「東洋の魔女」河西昌枝逝く

 1964年東京五輪のバレーボール女子で金メダルを獲得し、「東洋の魔女」と呼ばれた日本代表で主将だった中村(旧姓河西)昌枝さんが3日午前0時半、死去した。日本バレーボール協会が親族に確認した。80歳。山梨県出身。
 54年の日紡貝塚発足に合わせ、日紡足利から移籍。9人制から6人制に切り替えて世界を目指すチームの方針で、アタッカーからセッターに転向した。
http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2013/10/03/20kawanishi/

 1964年東京五輪のバレーボール女子で金メダルを獲得し、「東洋の魔女」と呼ばれた日本代表で主将だった中村(旧姓河西)昌枝さんが3日午前0時半、死去した。日本バレーボール協会が親族に確認した。80歳。山梨県出身。
 54年の日紡貝塚発足に合わせ、日紡足利から移籍。9人制から6人制に切り替えて世界を目指すチームの方針で、アタッカーからセッターに転向した。

 「夢と希望と感動を与える最高の機会になることを願います」。3日亡くなった元女子バレー日本代表主将、中村(旧姓河西)昌枝さんは今年9月8日、2020年の東京五輪開催が決まったことを受けて、こうコメント。「五輪に出ることではなく、勝つことを目標に練習に励んでほしい」と後進にエールを送っていた。
 山梨県立巨摩(こま)高校から日紡に入社し、東京五輪では主将兼コーチとして出場。五輪では全試合中、落としたセットは1セットだけという圧倒的な実力を見せつけ頂点に立った。優勝決定戦となったソ連戦の視聴率は66・8%となり、高度成長期の日本を活気づけた。
 引退後はバレーボール界の要職を歴任するとともに、長年にわたりママさんバレーの指導などにあたっていた中村さん。昨年10月には、所属した日紡貝塚の地元、大阪府貝塚市を「東洋の魔女」6人で訪問し、講演会やバレーボール講習会に参加したという。
http://www.zakzak.co.jp/sports/etc_sports/news/20131003/spo1310031552002-n1.htm

東洋の魔女 東京五輪 日本女子バレー ソビエト決勝戦 第3セット後半

  ※(追記:この動画は削除されました

 

感動をありがとう! ご冥福をお祈りします。

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