろうか、それともただの老化か。

Syl Johnson – Back For A Taste Of Your Love(1973)

Carnaby Street Pop Orchestra And Choir – A Taste Of Excitement(1972)

Fearns Brass Foundry – Now I Taste The Tears(1968)

  ※(略)

 

The Smiths – Now I Taste The Tears(1968)

  ※(略)

 

Knights Bridge Quintet – Love Of A Different Flavor

This is a B-side single to “Sorrow In C Major” and is written by James Smith.
The 45 was released in 1967 by Mark VII Records and the catalog # is D-1019.
This group is from Texas.

Norris the Troubadour – Yamtang Yamtang Rankytang
yam=山芋
tang=味
ranky=(スラングで)ひどい、汚い、臭う

The Omen – Once Upon A Taste(1967)

Jan & Dean – Taste Of Rain(1967)

The Wild Things – I’ll Taste Your Lips(1967)

Ben E. King – First Taste Of Love(1960)
3度目の引用。

  ※(略)

 

Buddy Knox – Taste Of The Blues(1959)

The Willows – The First Taste Of Love(1957)
2度目の引用。

  ※(略)

 

Cannonball Adderley – A Little Taste(1955)

以下、「味」「Taste」を含む投稿。

以下、「舌」「Tongue」を含む投稿。

これまでの韓国の歴史教科書は、1948年を「大韓民国”政府”樹立」の年と表記して、建国の年とは区別してきた。しかし、11月28日に公開された国定歴史教科書の検討本は、1948年を「大韓民国樹立」と表記したのだ。
 日本人の感覚では、いったい何をモメているのか疑問に思うかもしれないが、韓国では1919年を建国年と見る傾向が強い。1919年は上海に大韓民国臨時政府が樹立された年で、それこそが大韓民国の建国を意味するという理屈だ。
 実際に、国定歴史教科書が「1948年建国」と定めたことに対する反発は強い。ネット民たちは「国定教科書はすべて破棄してしまえ!」「この内容が推進されれば、臨時政府を否定することになる。話にならない」「歴史を勝手に変えようとするな」「子どもたちが韓国に対する自負心をなくしてしまう」などと、不満をあらわにしている。
 ちなみに歴史的に見れば、1919年当時は日韓併合時代であり、韓国という国は存在していない。「1948年建国」を決定した韓国教育部は、ソウル大学教授の言葉を借りながら「国家論に立脚して実質的に建国を認定するとすれば、領土、国民、主権の要件が満たされなければならない。しかし、1919年の臨時政府は、そのいずれも備えていない」と指摘している。至極まともな意見だろう。
 歴史的に火を見るよりも明らかな「1948年建国」だが、なぜ「1919年建国」派は怒り狂っているのだろうか? 韓国で「進歩勢力」と呼ばれる彼らは、1919年を建国年と見なさなければ、反日独立運動の歴史も否定することになると訴えている。確かに、国家がない状態で国家を独立させる運動をしていたということであれば、何を独立させようとしているのかもわからない、意味不明の運動となってしまうわけだ。
(中略)
「1919年建国」を主張する教授は、「グローバルスタンダートで見た場合も、植民地から独立を宣言した日を建国と見るのが正しい。アメリカの建国記念日(1776年7月4日)も独立記念日だ」と付け加えている。
http://www.cyzo.com/2016/12/post_30517_entry.html

2016/11/28
 ノーベル文学賞作家でジャーナリストのスベトラーナ・アレクシエービッチさん(68)が28日、東京都府中市の東京外国語大で講演した。東京電力福島第1原発の事故で甚大な被害を受けた福島県を訪問したことを踏まえ「日本社会に抵抗の文化がないことを目の当たりにした」と語った。
 アレクシエービッチさんは26、27日と福島県を視察し、事故の被害を受けた住民らの話を聞いた。講演では「何千人もが訴訟を起こせば国の態度も変わるだろうが、一部の例外を除いて、団結して国に対して自分たちの悲劇を重く受け止めるべきだと訴えるような抵抗がなかった」と指摘。「(旧ソ連時代から)全体主義の長い歴史を持つ私たちと同じ状況だ」と述べた。
http://www.sanspo.com/geino/news/20161128/sot16112819210004-n1.html

2009/10/05
独立と民主主義と平和な暮しを「血の代償」を以て勝ち取ったことがない ひ弱な日本人は、だからおそらくは最後まで生き残れないだろうと思われます。

<抵抗する歌姫たち more register movement>
https://pointex.biz/initial/archives/2009/10/052314033617

黒澤明の『わが青春に悔なし』(1946)の主人公は、村八分にされながら当時の日本的なるもの(国家のために戦争を完遂すること=日本精神)に抵抗をし、たまたま日本が負けたから汚名返上・名誉挽回のときも巡ってきたけれども、
現実においては戦後、マレーネ・ディートリヒが心ない同胞から「裏切り者」と罵られ、チャールズ・チャップリンが共産主義者呼ばわりされて事実上の亡命に踏み切ったごとく、あるいは「預言者郷里に容れられず」のことわざどおり、元のままでは居られないというのが普通であろう。
逆にナチス・ドイツに協力したフランス人女性が、パリ解放の日に丸刈りにされ市中を曳き廻された事実も、心胆を寒からしむるものがある。

戦争は国家にせよ宗教にせよ集団の間で起きることで、成員はその集団に従わなければ自動的に「裏切り者」となり、非難や憎悪の対象にされてしまう。日ごろ民主主義だ個人主義だと言っててもリンチやスパイ狩りは必ず起きる。共産主義やファシズム国家では矯正監獄を設けてわざわざ長時間かけて拷問を続ける念のいったことも行われる。

そうした中にあって、理想も信念も、覚悟すらもない、羊のように従順な我々日本人は、かなり早い段階で滅亡を余儀なくされる、と私は思っている。


ちあきなおみ – 無駄な抵抗やめましょう(1971)
作詞:なかにし礼、作曲:鈴木淳、編曲:小谷充

  ※(追記:この動画は削除されました

 

161203_01

 

(右)石川達三著『四十八歳の抵抗』昭和31年6月30日発行 新潮社刊


 振り込め詐欺を生業とする千葉辰也さん(仮名・31歳)も同様。
「私服警官がいるかもしれないから、電車に乗ったら目的地まで一旦降りて車両を替えるということを何度もやりますね」
(中略)
複数の殺人容疑で起訴され現在拘留中の通称”殺し屋”に近しい人物は、本人が語っていた職業病について次のように話す。
「彼、その筋から依頼を受けて殺すことが生業だったんですけど、やっぱり夜は罪悪感で眠れなかったらしいです。昼、街を歩いていてもそう。昨晩、殺したヤツとそっくりな人が歩いてきて、『あいつ昨日殺ったはずだよな? もう一回殺らなきゃ』と思って追いかけたら別人だったみたいなことは何度もあったらしいです」

<暴力団、詐欺師、殺し屋にも”職業病”があるのか聞いてみた 日刊SPA! より一部引用>
http://nikkan-spa.jp/1228728

職業病ではないが、本当に巧い人の歌を聴くと、シロートのカラオケに付き合うのがイヤんなるし、自分も人前で歌いたいとも思わなくなる。

これも職業病ではないが、油断してるとき、突然ドア・チャイムの「ピンポーーン!」という音がしたり電話が鳴ったりすると、マジで心臓がキュッとなる。

以下、「Sick」「伝染病」「インフルエンザ」「マラリア」「デング熱」「鳥インフルエンザ」「SARS」「MERS」などを含む投稿。

2016/11/30
 研究チームによると、好ましくない、トラウマ(心的外傷)となるような出来事の記憶は、好ましい記憶や、どちらでもない経験の記憶よりも長期間残る場合が多いという。だがこれらの記憶はある程度、意識的に制御することが可能だ。
(中略)
「例えば、トラウマ的な経験をした直後の睡眠剥奪により、トラウマとなる記憶の強化を防ぎ、その形成を阻止する機会を提供できる可能性がある」と、論文の執筆者らは記している。

<悪い記憶は睡眠で脳に深く刻まれる?トラウマの形成も阻止できる可能性 – ライブドアニュース より一部引用>
http://news.livedoor.com/article/detail/12352034/

辛い思いをしたときは、むりに起きてたほうがいいのかな?

おっと、もうこんな時間か。
さっさと寝よう。

 

追加記事

(2022年9月4日)