南アフリカのROCK/POPS(3)

The Silhouettes with Roger Smith

The Silhouettes with Roger Smith – My Little Ruby(1961)

 

June Dyer and the Rousers

June Dyer and the Rousers – Rebel(1961)

  ※(追記:この動画は削除されました

 

June Dyer with the Silhouettes – Whirlpool Of Love(1961)

 

The Meteors with Archie Coker

The Meteors with Archie Coker – Afrikaan Beat(1962)

  ※(追記:この動画は削除されました

 

The Meteors with Archie Coker – Meadowlands(1962)

 

Little Archie & the Twisters

Little Archie & the Twisters – Twist Don’t Rock(Walk, Don’t Run)(1962)

Little Archie & The Twisters – Jockey Twist(1962)

 

The G-Men
南アフリカ共和国ハウテン州ヨハネスブルグ出身のJohn Kongos(1946年生まれ)をリーダーとするインストゥルメンタルグループ。
南アフリカの「ティール」レーベルからレコードが出た縁で英パイ・レコードのツアーに参加。
グループは1968年に解散し、Kongosはソロとしての活動を開始しました。

The G-Men – Raunchy Twist(1962)

Johnny Kongos & The G-Men – Tobacco Road
from the album “Oh Boy!”(1964)
2度目の引用。

South African band that transformed from “The Dukes”, a band formed in Johannesburg by Johnny Kongos in 1961 (when he was 15 years of age). “The Dukes” performed at “The Fireplace” in Benoni, a club owned by Johnny’s mother, Sylvia.
“The Dukes” were:
 Johnny Kongos – vocals, guitar
 Harry Frandsen – guitar
 Ian Sinclair – bass
 Errol Sanders – drums
In 1962 Hank Squires (guitar) joined the band, and their name subsequently changed to Johnny Kongos & The G-Men

 

南アフリカのROCK/POPS(3)」への0件のフィードバック

  1. 板倉弘志

    んー、ヨーロピアン・インストの盛んなお国は「飛び地」でも支持されている。ということがこれで決定的になりました。
    ヨーロピアン・インストグループが多いオランダも元植民地インドネシアではやはり大いに盛り上がりを見せています。
    日本も大陸では歌謡曲がもてはやされたようなもんですかね。日本の渡辺はま子にたいする大陸の山口淑子みたいな・・。

    返信
    1. eiji 投稿作成者

      > 「飛び地」でも支持されている
       
      これは鋭い指摘です。確かにおっしゃるとおりですね。
      宗主国と言語や文化を同じくする地域において、共通の音楽的流行が認められる。
      そして上流—->下流の一方的流ればかりではなく、
      例えば、イギリス連邦加盟国のジャマイカの「スカ」「レゲエ」がイギリス本国の白人に大いなる興味を以て受け入れられたような、「逆流現象」も時として起こりうる。
      また日本のように、広く外来音楽を受け入れながらも、自らの好みに合うように咀嚼してしまう国もある。日本文化のそうした柔軟性・特異性は他国と比較して初めて分かることですね。

      戦後のアフリカにおいて、独立運動が盛んになり、実際数多くの国が欧米各国から独立しましたが、その独立には東西冷戦が大きく影を落としていたようです。すなわち独立派のゲリラ組織をソ連などの共産圏が支援していた。しかし独立後は恩を仇で返すようなアフリカ人が多く(!)、独裁者が富を独占するようなしょうもない国がたくさん生まれちゃいました。また内戦も多かった。
      そうした流れを見ていると、アフリカにおいてはソ連はあまり成功したとはいえませんでしたね。文化的にも何かを与えたということがなかった。もっとも熱帯のアフリカ人にとってはロシア民謡とか、あの手の音楽は受け容れがたいものだったでしょう。ソ連はロックどころかジャズすら否定していたわけですから、さもありなんです。
       
      > 日本も大陸では歌謡曲がもてはやされたようなもんですかね。
       
      アジア人同士、どこまで互いの文化を許容できるのか・・・日本人は虚心坦懐でも相手がそうじゃないということがありますね。
      戦前も戦後も日本の歌が大好きだというアジア人は確かにいたわけで、おそらくは日本の映画や音楽が大きな影響は与えてるはずですが、特に中国・韓国あたりは絶対にそのことを認めないでしょう。
      逆に日本人はどうか。
      1980年代に「日本の演歌の源流は韓国だ」という説が流行ったときに、私もそうかもしれないと信じかけたことがありました。その後、あれは云うところの韓国起源説だったことが明らかとなりましたが、では全く影響を受けなかったかというとこれもそうとは言い切れないと私は思うんです。「スカ」「レゲエ」の「逆流」のようなことがゼロではなかったでしょう。
      このへんの検証は感情抜きでないと真実にたどりつけないでしょうし、相手側に日本ほどは資料が残されていない点でも、研究の困難さが容易に想像できます。

      返信

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