◆ ◆ ◆
Shaun Cassidy – Da Doo Ron Ron(1977/03 stereo 45)
ショーン・キャシディ – ダ・ドゥー・ロン・ロン
2度目の引用。
produced by Michael Lloyd
Pop Chart Peaks: #1 in Billboard, Cash Box & Record World – A/C Peak: 33
This update of the 1963 Spector/Crystals rocker was the debut hit–and highest charting single–for 18-year-old singer-actor (and future writer-producer) Shaun, son of Shirley Jones and Jack Cassidy, younger half-brother of David Cassidy.
Shaun Cassidy – Da Doo Ron Ron(1977 mono radio promo 45)
2度目の引用。
produced by Michael Lloyd
Pop Chart Peaks: #1 in Billboard, Cash Box & Record World – A/C Peak: 33
This update of the 1963 Spector/Crystals rocker was the debut hit–and highest charting single–for 18-year-old singer-actor (and future writer-producer) Shaun, son of Shirley Jones and Jack Cassidy, younger half-brother of David Cassidy.
Ian Matthews – Da Doo Ron Ron(UK:1972/02/11)
Ian Matthews – Da Doo Ron Ron(When He Walked Me Home)(US:1972/01)
イアン・マシューズ – ダ・ドゥー・ロン・ロン
from the album “Tigers Will Survive”(1972)タイガー・ウィル・サヴァイヴ
Pop Chart Peaks: Billboard 96, Record World 98, Cash Box 105
2度目の引用。
The Crystals – Da Doo Ron Ron(When He Walked Me Home)(1963/04)
ザ・クリスタルズ – ハイ, ロン・ロン
3度目の引用。
produced by Phil Spector
Pop Chart Peaks: Billboard & Music Vendor 3, Cash Box 4 – R&B Chart Peak: 5
The fifth of the group’s six top-20 hits. The song would return in 1977 as a #1 record for Shaun Cassidy.
◆ ◆ ◆
昨夜は、かつて「胸派・尻派論争」で激論を戦わせたN氏より「世代論は成り立たないんじゃなかろうか」説をうかがい、いささか感ずるところあれども、あえて論駁することなく、今後の思料の糧とさせていただくつもりで、大きく呑み込んで肚に収めた。
それで、というわけじゃないが、
ついこの間、名古屋在住のY様へ宛てて送付した礼状に、私なりの「世代論」論の一端を書き連ねているので、その一部を闇弱ゆえの低レベルではあるけれども、恥ずかしながらご披露つかまつるでゴザルよ。
アメリカではロックンロールブーム以来、ベビーブーマー世代の精神的成長や世代的な気分、その精神史が折々のヒットソングにストレートに反映されていたように感じられます。特に50年代後半から70年代前半にかけての、年を追って変化していくサウンドは、彼らの精神の成長とあたかも軌を一にするかのようでした。
また表現者としても若い歌手やミュージシャンが澎湃と現れ、自分たちを自分たちの言葉で表現していったという、すこぶる60年代的現象が看取されました。これは今から考えてもかなり羨ましい状況ですよね。
翻って日本ではロカビリーにせよGSにせよ、旧世代に完全にコントロールされ、辛うじて関西フォークだけが楽曲もパフォーマンスもセルフ・プロデュースできていたように思います。
ミッキーカーチス&サムライやフラワー・トラベリン・バンドあたりが海外へ出ざるを得なかったのも、体制側のムラ長としてイチシアチブを執りヘゲモニーを握っていた戦前世代(大人たち)に拒絶されたからでしょう。
こうしてみると、団塊世代は旧世代と対立し斥けられるか、大多数がそうだったように最初は反発しながらも結局は過剰適応していったか、という二つの生き様に大きく分かれるんじゃないかという気が致します。
では旧世代とガチでぶつかって勝利したという事例はあったのか無かったのか。これは日本ではなかなか見つけづらいですね。堀江青年の太平洋ヨット単独横断くらいでしょうか。
世代論自体が成立しないという人もいます。私はありだと思う。もちろん共通体験だけで語るのはただの懐古趣味で、それも楽しいですが「論」にはなりません。ある一時期、すべての世代で世代論が成立するはずで、客観的歴史の中に主観的視点の物言いを紐付けることは、むしろリアリティを増すものでしょう。
GSに白馬の王子様のイメージを押し付けた旧世代の作り手にも言い分があったでしょうし、同世代の左翼デモ隊を棍棒で殴った機動隊員やヤクザにも考えるところはあったはず。しかし彼らは語りませんね。
日本の歌謡曲をつぶさに見ていきますと、それでも団塊世代の気分を多少なりとも汲み取ることは出来るかと思います。マーケットとしての団塊世代を考えれば、歌謡曲ならば当然その世代の感覚や気分を取り入れなければ成り立ちませんからね。
そういう部分では戦前最後の世代が団塊世代の心中を代弁した作品を生み出していってくれたことで、前出のアメリカの60年代的現象に近い状況がこの日本でも現出したのだと思います。
それが特に顕著になるのは60年代末から70年代前半にかけてのことで、団塊世代がちょうど自分で自分たち世代を歌いそれがちゃんとした商品として世に流通するようになったころとも一致しています。これは要するに消費をする世代としてようやく認知されたということでありましょう。
以前、私はブログで、尾崎紀世彦の『また逢う日まで』(1971年)を、別れの歌に擬せられてはいるが「所得倍増時代を勝ち抜けた若きエリートたちの自信と誇りとエネルギーに充ち満ちた青春第一幕のエンディングデーマ」である旨、指摘したことがありました。こりゃショージキ言って、妄説です(笑)
万博の前後は、大卒・中退の団塊世代が青春時代に区切りをつけ、社会人として歩み始めるという、そういう時期だったでしょうし、一様に身の振り方を考え、上へ行く者はそのキャリアの第一歩を印し、ドロップアウトする者は「どうにかなるさ」とばかりに新たな人生を索め流転の「旅」に出るということで、そうした気分とムードを反映してか、別れや旅立ちの歌が多く作られ、ヒットした……とマァそういうふうに見立てたわけです。
1969年の はしだのりひこ と シューベルツ『風』は青春時代にけじめをつけるべき時期が近づいたという予感でしょう。
由紀さおり『手紙』、菅原洋一『今日でお別れ』、長谷川きよし『別れのサンバ』、かまやつひろし『どうにかなるさ』は1970年、
尾崎紀世彦『また逢う日まで』『さよならをもう一度』、堺正章『さらば恋人』、朝丘雪路『雨がやんだら』、井上順之『お世話になりました』、加藤和彦と北山修『あの素晴しい愛をもう一度』、上條恒彦+六文銭『出発(たびだち)の歌』は1971年、
ビリー・バンバン『さよならをするために』、ペドロ&カプリシャス『別れの朝』、朱里エイコ『北国行きで』、欧陽菲菲『雨のエア・ポート』、石橋正次『鉄橋をわたると涙がはじまる』は1972年、
チューリップ『心の旅』、ペドロ&カプリシャス『ジョニィへの伝言』は1973年。
同年の
大信田礼子『同棲時代』、南こうせつとかぐや姫『神田川』のような同棲実践の若者は当時はまだまだ少数派だったんじゃないでしょうか。
1971~73年の芸能界はもはや団塊世代への興味を失ったかのように、次の世代(当時の中・高生)をターゲットにしたアイドルの擁立へ動きます。団塊世代にとっても青春時代はすでに回想の対象となっていました。
ガロ『学生街の喫茶店』は1972年、
ペドロ&カプリシャス『五番街のマリーへ』は1973年、
荒井由実『卒業写真』、バンバン『「いちご白書」をもう一度』は1975年のリリースでしたね。もう若くはない、そういう自覚です。
あちらのベビーブーマー世代もやはりそうした気分だったんでしょうか、
カントリー歌手ロイ・クラークのカントリーでない代表曲で1969年7~8月にヒットした『想い出のかなたに(Yesterday, When I Was Young)』(1961年シャルル・アズナブール『帰り来ぬ青春(Hier Encore)』の英語カバー)とかは、まさにそんな感じですよね。
『アメリカン・パイ(American Pie)』のドン・マクリーンのようにロックンロール~ロック世代である自分たち世代の「自画像」を、満を持して世に問うた人もいましたっけ。
『また逢う日まで』が若きエリートの凱歌、『どうにかなるさ』がドロップアウト組の心象風景なら、たとえば、井上順の『人生はそんなくり返し』なんかはそのどちらでもない、大半を占める「その他大勢」の若者が辿り着いたごく当り前の心境・達観で、いつの時代の若者の思いとも大差ない内容です。人生は泣いたり笑ったりの繰り返し・積み重ね、大切なのは変わらない愛――何人も否定し得ない人生の真実でしょう。
『また逢う日まで』や『どうにかなるさ』のようなドラマチックなものではない、平凡な日常を生きていくことになる大多数の若者たちの人生に対するおおまかな認識・了解、それがこの歌の「詞」のすべてといっていい。
そんな団塊世代が(当時で云う)いわゆる結婚適齢期を迎えた60年代末~70年代、実人生で恋愛・結婚しようという、その気分が反映された歌謡曲としては、
デューク・エイセスの『フェニックス・ハネムーン』は1967年のヒット。これはしかし67年に宮崎まで新婚旅行に行くんですから世代的には戦前生まれということになるでしょうね。
団塊世代のアイコン的人物のひとり 加藤和彦(1947年生)が福井ミカ(1949年生)と結婚したのが1970年、
はしだのりひこ(1945年1月生)とクライマックスの『花嫁』、森山良子(1948年生)の『恋人』は1971年、
朝日放送『新婚さんいらっしゃい!』の放送開始、あおい輝彦(1948年生)『二人の世界』は1971年、
よしだたくろうの『結婚しようよ』、小柳ルミ子『瀬戸の花嫁』は1972年、
沢田研二『危険なふたり』『あなたへの愛』は1973年、
小坂明子『あなた』は1974年。
まぁ他にもいくらでもあるでしょうが、歌謡曲のほとんどは恋愛ソングなんで挙げてもキリがなさそうです。
一般の日本人がハワイやグァムで式を挙げるようになるのは70年代後半から80年代にかけてでしたから、団塊世代でも末っ子あたりでしょう。そういえばむかしは兄弟が5人、6人とか、わりと普通だったような気がします。
団塊世代の人と話すとたいがい否定されるか一笑に付されるんですけど、1969年こそは日本における戦後の、そして60年代の主役ではないにしろ「台風の目」ではあった団塊世代にとっての、大きな転換点の年だったのではないでしょうか。
1969年前半の時点で、ひとつの時代が終わろうとしていることを感じ取っていた人は確かに少なかったと思います。
世の中的には前年11月発売のあの威勢がいい『三百六十五歩のマーチ』そのままに、浮かれ調子で繁栄を謳歌している真っ最中。つまり自己陶酔が続いている状態でした。
1969年6月10日、経済企画庁は「日本の1968(昭和43)年度国民総生産(GNP)は世界第2位」と発表します。資本主義の総本山アメリカの天下においては、もうこれ以上無いところまで昇り詰めたとの宣言でした。
このあたりから、どうも酔いが醒めはじめ、満足感・満腹感・達成感と表裏一体のむなしさ(祭のあとのムード)がじわりじわりと世の中に広がっていきます。
山頂の見えない山を登っていて、ある地点でふと振り向くと、眩しい青空があり、眼下に雲海が広がっていた。振り返れば日本もそのようにひとつ突き抜けたステージに達していたのだと過ぎてから分かった。そういう感覚。
そして畠山みどりの『出世街道』の歌のように足もとを確かめながら一歩一歩ただひたすら登ることに専念していた自分たち(これは戦後を構築した戦前世代)の姿が、みるみる遠いものになりつつある寂しさ、虚脱感。それは大いなる到達点であるとともに目標を喪(うしな)った瞬間でもありました。
少し遅れて星飛雄馬が星空を仰ぎ「巨人の星をおれの新しい人生において今度はどんなゆめの星にするかな?」と自問し、さらに遅れて矢吹丈が苦戦を戦い抜きついには燃え尽きて真っ白な灰のようになり、なお完爾として口の端に笑みを浮かべる、ちょうどそんな気分です。
そうしたものが69年後半から歌謡曲にも明瞭に表れてきます。
佐良直美『いいじゃないの幸せならば』、弘田三枝子『人形の家』、ザ・タイガース『スマイル・フォー・ミー』は7月、
浅丘ルリ子『愛の化石』は8月、
弘田三枝子『私が死んだら』は12月、
年が改まって70年では、5月の日吉ミミ『男と女のお話』、12月の由紀さおり『生きがい』、『愛の終りに』布施明は1971年4月――等々。
そこにあるのは、「俺達の時代は終わったな」「今となっては過ぎ去ったものすべてが美しく可憐(いとお)しい」といった満ち足りた達観であり、燃え尽き感でしょう。
そんなどちらかといえば幸せな心持ち(涅槃の境地?)も、ほどなくドルショック、石油ショックで吹き飛びアメリカ同様、内省と沈潜の時を迎える、その一方では、情念に裏打ちされていない新たな刹那的狂騒的祝祭がディスコから発信されていくのですが、
そりゃまた、別の話ですね。
とりわけ印象に残っているのは、私の場合、日吉ミミ『男と女のお話』(1970年)です。当時そのヒットぶりをリアルタイムで見てまして、「現代」の空気、気分をよく写し取っている、里程標的な作品だなぁと、感じておりました。
1994年10月4日に放送された『昭和歌謡大全集 第八弾 第二夜』というテレビ番組でご本人が話してましたが、『男と女のお話』は元々B面曲で、評判がいいためA面にするにあたって録音しなおしたのだそうです。そして、あの独特の歌い方は、浅川マキ『夜が明けたら』に影響されたんだとか。
『男と女のお話』は、バーやスナックで交わされる男女の会話の断片をふくらませたような内容ですが、世の中も人の心も変わりつつあるという認識が、まず冒頭で語られる。ここが重要でして、どう変わっているのかが詞で明示されない代わりに、メロディー・アレンジ・ボーカルによって、真摯な情熱が冷めてしまったような、ソフィスティケイトされた一種の達観ムードが、くどいくらいに表現されている。
それは69年後半~70年前半の、世情に漂っていた「燃え尽き感」の気分で、私自身も子供心に感じていたものでした。
後にいう「バーンアウト(燃え尽き)症候群」とはちょっと違いまして、社会全体の価値感が変わっていったというんでしょうかねぇ、五輪も万博もやり遂げて経済大国にもなり、モーレツ社員にもミーイズムが芽生えた、そんな時代です。小狡くなったというか、利己心が強まったというか、特に都市生活者にそうした傾向が顕著になった感じでしたね。
日吉ミミのあの声、あの捨て鉢なムードの歌い方は当時ずいぶんと話題になりましたよね。そしてそれが受け入れられた事自体が、あの時代の「変わりよう」を物語っておりましたね。
周りを見渡せば、確かに社会全体の生活レベルは底上げされておりましたが、鶴田浩二の『傷だらけの人生』(1970年12月)を地で行くような戦中・戦後闇市焼け跡派の壮年や、フォークギターをかき鳴らしながら日本的サイズの日常生活を歌ってみせる若者たちの、相変わらずの暮しのカツカツぶりが目につくわけで、
さらには数年を経ずして、四畳半フォークや『昭和枯れすゝき』(1974年7月)を耳にするに及んで、ほとんど確信にまで近づいたんですが、
リッチな生活というのは、手が届きそうでやはり届かない、大半の人間にとっては永遠の逃げ水のようなものだなぁと、私はつくづくそう思いました。
団塊世代。サテそれからというものは、どうであったろうか――と。
左翼勢力は革命幻想が完全に崩壊し茫然自失となり、ノンポリの一般人はドルショック・石油ショックを機に滅私奉公の企業戦士からマイホームパパへ転向して脱サラ・脱都会を夢みるようになり、
……そう、それでも核家族として新居を構えた人は成功者の部類というべきでしょうか。
現役引退した老人たちは恍惚に浸り(そう!あのころ明治生まれがまだけっこういました)、主婦は狂乱物価・便乗値上げに青くなり、子供たちは塾に行ってもスプーン曲げの話題で持ちきりという、
理想・目標の喪失、家庭・共同体の解体、個人の内面の肥大化、危機感と欲望の増幅、、、そういうことが1973~76年の平和ニッポンでも起こっていたわけで、それやこれやの世相がやはり流行歌には色濃く反映されていたように思われます。
1973年3月、アメリカ軍が撤兵を完了し、ベトナム戦争の帰趨が決しました。この事実上の敗北を受け、アメリカ社会にようやく、沈潜し内省をする、静かで落ち着いたムードが訪れたように見えましたが、帰還兵の心の荒廃はハリウッド映画の題材にもなってましたよね。
主戦・反戦の論議で分断された社会、その深い傷が多少なりとも癒され、融和と再統合の機運へ向うのはサイゴン陥落の翌年、1976年のアメリカ建国200年祭まで待たねばならなかったようです。
そうしたアメリカ社会のクールダウンが日本人の心象風景にも若干の影響を与えていたことは確かでしょう。
しかし、ま、73年以降は私にとっては後日譚の世界でありまして、それから現在までの時間を私は「生きた」という気がしておりません(笑)
ついでながら、燃え尽き感を湛えた「洋楽」を挙げさせていただくならば、
ジョニー・リバースの創唱(1965年)ながらグレン・キャンベルによって67~68年にかけてヒットした、あの『恋はフェニックス(By The Time I get to phoenix)』、これもお馴染みのアソシエイション『かなわぬ恋(Never My Love)』(1967年)、
ペトゥラ・クラーク創唱『Now That You’ve Gone』(1965年、仏語1964年)なんかは正鵠を得てる気が致します。
ジミー・ウェッブは戦後生まれですが “Never My Love” “Now That You’ve Gone” を書いた人たちは戦前の生まれのようですね。
ここでもまた戦前世代と団塊世代の「共同幻想」としての時代の気分が観て取れます。
団塊世代の気分としては、戦前世代から引き継いでいる「東京指向」が早くからあったかと思います。その先に前出の脱サラ・脱都会、いわゆるUターン現象も起きるのでしょうが、
たとえばアメリカにおいてそれに相当するものがベビーブーマーに認められるのかどうか、
これはまだ研究段階で、しかも緒についたばかりでございまして、、、、
過去にこのブログで書いた駄文のパッチワークとなったのは、急ぎの礼状であったことによる。
「失われた世代(Lost Generation)」「怒れる若者たち(Angry Young Men)」「恐るべき子供たち(Les Enfants Terribles)」「ゼロの世代」 といったフレーズに惑わされて世代論が成立するかのごとく考えるのは虚妄であって、純粋に人口統計における目安としての区切り以外には世代論は成立しないだろうというのが、昨夜のN氏の主張であった。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
より均質・等質な社会ほど、世代別の共通体験は色濃いものとなるだろう。
例えば、昭和十年前後に生まれた世代で疎開を体験した人は多いはずだ。では生活空間の中に闇市・焼け跡があった人は というと少し減るかもしれない。浮浪児体験となるとこれは全体から見ればかなり少数だろう。とすれば世代に共通する感覚といえば「空腹」「粗食」といったこと、またそれに関わる悲喜劇の数々であろうか。
昭和30年代はまだほとんどの国民が貧乏だった。大学に進学する人はもちろん、高校進学率もけっこう低い。しかし後半から俄然変わってくる。昭和30年代に中高生だった世代はそうした変化に翻弄され、かつまた全盛期を迎えた邦画や新進メディア テレビジョンを始めとする大衆文化の発展ぶりに魅了されていったことが世代としての記憶となっているのではないか。
そもそも「世代論」の定義の問題もあるのだけれど、まずはその前提として個人的体験、個人史が語られ、集積されなければ、うかつに試論も構築できないだろうとは思う。
不思議なものでみなさん個人的には、嬉しかったこと楽しかったことよりも、折々に感じた無念、悔しさのほうが記憶に残っているようで、少なくとも語りたくない負の個人史はお持ちのようだ。あるいはそうしたものから「負の世代論」「怨念の世代論」なんてものも導き出せるやもしれんがね。
“I Malamondo”(1964)ゼロの世代 trailer
監督:パオロ・カバラ
音楽:エンニオ・モリコーネ
Ennio Morricone – Penso a te
from the movie “I Malamondo”(1964)
- 世代 – Wikipedia
- 「団塊」「バブル」「ロスジェネ」「ゆとり」… サラリーマン世代論 :日本経済新聞
- 常見陽平の「若き老害」論:なぜ日本人は“世代論”が大好きなのか – ITmedia ビジネスオンライン
- iwatamの個人サイト/社会と思考/ネット世代/世代論とは
- 日本初! たった1冊で誰とでもうまく付き合える世代論の教科書―「団塊世代」から「さとり世代」まで一気にわかる 阪本 節郎, 原田 曜平 本 Amazon
- 「世代」の正体_ なぜ日本人は世代論が好きなのか (河出ブックス) 長山 靖生 本 Amazon
- 世代論のワナ (新朝新書) 山本 直人 本 Amazon
以下、「世代論」を含む投稿。
連載データは踊る 聞いてはいけない 残酷すぎるデータ4
PRESIDENT Online
武蔵野大学、杏林大学兼任講師 舞田敏彦=文自殺率 昭和30年代は20代が高かったが、今世紀は……
(中略)
1955(昭和30)年では、自殺率が最も高かったのは20代の若者でした。戦前と戦後の新旧の価値観が混在していた頃で、生きる指針を見出せず、自らを殺めた若者が多かったそうです。
相思相愛にもかかわらず、旧来の「イエ」の慣行に結婚を阻まれ、無理心中を図る男女も多かったそうな。これなども、時代の過渡期における若者の悲劇といえます。
高齢者の自殺率も高かったようですが、当時は年金などの社会保障はありませんでした。それでいて戦後の社会改革により、「老人の面倒は家族が見るべし」という価値観は廃れつつありましたから、生活苦による老人の自殺が頻発したと思われます。
(中略)
団塊の世代 リタイア間近で自殺率上昇
(中略)
年収の年齢変化「官民差」の赤裸々
(中略)
名付けて「人生のお悩み一望図」
(中略)
学力が低いのは、朝食を食べないから? 貧困だから?
(中略)
http://president.jp/articles/-/20248
言われてみるとたしかに、『ある愛の詩(Love Story)』(1970)のころまで、若者が難病や入水自殺で死んじゃうような映画が多かったように思います。小林旭の文芸物とか舟木一夫の歌謡映画とか、日本でもそういうのけっこうありましたよ。
1950年代の「高齢者の自殺率」、ただ事じゃないですね。そんな多かったかなぁ。明治の最初の20年間に生まれた人たちが、価値観の崩壊や進駐軍支配に絶望したんでしょうか。少なくとも軍人恩給はもらってたはずですが……。
複数の海外サイトから、「相手が不快を示すサイン」を厳選して7つ紹介しよう。
(中略)
1. 首を触る
(中略)
2. 目をこする
(中略)
3. 手足がソワソワしている
(中略)
4. 咳払いをする
(中略)
5. つま先の方向が変
(中略)
6. アイコンタクトを避ける
(中略)
7. 障害物を置く
(中略)
http://rocketnews24.com/2016/09/28/803578/
先日の唾吐き女じゃないけど、外人は感情をあらわにすることが多いね。
良くいえば表情が豊か。反対意見もズケズケ言うし。
日本人は逆。特に上の者には。
相手がどう思おうと、言わなきゃイカンことは言うしかないわけでね。それで恨みを買うことも、よくある話なんだ。
9月27日、香港の有名中学校で、生徒が香港独立を訴える団体を立ち上げ物議を醸している。香港・星島日報が伝えた。
話題となったのは香港の有名中学である「拔萃男書院(DBS)」。25日には団体設立の宣言がネットに掲載され、香港の独立を訴えたほか、学校内で香港独立を議論しないよう求める香港教育局に対し生徒の思想と言論の自由を制限していると批判した。
学校側は「生徒の声に耳を傾けたい、社会に興味を持つ生徒は称えるべき」としているが、香港教育局は26日、香港の独立を主張する活動は学校内で出現するべきではないとして、学校に適切な対応を求めた。このほか、専門家からは「実に非現実的な主張だ。学校が管理を強化しなければ学校全体の名誉にも傷がつく」との指摘も聞かれている。
http://www.recordchina.co.jp/a151520.html
背後関係がなく、まったく自発的に始めたなら大したもんだが、そのうち反革命の罪で、かつて労働改造所(思想矯正施設)と呼ばれていた施設へ送られることになろう。
日本鉱物科学会が2016年9月24日に金沢市で行われた総会で「日本の石(国石)」にヒスイを選定した。国石は古くから俗説があったため会員の投票で決定した。
国石の候補は花崗岩、輝安鉱、自然金、水晶、ひすいの5種類あり、公式ホームページ上で投票を呼び掛けていた。上位2種による決選投票の結果、71票を集めたヒスイに決まった。水晶は52票だった。ヒスイは5~6億年前に地中深くに生まれた石で、とても硬く比重が大きい。縄文時代以降の遺跡からは勾玉といった宝飾品が見つかっている。新潟県糸魚川市は08年に市の石に選び、16年5月には日本地質学会が新潟県の石に選んでいる。
http://www.j-cast.com/2016/09/26278968.html
そりゃ言うのは自由。
今日(2016/09/28)現在、国旗・国歌以外は法的根拠を持っていないようだ。
翡翠は中国でも珍重されているからクレーム来るかも。
日本国内において、相撲を国技と見なす風潮が一部に存在するが、日本国内に正式な国技はない。過去及び現在においても、その時代を担った政権に相撲を正式な国技と認定した記録や法令は存在しない。日本にはすぐれた技芸が多数あるが、それぞれの技芸を行う人々は、自分が行っている技芸に誇りをもつあまり、それを「国技」と見なしたがる傾向がある。例えば一例を挙げると柔道関係者の中には、柔道も日本の国技だと考えている人がいる。なお、宮内庁から天皇杯を下賜されている武道は、相撲(大相撲、アマチュア相撲)、柔道、剣道、弓道である。このうち大相撲の天皇賜杯は最も歴史が古く、特に大きい。
<国技 – Wikipedia>
日本
桜
一般に国を象徴する花として語られコインや切手の意匠として採用されてきたが法定のものではない。
菊
菊は国より皇室の象徴としての意味が強い。<国花 – Wikipedia>
日本国
キジ
1947年に日本鳥学会において国鳥に選定した。<国鳥 – Wikipedia>
日本
キジ(国鳥)
錦鯉(国魚)<国獣 – Wikipedia>
日本の国旗(にっぽんのこっき、にほんのこっき)は、法律上は日章旗(にっしょうき)と呼ばれ、日本では古くから、また今日でも一般的に日の丸(ひのまる)と呼ばれる旗である。
1999年(平成11年)に公布・施行された「国旗及び国歌に関する法律」(国旗国歌法)の規定によれば、旗の形は縦が横の3分の2の長方形。日章の直径は縦の5分の3で中心は旗の中心。色地は白色、日章は紅色とされている。ただし上下・左右対称で方向性はない。
日章と旭光を意匠化した旗については旭日旗を参照。<日本の国旗 – Wikipedia>
1880年(明治13年)、法律では定められなかったが、日本の国歌として「君が代」が採用された。この国歌のテーマは皇統の永続性とし、歌詞は10世紀に編纂された『古今和歌集』に収録されている短歌の一つである。
日本の国歌の歌詞およびその表記は、国旗及び国歌に関する法律別記第二では以下の通り。<君が代 – Wikipedia>
国旗及び国歌に関する法律(こっきおよびこっかにかんするほうりつ、平成11年8月13日法律第127号)は、日本の国旗・国歌を定める日本の法律。1999年(平成11年)8月13日に公布・即日施行された。国旗国歌法(こっきこっかほう)と略される。
構成
国旗国歌法は本則2条、附則3項、別記2により構成される法律である。
第1条 国旗は、日章旗とする。
第2条 国歌は、君が代とする。
附則 施行期日の指定、商船規則(明治3年太政官布告第57号)の廃止、商船規則による旧形式の日章旗の経過措置。
別記 日章旗の具体的な形状、君が代の歌詞・楽曲。<国旗及び国歌に関する法律 – Wikipedia>
この法律は閣議決定から施行まで、自自公小渕政権下で行なわれた。
2016/09/27
相変わらず育児界周辺にはおかしなネタに事欠きません。今回は危険度が高いことで反論の嵐でしたが、トンデモ物件はやがてネットの肥やしとなり、伝聞形式で「こういう考えかたもあるらしい」という無責任な形で拡散されていきます。
その拡散手段はSNSでの〈シェア〉のほか、〈ママサイト〉の存在も大きいはず。子育て中のママたちが知りたい情報を集めて提供しているママサイトは、「日経DUAL(デュアル)」やNHKエデュケーショナルの「すくコム」などが有名どころ。基本的に大手の運営しているママサイトには無責任記事は全く見当たらず、認知度と比例した信頼度はさすがとしか言いようがありません。
科学的根拠に欠けるトンデモ系を無責任に広めるのは、キュレーション、バイラルメディア系のママサイトでしょう。
(中略)
やはり〈どこから引用している情報なのか〉〈どんな専門家が監修しているのか〉、それとも〈全くの個人的な体験〉なのか、そして〈誰が書いているのか〉ということがしっかり明記されているかどうかは、〈情報〉を扱う上で重要なポイントです。当然ですが、有名企業や自治体の運営するママサイトは、その点ぬかりなし。
PV稼ぎだけが目的の育児記事に振り回されるほどバカバカしいことはありませんので、無責任なママサイトの閲覧はヒマつぶし程度に閲覧するのが妥当でしょう。<脅迫と無責任。育児系デマの温床「トンデモ・ママサイト」徹底比較、一番ヒドイのはどれ? – messy|メッシー より一部引用>
http://mess-y.com/archives/35876
時代によって育児の常識も変わっている。小学生の頃だったか、『スポック博士の育児書』というのが話題になっていたのを憶えている。『家庭の医学』なんて分厚い本も流行ったね。今の尾木ママみたいな位置にいたのがカバゴンこと阿部進だった。
昨今の若いママさんはそもそも「育児の常識」がないんで、WEB情報を安易に信じちゃうのかもしれないな。
『スポック博士の育児書』(The Common Sense Book of Baby and Child Care)とは、アメリカの小児科医ベンジャミン・スポックが、1946年に刊行した育児書である。42か国語に翻訳され世界中で5000万冊販売され、1946年以降では聖書の次に売れたとも言われる。
<スポック博士の育児書 – Wikipedia>
『スポック博士の育児書』の日本語版が出たのは、昭和41(1966)年だった。全国の大学で学園紛争が広がる3年前であった。この本は『育児書』と銘打ちながら、反戦・平和、フェミニズムの擁護、資本主義への懐疑など政治的主張が書かれており、当時の反体制的雰囲気にアピールしたのである。
スポック博士の育児論は、ジョン・デューイの教育思想を具体化したものだが、デューイ自身がスターリン独裁化 のソ連を旅して、浮浪児たちが収容学校で共産主義を叩き込まれる姿に感銘を受けるような人物だから、その思想的素性は推して知るべしなのである。<『スポック博士の教育書』が現代子育てを崩壊させた – るいネット より一部引用>
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=254508
なるほどそういう本であったか。
この映画の日本での映画評で、ほぼ全員が認めているのは、ゴジラは3.11の震災および原発事故のメタファーであり、それに対して日本政府がいかに対応するかをシミュレートした政治ドラマとして、圧倒的なリアリティを持っていることだ。
だが、今回の鑑賞でわかったのは、その「圧倒的なリアリティ」の肝は3.11を経験し、かつ日本というシステムで暮らし続けた日本人にしかわからないということである。<シン・ゴジラを観た外国人が日本人ほど感動できない理由|ニューロビジネス思考で炙り出せ!勝てない組織に根付く「黒い心理学」 渡部幹|ダイヤモンド・オンライン より一部引用>
http://diamond.jp/articles/-/103112
初代ゴジラからして、輸出するにあたり改作されている。
海外へ売る商品なら、対象国の買い手に合わせた発想なくして、成立しえないだろう。
テレビアニメの場合、そのへんがちゃんと考慮されてるケースが珍しくない。
311ほどの大災害であっても、他国の人間にとっちゃ「うわぁ大変だったねー」くらいなもの。しかたなかろうね。
あと十年くらいしたら、また別な評価がなされるかもしれんが。
Bリーグは流行らない、絶対に
スポーツ行政の枠内の出来事であって、”打ち出の小槌”を作って利権化しようというお役人的発想。
そのうちシロートが勝手にスポーツすると罰せられるようになるかもよ(笑)
注目の対談は、40代向け女性誌「GLOW」(宝島社)9月号に掲載された。「アンチエイジングって言葉が、大嫌いなんです」と切り出した上野さんに、小泉さんは日ごろの思いを爆発させるかのように、次のように語った。
「私もです。ずっとアイドルの仕事をしてきて、30代の半ばくらいから『かわいい』って言われる中に、『若い!』という声が入ってくるようになって。これ違くない? 喜んじゃいけないんじゃない? って」
実年齢より若く見えることを尊ぶ「美魔女」現象への批判にも小泉さんは同調し「これは抵抗しなきゃと。私は『中年の星』でいいんじゃないかと思ってます」と言い切った。
GLOW9月号は22万部を完売。反アンチエイジング宣言は「女性セブン」などの女性誌やネットメディアにも転載された。女性の年の重ね方に「一石を投じた」と好意的な反応が多く「かっこいい! そもそも劣化や賞味期限なんていう言葉を使うこと自体がバカげてる」「年相応が理想」などの書き込みもあった。GLOW編集長の大平洋子さんは「おそらく皆さんどこか根底で思っていたことが、お二人の発言によって市民権を得られた気持ちになったのではないでしょうか」と語る。
「こんなことが事件になるとは想定外。びっくりだわ」。発言を引き出した上野さんを訪ねると、開口一番、当たり前のことを言っただけなのに、という表情を見せた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160927-00000033-mai-soci
中年向け化粧品のテーマはアンチエイジングのはず。
それを「大嫌い」と言っちゃ、CMのオファーが逃げてくってもんだ。
事務所的にも困るんじゃないの?
新聞をとるのをやめようと思っています。
現在、インターネットの光回線にプロバイダ代、スマートフォンの通信費など、月々1万円以上を支払っています。その上、新聞やNHKの受信料を支払っているのです。
固定費を削減するのが、社会保障費や税金が高くなっていく将来に備えるコツです。固定費である、新聞購読料を見直さなければいけませんよね。
情報は新聞以外からでも入手できます。むしろ、インターネットのほうが紙の新聞よりも早く情報を見ることが出来ます。
報道各社はインターネットでのニュース配信に力を入れてもらいたいものです。<さよなら新聞。もう新聞なんていらない – ハナさんキッチン より一部引用>
http://www.hana3.net/entry/2016/09/28/070832
夜中に紙へ印刷して、朝、人間が各購読者のポストまで届けるなんて、いつの時代の話ヨって感じです。
しかも集金も毎月 人がまわって直接受取るんだから唖然・呆然だ。
最後の新聞配達
Hanamore Kazuheko
2015/09/29 に公開
以下、「新聞」関連の投稿。
- 縮刷版発行をとうの昔にやめているアノ「新聞」 register movement 第四部
- 巨大な○○○○ register movement 第四部
- 771円22銭安 register movement 第四部
- 守秘義務より密告 register movement 第四部
- PKOでもTPOでも問われる「見出し」なみ register movement 第四部
- 尻に火がついた「おごれるメディア」 register movement Part3
- 圧勝に終わった開催地決定。棄民の名はと、尋ねし人あり。 register movement Part3
- 広告の号外を号外のように配る朝日新聞 register movement Part3
- カボチャよりベーコンのほうがいい 續 more register movement
- 見返りに特別扱いをねだる報道機関 續 more register movement
- 建設の槌音 more register movement
- 2010年十大ニュース more register movement
- 話し言葉に偽装された文章 more register movement
訂正:2016年9月28日
2016年9月28日03時25分訂正しておわびします。
■訂正:格闘ゲームの国際大会で優勝
「格闘ゲームの国際大会で優勝」という記事を27日に配信しましたが、群馬県太田市の臨時職員が格闘技ゲームのパリの大会で優勝した、とあるのは市の調査で事実ではないことが分かりました。この記事の見出しと全文を削除しました。読者の皆様にご迷惑をかけたことをおわびします。
http://www.asahi.com/articles/ASJ9W7VB1J9WUEHF02C.html
臨時職員の若者、その後どうなったの?
追加記事
発達障害の長男を収納ケースに閉じ込め死なす… 「しつけ効果あると…」と子煩悩な父、悲劇は防げなかったのか – 産経ニュース https://t.co/gFROCKVZ0u @SankeiNews_WESTさんから pic.twitter.com/jFr2vfwtNt
— 産経ニュースWEST (@SankeiNews_WEST) 2016年9月29日
いろんな育児法があるようです。
(2016年9月29日)
追加記事
最新鋭の第5世代戦闘機に分類されるF-35は、敵のレーダーに補捉されにくい高いステルス性を備えており、ご覧のとおり日の丸もグレーの特殊塗装だ(空自の戦闘機に赤い日の丸が描かれないのは史上初)。
http://news.infoseek.co.jp/article/shupure_72639/
グレーの日の丸はもはや日の丸じゃないでしょ。
目立つ色使いで見つかって撃ち落とされたりしたらタイヘンだ(乗員は射出座席で飛び出るだろうけど)。
なにしろ高価な品だからね。
(2016年9月29日)
追加記事
REVIEW OF THE YEAR
1973年・世界の出来事
2017/10/29 に公開
(31 Dec 1973) STORY
Movietone Reviews the Major Events of 1973.
Time: 9:14
(2017年10月29日)
