シンガポールのROCK/POPS(4)

イギリスは、シンガポールを東南アジアにおける植民地拠点として、15万人を超えるイギリス海軍および陸軍部隊を駐留させ要塞化していた。このため1941年12月8日に大東亜戦争(太平洋戦争)が始まると、シンガポールのイギリス極東軍は山下奉文中将が率いる日本陸軍による攻撃を受けた。この攻撃は1942年2月7日に開始され、同地を守るイギリス極東軍司令官のアーサー・パーシバル中将が無条件降伏した2月15日に終わった(シンガポールの戦い)。
その後は日本陸軍による軍政が敷かれ、シンガポールは「昭南島(しょうなんとう)」と改名された。軍政下の行政組織として「昭南特別市」が設置され、初代市長には、日本人内務官僚の大達茂雄が任命された。その後日本から多くの官民が送られ、過酷な軍政が敷かれた。市内では憲兵隊が目を光らせ、ヨーロッパ系住民は収容され、インド系・マレー系住民の他、華僑も泰緬鉄道建設のために強制徴用された。

<シンガポールの歴史 – Wikipedia より一部引用>

2015/03/23
シンガポールの首相を30年以上にわたって務め、同国建国の父と呼ばれたリー・クアンユー元首相が23日未明に死去した。91歳だった。
首相府が声明を発表した。同国の首相は現在、リー氏の長男、シェンロン氏が務めている。
リー氏は重い肺炎で2月5日から入院し、6週間以上にわたって人工呼吸器をつけていた。
同氏は1923年生まれ。シンガポールが英連邦の自治州となった59年から首相を務め、65年にマレーシアから独立したシンガポール共和国の初代首相に就任。天然資源のない小国を清潔で安定した国際経済の中心地に育て上げ、「シンガポール建国の父」としてたたえられた。
http://www.cnn.co.jp/world/35062124.html

2015/03/23
 リー氏は42年~45年の日本支配下で、英語力を評価されて旧日本軍の報道部に勤務した。伝統的にシンガポール人口の多数派を占める中国系住民の間では、日本時代の軍部の対応に批判や反感が強かったが、リー氏は独立直後の66年にこの問題を解決し、問題が長引くことを抑えた。
 リー氏は60年代、東南アジア市場への輸出が本格化した家電をはじめとする日本の工業製品に着目。独立前から取り組んだ経済開発局(EDB)を柱として、ジュロン工業団地などを立ち上げて外国からの投資や技術移転を進める中で、日本の政府、民間企業との協力を積極的に進めた。
 半生を回想した中で、リー氏は管理職と作業員が協力する「生産性向上」に向けた日本の人材育成に学ぶところが多かったと指摘。シンガポールの発展は工業から金融市場などサービス分野に軸足を移したが、人材育成や技術移転の促進は、隣国マレーシアのマハティール首相が80年代に進めた日本をモデルとするルック・イースト政策に先行する形となった。
http://www.sankei.com/world/news/150323/wor1503230029-n1.html

今後は華僑系を中心に、反日の動きが出てきそうだ。

2015/08/10
 シンガポールが9日、建国50周年を迎え、大規模な記念式典が開催された。中心部の会場には多くの市民が集まり、パレードや軍機の飛行、花火の打ち上げなどが行われた。
 式典にはマレーシアのナジブ首相、中国の李源潮国家副主席、麻生太郎副総理兼財務・金融担当相ら域内の代表が出席した。
 現地時間午前9時にはリー・クアンユー初代首相による独立宣言がラジオやテレビで放送された。リー氏は今年3月に91歳で死去した。
 シンガポールは1965年にマレーシアから独立。現在では世界的なビジネス拠点となり、富裕国の一つに成長した。
http://www.asahi.com/international/reuters/CRWKCN0QF099.html

2015/08/16
日本の敗戦後70年目の8月14日、以前から行きたいと思っていたシンガポールのチャンギチャペル&博物館を訪れました。
(中略)
西洋人の側からみても同じだったようで、「毎朝、空腹を抱えて作業に行く私たちに少しばかりの食べ物を与えてくれる老婆がいた。彼女は何度も日本人に叩かれ、止めるように言われたが決して止めなかった。あの老婆には本当に感謝している」という証言や、「それまで現地人は私たちより劣ったものだと考えていたが、それは間違いだった。心から反省している」という証言もありました。

<シンガポールにとってあの戦争とは何だったのか? − チャンギ博物館訪問記 より一部引用>
http://blogos.com/article/128550/

現時点では日本での戦前国体カルトの復活の動きはさほど強くはないが、軍事大国化・ファッショ化は格段に進んでいる。
戦前の国体カルトを破壊したのも、戦後の「逆コース」を督励したのも、どちらも米国というとこがミソで、今は米属国として米式の「世界の警察官」的な独善・倨傲が自公政府によって「布教」されはじめている段階。自ら進んでマインドコントロールされる国民も増えている。

2016/05/14
 東京五輪招致を巡り、計280万シンガポールドル(約2億2200万円)もの資金が振り込まれたと英紙ガーディアンが報じた、シンガポールの銀行口座の名義となっているコンサルタント企業「ブラックタイディングス」の所在地を訪ねた。そこはシンガポール郊外にある老朽化が進んだ公営住宅の一室だった。
 シンガポール首相直属の汚職捜査局は、巨額振り込み疑惑の端緒をつかみ、捜査を進めてきたフランス検察当局に協力し、金の流れなどの詳細を調べている。
 この公営住宅の玄関先にはサンダルなどの履物が無造作に置かれていたほか、買い物のポリ袋や傘などが掛けられ、一般庶民の住居のような雰囲気。ドアなどには企業であることを示す看板や社名表示はなく、企業活動の実態などはうかがい知れない。
http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160515/k00/00m/050/045000c

五輪招致買収疑惑で、ひょんなことがらシンガポールを騒がせることになった。醜態である。

 

Rafeah Buang

Rafeah Buang – Gadis Sunyi -(Rafeah Buang)
from the EP “Rafeah Buang Dengan The Swallows”(Singapore:1967)

Rafeah Buang With The Swallows – Menunggu
from the EP “Rafeah Buang Dengan The Swallows”(Singapore:1967)

Rafeah Buang With The Swallows – Kehilangan
from the EP “Rafeah Buang Dengan The Swallows”(Singapore:1967)

Rafeah Buang With The Swallows – Kaca Mata Ku
from the EP “Rafeah Buang Dengan The Swallows”(Singapore:1967)
(2007 Remaster)

 

Rafeah Buang – Selamat Datang
from the EP “Selamat Datang”(Singapore:1968)
ライブ録音?

Rafeah Buang – Baju Kurung
from the EP “Selamat Datang”(Singapore:1968)

Rafeah Buang – Bunga Mawar
from the EP “Selamat Datang”(Singapore:1968)

 

Rafeah Buang – Ku Pulang Dahulu(1968)
Malaysia

Rafeah Buang – Buat Baik Berpada(1969)
Malaysia

Rafeah Buang – Ada Yang Chemburu Buta(1969)
Malaysia

 

Rafeah Buang – Serba Salah
from the album “Di Pentas Nyanyian”(Singapore:1970)

Rafeah Buang – Jangan Menanti Lagi
from the album “Di Pentas Nyanyian”(Singapore:1970)
伊東ゆかり「恋のしずく」のカバー。

<参考>
伊東ゆかり – 恋のしずく(1968/01/20)
作詞:安井かずみ、作曲:平尾昌晃、編曲:森岡賢一郎

Rafeah Buang – Ibu
from the album “Di Pentas Nyanyian”(Singapore:1970)

Rafeah Buang – Kau Masih Jauh
from the album “Di Pentas Nyanyian”(Singapore:1970)

 

Rafeah Buang – Lagu Mu Teman(1970)
Malaysia

Rafeah Buang – Pilu Rasa Hati Ku(1970)
Malaysia

 

Sanisah Huri

Sanisah Huri & The Terwellos – Siapa Gerangan(1967)

Sanisah Huri & The Hooks – Tumpuan Ramai(1968)

Sanisah Huri & The Hooks – Baju Hijau(1968)
冒頭、雷鳴のSE。タイトルはインドネシア語で「グリーンのシャツ」の意。

Sanisah Huri – Ku Sampai Kan Salam Ku
Malaysia

Sanisah Huri – Aku Bintang Mu
from the album “Aku Bintang Mu”(Singapore:1973)
前奏のみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」(笑)

Sanisah Huri – Ku Berikan Pada Nya(1973)
Malaysia

Sanisah Huri – Jangan Lekas Marah(1973)
Malaysia

Sanisah Huri – Jangan Lekas Marah(1973)
Malaysia

Sanisah Huri – Jauh Berjalan Luas Pandangan
from the EP “Seiring Jalan”(Singapore:1974)
前奏が「ティファナ・タクシー」のメロディ(笑)

<参考>
Herb Alpert And The Tijuana Brass – Tijuana Taxi(1965/12)
ざ・ティファナ・ブラス/ハーブ・アルパート(トランペット)- ティファナ・タクシー
from the album “Plays A Salute To Herb Alpert & The Tijuana Brass”(1967)

 

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