035~037 ズントトスッタでテケテケな楽曲まわり(3) 「橋幸夫」編(2)

035(上左)『CHEチェッ CHEチェッ CHEチェッ(涙にさよならを)』 作詞:佐伯孝夫、作編曲:吉田正、歌:橋幸夫。
発売:1964年、ビクター。
(上右)『恋のインターチェンジ』 作詞:邱永漢、作編曲:藤家虹二、歌:橋幸夫。
発売:1965年、ビクター。

『CHE CHE CHE(涙にさよならを)』は1965年1月3日松竹系封切『涙にさよならを』の主題歌です。銀座の洋品店の長男であるのになぜかスポーツカーのセールスマンをしている橋幸夫が主人公で、その後も共演が続く香山美子が妹役。東宝の若大将を意識した設定だったかもしれませんが、前出『孤独』同様に、娯楽映画に徹したハッピーエンドではありません。この作品、前年10月に『にっぽんぱらだいす』という傑作で注目された前田陽一監督の第2作目でして、会社から割り振られ撮影スケジュールが詰まっていたこともあったのでしょう、これといったこだわりは特に感じられませんでした。

歌の方ですが、これは正真正銘の「エレキ歌謡」ですね。歌謡曲の土俗的地平からようやくホバークラフトのように少し浮き上がったかなという感じです。
「風が吹く」「雪が降る」という秋冬シーズンらしい失恋ソングとなったのは正月映画用だからでしょう。
橋幸夫も指摘している佐伯孝夫の卓抜した言語感覚――当時としてはそうなのかもしれません――というところでは、「忘れちゃいな」「あきらめちゃいな」「いっちゃえ」と、松山恵子や井上ひろしの歌を思わせるフレーズが面白いと思いました。これは「浜っ子弁」でしょうかねぇ、知りませんが。

<参考>
The Johnston Brothers – Chee Chee-Oo Chee(1955)

  ※(追記:この動画は削除されました

 

<参考>
Natalino Otto – Tchi Tchi Ou Tchi, Cantava Un Usignol(1957/04/25)
Italy

「チェッ」という言葉を最初に歌で使ったのは、作詞:三浦康照、作編曲:三和完児、歌:守屋浩、演奏:堀威夫とスイング・ウエストの『癪な雨だぜ』(日本コロムビア)で、同じく守屋の大ヒット『僕は泣いちっち』は浜口庫之助の作詞・作編曲なのですが、「チェッチェッチェッ」の部分はそれらを意識していたのか いないのか(ちなみに当時イタリアン・ポップス=カンツォーネが日本で流行ってまして、その歌詞に頻出する「チェ(C’è)」は「そこ(there)」という意味です)。
そして何よりも謎の言葉「ピンクサーモン」というのが、私には大いに気になります。

ところで、『CHE CHE CHE(涙にさよならを)』も『恋をするなら』も当時、日本ではビクターからレコードが出ていたアストロノウツが来日時にインスト版を吹き込んでいます。

(右)『チェッ・チェッ・チェッ』c/w『恋をするなら』 編曲・演奏:アストロノウツ。
発売:1965年、ビクター。

The Astronauts – Che Che Che(1965)チェッ・チェッ・チェッ

The Astronauts – Koi O Surunara(1965)恋をするなら


この歌、台湾の人にも好まれたようです。

方瑞娥 – 車頂美姑娘

葉啟田 – 車頂美姑娘

莫文蔚 – 車頂水姑娘(feat. 伍佰、李宗盛)

 

さて次の『恋のインターチェンジ』は、作詞・作曲のコンビが代わり、しかも大変珍しい人が作ってるところが注目されます。
作詞をした邱永漢(きゅう・えいかん)は台湾から帰化した人で直木賞作家であり、かつまた事業家・投資家としても有名でした。
高速道路をうたった歌は平尾昌章の『高速道路一号線』とか、あとで取り上げる城山吉之助『高速一号線』などなど、けっこうありましたが、インターチェンジが出てくるのは多分これが最初だったんではないでしょうか。
しかし高速はUターン禁止ですから「真直ぐ行こうか曲がろうか」「このまま戻ろうか」という歌詞は、よく考えるとヘンですよね。
それと 文学青年だった邱永漢といえども流行歌の作詞には不慣れだったようで、やけに行数があって、2つの歌を合体させたような仕上がりになってます。メロディつけるのに作曲家は苦労したと思いますよ。
曲的にはエレキではありませんで、リズムも軽快ではありますが特に強調されていません。作曲の藤家虹二(ふじか・こうじ)は有名なジャズマンであり、クラリネット奏者。テレビ・ラジオ・舞台関連の作曲・編曲でも活躍された方でしたね。

<参考>
フランク永井 – イエス・オア・ノー(1965/05)
作詞:青山 喬、作曲:吉田 正
2度目の引用。

 

036(右)『すっ飛び野郎』 作詞:吉川静雄、作曲:平川浪竜、編曲:寺岡真三、歌:橋幸夫。
発売:1965年、ビクター。

つづくこの歌『すっ飛び野郎』は松竹同名映画の主題歌で、かつて大滝詠一が指摘したように 遅れてきた「和製ツイスト」の名作とも称すべき、なかなかの佳曲なのであります。
先ず以て「リズム歌謡」の名目で語られる楽曲は、ニール・セダカやコニー・フランシスなどのいわゆるカバーポップスがそんなに売れてるんなら自分たちで作っちゃえ というのが原点でして(その前に和製ロッカバラードがありましたが)、エレキのテケテケはその流れに途中から加味された要素であった、というのが実際のところでした。

この和製ツイスト『すっ飛び野郎』は65年ですから、4、5年前に作られていても良いようなもんですが、その後、橋幸夫があまり歌わないので敢えてここで紹介する次第です。
編曲の寺岡真三はビクターのドドンパものやカバーポップスを多く手がけていて、フックのあるイントロ、コーラスの使い方等々、その腕がここでも存分に発揮されております。
リズム歌謡 斯くあるべし。そのお手本となる一曲、と申すべきでしょうね。

YouTubeにこんな動画が上がってました。

郭大誠 – 速度飛快車

  ※(追記:この動画は削除されました

 
 

037(左)『あのと僕(スイム・スイム・スイム)』 作詞:佐伯孝夫、作編曲:吉田正、歌:橋幸夫。
発売:1965年、ビクター。

流行歌・歌謡曲に外国のリズムやジャンルが取り入れられる時、理解できなかったのか勘違いしたのか消化不良なのか、あるいは確信犯であるのか、似て非なる怪しい歌が作られることがままあります。
この作品もそうしたものの一つで、言ってしまえば中国製ミッキー・マウスみたいな違和感てんこ盛り状態なのですが、不思議な魅力があり大ヒットしています。

先ず、東レ水着「ピチ」と日本ビクターのタイアップがあったようで、見開きジャケットの表3、表4には(以下。画像クリックで拡大)、

キャンペーンの告知が、「スイム」のダンスステップとともに掲載されています。

Bobby Freeman – C’mon And Swim(1964/06)カモン・アンド・スイム
2度目の引用。

Pop Chart Peaks: Billboard 5, Cash Box 6, Record World 8
Six years after his 1958 debut hit “Do You Want To Dance,” Bobby returned to the top 10 with this song about one of the various “fad dances” of the ’60s that never really caught on.

Elvis Presley – Do The Clam(1965/02/09)スイムでいこう!
MGM映画『フロリダ万才!(Girl Happy)』挿入歌。
with the Jordanaires, Jubilee Four, and Carol Lombard Trio

Dance number from the Elvis film “Girl Happy.”

確かに「Swim」というニューダンスはアメリカ発信で前年から世界的に流行してはおりましたが、ビクターイチ押しのプレスリー『スイムでいこう!』は「Swim」ではなく「Clam」で、振り付けも異なっていました。
「Swim」の場合、特色はリズムやテンポではなく水泳を模した振りの斬新さでして、それがそのあとのゴーゴーにも取り入れられ、あの時代を象徴するダンスとして記憶されておりますね。

いづれにせよ「Swim」を橋幸夫の『あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)』で踊るには相当無理があり、盆踊りのほうがしっくりきます。総体私はズントトスッタのくびきを離れ、エンヤートットに接近したと感じたのですが、
ともかくマーヴェラスなのは、冒頭からグリークラブ系の女声コーラスによる『喜びも悲しみも幾歳月』みたいな極めて日本的情緒で攻めている点で、しかも東レ水着のブランド名である「ピチ」を織り込んで「あーのこッも このォこも ピッチィむっすぅめェ」(ピチピチの肢体の娘さんというニュアンス)ときますから、これはモウたまりません。

 

(右)『僕らはみんな恋人さ』 作詞:岩谷時子、作編曲:いずみ・たく、歌:橋幸夫。
発売:1965年、ビクター。

サテ、次に控えし『僕らはみんな恋人さ』は、いかにも岩谷時子といずみ・たくの名コンビらしく、聴いていて間断するところなき完成度の高いエレキ歌謡なのですが、これも途中いきなり声楽的発声の女声コーラスで「ヤー!」と、まるで銃剣道の突きみたいな気合いが入り、思わず椅子からズッコケそうになります。
レナウン娘の「Yeah!(イェイ!)」では決してなく、乾坤一擲・一撃必殺の技を繰り出す際の「ヤー!」。「ウ~ヤ~ターッ!」の「ターッ!」みたいなもんです。前に少し触れた舟木一夫の『太陽にヤァ!』の「ヤァ!」も軽い感じではありますが紛れもなく気合いの「ヤァ!」でした。

ではこういう仕掛けを入れる職業作家先生の感覚は時代とズレていたのでしょうか?
いゝえ、それどころかまさに1965年の日本の大多数の若者の、わりとフツーの感覚だったんですよ、それが。
「ヤー!」が象徴する日本的感性と、どっかの公会堂かなんかでしろうとのエレキバンドが奏でる曲にのってツイストやモンキー、スイムをてろてろと踊る体験が何の齟齬も来さない。それがこの年の若者の感覚だったことは、当時を知る者として明確に証言いたしますが間違いございません。いわばその代表が歌手・橋幸夫のキャラでもありました。
そしてこのように一見対極にある感覚の不思議な同居こそ、実は日本の外来文化・外来音楽受容の、変わらぬ培地の特質だったのです。

私が次の曲のところで書いている「作り手と、作り手が想定している聞き手との 感覚のズレ」は、この曲では 発売時において ほとんど無かったけれども、3年、5年、10年経つと「ヤー!」はさすがにズッこける、という事です。
いま思い出しましたが、ひばりのデビュー曲『河童ブギウギ』の掛け声は「ギャーッ」でしたね。あれもスゴいよなぁ……

年が改まり66年。橋幸夫は『雨の中の二人』を歌います。これは戦後歌謡の中でも屈指の名曲となりました。

 

(左)『恋のアウトボート』 作詞:白鳥朝詠、作曲:利根一郎、編曲:寺岡真三、歌:橋幸夫。
発売:1966年、ビクター。

お次の『恋のアウトボート』はB面曲です。A面の『汐風の中の二人』は加山雄三に刺激されたのかウクレレをフィーチャーした和風ハワイアンの趣き。対する『恋のアウトボート』はビートが強調されたエレキ歌謡の佳曲でして、特に注目されるのはその歌詞です。
「ゴーゴーゴーゴー」「ラヴ ラヴ ラヴ ラヴ」が多用され、「若さだ青春だ恋しよう」などとプロの作詞家としてはいささか忸怩たる思いがあったのでは? と拝察されるものとなっています。これはビートに乗る日本語、ロック的なるものにふさわしい日本語を作詞家として追究し懊悩した末の、一つの答えであったろうとは思います。
ただ惜しむらくはプロの作詞家の先生はけっきょく当時の若者の生活感覚、感性、思いにより添えなかったろうし、若者たちにしてもしょせん流行歌は偉い先生が作るものとの固定観念があり、発売される“若向け”レコードを無批判に受け容れていた状況がありました。