夜のサービスエリアで静岡おでん。でも車じゃ酒は飲めんしなー

 福島県漁業協同組合連合会(県漁連)は13日、同県いわき市で県漁協組合長会議を開き、東京電力が福島第1原発の汚染水増加対策として敷地内で地下水をくみ上げ、海に放出する計画について協議した。地下水は原子炉建屋で放射性物質に汚染される前の水で、東電は理解を求めたが結論は出ず、6月以降に改めて協議することになった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130513-00000050-jij-soci

 アメリカや欧州、ロシアなどから遅れること3年、今、ノルウェーではすしブームが花を開きつつある。日本人同様、ノルウェー人にとっても魚を食べることは身近だ。しかし、日本と同様、子供の「魚離れ」は深刻化しており、「ノルウェー水産物審議会(NSC)」などは「すし」に目をつけ、いろいろなPRを行うことで魚の消費を上げようと躍起になっている。
 ノルウェーのすし事情を見せてくれるというので、ノルウェー首都オスロから飛行機で2時間ほどの港街トロムソのすしレストラン「Ra Sushi & Bar( http://www.raasushi.no/ )」を訪ねた。出迎えてくれたのは大阪・ウェスティン内のすし店で修行したというスペイン人シェフ。日本での厳しい修行話を聞きながら、すし飯、ネタの下ごしらえなど、おなじみの作業を見守る。ところが「おなじみ」ではなかったのが、目の前のネタの箱の中身だった。日本では見慣れないマンゴー、イチゴ、揚げたナッツが用意されている。一体何に使うのか、注目していると、クリームチーズとマンゴーをのせ巻き始めた。
 「えーっ!」日本ではお目にかかれない巻き寿司に、一緒にいた日本人も大騒ぎだ。どよめきを尻目に、次に準備されたのは揚げたナッツ。裏巻きの上にサーモンが巻かれ、クリームチーズと生のイチゴがトッピングされると、もう驚きを通り越して目が点になってしまう。
 この“世にも不思議な”すしをホントに食べるの…?と眺めていると、隣に座っていたノルウェー人女性が解説してくれた。「ノルウェー人は魚を食べるとは言っても、生魚を食べる習慣はないから苦手なの。これはイチゴのつぶつぶの食感と、後に残る甘さが生の食感と独特の臭いを消してくれる」。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130513-00000523-san-bus_all

魚介類を生で食うには新鮮であることが前提。
しかし現代日本ではそれだけではなく、放射性物質を溜め込んでないかが、口に入れるかどうかの決め手となる。
ちゃんと検査してほしいな。

2013年4月にオープンした、神奈川県と愛知県を結ぶ『新東名高速道路』。
東名高速道路と併用されることでさらに自動車での交通が快適になりそうだが、併設されているサービスエリアやパーキングエリアもなかなかスゴい。

・夜のサービスエリアで静岡おでん
いままで夜のサービスエリアといえば、人気の無い場所で飲む自販機のコーヒーを飲むことぐらいしかできなかった。それはそれで体にしみるウマさだったが、新東名高速道路のSAやPAでは、なんと静岡おでんを24時間楽しむことができるのだ。
 
・味も本格的
SAの静岡おでんは利便性だけでなく、もちろん味も本格的だ。青のりだし粉や味噌だれなど、静岡おでんに欠かせないトッピングが用意されている。また、からしもあるので普通のおでんのように食べることも可能だ。
http://rocketnews24.com/2013/05/13/327647/

おでんは商品としては難しい品だと思う。
おでんにかぎらず、煮すぎれば崩れてしまう。ほどよく煮えたところで状態をキープしないといけないのだが、売れなければ熱いつゆの中に置かれたままとなる。
つゆの味も、甘すぎず辛すぎず、具から出るエキスで濁ってくるし、それはそれで美味いだろうけど、店頭で濁ったつゆがあまり美味そうに見えないことも事実。

基本的にはおでんは大好きで、一番の好物は「ちくわぶ」(笑)
これは関西人からすると理解の範疇を超えてるらしい。

 広島市の世界遺産・原爆ドームで、耐震調査のため壁をくりぬく調査が、13日から始まった。市のコンピューター解析で揺れに弱いと判明した四つのエリアの壁を、15カ所くりぬいて採取し、補強工事の必要性を判断する。
 ドームが世界遺産に登録されてから、壁をくりぬく調査は初めて。7月26日まで続く予定。
 市によると、直径5~20センチの円柱状にくりぬいた15カ所分の壁を資料として採取する。足場などを準備した上で、実際に穴を開けるのは6月上旬の予定。採取した資料は専門家に委託し、接着剤の注入状況など強度を調べる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130513-00000015-jij-soci

復興が進む中で、全半壊した被爆建造物の修復あるいは除去が進められたが、原爆ドームの除去はひとまず留保され、1955年(昭和30年)には丹下健三の設計による「広島平和記念公園」が完成した。この公園は、原爆ドームを起点とし、原爆死没者慰霊碑・広島平和記念資料館とを結ぶ軸を南北軸として設計されており、原爆ドームをシンボルとして浮き立たせるものだった(原爆ドームは公園の北端にあたる)。 原爆ドームは原子爆弾の惨禍を示すシンボルとして知られるようになったが、1960年代に入ると、年を追って風化が進み、危険であるという意見が起こった。一部の市民からは「見るたびに原爆投下時の惨事を思い出すので、取り壊してほしい」という根強い意見があり、存廃の議論が活発になった。広島市当局は当初、「保存には経済的に負担が掛かる」「貴重な財源は、さしあたっての復興支援や都市基盤整備に重点的にあてるべきである」などの理由で原爆ドーム保存には消極的で、一時は取り壊される可能性が高まっていたが、流れを変えたのは1人の女子高校生、楮山(かじやま)ヒロ子の日記である。彼女は1歳のときに被爆し、15年後の1960年、「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろうか」等と書き遺し、被爆による放射線障害が原因とみられる急性白血病のため16歳で亡くなった。この日記を読み感銘を受けた平和運動家の河本一郎が中心となって保存を求める運動が始まり、1966年に広島市議会は永久保存することを決議する[5]。翌年保存工事が完成し、その後風化を防ぐため定期的に補修工事をうけながら、現在まで保存されている。
広島市単体での保存・管理が続いていたが、被爆50年にあたる1995年に国の史跡に指定され、翌1996年12月5日には、ユネスコの世界遺産(文化遺産)への登録が決定された。世界遺産ブームの中、さまざまな年代・国籍の人が多く訪れるようになった一方、立ち入り禁止区域に入って落書きや悪ふざけをするなどの心無い行為・迷惑行為が問題になっている。

<原爆ドーム – Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%A0

人間の愚かさを反省する「よすが」として残す意義ある。
しかし、ただでさえ老朽化している遺物を永久に雨ざらしにするというわけにもいくまい。
あと10年くらいで建屋内保存を考えざるをえなくなるのではないか。
その場合は国家が出費するべきである。

モデルガンを改造した拳銃を大量に所持していたなどとして、熊本県警と警視庁は13日、熊本市中央区世安町、納豆製造会社「マルキン食品」会長(73)を銃刀法違反(所持)の疑いで逮捕した、と発表した。
http://www.asahi.com/national/update/0513/SEB201305130004.html

「マルキン食品」という名の会社は熊本以外にも大阪・東京などに複数存在する。
おそらくまったく関連のない別会社と思われる。

2013/05/13
 安土桃山時代末の1597年、日本人が「奴隷」としてメキシコに渡っていたことがわかった。
 ポルトガル人で同国立エヴォラ大特別研究員ルシオ・デ・ソウザさん(大航海時代史)と、東大史料編纂(へんさん)所の岡美穂子助教(日欧交渉史)がメキシコ国立文書館に残る異端審問記録で確認した。「日本人奴隷」の実態を示す貴重な資料であり、日本人の太平洋渡航を詳細に記した最初の資料としても注目される。研究成果は近く海外で出版される予定。
 審問記録には、日本名の記載はないが、名前の後ろに「ハポン(日本)」と明記された、「日本生まれ」の人物の名があった。「ガスパール・フェルナンデス」「ミゲル」「ベントゥーラ」の3人で、いずれも男性とみられる。
 ガスパールは豊後(大分県)生まれ。8歳だった1585年、長崎で日本人商人からポルトガル商人のペレスに、奴隷として3年契約7ペソで売られた。その後の詳細は不明だが、引き続きペレスのもとで、料理などの家事労働をしていたとみられる。当時のスペインで、高級オリーブオイル1本が8ペソだった。
 ベントゥーラは来歴不明だが、ミゲルは94年、ポルトガル奴隷商人がスペイン領マニラで、ペレスに売った。
 ペレスはマニラ在住時の96年、隠れユダヤ教徒として当局に逮捕され、有罪判決を受けた。次の異端審問のため一家は97年12月、マニラから太平洋航路でスペイン領メキシコ・アカプルコに移送された。その審問記録に、ペレスの「奴隷」として3人の名があった。
 ガスパールは審問で、食事内容をはじめとするペレス家の信仰の様子などを証言。その後の99年、ベントゥーラと共に、自分たちは奴隷ではないと当局に訴え、1604年に解放された。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130513-00000675-yom-soci

まるで小説のよう。
最後は解放されたんでホッとした。
帰国はできたんだろうか? それとも望郷の念を持ちながら異国の土となったか。

ガスパールとはかっこいい名前だね。

Ivo Pogorelich Plays Ravel Ondine(Gaspard de la Nuit)
on June 8th, 1983 in Japan.
イーヴォ・ポゴレリチ – ラヴェル作曲ピアノ組曲『夜のガスパール』(Gaspard de la nuit)第1曲「オンディーヌ(水の精)」(Ondine)

ちなみに筒井康隆の小説のタイトルは『朝のガスパール』(1991年発表)。

Fotos No Conocidas Del Movimiento Estudiantil, MÉXICO 1968
Facundo Guevara, Jorge Giuliano, Mercedes Sosa & Norberto Córdoba – Corazón Libre

Mexico City 1965

以下、メキシコ関連の投稿。

神奈川県警は13日、同県小田原市の市立中学校に3月に侵入、窓ガラスを割ったとして、器物損壊などの疑いで大工の少年(15)と県立高校1年の男子生徒(15)=いずれも同市=を逮捕した。2人は被害があった中学の卒業生で、事件発生は卒業式の夜だった。
 県警によると、大工の少年は、校舎の窓ガラスを割るなどの内容の歌に影響を受けたと供述。昨年末から同市内の複数の学校で相次いだ同様の事件にも触発されたとしている。
 生徒は「誘われて楽しそうなのでやった」と話している。
http://www.sanspo.com/geino/news/20130513/tro13051314020004-n1.html

大工の少年(15)は仕方ないとして、高1生徒(15)の精神年齢 低すぎないか?
かあちゃんは こげなバカ息子に産んだ覚えはなかよ。ほんなこつ 情けなかっ