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子供の頃「フジヤマ・ママ」なんていうロックンロールが流行っていて、歌詞にはヒロシマという言葉があった。それは原爆が爆発するようにママにはエネルギーがあるという比喩に使われていた。一九五〇年代、アメリカの一般人にとっては、原爆がそんな風にヒット曲の歌詞に歌われても、抵抗ないものだったのだろう。
<鈴木幸一『まだ宵の口』 週刊文春2009年5月21日号P89より一部引用>
『フジヤマ・ママ』への言及は珍しいので、記事をクリップさせていただきました。
たしかによく考えてみると、詞の内容がやや国辱的ではあります。
原爆を落とした国が軽々にこうした歌を作り、それがそれなりにヒットしてしまったのは、アメリカの軍や政府が厳重に情報統制をし、その惨状が国民の耳目に届かぬようにしたことが背景にあったからと推察されます。つまり事実の隠蔽・国民に対する欺瞞はまんまと成功していた、というわけです。
日本でそうした情報が出るようになったのは講和条約発効後のことで、しかも左翼運動の流れの中で少しずつ出てきたということもあり(つまり反米は左翼という戦後的理解から)、レコード会社も日本を歌ったヒット曲だからと考えもせずローカル盤を企画したのでしょう、ビクターの雪村いづみが1958年5月、テイチクの沢たまきが同年6月にそれぞれの訳詞で出しています。
ちなみに韓国出身の双子姉妹ユニット レッド・ペッパー・ガールズも、亜蘭知子の新しい訳詞で2008年9月発売のインディーズ・アルバムの中でカバーしています。
『フジヤマ・ママ』のオリジナルは白人女性歌手ワンダ・ジャクソンですが、そのワンダ盤も黒人R&B歌手アーネスティン・アレン(Annisteen Allen)のカバーでした。(アーネスティンと憶えたせいか近年のアニスティーンという表記にはどうもピンときません)
ウィリー・メイ・ビッグ・ママ・ソーントンの “Hound Dog” 、ロイホール、ビッグ・メイベル・スミスの “Whole Lotta Shakin’ Goin’ On”、ザ・グラディオラスの “Little Darlin'”、ジ・アイズレー・ブラザースの “I’m Gonna Knock On Your Door” などと同じで、出来は断然オリジナルのほうがいいのですが、
これについてはすでにいろんな人がブログで書いてますし、幸いなことに YouTube でアーネスティン・アレンのも聴けちゃいますので、そちらを参照してください。

(上)アーネスティン・アレン『フジヤマ・ママ』米キャピトル 1955年2月。
- Annisteen Allen – Fujiyama Mama(1955)
- Eileen Barton – Fujiyama Mama(1955)
- Wanda Jackson – Fujiyama Mama(1957/12)
- Wanda Jackson | Queen of Rock
- The Rock & Roll Eruption of Wanda Jackson by Mike Walsh
- Wanda Jackson – Fujiyama Mama(London, 2006/09/21)
- Wanda Jackson – Fujiyama Mama(2009)
- ハリー細野とイエロー・マジック・バンド(細野晴臣&イエロー・マジック・バンド) – フジヤマ・ママ(1978)
- The Clash with Pearl Harbour – Fujiyama Mama(1982)
- Frank Chickens – Fujiyama Mama(1984)
- Petty Booka – Fujiyama Mama(Japanese Version)
アーネスティン・アレンが歌手として在籍していたラッキー・ミリンダー楽団はハーレムの有名なジャズ・クラブ『サヴォイ・ボールルーム』を本拠地にしていたバンドで、カテゴリーとしてはビッグ・バンド・ジャズなんですが、ジェイ・マクシャン、ライオネル・ハンプトン、アンディ・カーク、アースキン・ホーキンス、バディ・ジョンソンといった人たちと同じように、のちのR&Bサウンドの母体となるようなジャンプ系のスイングをやっておりました。1956年にキングから『ホンキー・トンク(Honky Tonk)』のヒットを飛ばすあのビル・ドゲットも一時関係していたとか。バンドの全盛期はシスター・ロゼッタというミリンダーもお気に入りの女性シンガーがいたころで、40年代も終わりに近いアーネスティン・アレンの時代は経営的にも大変だったようです。
そもそも白人のスイート、黒人のジャンプ、その中間のスイングに関わらず、ビッグバンドには専属歌手が付き物でして、
スタン・ケントン楽団にはジューン・クリスティやクリス・コナー、チャーリー・バーネット楽団にはケイ・スター(『ロック・アンド・ロール・ワルツ』は雪村いづみもカバー)、ライオネル・ハンプトン楽団にはベティ・カーター、ダイナ・ワシントン、カウント・ベイシー楽団にはヘレン・ヒュームズ、テッド・ウィームズ楽団にはペリー・コモといったふうにそれぞれ在籍し、やがてピンで名をなすようになるわけです。
独立後の路線は必ずしもジャズ・ボーカルではなく、ポピュラー・ソング、R&B、時にはハリウッド女優など、各自の持ち味を活かしたジャンルに進んでいくのが普通でした。
アーネスティン・アレンはバンドとは相性が悪かったらしく、早々に出ていって、女性R&B歌手としてヘレン・ヒュームズ、リトル・エスター(エスター・フィリップス)、ルース・ブラウン、エッタ・ジェームズあたりに伍して一時代を築いていきます。このあたりが実に面白い。聴き応えがあるんですよ。
ラッキー・ミリンダー専属時代のヒット曲『レット・イット・ロール(Let It Roll)』は本人も気に入ってるらしく、1961年にこの曲をタイトルにしたLPを出してます。
1940年代がブラック・ミュージックの地殻変動期とすれば、50年代は大噴火の時代です。本流のジャズと同様にR&B(レイス・ミュージック)もスモール・コンボが中心となり、いよいよロックンロール黄金時代へ突入!ということになります。
さて、ワンダ・ジャクソンなんですが、1954年5月30日にシングル『ラビン・カントリー・スタイル(Lovin’ Country Style)/ユー・キャント・ハブ・マイ・ラブ(You Can’t Have My Love)』でデッカよりデビューした人で、曲のタイトルどおり純然たるC&Wの人でした。
下のLPは、ワンダが同社で出したファーストアルバム『ラビン・カントリー・スタイル(Lovin’ Country Style)』です。彼女の特徴であるダミ声も多少聞かれます。

1956年、キャピトルに移籍したワンダは、C&Wから流行のロカビリーにスタイルを変え、1973年にキャピトルを離れるまで、ロカビリーやポップカントリーのレコードを出し続けました。
『フジヤマ・ママ』は1957年11月の発売でキャピトルでは6枚目のシングルです。
しかし意外なことにはキャピトルでの最大のヒット『レッツ・ハヴ・ア・パーティ(Let’s Have A Party)』は1960年6月の発売で、ヒットは8月がヤマでした。つまりロカビリースタイルが廃(すた)れるころにようやく人気歌手として花開いた、ということになります。
『フジヤマ・ママ』にはドゥーワップグループによる同名異曲のあることをご存知でしょうか。
ヒット曲のタイトルだけいただいて、別な曲をデッチ上げるというセコいパターンはけっこうありまして、たとえば、ビル・ヘイリーの『ロック・アラウンド・ザ・クロック』(1954年4月12日録音)がヒットするとニュー・オーリンズのリル・ミレット(Li’l Millet)という人が同じタイトルの別の歌を吹き込む(1956年)みたいなことがあるわけです。
故ルーファス・トーマスも『Rocking Around The Clock』というビル・ヘイリーかブレンダ・リーが分らないようなインスト曲を遺してます。
ちなみにビル・ヘイリーのは、フィラデルフィアの白人バンド ソニー・ディー&ヒズ・ナイツ(Sonny Dae and His Knights)の同名元歌(1954年3月20日録音)を、マル・ハレット楽団のテーマ 曲『ザ・ボストン・ティー・パーティー(The Boston Tea Party)』(1936年)からハンク・ウィリアムスの『ムーブ・イット・オン・オーバー(Move It On Over)』(1947年)まで幾度となく模倣された三三七拍子ふうのメロディと、ニュー・オーリンズのプリミティヴなセカンドライン、すなわち帰りの葬列で奏されるあのご陽気なデキシーのサウンド、そしてジャンプやウェスタン・スイングでしばしば用いられる演奏パターンを使って、詞はそのままに事実上改変した作品です。
また、それらとはまったく別の曲で、ウォリー・マーサーという人の『ロック・アラウンド・ザ・クロック』が1952年にドットからリリースされていて、中村とうようが1996年にCD復刻しております。この曲の存在がソニー・ディーやビル・ヘイリーに影響したのか、しないのか。
アラウンド・ザ・クロックという言葉自体、四六時中という意味のイディオムですから、(Eight Days a Week、一週間に十日来いも近いニュアンスでしょうか)、そういう曲名がいくつかあってもべつだん不思議じゃないのかもしれませんがね。
Bill Haley and His Comets -(We’re Gonna)Rock Around The Clock(1954/05/10)
ビル・ヘイリー楽団 – ロック・アラウンド・ザ・クロック
Producer: Milt Gabler
First recorded by Sonny Dae in March of 1954, the future “national anthem of rock’n roll” was soon thereafter waxed by Haley in his first session for Decca Records on April 12th. Upon its release, the single charted briefly on Cash Box (but not on Billboard, despite website entries to the contrary) and then lay mostly dormant through the end of the year. But in the spring of’55, once people heard it played over the titles of the hit movie “Blackboard Jungle,” Haley’s “Rock Around The Clock” exploded, spending 8 weeks atop Billboard’s best-sellers chart, and eventually selling a purported 25 million copies worldwide. Other 1955 Bill Haley hits included in this collection: “Dim Dim The Lights” “Mambo Rock” “Birth Of The Boogie” “Rock-A-Beatin’ Boogie” “Razzle-Dazzle” and “Burn That Candle.”
Sonny Dae and His Knights -(We’re Gonna)Rock Around The Clock(1954/03)
Producer:
The original single was issued on Arcade AR-123 -(We’re Gonna)Rock Around The Clock (Jimmy DeKnight-Max Freedman) by Sonny Dae And His Knights, recorded March 20, 1954
The story goes that this was written for Bill Haley, but he was unable to wax his own iconic version until 23 days after this first recording of the song by Dae. Haley’s then lay largely dormant until the following year when it caught fire after being heard during the opening titles of the 1955 film “Blackboard Jungle.”
<参考>
Wally Mercer – Rock Around The Clock(1952)
Arranger: Wally Mercer
Producer:
で、『フジヤマ・ママ』に戻りますけど、ドゥーワップグループによる同名異曲というのが、
1959年、グローダス・ミュージック(Glodus Music、ニューヨーク・ブロードウェイ)のCLAYレーベルよりリリースされたジ・アンテナズの『フジヤマ・ママ(Fuji-Yama Mama)』で(写真下)、このシングルは現在、eBayのオークションでは70ドル前後の値が付いてるようです。

同じく『フジヤマ・ママ』に触発されたと思われるものにハリー・カリ(Harry Kari)の『ヨコハマ・ママ(Yokohama Mama)』というのがあるようですが、私は未聴です。
(左) ジ・アンテナズの『フジヤマ・ママ』が収録されているHOT & SOUR RECOADSリリースのオムニバスLP『CHOP SUEY ROCK – SONGS ABOUT THE ORIENT VOL.1』(1995年、写真はそのCD版)
このジ・アンテナズとは別に、ナッシュビル出身の新進3人組パンク~パワーポップ系バンドでジ・アンテナズ(The Antennas)というのがいて、けっこう人気があるようです。
『フジヤマ・ママ』のように、日本を歌った楽曲(日本もの)というとウィリアム・S・ギルバートとアーサー・サリヴァンの1885年初演のオペレッタ『ミカド(The Mikado)』あたりが嚆矢(こうし)でしょう。
ポップソングでは戦前の曲に、『プア・バタフライ(Poor Butterfly)』というのがありまして、これは1916年ジョン・L・ゴールデンとレイモンド・ハベルのコンビが、ジャコモ・プッチーニの1904年初演のオペラ『蝶々夫人(Madama Butterfly)』にヒントを得て作った曲といいますから、やはり異国情緒としてのオリエンタリズム、エキゾチック・ジャパンの流れです。
Red Nichols and His Five Pennies – Poor Butterfly(1928)
vocal: Scrappy Lambert
Paul Whiteman and His Orchestra – Cho-Cho-San(1921)
おなじみ Puccini のメロディを Hugo Frey がジャズふうにアレンジしたもの。
もう1曲『蝶々夫人』に取材した『ナガサキ(Nagasaki)』という有名な曲があり、こちらは1928年、ハリー・ウォーレンとモルト・ディクソンの作。
Ipana Troubadours – Nagasaki(1928)
Sam Lanin as “Ipana Troubadours”
conducted by Sam Lanin
vocal: Irving Kaufman
A new transfer of a previously-posted title (and with a better label scan). For the flip side “Down Where The Sun Goes Down,”
私はこれをグレン・ミラー四重奏団の演奏(1947年録音)で初めて聴きまして、あまりエキゾチックじゃないんで「なぁ~んだ」と、ちょっとガッカリしてたんです。その後1979年ごろだったですか、キャブ・キャロウェイがやはりこの『ナガサキ』をやってることを知って、これが1935年2月の録音ということで、グレン・ミラーより逆に古いんで「へぇー」と思った。
で、さっそく聴いてみたらグレン・ミラー盤にはなかった歌詞があり、キャブが鼻にかかった例の調子で歌ってて、いつものヘンなスキャットが入りまくり。でも、まぁ日本に対する悪意とかオチョクリとかはなくて、私はグレン・ミラー盤よりこっちのほうが気に入ってるんですがね。
1945年以降の日本ものでは、46年シカゴで録音されたブルースで、東条英機の名が出てくるホマー・ハリス(Homer Harris)の『原子爆弾ブルーズ(ATOMIC BOMB BLUES)』が原爆投下そのものを扱っております。ただ、歌詞に感情的な言葉はなく、敵国日本への哀れみをまるで琵琶法師のような感じで唄ってるのが印象的です。
原爆を扱っている楽曲はブルースのみならず、カントリー、ゴスペル、ロックなど各ジャンルに存在してまして、1982年に公開された核兵器に関するドキュメンタリー映画『アトミック・カフェ(The Atomic Cafe)』でそれらがふんだんに使われました。サントラ盤(下写真)には17曲が収められています。

Yohana – À Hiroshima(1968)
Written By Saint-Jevin, Janco Nilovic
シングル『C’est lui(He Is)』のB面。
うたごえ運動系や商業歌謡曲でもいくつかありますが、明確なる反戦歌としてそれらとは一線を画し高く屹立しているのは、何といっても
高石友也『死んだ女の子』 1967(昭和42)年
でしょう。原詩はトルコからソ連へ亡命した左翼系詩人ナジム・ヒクメットによるもので、作曲はかの外山雄三。
訳された日本語詩を見ると『千の風になって』の霊魂観に非常に近いものを感じます。こういうのは山川草木云々の汎神論的曖昧さに生きる日本人には受け入れ易いのではないでしょうか。
この歌、奄美大島出身の元ちとせが2005年の夏にカバーしているそうです。
- Nazim Hikmet
- ナジム・ヒクメットと広島 Nazim Hikmet
- Nâzım Hikmet
- Nâzım Hikmet – Wikipedia, the free encyclopedia
- JP-TR/ナーズム ヒクメット Nazim Hikmet ~トルコ
- The Nazim Hikmet Ran Archive
こういうのはどうでしょう。
バリー・マクガイア『明日なき世界(Eve of Destruction)』などに較べると、洒落っ気があるという印象です。それでも企業の固有名詞が歌詞に出てくるだけで、当時としてはドキドキする部分がありました。
うたごえ系では
作詞:G・ムスタキ、作曲:ヒロコ・ムトー『ヒロシマ』
作詞・作曲:山本さとし『ヒロシマの有る国で』
作詞・作曲:東京原爆被害者協議会『ヒロシマから』
作詞:関鑑子、作曲:ブランテル『ヒロシマ』
里見一郎『ヒロシマ』(作者不詳)
とかが、広島の原爆をそのまま扱ってます。私はジョルジュ・ムスタキと山本さとしの作品が、歌として一般にもアピールするかなと感じました。
さて、一方、歌謡曲をその完成度から見ていくと、
藤山一郎『長崎の鐘』 1949(昭和24)年
扇ひろ子『原爆の子の像』 1965(昭和40)年 ※扇ひろ子は自身も被爆を体験している。
中山千夏『広島の川』 1975(昭和50)年
島倉千代子『ひろしまの母』 1977(昭和52)年
の4曲ということになると思います。
次点で
宇都美 清『あゝ広島に花咲けど』
乙羽信子、宇都美 清『あゝ広島の鐘は鳴る』
美空ひばり『一本の鉛筆』(広島平和音楽祭 参加曲)
ですかね。
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