娘という娘は ヨロレイヒ~ フラフラと…

以下、「そっくり」「類似」「似ている」「似て非なるもの」「さも似たり」「さながら」「宛ら」「宛然」「クリソツ」「パクリ」「模造品」「まがいもの」「にせもの」「ニセモノ」「イミテーション」「の・ようなもの」等を含む投稿。

全電源喪失の記憶: 証言・福島第1原発 日本の命運を賭けた5日間(新潮文庫)
作者:高橋 秀樹
出版社:新潮社
発売日:2018-02-28
(中略)
一方、原子力発電所の原子炉は、大地震の揺れを受けて運転を停止します。ここまでは順調でした。しかし、想定外の事態が起きます。地震で発生した大津波が防潮堤を越え、原発の敷地内に流れ込んだのです。濁流は原子炉建屋の中まで浸入。自家発電装置が水に浸(つ)かり、運転を停止します。
事故の後になって、大津波が防潮堤を越える危険性が指摘されていたことが判明しますが、東京電力は、そこまでの対策を取っていませんでした。「想定外」という言葉がしきりに発せられました。
さらに自家発電装置が地下に設置されていたことが、被害を食い止めることができない原因となりました。たとえ津波の濁流が敷地内に入ってきても、自家発電装置が高い場所に設置してあれば、全電源喪失には至らなかったでしょう。
電源を喪失したことで、原子炉内を冷却水が循環しなくなります。運転を停止しても、燃料棒は高熱を発しています。冷却し続けなくてはならないのですが、それが不可能になります。原子炉内に留まった水は高熱により沸騰。水蒸気となったために原子炉内の水量が減少。燃料棒はむき出しとなり、燃料棒を覆っているジルコニウム合金が高熱で溶けます。ここから水素が発生。水素が建屋内に充満し、酸素と触れて爆発。水素爆発です。これで建屋の屋根が吹き飛びました。
水素爆発の映像は福島中央テレビだけが放送しました。これが後に「他の放送局はパニックを防ぐために映像を使わなかったのではないか」という推測を呼ぶことになります。実際は、NHKも含め各放送局が原発を常に映し出すカメラを設置していましたが、最初の大地震でカメラが傾いたりして、原発を撮影できなくなっていたのです。
福島中央テレビは日本テレビ系列の地方局。爆発の映像は日本テレビ系列のネットワーク(NNN)によって全国に伝わりました。
このとき東京電力本店や政府は炉心溶融(メルトダウン)という言葉を頑として使おうとはしませんでしたが、実際には現場でこの言葉が飛び交っていたことがわかります。
当時、菅直人総理は、周囲の制止を振り切ってヘリコプターで現地に乗り込みます。このときの言動が、その後大きな問題になりますが、実際にはどんなやりとりがあったのかも、この書で明らかになります。指揮官はどうあるべきなのか。彼の言動から学べることもまた多いでしょう。
これ以降の経緯は本書の記述に譲りましょう。現場にいた人たちは、東日本が壊滅する事態すら覚悟していたことがわかります。共同通信の記者たちの綿密な取材によって、あのとき、現場で何が起きていたかが見事に再現されます。
事故の後、吉田所長は、政府による「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の聴取に応じますが、内容は非公開にするように依頼。内容はわからないままでした。
しかし、吉田所長が死去した翌年、朝日新聞が、吉田所長の「聴取結果書」(通称「吉田調書」)の内容を、「福島第1の所員、命令違反し撤退、吉田調書で判明」などと特ダネとして報じます。
しかし、共同通信など他の報道機関の報道により、この記述は事実と異なることを朝日新聞が認め、社長の謝罪に追い込まれます。
あのとき、実際はどのようなやりとりがあったのか。本書により、そのときの微妙なニュアンスも含めて明らかになります。これぞ調査報道の真骨頂でしょう。

<『全電源喪失の記憶 証言・福島第1原発 日本の命運を賭けた5日間』あのとき何があったのか 文庫解説 by 池上 彰 – HONZ より一部引用>
http://honz.jp/articles/-/44665

あの時の御用学者めらの名前、大嘘の数々はよく憶えている。
テレビ局も毎日とっかえひっかえ番組に出して喋らせていたよなぁ。どう考えても共犯だよ。
もはや学者の名に値せぬ権力の走狗どもの無恥無慙なる醜態は、我が脳髄に深く焼き付いて、生々世々 忘じがたく候 だ。

キー局のTBSからは全国ニュースで扱いたいので、出稿するようにとあらかじめ依頼がきていた。
大森さんは事故後、福島市内での空間放射線量も大気中の放射性物質も減少し、子供たちが思いっきり外で運動会ができるようになった喜びこそがニュースだと考え、TBSに映像と原稿を送ったところだった。
「マスクをつけて運動会をやっているのは異常ですよね」
電話越しに注文が入る。
「あの、子供たちのマスクの絵はないんですか?マスクをつけて運動会をやっているのは異常ですよね。
この異常さこそニュースなんだから、マスクの絵をください。それがないとニュースじゃないでしょ。NHKはマスクの絵を流していますよ」
この一言に、大森さんは怒った。低学年の玉入れで、マスクをつけて競技をした場面があったことは事実である。
しかし、それは誤って落ちた玉を口に入れないようにと震災前からやっていたことだった。
震災前からやっていたマスクのどこがニュースなのか。
マスク=被ばく対策という文脈をつかって、福島で運動会をやることが「異常だ」と報じたいのか。それは事実に反している、という怒りだった。

<【あの日から7年】福島のリアルを伝え続けたテレビマンは、なぜ村職員になったのか? 「東京マスコミ」との戦いの果てに… – BuzzFeed より一部引用>
https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/makoto-omori

終戦後、外地に残って独立戦争に参加した日本兵がいた。

手塚治虫の『W3(ワンダースリー)』。
あの宇宙人たちは最後には自らの意思で地球人になってしまう。

真相、実相を知ってしまうと、もうあとには戻れない ということが人生には確かにあるし、おれにもあった。

以下、「ビルマの竪琴」を含む投稿。

ドイツ国旗の配色は「黒・赤・黄」じゃなかった!?ドイツ大使館「(黄色ではない)」との発言に衝撃を受ける人々「43年間生きてきて初めて知った」
https://togetter.com/li/1206959

現在のドイツ連邦共和国の国旗は、上から順に黒・赤・金の三色で構成されている。国旗の規定はドイツ連邦共和国基本法の第22条第2項に規定されている。

<ドイツの国旗 – Wikipedia より一部引用>

黒、赤、黄(金)の三色は、19世紀始めナポレオン軍との戦いに参戦した学生義勇軍の軍服の色を取り入れたもので、黒いマント、赤い肩章、金ボタンに由来し、自由と統一の象徴とされている。また同時に、黒・赤・黄の3色がそれぞれ勤勉・情熱・名誉を表わすとも言われている。

<世界の国旗図鑑 – ドイツの国旗 黒赤金旗 より一部引用>
http://www.sarago.co.jp/nfhtm/de.html

「黄色でなく金だ」というならせめて実物の旗で金箔くらいは使ってほしい。

スイス外務省は9日、スイス通信に対し、トランプ米大統領が受け入れを表明した北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長との首脳会談について、関係者にスイスでの開催を働き掛けていることを明らかにした。地元テレビの関連メディアが報じた。
 スイス外務省は会談開催について「すべての関係者に接触している」と説明し、日時や場所の決定は当事者に委ねる姿勢を示した。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018031000591&g=int

非同盟路線を貫くスイス。
物価は高いし、国民皆兵でみんな武器を持ってるし、徴兵制だし、日本人からすると暮らしにくそうなイメージがある。
預金者の情報秘匿がアングラ・マネーの温床になっているとの批判を受け、近年はだいぶ協調的な姿勢を見せてはいるが、正体の知れぬ不気味さを感じている人も多いのでは?

今回は金正恩がかつて留学していた縁で「しゃしゃり出てきた」のかな。

トランプと金正恩。
似た者同士が肝胆相照らす仲となれるかどうか。

She Taught Me How To Yodel スイスの娘

Taylor Ware – He Taught Me How To Yodel(2007)

中野忠晴、ナカノ リズム ボーイズ – 山の人気者(1946)
“The Alpine Milkman”

以下、「Swiss」「Switzer」「Switzerland」「スイス」関連記事を含む投稿。

以下、カテゴリー「スイスのROCK/POPS」。

以下、「山の人気者」「ウエスタン・ヨーデル」を含む投稿。

以下、「ヨーデル」「Yodel」「Jodeln」を含む投稿。

 和歌山県紀の川市の男性市議(72)が2月、市立中学校の女子生徒の自転車の前かごに死にかけのハトを入れ、後に生徒の保護者らに謝罪したことが9日、市教委や学校への取材で分かった。市議は産経新聞の取材に事実関係を認め、「命の大切さを知ってもらいたかった」としたが、「ショックを受けたなら(生徒本人にも)謝りたい」と述べた。
 市教委などによると、市議は2月22日、友人と下校中の生徒を呼び止め、「(ハトのために)何かしたらなあかん」と生徒が押していた自転車の前かごに、車にはねられたハトを入れた。生徒が驚いたため市議はハトをかごから回収。ハトは間もなく死んだ。
 23日に生徒の保護者が学校に「子供が自転車のかごに鳥を入れられた。自転車に乗りたくないと言っている」と連絡。学校が他の生徒への聞き取りをし、市議が浮上した。
 校長が市議に事情を聴くと、市議は行為を認め、24日に生徒の保護者に謝罪した。
 学校によると、生徒は現在、普段通り登校できているが、精神的なショックが大きく、教員らが心のケアを続けているという。

<女子中学生の自転車かご 市議が瀕死のハト入れる ハトのため「何かしたらなあかん」、和歌山・紀の川 – 産経WEST より一部引用>
http://www.sankei.com/west/news/180310/wst1803100013-n1.html

可愛い感じの中学生だったんだろうな。
72歳にもなって市議が務まるなんて、よほど頑丈な人だね。

以下、「鳩」「Dove」「Pigeon」を含む投稿。

2018/03/07
 番組では、「栄和人氏指導哲学は『選手と恋愛する』 行き過ぎた愛情?教え子のためにマンションを購入!」と題し、栄氏の恋愛に絡めた指導方針や過去の言動を紹介。それによると、女子選手を指導するにあたって「好きにならないと本気で指導できない。俺は(至学館大学で練習する選手は)みんな好き。恋愛していると思っている」と語っているという。
 しかも、その指導哲学として、自費でマンションも購入し、選手を住まわせることや、1日24時間、1年365日、食事から昼寝、掃除洗濯など、プライベートまで管理する徹底ぶりだとか。伊調選手も、吉田沙保里選手も、高校時代は栄氏のマンションに住んでいたそうだ。
 また番組では、元週刊文春の記者・中村竜太郎氏が「私が聞いているところでは、近々、文春や新潮でパワハラ問題だけではない新たな栄監督とレスリング協会のスキャンダルが報じられるという情報がある。けっこうややこしい話になると思う」と、そのスキャンダルの詳細は語らなかったものの、栄氏は、今回のパワハラ騒動だけでは終わらない可能性が高いことを匂わせた。

<教え子と恋愛するのが哲学?レスリング栄和人氏に醜聞続々で芸能界からも非難の声 ニコニコニュース より一部引用>
http://news.nicovideo.jp/watch/nw3342918

コーチと選手。
恋愛関係になって伸びるかダメになるか、どっちかしかない。

以下、「セックス・チェック 第二の性」を含む投稿。

春も近いことだし、ここいらで昔の恋愛ソングでも、ど~ぞ。

The Beach Boys – I Do Love You
from the album “The Beach Boys”(ビーチ・ボーイズ’85)(1985)
composed by Stevie Wonder

◆    ◆    ◆

Heart – What About Love?(1985/05 stereo 45)
ハート – ホワット・アバウト・ラヴ

produced by Ron Nevison
Pop Chart Peaks: Billboard 10, Cash Box 17 – 1988 UK Peaks (reissue of uncharted 1985 release): 11 (MM), 14 (Gallup, NME)
Grace Slick was among the backup vocalists on this lead single from Heart’s self-titled quintuple-platinum 1985 album. The song had originally been recorded in 1982 by the Canadian band called Toronto

Toronto – What About Love
from the album “Girls Night Out”(Canada:1983)CD bonus track(2004)
from the album “Get It On Credit”(Canada:1982)CD bonus track(2002)

◆    ◆    ◆

Johnnie Taylor – What About My Love(1982/08)

◆    ◆    ◆

Johnnie Taylor – Ain’t That Lovin’ You(With Tasha Taylor)
from the album “Live At The Longhorn Ballroom”(2001)

Johnnie Taylor – Ain’t That Lovin You(For More Reasons Than One)(1967/01/11)
Composer: Banks, Jones
ジミー・リードのヒット “Ain’t That Lovin’ You” とは別の楽曲。

◆    ◆    ◆

Dottie West – What Are We Doin’ In Love(1981/03 stereo 45)
ドティ・ウエスト、ケニー・ロジャース
性格や好みが正反対の男と女の恋。

with uncredited Kenny Rogers
produced by Brent Maher & Randy Goodrum
Pop Chart Peaks: Billboard 14, Cash Box 15, Record World 19 – C&W Peak: 1 – A/C Peak: 7
From her “Wild West” LP came the duo’s third number-one country single (but her only pop Top 40 appearance). Though not named on the 45 label, Kenny received special thanks in the album notes.

Suzie & Big Dee Irwin – I Can’t Get Over You(Sweden:1966, UK:1966/07)

Nineteen year old Dutch recording star, SUZIE, teamed up with USA’s, BIG DEE IRWIN for this sweet little ditty. Co-composed by Irwin,’I Can’t Get Over You’ along with three other tracks were recorded in Sweden and issued there on a 4 track 45 r.p.m. EP and also on two separate single releases. ‘I Can’t Get Over You’ backed with’Ain’t That Loving You Baby’ was also issued in the United Kingdom on Polydor Records.

The Salisbury Twins – Am I In Love(1964/06)
シングル “He’ll Never Know What Hit Him” のB面。
冒頭に語り。

The Beachcombers – This Is My Love(1964/06)

Lou Perry – Bring Back Your Love(1964)

Out of Los Angeles, probably the most enjoyable of the relatively few singles to be issued on the Fred Darian affiliated label, Cordak Records. Recorded at Hollywood’s Gold Star Studio,’Bring Back Your Love’ is a rather large,’Wall of Sound’ production with a drum filled and string laden backing track arranged by Lanny Duncan. Duncan had recorded some teen sides on Candix and Silver Streak and he and his brother Robert, composed songs individually or together for several surf/instrumental groups. Most notably, the songs were for singles recorded by L.A.’s’Wrecking Crew’ that were issued as the Routers and the Marketts. As vocalists, the duo recorded a pair of fine singles for Capitol as the Duncan Brothers in 1966 where they were once again joined by producer Fred Darian and Al de Lory.

The Ultimates – I Can Tell You Love Me Too(1961)

Walter Feldkamp & his Manor Orchestra – Here You Come With Love(1933)
vocal: Dick Wilson

recorded in NYC c. August 1933
The flip side is “Trouble In Paradise”. Between August 1932 and August 1933 Crown produced a number of recordings that were issued with label credit given to one or the other of the Feldkamp brothers. Bandleader Walter played piano and apparently directed most of these sessions while younger brother Elmer played reeds and sang on some of the tracks.

Ted Lewis and his Band – Here You Come With Love(1933)

recorded in Chicago July 28, 1933
Great Lewis track from his final Columbia session, closing out nearly 14 years with the label prior to his move to Decca. “Here You Come With Love” is also available here on the MusicProf78 channel (including vocals) by the bands of Bert Lown and Walter Feldkamp

Bert Lown and his Orchestra – Here You Come With Love(1933)
vocal: Ed Farley

recorded in NYC June 14, 1933
This and the posted flipside “Moonstruck” were among the eight tracks turned out at the final commercial dance band session credited to the Bert Lown orchestra. Vocalist Farley was one of the band’s trumpet players.

Tom Gerun and his Orchestra – My Love For You(1930)
vocal: Frank Sylvano

recorded in Chicago c. November 10, 1930
for flip side is “Cheerful Little Earful.”

 

このテの店へ、サードの助監督とともに小道具を買いに行った記憶がある。
学校出たばかりだから、まだ はたち前後のころ。
あの助監、まだ生きてるかな?

追加記事

2018/06/18
 最近、スウェーデン政府の民間緊急事態庁(Civil Contingencies Agency)は、「もし、危機や戦争になったら(If Crisis Or War Comes)」というタイトルの、危機や戦争への備えをまとめた小冊子を作成し、470万全世帯に配布した。
(中略)
 小冊子の中でスウェーデン政府は、対応すべき脅威として軍事紛争だけでなく、異常気象、サイバー攻撃、災害や偶発事案なども挙げている。
 「我々の周りの世界が変わり、政府はスウェーデンの総合防衛(Total defence)の強化を決めた。平時の緊急事態への備えは、戦時の抗堪力(resilience)の重要な基礎になる」 と述べ、いかなる手段を使ってでも侵入者に抵抗するよう、全国民に指示している。
 また、小冊子は、「スウェーデンが他国から攻撃を受けた場合、我々は絶対にあきらめない。抵抗をやめるよう促す情報は、すべてニセ情報だ」と強く訴えている。
 ロシアが圧倒的な軍事力で自国領土を攻撃する「本物の危機」への対応だけではない。
 平時に、不意にサイバー攻撃を仕かけたり、国民の抵抗心や進んで自らを守ろうとする意志を弱めるような偽情報や敵対的プロパガンダを流す工作など、非対称戦への警戒も呼びかける内容となっている。

<ロシアに備えるスウェーデン、戦時の対応を国民に配布 欧州では徴兵制復活も、甘すぎる日本の対応 JBpress(日本ビジネスプレス) より一部引用>
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53336

(2018年6月18日)