甲府市の舞鶴城公園の堀で、甲羅に白いペンキのようなもので「カメデス」と落書きされたカメ(体長約30センチ)が見つかった。公園を管理する山梨県都市計画課の担当者は「なるべく早く保護して落書きを消したい。絶対にまねをしないでほしい」と話している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100610-00000002-maip-soci
亀の甲羅に「カメデス」じゃ、ひねりもなんにもないだろ(笑)
いや、まてよ、われわれの知らないところでデスメタの新ジャンル「カメデス」が誕生したことを報せようとしてるんじゃないか?
親亀の背中に子亀を乗せてェ~…ナンセンストリオがテンポのいいコントで笑いを取ってたころ、こんな歌がありました。
(右)大川加寿也(おおかわかずや)の『鶴亀音頭』。1968(昭和43)年7月10日発売。
まさに昭和元禄真っ只中。その好況感、浮かれっぷりを余すところなく歌い上げた音頭の名作でした。
だいたい加寿也だなんて名前からしてメデタいですな。
眉を整え目バリも入れてニカッと笑う歯の皓(しろ)さッたりゃありゃしない。
この歌はLP『面白愉快で懐かし原盤』にも入れてあります。
大川加寿也さんには他にこんな歌もありました。
(上左)シングル『世界大物節』c/w『浜町流し』大川加寿也 1966年4月25日発売
(上右)シングル『思い込んだら命がけ』c/w『炎の男』大川加寿也 1966年8月26日発売
『世界大物節』もなかなか面白いですよ。
太閤秀吉、渡辺崋山、二宮金次郎、西郷隆盛、板垣退助、ジンギスカン、秦の始皇帝、ナポレオン、釈迦、キリスト、孔子の名を挙げて、男なら大物になろうと、思いっきり上昇志向をブチ上げてます。
大川さん、ミノルフォンではこれらのほかに
『馬喰一代』(同名NTVドラマ主題歌)c/w『網走追分』(1965年12月5日発売)
『雪の甚兵衛渡し』c/w『義民佐倉宗五郎』(1966年1月25日発売)
『浪曲無法松』c/w『博多三味線』(1966年11月25日発売)
『伊那節情話』c/w『伊那の勘太郎』(1968年9月10日発売)
『つかれたかい母ちゃん』(1969年6月1日発売)
を出しておられますよ。
日本では長寿の象徴である亀ですが、欧米ではどうもプラスのイメージじゃないようです。
首を引っ込めるのが臆病な感じに見えるからでしょうか。
それでもタートルズとかいましたね。
『ハッピー・トゥゲザー』とか言いながら曲調はぜんぜんがっピーじゃなかったりして(笑)
川崎市教育委員会は9日、同市麻生区の市立中学3年の男子生徒(14)が、友人をいじめから助けられなかったことを悩む内容の遺書を残し、自宅で7日に自殺していたと発表した。市教委では自殺の原因など調査を進める。
神奈川県警麻生署によると、7日午後4時50分ごろ、帰宅した母親(44)がトイレで倒れている男子生徒を発見。病院に搬送されたが間もなく死亡した。トイレにはバケツと薬品の容器が置いてあり、同署は硫化水素による自殺とみている。死因は薬物による中毒死だった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100610-00000063-san-soci
自分より弱い(立場の)者を苛めて愉しいと感じるのは、情緒発達障害か異常なストレス下にあるか先天的性格異常のどれかでしょう。
70年代後半からテレビ局が芸人を苛めて愉しむ類の「お笑い」「バラエティ」番組を大量生産するようになったのも、五輪後あたりから受験戦争を勝ち抜いてきたエリートを社員として採用するようになったのと軌を一にしています。
戦前はただ先に生まれ組織に入ったというだけで上下関係が決まる学校や軍隊の中で、目下の者を苛め抜いて愉しむ卑しい人間がたくさんいましたが、そういう人間には貧乏な育ちの、無教養な者が多かった。
今は逆ですね。
漁協に「謝礼」を払うなど独自のルール制定を目指す団体が設立され、同海岸を使用すると県に届け出たことが発端。新団体は漁協の支持を得ていることなどを理由に、他団体が海岸を使う場合は連絡するように主張。これに対して既存の団体が「浜の私物化につながる」と反発している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100610-00000029-yom-soci
サーフィンは実に魅力的なスポーツです。
でも私は一度もやったことがない。
もし1950~60年代にやる機会があったなら、迷わずボードの上に立っていたことでしょう。
今だってやろうと思えば始めることはできますが、もうこんな時代になってサーフィンをする意味があるのかということを考えると、想像するだけで十分という気がします。
サーフィンとは何か、その身体論を教えてくれたのは片岡義男のこの本でした。
(下左)晶文社刊、片岡義男著『サーフシティ・ロマンス』1978年3月10日初版、1978年6月30日二刷 当時の定価1300円
そもそも片岡義男は1950年代アメリカ大衆文化に対して目を開かせてくれた大恩人というか大先達でして、私が深くリスペクトしている作家の一人です。
なかでも『10セントの意識革命』は私にとって今も大切な一書。これは死ぬまで変わらないでしょう。
(上右)晶文社刊、片岡義男著『10セントの意識革命』1973年10月25日初版、1977年7月20日五刷 当時の定価1200円
実はいつの時代も情報や商品にアクセスするにはカネとヒマと時には地位も必要で、例えば昭和20、30年代の日本映画黄金時代であっても、貧乏人はほとんど観ることができませんでした。
ましてや日本人で1950、60年代のアメリカの大衆文化をトータルに理解しているなどという人は往時、数えるほどしか存在し得なかったわけで、その意味からも1970年代における植草甚一や片岡義男や石川好や小野耕世といった方々の存在は大きかったのです。




