
(左)『人生はそんなくり返し』作詞:安井かずみ、作曲:かまやつひろし、編曲:井上孝之、歌:井上順 ザ・スパイダース 発売:1970年4月5日、日本ビクター(PHILIPS)。
同日、かまやつひろし(ソロ名義)の『どうにかなるさ』c/w『つめたい部屋のブルース』もリリースされています。井上のこのシングルの名義は「井上順 ザ・スパイダース」となっていますが、「あの、人気GSスパイダースのメンバーの、井上順」という表示であって、実際には井上順個人の持ち歌です(この時点でグループはまだ解散していません)。
前回、『また逢う日まで』(1971)を「所得倍増時代を勝ち抜けた若きエリートたちの自信と誇りとエネルギーに充ち満ちた青春第一幕のエンディングデーマ」である旨、指摘しました。万博の前後は、大卒・中退の団塊世代が青春時代に区切りをつけ、社会人として歩み始めるという、そういう時期でして、一様に身の振り方を考え、上へ行く者はそのキャリアの第一歩を印し、ドロップアウトする者は「どうにかなるさ」とばかりに新たな人生を索め流転の「旅」に出るということで、そうした気分とムードを反映してか、別れや旅立ちの歌が多く作られ、ヒットしたのでした。
1969年の
はしだのりひことシューベルツ『風』
は青春時代にけじめをつけるべき時期が近づいたという予感でしょう。
由紀さおり『手紙』
菅原洋一『今日でお別れ』
長谷川きよし『別れのサンバ』
かまやつひろし『どうにかなるさ』
は1970年、
尾崎紀世彦『また逢う日まで』『さよならをもう一度』
堺正章『さらば恋人』
朝丘雪路『雨がやんだら』
井上順之『お世話になりました』
加藤和彦と北山修『あの素晴しい愛をもう一度』
上條恒彦+六文銭『出発(たびだち)の歌』
は1971年、
ビリー・バンバン『さよならをするために』
ペドロ&カプリシャス『別れの朝』
朱里エイコ『北国行きで』
欧陽菲菲『雨のエア・ポート』
石橋正次『鉄橋をわたると涙がはじまる』
は1972年、
チューリップ『心の旅』
ペドロ&カプリシャス『ジョニィへの伝言』
は1973年。
同年の
大信田礼子『同棲時代』、南こうせつとかぐや姫『神田川』
のような同棲実践派の若者は当時はまだまだ少数派でした。
1971~73年の芸能界はもはや団塊世代への興味を失ったかのように、次の世代(当時の中・高生)をターゲットにしたアイドルの擁立へ動きます。団塊世代にとっても青春時代はすでに回想の対象となっていました。
ガロ『学生街の喫茶店』は1972年、
ペドロ&カプリシャス『五番街のマリーへ』は1973年、
荒井由実『卒業写真』、バンバン『「いちご白書」をもう一度』は1975年のリリースでしたね。もう若くはない、そういう自覚です。(ちなみに戦前最終世代とベビーブーマー第一世代で結成された The Young Rascals が The Rascals と改名したのはアルバム『Once Upon a Dream(夢見る若者)』(1968/02/19)からだったそうで)。
話を戻しますと、
『また逢う日まで』が若きエリートの凱歌、『どうにかなるさ』がドロップアウト組の心象風景なら、今回採り上げた井上順の『人生はそんなくり返し』はそのどちらでもない、大半を占める「その他大勢」の若者が辿り着いたごく当り前の心境・達観でして、いつの時代の若者の思いとも大差ない内容です。人生は泣いたり笑ったりの繰り返し・積み重ね、大切なのは変わらない愛――何人も否定し得ない人生の真実でしょう。
『また逢う日まで』や『どうにかなるさ』のようなドラマチックなものではない、平凡な日常を生きていくことになる大多数の若者たちの人生に対するおおまかな認識・了解、それがこの歌の「詞」のすべてといっていい。
しかしこの楽曲は、詞やメロディは大人しいものの決して凡庸な曲ではありませんね。
まず、メロディが大人しいのは井上順に合わせたからでしょう。(あえて”順ちゃん”と呼ばせていただきますが)順ちゃんは歌が下手なんじゃない。音程もしっかりしている。プロのシンガーとしてはいささか声量が”薄く”、出せる音域がやや”浅い”だけです。基本的にはTVタレントであって専業の歌手ではないのですから、それはそれでいいんです。そういう人でもヒットするように巧く作るのがプロの作曲家の技なんですから、かまやつひろしはちゃんと仕事をしたわけです。
しかしなんと申しましてもこの曲を非凡たらしめているのは井上孝之(スパイダース解散後、本名の井上堯之の表記に戻る)の編曲のほうでありまして、この点に言及しないならば語る甲斐がありません。それほど素晴らしいものに仕上がってます。
井上順 – 人生はそんなくり返し(1970)
どうですか? 1970年の1月ころの作ですよ。このセンスは最先端も最先端、日本では3~4年後くらいにようやく耳慣れるサウンドです。
ある種の高みに達した精神性を感じさせる印象的なイントロ。
大人の落ち着きを表すかのようなミディアム・スローに刻むドラムス。
スキャット風のハイトーンな女性コーラスは当時の流行。
フィリーサウンド、シカゴソウル、あるいはゲイリー・マクファーランドやロイ・バッドあたりのイージーリスニング/映画音楽/ジャズソウルの香りをそこはかとなく漂わせながら乙にからむストリングスとブラス。
ラストの「長すぎる夢のよう」のところでは単純化したモチーフを3度繰り返して、つまり循環させ、「掉尾」に相応しく音を高く跳ねあげて終っています。
不足もなく過剰もなく、それでいて洋楽風にバタ臭くなることもなく、しっかりと自家薬籠中の物として、完璧な筋運びとして技やフレーズを 必要なだけ なおかつ最小限に抑えつつ繰り出している。そうして奥行きのある大きなスケールの情感を鮮やかに描き切っております。
私はこの曲を初めて聴いたとき、思わず知らず拍手をして、「アプローズ!」と独りごちたほどでした。
井上堯之は著書『スパイダース ありがとう!』(2004)で以下のように振り返っています。
この頃、服部克久さんや三保敬太郎さんという当代一流の作編曲家の先生に、私はオーケストラのアレンジを教えていただき、ストリングスや管楽器のスコアも徐々に覚えていきました。
今でも忘れません。順ちゃんのソロシングルのアレンジを任され書いたスコアを、ビクタースタジオですれ違った服部さんにその場で見ていただいたことがあります。
「このアレンジなんですが、どうでしょうか?」
「OK、堯之いいんじゃない。よくできてるよ。ただ、第1バイオリンだけ1オクターブ上げるといいかな」
その言葉は、たいへん嬉しかったです。実は私が初めて手掛けたアレンジで、徹夜して、それでも書けなくて、泣きながらやっと書き上げたスコアでした。だからこそ本当に嬉しくて、
「ありがとうございます!」
と、いつまでも頭を下げていました。また、それまで一度も褒めてくれたことのなかった昭ちゃんも
「堯之! このアレンジいいじゃないか!」
と、初めて私のことを褒めてくれたのです。
これ以降、私の音楽への興味がロックから音楽全般へと広がっていきます。ロックやジャズはもちろん、民族音楽、クラシック、イージー・リスニング、ボサノバ、映画のサウンドトラックなど、あらゆるジャンルのレコードを聴きあさりました。
音楽に、本当に目覚めた時期でした。<112~113ページ より一部引用>
『順ちゃんのソロシングルのアレンジを任され書いたスコア』とはおそらく『人生はそんなくり返し』とそのB面『本気で君だけを』のことではないかと思われます。楽理的なことは教えてもらえても、実際に書くとなるともうこれは完全に個人の感性と才能しか頼るものはありません。
上掲の引用を真に受けるならば、井上堯之という「編曲者」はまさに天才というべきでしょう。『人生はそんなくり返し』のアレンジは、時代精神をものの見事に凝縮させた光輝燦爛たるダイヤモンドであり、団塊世代の青春の終章をこれ以上ないほどにカッコよく荘厳してみせた歴史的美挙であることは、当時の、とりわけレコード音楽というものを真剣に考えていた者にとっては、誰しもが認めるところでしょう。
――しかし、この曲はヒットしなかった!
玄人ウケはしたけれどもそのころの一般人にはハイブロウ過ぎたかもしれません。人生の省察・観照などというのは、いかにも「らしくない」ってことですよね。
順ちゃんは、善良な小市民予備軍の青年に相応しい明るく前向きな歌詞、フックのあるメロディ、ノリのいいテンポの『昨日・今日・明日』(1971)、その親しみやすいコミカルなキャラを前面に出した『お世話になりました』(1971) で、ようやくソロ歌手(この時期 芸名は井上順之)として大衆に認められるところとなりますが、それはあくまで社会人・職業人としてのタレント稼業の成功であって、スパイダースの音楽性や人気のような、時代・世代の精神史として特筆すべき格別のインポータンスがそこにあったわけではないですね。
その点、この事実上のソロデビュー曲は詞の主旨と歌い手の実人生がちゃんとマッチしている。ただ団塊世代の大半を占める人たちが自分たちの心情ともリンクしていることに、まだ気づいていなかった。中には気づかなないまま、つまり大人になりきれないまま今に至ってる人もいるでしょう。日本の団塊世代とそれ以前の世代の決定的違いは、その「大人になる早さ」だと思われます。とはいえこの歌の前後数年でこの世代のほとんどは職務に過剰適応したモーレツ社員(企業戦士)と成り果(おお)せていたわけで、この歌を聴いていようがいまいが めまぐるしい日々の生活の中で自然とその詞のような思念を懐くに至ったであろうことは想像に難くないわけです。
ですから世代としての、ややフライング気味の胸中の吐露であったという、そういう歌です これは。
- 029 また逢う日まで 續 more register movement
- 028 フランシーヌの場合 續 more register movement
- 027 男と女のお話 more register movement
- 026 港町シャンソン more register movement
- 025 ラバウル小唄 more register movement
- 023 雨の中の二人/024 長崎は今日も雨だった more register movement
- 022 雨のドライブ more register movement
- 020 天使の誘惑/021 土曜の夜何かが起きる more register movement
- 019 東京の灯よいつまでも more register movement
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