歌手の藤圭子さんが2013年8月22日午前7時頃、東京・新宿区内のマンションの敷地内で倒れているのを発見され、亡くなっていたことがわかった。
藤さんといえば、かつて『圭子の夢は夜ひらく』や『女のブルース』で一世を風靡。1960年代~1970年代を代表する歌手のひとりである。また、藤さんの歌手時代を知らない世代にも宇多田ヒカルさんの母として知られている。
その藤さんが62歳という若さで亡くなった。藤さんは飛び降り自殺を図ったものと見られており、この突然の訃報に多くの人が驚きの声をあげている。
http://rocketnews24.com/2013/08/22/361099/
歌手の藤圭子さんが飛び降り自殺したとみられる東京都新宿区西新宿の高層マンション周辺には、100人以上の報道陣が詰めかけ、一時騒然とした雰囲気に包まれた。
現場は、JR新宿駅の北西約1キロで、オフィスビルや高層マンションが建ち並ぶ一角。向かいのマンションに住む男性会社員(55)によると、午前7時ごろ、「ドーン」という大きな音が聞こえ、その後にサイレンを鳴らした救急車やパトカーが続々と集まってきたという。
男性は「外に出ると、路上に直径1メートルぐらいの血だまりが広がっていた。直前に言い争う声など変わった様子はなかったが、飛び降りたのが藤さんだと知ってびっくりしている」と驚いた様子で話した。
藤さんは22日午前7時ごろ、マンション前の路上であおむけの状態で倒れているのが見つかった。病院に搬送されたが、間もなく死亡した。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130822/crm13082215200017-n1.htm
極貧生活から急にスターになったせいか、金銭感覚が面妖(おかし)くなってた部分があったようだ。
知名度もヒット曲もあるので芸能活動に支障はないはずだが、果たして昔のように声が出るのか、どうもそこが怪しかった。
1974年のポリープ除去手術で「藤圭子」の声は失われてしまったのではないか。
そして、今回の仕儀である。
デビュー時のキャッチフレーズ「演歌の星を背負った宿命の少女!!」ではないが、あるいは元から何か問題があったものか。

初めてテレビで藤圭子を見たとき、こんな整った顔の人がいるのかと驚いた。
そして歌声を聞き、もう一度驚いた。
この若さであのハスキーボイス、どーなってるの?! ッてね。
(下左)明星1970年7月号第1付録『The Myojo Young Song』表紙
(上右)明星1970年12月号第1付録『The Myojo Young Song』表紙

(左)同 8ページ 人気曲投票で藤圭子の『命預けます』が同月第1位に。
この時期になるとバラエティ番組でコントなどにも挑戦し、人気はアイドル並に。
相対的にデビュー時の凄絶な雰囲気が薄れていった。
「西新宿の高層マンション」とはここだと、ネットでは専ら。
古い新宿と新しい新宿のちょうど境い目にある建物。かなり良さげな物件だが駅からは遠い。電車通勤には不向きか?
『新宿の女』でスターになり、西新宿で生涯を終えた。
かなり「さみしがり屋」の性格だったそうだが、新宿というゴチャゴチャした感じが気に入ってたのかもしれない。
追加記事
2013/08/25
歌手の藤圭子(62)の自殺から3日。芸能界は、いまだ大きなショックに包まれている。
昭和44年「新宿の女」でデビューし、自殺の場所も新宿……。藤圭子と新宿という街には、不思議な因縁がある。
実は、新宿の2つの神社には、彼女の代表曲の歌碑が建っている。
花園神社(新宿区新宿5―17―3)にある芸能浅間神社の脇には、代表曲「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑がある。
同神社は、江戸時代から芝居や舞踊の興行に縁が深く、歌舞伎町など歓楽街が近いこともあり、芸能関係者が祈願に足を運ぶことで有名だが、この日は休日にもかかわらずひっそり。歌碑にはファンからと思われる花が供えられていたが、意外なほど少なかった。
神社に聞くと、「藤圭子さんがお亡くなりになったということで、神社の参拝客はやや増えたでしょうか。歌碑に供えられる花も多くはありません。花は毎夜撤去します」とのこと。
花園神社から歩いて10分ほどの西向天神社(新宿区新宿6―21―1)にあるのは、デビュー曲「新宿の女」の歌碑だ。
西向天神社は、「新宿の女」のキャンペーンのため、藤圭子が新宿の飲み屋街を25時間ぶっ続けで流す「新宿25時間キャンペーン」のスタートの場所だったが、当日は花園神社以上に静か。歌碑には花もなく、聞こえるのは蝉の声だけ。
どちらの歌碑も、作詞を担当した石坂まさをの作詞家活動30周年を記念し、平成11年に建てられた。その石坂氏は今年3月9日、長い闘病生活の末71歳で亡くなっている。
http://gendai.net/news/view/110216
花園神社のほかにも歌碑があるとは知らなんだ。
2013/08/26
宇多田ヒカル、母親の死についてオフィシャル・サイトでコメントを発表
宇多田ヒカルが、8月22日に亡くなった母親・藤圭子についてのコメントをオフィシャル・サイトで発表した。宇多田ヒカルのオフィシャル・サイトはこちらから。
http://www.emimusic.jp/hikki/オフィシャル・サイトに掲載されたコメントは以下の通り。
―――――――――――――
8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。さまざまな臆測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。
彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。
その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。
母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。
悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。
ありがとうございました。―――――――――――――
http://ro69.jp/news/detail/87726
2013/08/26
前夫で音楽プロデューサー・宇多田照実氏(65)が26日、娘で歌手の宇多田ヒカル(30)の公式サイトで、藤さんへの思いや家族が離れた経緯について長文で明かしている。
(中略)
さらに、「通夜、葬儀に関しては、故人の遺言書に書かれていた本人の強い意志に従い、執り行わないことにしました」と報告すると、長年寄り添ってき藤さんへの想いやこれまでの思い出を赤裸々に告白した。
当初、藤さんについて「出会った頃から彼女には感情の不安定さが見受けられましたが、心を病んでいるというよりも、類い稀な『気まぐれ』な人としか受け止めていませんでした」と明かし、「僕にとっては十分に対応出来る範囲と捉えていました」と吐露。それでも、娘の宇多田ヒカルが5歳になるぐらいに感情の変化がより著しくなり始めたとし、「自分の母親、故竹山澄子氏、に対しても、攻撃的な発言や行動が見られるようになり、光と僕もいつの間にか彼女にとって攻撃の対象となっていきました」と明かした。
藤さんの感情は頻繁に変わったといい、攻撃的な発言をしても「数分後にはいつも、『ゴメン、また迷惑かけちゃったね。』と自分から反省する日々が長い間続きました」といい、「病院で診察を受け、適切な治療を受けるよう勧めたことも多々ありましたが、このアドバイスは逆に、僕に対する不信感を抱かせることとなってしまいました」と、関係が決裂した理由についても説明。その結果、「本人が拒絶し続けた治療が成されないまま、彼女の苦しみは年を追うごとに重症化したものと思われます」と推測している。
また、「直近の12年間は、好きな旅に思い立ったら出かけるという生活を送っていました。アメリカは一回の入国で最長5年間の滞在許可がもらえるビザを取得し、ニューヨークを拠点に、ヨーロッパ各国、米国各地、オーストラリアなどを気の向くまま、頻繁に旅していました」と海外で暮らしていたといい、その間にも「光と僕には昼夜を問わず、予期せぬ時間に電話連絡が入り、『元気?』という普通の会話が交わされる時もあれば心当たりのない理由で罵声を浴びせられる時もあり、相変わらず心の不安定さを感じさせられてとても気がかりでした」と、精神的には不安定だったとした。
(以下略)
http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/oricon_2027988
やはり気を病んでいたのか。憐れである。
竹脇昌作・竹脇無我のことが連想された。
合掌
藤圭子 – 新宿の女(1969)
3度目の引用。
(2013年8月26日)
追加記事
『長崎は今日も雨だった』
藤圭子バージョン
唄: 藤圭子/作詞: 永田貴子
作曲: 彩木雅夫/編曲: 森岡賢一郎
(音源1970年10月渋谷公会堂)
1971年にオリジナル歌手の前川清さんと結婚
(@retoro_mode) pic.twitter.com/uMlKKAcGY3— 女たれがよい枡屋の娘 (@masuya_girl) 2017年4月25日
(2017年11月6日)
追加記事
こんな素敵なロビーカードが手に入りました!
昭和45年「盛り場流し唄、新宿の女」
小松政夫さん、若い~! pic.twitter.com/xERd9LiIPE— 甲斐古堂(kaifurudo) (@c6UzwCMsPDoJDKJ) 2018年9月23日
(2018年9月23日)

