小津・野田高梧ゆかりの山荘

自分で買うことは無さそう。
くれるんなら大歓迎。

セミには耳がないように思えますが、じつはセミもやはり耳をもっていて、音を聞くことができるのです。
ところで、鳴くセミはおすだけで、めすは鳴きません。おすのセミは、めすのセミに自分のいる場所を鳴き声で知らせているのです。
ミンミンゼミやツクツクボウシなどは、鳴くと、そのあとパッととびたってしまいますし、アブラゼミやニイニイゼミなどは、鳴いても、そのまま動きません。つまり、動いてめすをさがすセミと、鳴いてめすをよぶセミの2種類のセミがいるようです。
どちらにしても、おすのセミは、自分のいる場所をめすに知らせるために、あのようにうるさく鳴いているのです。親になったセミは、たった1週間か10日の命しかありません。かぎられた命の中で、生命をのこすという大切な仕事をしなければなりません。だから、あのようにはげしく鳴いてめすをよんでいるのでしょう。

<セミはどうして(あんなにうるさく)鳴くの|科学なぜなぜ110番|学研サイエンスキッズ より一部引用>
https://kids.gakken.co.jp/kagaku/110ban/text/1233.html

なるほど、あれは求愛行動、ラブコールであったか。
まぁ仕方ないね。他人(ひと)の恋路を邪魔するわけにもゆくまいて。
こっちはうるさくてしゃァないが、
せいぜい頑張って啼けばいいさ。

Sonny & Cher – Why Don’t They Let Us Fall In Love
from the album “Look At Us”(1965)

The two years that Sonny Bono put in working along side producer, Phil Spector had its benefits. He and his girlfriend/partner/wife, Cherilyn, experienced first hand what a Spector recording session at Hollywood’s Gold Star Studios entailed. Whether it be playing percussion instruments, adding handclaps or background vocals, Sonny Bono took it all in and applied it to his own recorded creations going forward. Utilizing the same ensemble of talented’Wrecking Crew’ musicians that played on the Spector dates, in the spring of 1964 a handful of recordings were made with he and Cher credited as’Caesar and Cleo. The duo would quickly change their name to simply, Sonny and Cher and then the abbreviated, Sonny & Cher. In late 1964, Sonny snagged a solo contract for Cher with Imperial Records while they would issue their records together on Atco. Cher’s debut single on Imperial,’Dream Baby’ (composed and produced by Sonny and credited to Cherilyn) is pure, girl pop’Wall of Sound’ power. While it made some noise locally in Los Angles, the record tanked nationally. The duos first Atco single, another Sonny Bono original entitled,’Just You’, is absolute sheer perfection. Another flawless, Spectoresque production that when released in the Spring of 1965, it just sat there (it would be re-promoted by Atco following their next hit record where it did make it into the Top 20). Little would the couple know that the next single would ultimately become their signature recording. ‘I Got You Babe’ was what Sonny wanted as the A-side but a pre-Atco recording entitled,’It’s Gonna Rain’ was slapped on the other side which Atlantic Records president, Ahmet Ertegun, favored pushing as the plug side. Sonny & Cher were even given a cameo appearance in the forgettable’B’ movie,’Wild On The Beach’ where they lip-synched the tune. But Sonny had such faith in’I Got You Babe’ that he cut an acetate of it at Gold Star post haste and promptly delivered it to KHJ radio jocks in L.A. when upon being sent out over the airwaves, it’lit up the switchboards’. Alas, the rest regarding’I Got You Babe’ and the success of Sonny & Cher is well known history. Of course, when an artist has a potential hit record on their hands, an LP is a must which brings us to a lovely collection of tunes by Sonny & Cher on their debut Atco long player entitled,’Look At Us’. It may have been hastily assembled but once again, the magic combination of Sonny & Cher’s vocals with Sonny’s production, arrangements by Harold Battiste, the Wrecking Crew and engineer Stan Ross at Gold Star Studios, made for a delightlful, jingle-jangly, Spectorian collection of twelve tracks. One of those stand out LP cuts is a cover of the Manny Curtis & Gilbert Becaud tune,’Let It Be Me’. Sonny slathered the production in echo and Phil Spector’s influence, creating a shimmering, atmospheric ultrasonic listening experience that is so well done, it really could have been considered for a single release. A couple of Phil Spector tunes (’Then He Kissed Me’ and’Why Don’t They Let Us Fall In Love’) in the collection of songs are given a first class’Wall of Sound’ treatment along with a nod to Motown (’You’ve Really Got A Hold On Me’) which was encircled with the echo-laden reverberation of the legendary Gold Star echo chamber. An ultimately million selling album that is highly recommended.

蝉しぐれ(ヒグラシ)
osakawalker
2009/08/14 にアップロード

大阪と奈良との県境を通るダイヤモンドトレールとよばれるハイキング道があって、ムービーは北端にある穴虫峠から少し入った二上山への登り道を撮っています。大阪ではヒグラシの鳴き声を聴くことができる機会は案外少ないのでアップしてみました。
2009年8月13日午後15時頃に撮影

以下、「蝉しぐれ」を含む投稿。

2016/08/02
国際オリンピック委員会(IOC)の主要メンバーが、リオ五輪の準備不足から、「今後は発展途上国での五輪開催を見送る可能性が高い」と発言しているという。米ウォールストリート・ジャーナル紙(1日付)が報じた。
 より幅広い地域での開催に可能性を広げるため、南米初開催のリオ五輪の成功に期待が集まっていた。しかし、リオの準備状況の悪さにIOC関係者はフラストレーションをためており、東京五輪(2020年)後、南米だけでなく、インドやアフリカなどの都市も五輪開催地に選ばれることはなさそうだという。
http://www.zakzak.co.jp/sports/etc_sports/news/20160802/spo1608021536003-n1.htm

64年の東京五輪の時、開催国日本は「発展途上」だった。
しかも「一国全体が一丸となって」というほどでもなかったのだ。それでもあれだけのことを成し遂げた。

やはり民度ということが大きいと思う。
あの頃の日本人だってロクなもんじゃなかったけど、それでも今より少しは真面目だったんじゃないか?

Betty Hall Jones ‎- Frustration, Frustration(1951)

2016/08/02
 森氏は現地時間1日早朝、国際オリンピック委員会(IOC)総会出席、リオデジャネイロ五輪視察などのため同地に到着。当初は報道陣と和やかなムードで談笑していたが、話題が小池氏に及ぶと一転、表情が険しくなった。「(小池氏の)意向を伺う必要はない。知事の下請けでやっているわけじゃない」と語気を強めた。
 当選直後の1日未明には、共同通信の電話取材に、協力的なムードを強調していた。「大会を成功させるため頑張っていきたい。当選されたのはめでたい。しっかり頑張って」と期待感も示していたのに、リオの地に着いた途端、すっかり戦闘モードに入っていた。(中略)
「小池都知事とうまくやる自信はありますか?」と問われ、「小池さん次第。私はボランティアでやっている。それをくみ取ってもらわないと」と、相手側に注文をつけた。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2016/08/02/kiji/K20160802013080410.html

2016/08/02
都議会自民党はあいさつ回りにきた小池氏を”冷遇”。小池都政は波乱含みの船出を迎えた。
 「知事と議会は両輪です。一輪車にならないように」。あいさつのため議長室を訪れた小池氏に対し、都議会の川井重勇議長(自民)は報道陣の前でクギを刺した。報道陣から小池氏と並んだ写真の撮影を求められると「あなた(報道陣)の要望に応える必要はないから」と拒否し、「どうもご苦労さまでした」と小池氏に退室を促した。
 その後、自民党控室では幹事長と政調会長が不在で、ナンバー3の高橋信博総務会長ら2人が対応。「よろしくお願いします」と握手したが、滞在は約30秒と短かった。
 高橋氏は「たまたま、ここにいたので(対応した)。それ以上のものは何もない」。幹事長、政調会長が対応した他会派との対応の差が浮き彫りになった。
http://www.sankei.com/politics/news/160802/plt1608020064-n1.html

石原慎太郎が小説『青春とはなんだ』で描いた、町を壟断する傲慢なボス のようではないか。

 参院選(6月22日公示、7月10日投開票)の前に、大分県別府市にある労働組合などが入る建物の敷地に、県警別府署の捜査員がビデオカメラ2台を隠して設置していたことがわかった。敷地に無断で入って置いたことから、県警は建造物侵入罪に当たる可能性があるとみて、設置した経緯などを調べている。署の幹部が建物の関係者に謝罪した。
http://www.asahi.com/articles/ASJ833DW0J83TIPE004.html

謝って済むんならケーサツはいらんよ。
何かネタをつかんで参院選直後にとっ捕まえる肚だったのかね?

それにしても組合や無産者政党を監視するとは、まるで大正時代か昭和初期みたいだな。
戦前ファッショ回帰が具体的の始まってるということだろう。

となれば、時あたかも関東大震災直前にさも似たり?

 

「南関東」に表われている異常とは、具体的にはどのようなものか。まず、6月後半から伊豆半島、伊豆諸島を中心に天城湯ヶ島7・08センチ、三宅8・59センチと、7センチを超える大きな変動が続いている。
「さらに長期的な隆起・沈降のデータでも伊豆諸島の三宅島が隆起している一方、近くの式根島と神津島は沈降し、その高低差は拡大を続けている。境目には相当な歪みが溜まっていると思われます」(村井氏)
「水平方向の動き」でも、伊豆諸島の大島、三宅島、御蔵島、八丈島、青ヶ島などがそれぞれ別々の方向に動いており、複数の場所で歪みが蓄積されていると考えられるという。
「複数の異常が重なったことから、『これはただ事ではない』と南関東を『レベル5』にしました。『震度6』を超える大地震がいつ起きてもおかしくない。ですから、くれぐれも警戒は怠らないでほしい。多くの人は首都直下型地震を心配しますが、関東のどこが震源になっても地盤の緩い首都圏は危ない」(村井氏)

http://news.livedoor.com/article/detail/11832610/

それが起きたら、、、

政府は戒厳令に相当する措置を執るだろうし採らざるを得ない。
それはしょうがないにしても、どさくさに紛れて気にくわないヤツを殺したり拷問したりとか、そういう事しないでほしい。

2016/08/01
テキストで書いたコンテンツをドサッと上げると、言語を形態素解析 ⇒ 文脈から意味を推測して『誰のどんなニーズに対しなにをどう伝えたいサイト』を作りたいのか?を一瞬で把握。
そこからいい感じにページ構成とレイアウトを整えて60秒で完成させてくれる。とかなんとか。

<わずか60秒。AIによる自動デザインとオートグロース可能な『FIREDROP』がweb制作を変える? – BITA デジマラボ より一部引用>
https://bita.jp/dml/firedrop-ai

現在は、まだ日本語化はされていない。日本のWEBデザインは海外とは異なる点も多いので、すぐに日本のWEB制作に影響を及ぼすとは考えにくい。
しかし、いずれは日本語化されて日本のWEB制作で運用される日が来るのは間違いない。もしくは「FIREDROP」でなく、同じようなAIが日本で登場する可能性だってある。

<WEBデザイナーはAIに職を奪われるぞ-FIREDROPの脅威- – NO TITLE より一部引用>
http://shiromatakumi.hatenablog.com/entry/2016/08/03/022315

WordPress にかまけてるうちすっかりWEBデザインから遠ざかってしまった。HTMLやCSSも十年前の知識で止まっちゃってる。
が、それで正解だった。

デザインのイロハさえ知らぬクライアントの「好み」を諾いて、上出来の我が子を手づからスポイルする辛さは精神衛生上はなはだ宜しくない。
「私のラッキーカラーはこれだから変えてちょうだい」
(おいおいそんなんじゃ客がけぇっちまうよ。そもそもこれは物販サイトでしょーが) ……みたいな。

和製と知らず、英語だと思って使っている言葉って結構ありますよね?
日本国内なら全然通じるのに英語圏じゃ伝わらない言葉、もしアメリカなんか行って使ったら笑われるか、再三聞き返される事でしょう…恐ろしすぎます。

今回はそんな「実は海外で通じない和製英語」を調査・ランキングにしてみました。
もし英語圏に旅行予定のある方は、ぜひ参考にしてみてください!

1位 オーダーメイド
2位 ノートパソコン
3位 スキンシップ
4位以降のランキング結果はこちら!

[コラム]ノートパソコンも!?実は海外で通じない「和製英語」ランキング – gooランキング
http://ranking.goo.ne.jp/column/article/3406/

和製英語が誕生する原因の一つに、業者・業界が創作して、商品名や宣伝で使い、世の中に広めてしまうというパターンがありますね。
昔は日本にはほとんど(!)日本人しかいませんでしたからそれでよかったかもしれませんが、もうこういう時代ですからね。

あるいはあえて英語圏で通じない和製英語を「売り」にするってのもアリですか?

 映画監督の小津安二郎(1903~63年)と組み、「東京物語」や「晩春」などの秀作を次々と生み出した脚本家・野田高梧こうご(1893~1968年)の業績を、残された脚本などの資料とともに紹介する「野田高梧記念蓼科シナリオ研究所」が、かつて2人が一緒に仕事をした長野県茅野市・蓼科高原に設立された。
 日本映画黄金期を支えた2人の創作の様子に触れることができる。
 脚本を共同執筆していた野田と小津は、「東京暮色」(1957年)以降は蓼科で仕事をするようになった。野田の妻・静も加わって、3人で一緒に寝起きした野田の小さな山荘「雲呼荘うんこそう」は、小津が生前使った「無芸荘」にも近く、映画監督の新藤兼人や、俳優の池部良、佐田啓二らも訪れた。創作の記録とともに、多彩な来訪者が記した文章をまとめた「蓼科日記」も刊行されている。
 雲呼荘は取り壊されて今はないが、その後、近くに建てられ、静が過ごした山荘が「新・雲呼荘」と名付けられ、今回、蓼科シナリオ研究所として公開されることになった。
 研究所は、1間に小上がりだけの木造平屋建てで、広さはかつての雲呼荘と同じぐらい。ちゃぶ台や飾り棚、文机が雲呼荘から持ち込まれたほか、「東京物語」や「秋刀魚の味」の脚本なども展示されている。脚本や著作、「蓼科日記」の原本、蔵書など約430件が保管され、一部は閲覧することも可能だ。
 緑豊かな蓼科で、2人は酒を酌み交わしては語り合い、名作を生み出した。野田の孫にあたる、同研究所の山内美智子代表理事(61)は「まずはこの場所、雰囲気を楽しんで、創造の現場とはどういうところか、想像をめぐらせてほしい」と期待する。
 蓼科シナリオ研究所は、入館料400円。公開は4月中旬から11月上旬までの午前10時~午後4時。水曜日休館。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20160802-OYT1T50042.html

もしも大金を手にしたら、鎌倉に紀子三部作に出てくるあの二階建てを再現してみたい。

藤井信子・野瀬光廣 – 愛のシナリオ
作詞:雨宮章治、作編曲:泰 長久
2度目の引用。

藤真利子 – シナリオ(1979)
2度目の引用。

  ※(略)

 

 獣魂碑は家畜を弔う石碑で、牧場主などが建立することが多い。馬をまつる「馬頭観世音像」、牛の「牛魂碑」「畜魂碑」など、題字や意匠もさまざまだ。
 牧場4代目の石橋さんにとって、獣魂碑は子供のころからよく見かけた身近な存在。市内の獣魂碑の全容をまとめ、市民に広く伝えようと思い立ち、5年前から酪農家仲間への聴き取りや古い新聞記事を集める作業を仕事の合間に続けてきた。
 調査の結果、20数基の獣魂碑が確認できた。わたすげでは昭和30年代までに建てられた比較的古い碑16基を写真付きで紹介し、場所を示す地図を付けた。
 調査した中で最古だったのが花咲金刀比羅神社(花咲港)の馬頭観世音像。1885年(明治18年)の文字がかろうじて確認できたという。歯舞酪農振興会が1957年に建立した「乳牛感謝の碑」(歯舞2)の題字は、北海道酪農の先駆者黒沢酉蔵(とりぞう)の書で、歴史的な価値があるとみられる。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doto/1-0300255.html

欧米人は捕鯨を残酷だと云って非難するが、家畜に対してさえ このように感謝と慰霊の意を捧げる感覚は 彼らには無い。

2016/07/27
 ♪あの日襲った 雨嵐 ああ 忘れはしない-。630人の死者・行方不明者が出た諫早大水害(1957年7月25日)の犠牲者にささげようと作られた歌謡曲「万灯川」がキングレコードからCD化され、諫早市内で発売された。
 作詞、作曲、歌とも市民による”オール諫早”の作品。作詞とプロデュースを手掛けた音楽プロデューサーの田中禮次郎さん=諫早市永昌東町=は「歌という形で大水害を記録に残し、事実を風化させないようにしていきたい」と話している。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/nagasaki/article/261692

諫早万灯川まつり紹介映像(new ver.)
kawamtr
2012/07/03 に公開

毎年7月25日に1957年(昭和32年)の諫早大水害で犠牲になられた方々の慰霊祭を行っています。日が暮れると諫早市の中心を流れる本明川の中流域一帯が23000個の万灯で埋め尽くされ、幻想的な光景が人々を魅了します。

慰霊といえば、あまり大きく報じられてはいないけれども、この祭りも有名な慰霊祭だ。

1957(昭和32)年。
ジラード事件、旧都庁落成、チャタレー裁判決着、売春防止法施行、初代プリンス・スカイライン発売、フィルター付きたばこホープ発売、トヨペット・コロナ発売、東京都の人口がロンドンを抜き世界一、上掲の諫早豪雨、スプートニク打ち上げ成功、ダットサン210発売、長嶋茂雄巨人入団、五千円紙幣・百円硬貨発行。
そして以下に引用したリトルロック高校事件は9月。
意外なのはコカ・コーラの日本での「販売開始」がこの年だった(もちろんそれまで日本国内で入手できなかったわけではない)。

2016/07/28
Answer Sheet
Little Rock schools desegregated 59 years old. Now ‘we are retreating to 1957.’
Anyone familiar with efforts to desegregate public schools in this country knows about Central High School in Little Rock, Ark., where, in 1957, nine black students enrolled at the then all-white school to test the landmark 1954 Supreme Court ruling in Brown v. Board of Education of Topeka that declared public school segregation unconstitutional. The students were barred from entering the school on Sept. 4, 1957, by National Guard called in by then-Gov. Orval Faubus, but on Sept. 25, federal troops ordered by then-President Dwight D. Eisenhower, escorted them into the school and they started their first full day.
But there is a new story of Central High — and school segregation — that needs to be told, and in this post, Jeff Bryant does just that. Bryant, director of the Education Opportunity Network, a partnership effort of the Institute for America’s Future and the Opportunity to Learn Campaign. He has written extensively about public education policy. This first appeared on Alternet.org, and I have permission to republish it.
https://www.washingtonpost.com/news/answer-sheet/wp/2016/07/28/little-rock-schools-desegregated-59-years-old-now-we-are-retreating-to-1957/

リトルロックの高校で人種差別撤廃運動が始まってから59年が経とうとしてるのに、今また差別が渦巻いていたあの1957年に戻ってしまったかのようだ という話題。

4th September 1957: Black students denied entry to Little Rock High School
HistoryPod
2015/09/03 に公開

2016/08/01
BMW restores Elvis Presley’s 1957 BMW 507
Two years ago it was a case of “now or never” for the restoration of a decrepit classic once owned by the King of Rock’n’ Roll, Elvis Presley.
The BMW 507, considered by many to be one of the most beautiful roadsters ever made, had been found rusting away in a barn near San Francisco in 2014.
BMW’s Classic Group stepped in and have completed an amazing ground-up restoration with the result of their work to be unveiled publicly for the first time on August 21 at the Pebble Beach Concours d’Elegance in the US.
It was March 1958 when Presley – who died August 16, 1977 – fell in love with the 1957 BMW 507 roadster.
http://www.stuff.co.nz/motoring/customs-classics/82682892/bmw-restores-elvis-presleys-1957-bmw-507

Lost and Found: Elvis Presley’s 1957 BMW 507

かつてプレスリーが所有していたBMW507が2年以上の歳月をかけて復元されたという話。

1957年に Hip だったのは 例えばこんな音楽。
(ジャケ写のポーズ、これにクリソツだよね)
160803_02

160803_01The Platters ‎- Rock And Roll With The Platters Vol. 1
レーベル: Mercury ‎– EP 60026
フォーマット: Vinyl, 7″, 45 RPM, EP
国・地域: Italy
リリース: 1957
ジャンル: Rock
スタイル: Rock & Roll

収録曲:
Rock’N’ Roll With Chuck Miller
A1 Chuck Miller – Cool It Baby
  David Carroll’s Orchestra
A2 Chuck Miller – Vim Vam Vamoose
  David Carroll’s Orchestra

Rock’N’ Roll With The Platters
B1 The Platters – Only You
B2 The Platters – The Great Pretender
https://www.discogs.com/ja/Platters-Rock-And-Roll-With-The-Platters-Vol-1/release/918086

Chuck Miller – Cool It Baby!(1956)
from the 20th Century Fox Production “teeage Rebel”
Orchestra Conducted by David Carroll

<参考>
Eddie Fontaine – Cool It Baby!(1956)

Chuck Miller – Vim Vam Vamoose(1956)
Orchestra Conducted by David Carroll

 

追加記事

(2016年8月6日)

追加記事

Arkansas National Guard Prevent School Desegregation – 1957 | Today in History | 4 Sept 16

British Movietone
2016/09/03 に公開
On September 4, 1957, Arkansas Gov. Orval Faubus used Arkansas National Guardsmen to prevent nine black students from entering all-white Central High School in Little Rock.
Little Rock, Arkansas, the white population are determined to prevent coloured students from going to the school their own children attend. A near riot developed and police made a number of arrests among the ring-leaders of the white pickets. Later, the Central High School was sealed off, by orders of the Governor, who called out the State National Guard. President Eisenhower then sent five hundred troops to Little Rock to keep law and order.

(2016年9月3日)

追加記事

(2022年12月22日)

追加記事

2023/07/22 06:01
「東京物語」などの名作を手がけた日本映画の巨匠、小津安二郎監督が太平洋戦争のさなかに発表しながらも戦後、GHQによる検閲を受けて一部のシーンがカットされた作品の復元が行われ、オリジナルに近い形で来月末から開かれるベネチア国際映画祭に出品されることになりました。
小津安二郎監督は「小津調」と呼ばれるローポジションの構図など独自の撮影手法や演出を確立し、1963年に60歳で亡くなるまで、世界的にも高く評価される映画を数多く手がけました。
中でも「父ありき」という映画は、戦時中の日本を舞台に、笠智衆さん演じる教師の男性とその息子の交流を描き、小津監督が唯一、太平洋戦争のさなかに発表した作品です。
終戦後、作品を上映する際にGHQから検閲を受けたため、特定のシーンがカットされたフィルムしか残っていないとみられていましたが、その後、ロシアにある映画の保存機関で検閲前のフィルムの一部が見つかり、日本の国立映画アーカイブで収蔵していました。
こうした中、映画会社の「松竹」などはことし、小津監督の生誕120周年にあわせて、検閲前後のフィルムを4K映像で収録し、カットされたシーンを含めたオリジナルに近い形の作品に復元したということです。
今回の復元版には、主人公の男性が国家や主君への忠義を歌っている「正気歌」を吟じる場面や戦時中、出征する兵士を見送る際によく歌われた「海ゆかば」が流れるエンディングの音楽など、検閲でカットされた内容が含まれています。
映画は来月末から開かれる世界3大映画祭の1つ、ベネチア国際映画祭の過去の名作を上映する部門に出品されるほか、ことし10月には東京国際映画祭での上映も決まっています。
映画の復元に携わった国立映画アーカイブの大澤浄主任研究員は「小津監督が戦時中に戦争とどう向き合い、描いたのかを伝えるこの作品をオリジナルの姿で見てもらうことは意義がある。国籍や年代は関係なく、作品を通じて新しい発見があるのではないか」と話しています。

<小津安二郎監督の検閲受け一部カットされた作品を復元 上映へ | NHKニュース より一部引用>
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230722/k10014138471000.html

(2023年7月22日)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です