本日9月13日、千葉県千葉市が1時間に50ミリ以上の非常に激しい雨に見舞われました。その影響で、千葉駅や蘇我駅が冠水。現地からは、まるでプールのようになった駅前の様子を撮影した写真が、続々とTwitterに報告されています。
<千葉駅・蘇我駅が大雨で冠水 プールのようになった駅前の様子が続々と報告される – ねとらぼ より一部引用>
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1609/13/news129.html
あのへんから新小岩あたりまでの地域って、ここ数年 竜巻や冠水が、多いよねー。
荒川とか決壊したらどうなるんだろ?
と思ったら、
今回が初めてとなる警視庁と千葉県警の合同で行われたこの訓練は、東京と千葉の間を流れる江戸川が氾濫するなどの大規模災害が起きた想定で行われました。災害発生時、都と県の境を越えてスムーズに救助活動を行えるよう協力体制の確認が行われ、警視庁と千葉県警の警備艇や水上バイクが参加し、川に流された人を救助する訓練が行われました。河川敷では、災害発生時に道路上で乗用車が横転し、人が閉じ込められた想定で重機を使って車を切断する訓練も行われました。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20160913-00000051-ann-soci
ちゃんと訓練してたわ。やっちょるね。

Source: シリーズ インフラ ストック効果首都 東京を守る、成長を支える
以下、「洪水」「氾濫」「浸水」「冠水」「決壊」等を含む投稿。
- 日本の人口は1億2589万1742人 register movement 第四部
- ブレードランナーの噂 register movement 第四部
- 東京ゼロメートル地帯 more register movement
潮の満ち引きの幅が大きくなる大潮の前後は、巨大地震の発生頻度が高まるとの研究成果を、東京大のグループが発表した。巨大地震の発生頻度は元々低く、大潮前後の危険性が目立って高くなるわけではないが、地震の発生確率を計算する際の精度向上につながる可能性がある。
東大の井出哲教授(地震物理学)らは、過去の地震発生時の潮の状況を分析。マグニチュード(M)8・2より大きい巨大地震12件の場合、10件は大潮や前後の干満差が大きい日に起きていた。実際に、スマトラ島沖地震(2004年、M9・1)は大潮の日に発生。東日本大震災(11年、M9・0)も干満差が大きい時期だった。
井出教授によると、潮位が1メートル上下すると、海底を押す力は10キロパスカル程度変化し、圧力が大きく変わるほど、地震を起こす断層の動きに影響を与えると考えられるという。大潮を考慮して地震の発生頻度の予測を算出すると、M8・2より大きい地震では、干満差が小さい場合より6~40倍高い数値になった。
http://www.asahi.com/articles/ASJ9C0H44J9BULBJ005.html
潮汐(ちょうせき、英語: tide)は、主に他の天体の潮汐力により、天体の表面などが上下する現象である。
地球の海面の潮汐である海洋潮汐・海面潮汐が広く知られているが、湖沼でも琵琶湖、霞ヶ浦程度の大きさがあれば起こる。また液体でなくても、大気(大気潮汐)や固体地球(地球潮汐)にも、また他の天体でも起こる。
しおともいう。漢字では潮と書くが、本来は「潮」は朝のしお、「汐」は夕方のしおの意味である。なお原義としてはこれだが一般には海に関するいろいろな意味で「潮」が(まれに「汐」も)使われる。<潮汐 – Wikipedia>
環境の変化に人間生活を合わせようというのが太陰太陽暦的生活。
現代人は人間中心に暦を作ってるから、当然のごとく環境の変化と齟齬をきたしストレスをため込むことになる。
文明が発達しすぎたことにより却って滅びへ向かう。
なにやら限界効用逓減の法則を思わせる話ではないか。
以下、「太陰太陽暦」を含む投稿。
- 初物の噂も七十五日。四十九日じゃないョ。 register movement Part3
- 「女子にふんどし流行」は風評か register movement Part3
- 襁褓(むつき)の内より手しほにかけて育て上げ register movement Part3
- 秋祭りの季節 續 more register movement
- 懐かしき人々 more register movement
<参考>
Moon Tides – 1966(2011)
Dieter Schütz – The Tide(1987)
Blondie – The Tide Is High(1980)夢見るNo.1
Granmax – Out On The Tide(1976)
※(略)
The Young Senators – Ride The Tide(1976)
Paul Horn – High Tide(1974)
Batteaux – High Tide(1973)
Wanda Jackson – Roll With The Tide(1972)
Graphite – Tide(1972)
UK
FAMILY – Spanish Tide
Live on the Test, Nov 1971.
Mudies All Stars – Change The Tide(1971)
Miller Anderson – High Tide, High Water(1971)
<参考>
High Tide – All Of One Race(1971)
※(略)
Antonio Carlos Jobim – Tide(1970)
Bee Gees – Turning Tide(1970)
<参考>
High Tide – Dilemma(1969)
Elton John – The Tide Will Turn for Rebecca(piano demo, 1968)
The Paragons – The Tide Is High(1967)
3度目の引用。
The Barrier – The tide is turning(1968)
<参考>
Mystic Tide – Frustration(1966)
<参考>
The Mystic Tide – I Wouldn’t Care(1965)
“Summer Tide (1964)”: A song about Long Beach, NY
Roger Scime
2016/07/14 に公開
I was also limited in the number of photos I was able to use for this slideshow, as most of them are packed away and unavailable.
Some of the photos I have used, however, feature friends who are no longer among us, Howie Pearlman and Ben Miller, for example.
The Hi Tensions – Ebbing On The Tide(1963)
The Lively Ones – High Tide(1963)
The Seamen – Rip Tide(1962)
Gogi Grant – When The Tide Is High(1956)
Perry Como – On the Outgoing Tide(1950)
The Lawrence Welk Show: High Tide Boogie
Lawrence & Cissy dance to that super swing sound!(1968)
Richard Maltby & His Orchestra – High Tide Boogie
Billy Mure – High Tide Boogie(1959)
Dan Belloc, His Orchestra And Chorus – High Tide Boogie(1957)
Lenny Dee – High Tide Boogie(1957)
<参考>
ロベルト・シュトルツ指揮、ベルリン交響楽団 – スケーターズ・ワルツ
Emile Waldteufe: Les Patineurs op.183 (1882)
<参考>
Bob Crosby and his Orchestra – Skaters Waltz(In Swingtime)(1939)
(instrumental)
recorded in NYC January 23, 1939
Swing adaptation of the familiar orchestral piece composed in 1882 as “Les Patineurs” by French pianist-conductor Émile Waldteufel.
以下、「Tide」「潮汐」「高潮」を含む投稿。
- EbbでTide釣る 續 more register movement
- 態度・イズ・ハイ? 高飛車って意味か? 續 more register movement
- 核燃料損傷は確実 more register movement
- 月や太陽の引力が地震のトリガーになるというのはどうやら本当らしい 佐久間航 全文書
東京メトロは13日、銀座線渋谷駅のホーム移設工事に伴い、11月5~6日、19~20日の4日間、渋谷―表参道と青山1丁目―溜池山王を始発から終日運休すると発表した。運休区間以外は折り返し運転し、並走する半蔵門線など他の路線で振り替え輸送する。
東京メトロによると、渋谷駅は混雑緩和や安全性向上のため、ホームを約130m東に移設する工事を進めており、東京五輪・パラリンピックを前にした2019年に使用を開始する予定。
現在は乗車用と降車用の二つのホームに分かれているが、移設後は一つにした上で幅を7mから12mに広げる。ホームドアも設置、バリアフリーにも配慮した。
http://this.kiji.is/148330897087989245?c=39550187727945729
銀座線渋谷駅は『面白愉快で懐かし原盤』のジャケット写真にもなっている。
あそこがいよいよ変わるのか。感慨無量だな。
以下、「渋谷駅」を含む投稿。
- 簡化字総表検字 register movement 第四部
- 宝富士が宝くじに聞こえた。ききちがい、mishearing、空耳である。 register movement 第四部
- Once In A While register movement 第四部
- 「元来アングロサクソン系の文化なので何もしません」 register movement 第四部
- ブレードランナーの噂 register movement 第四部
- ねばうま大ヒット register movement 第四部
- 「神輿は軽くてパーがいい」 register movement 第四部
- Polka Dots And Moonbeams register movement 第四部
- 2015/07/24 首都圏でゲリラ豪雨 渋谷駅地下が冠水 佐久間航 全文書
- おれにとっての今年の一曲は・・・ register movement Part3
- クレージー作戦の成功に一点張り register movement Part3
- 新 お名前異聞 利休白茶の巻 register movement Part3
- 2014/06/29 夕方、関東でゲリラ豪雨頻発 佐久間航 全文書
- FIFA元副会長「審判をすべて買収したから準決勝まで行った」 register movement Part3
- 新 お名前異聞 蒼の巻 register movement Part3
- 虎穴にはいった無用ノ介 register movement Part3
- 襁褓(むつき)の内より手しほにかけて育て上げ register movement Part3
- 六本木から渋谷まで歩いたことがありますか? register movement Part3
- The Birth Of The Blues register movement Part3
- 猛暑でMojoも一気に低下、日の下にいる者が「……暑い……」と低語した register movement Part3
- 「木漏れ日」「陽だまり」は季語に非ず register movement Part3
- 広告の号外を号外のように配る朝日新聞 register movement Part3
- あらぬ誤解の元 register movement Part3
- 唇に歌を持つくらいならオレにも出来るかも register movement Part3
- ぼや(小火)の語源には諸説ある register movement Part3
- 半狂人の宴 續 more register movement
- その日は気球日和だったという。 續 more register movement
- めぢから? 成田屋の「にらみ」のことか? 續 more register movement
- 人生劇場 水の流れと身の行方 續 more register movement
- クシャおじさんの顔(渋)+クラーク・ゲーブルの髭と口(谷)+馬のフレーメン(駅) 續 more register movement
- 幼児にiPadを与えるべきか、親は悩んでいるらしいンで・す・YO! 續 more register movement
- 生き残るのは誰か 續 more register movement
- 日記果つ 新年行き まもなく終点「大晦日」です 續 more register movement
- 超猛毒ストロンチウム汚染拡大中! more register movement
- 芸能人の命である「歯」も容姿も損傷 more register movement
- 喆凶禍福はあざなえる「麺」の如し more register movement
- 金波銀波の波越えて more register movement
- 続・山手線漫遊記 more register movement
- 山手線漫遊記 more register movement
俳優の三角八朗さんが8月29日に虚血性心不全のため死去していた。80歳だった。所属事務所が13日にマスコミ各社宛のFAXで公表した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160913-00000072-dal-ent

Hachiro Misumi
Source: Gaijin84 – Kung Fu Fandom
山窩(サンカ)作家で映画館経営者でもあった三角寛(みすみかん、みすみひろし/本名は三浦守)、
大映の丸井太郎、元ボクサーのタコ八郎、ペリー・ローダンシリーズのタコ・カクタといった名が思い起こされる。
小室等 – 〇と△の歌
作詞・作曲:武満徹
2度目の引用。
この「斬首作戦」は今や秘密でもなんでもない。米軍特殊部隊と共にこの作戦を遂行する韓国陸軍特殊戦司令部(特戦司)は「敵(北朝鮮)の戦略的核心標的を打撃するための特殊部隊の編成を推進している」ことを認めている。
韓国はかつて北朝鮮特殊部隊によって大統領府(青瓦台)が狙われた時、報復として空軍管理下にあった軍特殊犯23人を北朝鮮に送り込むため孤島の実尾島(シルミド)に集め、訓練させたことがある。狙いは、金日成首相(当時)の官邸を襲撃し、暗殺することにあった。彼らは、北朝鮮で逮捕された場合に備え、住民記録は抹消された。住民登録を照会しても、わからないように処理された。
金大中政権の2000年、日本人拉致実行犯の辛光洙(シン・グァンス)ら北朝鮮工作員らの送還が引き金となり、韓国の北派工作員の問題が国会で取り上げられたことがあった。驚いたことに、休戦協定の1953年から南北対話が始まった1972年までの間に北朝鮮に送り込まれた工作員のうち逮捕あるいは失踪した工作員が7,726人いることがわかった。
当時、志願して北派工作員になった軍人は「北朝鮮に行って来れば、除隊させ、就職を斡旋する。成功次第では報奨金も出す。報奨金は個人タクシー一台分だ。年金も出るし、家族への毎月の生活費も約束された」と述べていたが、訓練の内容について以下のように証言していた。
「一般部隊での訓練のほかに射撃や手榴弾の投下訓練を受けた。そこで訓練を受けた後に固城郡の某地域に移動した。そこは、陸軍防諜工作組の訓練所だった。一つの部隊に100人はいた。我々の部隊はコウモリ舞台で、テント生活をしながらあらゆる訓練を受けた。背中に30キログラムの重さの砂袋を背負い、両足にそれぞれ1.5キログラムの砂袋を下げて生活した。山岳訓練、AK訓練、テコンドー、通信、その他心理作戦などの訓練を受けた。もちろん爆破訓練も受けた」
「私の任務は拉致だった。5人1組で、組長と組長ガード、それに爆破設置者と二人の拉致組で編成されており、組長が電話機を押せば、爆破することになっていた。9月9日の(北朝鮮の)建国記念日に入って、翌日出て来た。教官からは『生け捕りにされても、自首しても殺されるので自爆せよ』と教えられていた。映画のように劇薬を飲むのではなく、手榴弾で自爆することになっていた」
別の北派工作員も当時、以下のように証言していた。
「北朝鮮に侵入したのは1964年2月23日。我々の部隊には窃盗犯、拉致犯、写真班の三つの班があった。拉致犯は3人が一組になって拉致してくる。私は窃盗犯に属していた。私の任務は××市内の人民軍迫撃砲部隊から資料を盗むことだ。短期浸透で一週間分の食糧を持って侵入する。もちろん、人民軍下士官の階級が付いた人民軍服を着て浸透する。戻る途中に中央分界線の地雷を踏んでしまったが、必死に戻った。この年の8月に足を洗ったが、仲間に挨拶しても避けられていた。北に入った人間が生きて帰ってきたことから怪しまれ、警戒されてしまったのだろう」
今から45年前の「実尾島事件」は集められた「特攻隊員」は囚人らだが、今では軍人や工作員出身の脱北者もいる。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/pyonjiniru/20160913-00062138/
韓国映画『실미도』(2003)シルミド 予告編
脚本:キム・ヒジェ
監督:康祐碩(カン・ウソク)
出演者:アン・ソンギ、ソル・ギョング
これは見ている。
私が連想したのは『ウルトラマン』のジャミラの回。大国の宇宙開発競争のさなか 失敗例として見捨てられた宇宙飛行士ジャミラに、いつもはひょうきんなイデ隊員が強く感情移入し、存在すら葬り去った国家の非情な仕打ち、科学特捜隊パリ本部の「事実関係を隠し秘密裏に抹殺せよ」という司令に怒るという、異例のストーリだった。
そのラストはこうだ。
イデ「犠牲者はいつもこうだ。文句だけは美しいけれど」
逆光の中、蕭然と立ち尽くすイデのシルエット。隊員の呼ぶ声にも応じない。
先ず以て国家、具体的には官僚集団など信ずるに足りぬ ということ。
そして国家のために命を捨てることがいかに愚かなことか ということ。
ほかにも汲み取れる教訓は多いが、語ること自体危険だろう。
活動のきっかけは、高円寺にある町中華「大陸」の閉店だった。この店は、北尾氏が20歳の時から30年以上にわたり、足しげく通った店で、いつも注文していたのは”まずくてうまい”300円のカツ丼。本書には、こう記されている。
「丼のぎゅうぎゅう押し込まれた飯と分厚い衣にくるまれたカツが織りなす力強さは、たいしてうまくないという現実を忘れさせるパワーに満ちていた。しょっぱすぎる味付けで、合成着色料たっぷりの沢庵三切れがつく。とにかく飯の量が多くて、そんなに押し込んだらまずくなると思うのだが、腹ぺこ野郎どもを満腹にしてやることに使命感を感じているようだった」
http://www.cyzo.com/2016/09/post_29497_entry.html
町の中華料理屋もご多分に漏れず減少の一途をたどっている。
ラーメン店のあの熱き競争のようなものが、いわゆる町の中華料理屋では起きなかったし、客も期待してなかったということがある。化粧合板を貼り付けた安っぽいテーブルの端に週刊誌や新聞が置いてあり、客はそれを読みながら喰ってたりするという、そういう塩梅式の世界だったから、淘汰されて当然だったのかもしれない。
東京映画=東宝『喜劇 駅前飯店』(1962)予告篇
脚本:長瀬喜伴
監督:久松静児
撮影:黒田徳三
音楽:広瀬健次郎
出演:
森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺、王貞治、淡島千景、乙羽信子、池内淳子、森光子、山茶花究、大空真弓、高橋元太郎、三木のり平、淡路恵子、柳家金語楼、沢村貞子、三原葉子、岡村文子、小桜京子、米倉斉加年、加藤春哉、天津敏、沢村いき雄、永井柳太郎、大木伸夫、おさげ姉妹
昭和40年代の初めごろ、郊外の小さな町でしかなかった我が生家周辺にも、すでに蕎麦屋、寿司屋、中華料理屋、八百屋、豆腐屋、呉服屋、洋品店、書店、自転車屋、金物屋、眼鏡屋、時計店、クリーニング屋、郵便局、不動産屋、町医者、小規模のアーケード型フードセンター等々が揃っていた。
風景が変わりだしたのは昭和40年代後半からで、木造平屋の校舎だった小学校が鉄筋3階建てになったり、畑だった場所に突然中学校が新設されたり、道など全く無かった場所に4車線の舗装道路が造られたりした。
建築物から「手作り感」かどんどん失せて、工業製品のパーツ、例えばアルミサッシの窓とか、垣根を駆逐していったブロック塀とか、そういう味気ないもので風景が塗り替えられ、埋め尽くされていった。
元から「美しい」とは思えないわが町だったが、ますますつまらぬものとなり、小学校を卒業する頃には「早く出ていきたい」と考えるようになった。
そんなふうだったから現在その町には友人が一人もいない。ああいうところに、苦もなく定住できる人は、しょせん私とは棲む世界が違っていた。
Giuliano Palma & The Bluebeaters - Tutta Mia La Città(2007)
タイトルはイタリア語で「私の町のすべて」の意。
Lucha Villa – Mi Ciudad(1973)
タイトルはスペイン語で「わが町」の意。
Roberto Carlos – Del Otro Lado De La Ciudad(Brazil:1972)
スペイン語で「町の向こう側」の意。
Opus Alfa – Blue De Mi Ciudad(1972)
La Revolucion De Emiliano Zapata – Ciudad Perdida(1971)
スペイン語で「失われた町」の意。
Sabú – Toda Mia La Ciudad(1970)
Fedra y Maximiliano – Toda Mia La Ciudad(1969)
Argentina
スペイン語で「私の町のすべて」の意。
Equipe 84 – Tutta Mia La Citta(TV live, 1969)
イタリア語で「私の町のすべて」の意。
Equipe 84 – Tutta Mia La Città (1969)
“Blackberry Way”
Massimo Ranieri – Si Ardiera La Ciudad(1969)
<参考>
The Move – Blackberry Way(1968)
Los Gemelos Del Sur – Camino De La Ciudad(1968)
スペイン語で「シティロード」の意。
Los Reno – Verano En La Ciudad(1966)
“Summer In The City”
Luis Aguile – Ciudad Solitaria(1964)
Mina – Ciudad Solitaria(1964)
Spanish version of her hit “Città Vuota”.
Mina – Città Vuota(1963)
以下、「町」「街」「Town」などを含む投稿。
- 新 お名前異聞 生成り色(きなりいろ)の巻 register movement 第四部
- 餡子(あんこ)の子は指小辞なのか ♪おれのあん娘はスウィングが好きで~ register movement Part3
- 不文律は共同体意識と恐怖、紳士協定は互いの信頼の上に成り立つ 續 more register movement
- メールの誤送信で諭旨免職 續 more register movement
- ベトナムに東急田園都市? 續 more register movement
- 「行き」を「帰り」といふ勿れ 續 more register movement
- ルーの一族 續 more register movement
- ふるさとは遠きにありて思ふもの 近くばァ寄ってェ目にも見よ more register movement
- 住みたい大街・市中・里巷・まち | more register movement
- 京に田舎あり、田舎に京なし!? | more register movement
追加記事
うちは高台なので河川の氾濫や洪水の被害はなさそう。
水害といえば、水道が壊れるくらいか。
今日、ポストに水難除けのオフダが入ってたのでよく見たら、水道工事業者のチラシだった。

(2017年1月18日)
追加記事
2017/10/22
(中略)
この青瓦台が襲撃されようとした事件がありました。1968年1月のことです。北朝鮮の特殊部隊31名は当時の大統領の朴正煕(パク・チョンヒ)を暗殺するため、南北休戦ラインを越えました。彼らは青瓦台付近までやって来たところで、検問に引っ掛かりました。特殊部隊員はその場で機関銃を乱射して、警官を殺し、青瓦台へ突入しようとします。
特殊部隊員は人気のない山中を通り、南下してソウルに入っていました。しかし、南下中、彼らは住民と鉢合わせしています。不審に思った住民が通報したため、政府は北朝鮮工作員が侵入したのではないかと疑い、青瓦台は万一に備え、警備を強化していました。
そのため、特殊部隊員の青瓦台突入は衛兵によって阻止され、彼らは北岳山(プガクサン)に逃走します。北岳山は青瓦台のすぐ後ろに聳(そび)える山です。この山で、特殊部隊員は韓国軍と激しい銃撃戦を展開、31人のうち、30人は自爆するか、または射殺されました(数名は北へ逃亡したとの説あり)。
そして、1人が生け捕りにされました。この生き残った1人が「朴正煕の首を取りにきた」と証言したのです。
(中略)
朴正熙はこの襲撃未遂事件に激怒します。朴はすぐに北朝鮮へ報復攻撃をするつもりであるとアメリカに伝えます。しかし、アメリカがこれを許しませんでした。アメリカは1965年以降、ベトナム戦争を本格化させていました。事件が起こった1968年の当時、アメリカは朝鮮半島で有事を抱える余裕はありませんでした。
朴は結局、報復攻撃を諦めました。しかし、朴は秘密裏に金日成の暗殺計画を進めます。自分を暗殺しようとした北朝鮮特殊部隊と同じ31人の部隊を編成し、「やられたらやり返せ」という考えのもと、金日成暗殺部隊を育成します。この部隊は1968年4月に編成されたため、「684部隊」と呼ばれます。
この「684部隊」が映画『シルミド』(2003年)の題材となりました。シルミドは漢字で「実尾島」と書きます。仁川(インチョン)沖の実尾島で、「684部隊」は過酷な訓練を受けます。
しかし、1970年、南北融和が進み、金日成暗殺計画は中止されます。映画『シルミド』では、秘密部隊の「684部隊」の存在を消すために、隊員を殺す計画が立てられ、それに反発した隊員が反乱を起こすという筋書きになっています。これは事実と異なります。
「684部隊」は決死隊であったため、隊員たちは高額の給与で雇われていました。金日成暗殺計画が中止されるとともに給与の支払いも中止され、これに怒った隊員が理性を失って、ソウル市内で銃撃戦を演じたというのが実態です。冷戦時代の当時、暗殺部隊をはじめとする特殊部隊はどこの国でも普通にあり、あえてその存在を消して隠す必要などありません。
この銃撃戦で、「684部隊」の4名が生き残りましたが、いずれも処刑されました。<宇山卓栄 北朝鮮が49年前に実行した韓国への斬首作戦「朴正煕の首を取りにきた」 – ライブドアニュース より一部引用>
http://news.livedoor.com/article/detail/13782486/
(2017年10月22日)
