24日放送された日本テレビ系バラエティー番組「ザ!鉄腕!DASH!!」で、東日本大震災により中断している人気コーナー「DASH村」の現状が報告された。これまで非公表だった村の所在地が、福島県浪江町で福島第1原発から20~30キロ圏内の屋内退避指示地域にあり、動物も避難生活を続けていることを明かした。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20110424-766023.html
「DASH村」の企画は、農業への関心と興味を自然な形で呼び起こした点で、ジャニーズ事務所の功罪の中では、とびきりの「功」であった思います。
社会が壊れたとき、生き残れるのは自給自足のノウハウを持った人々ですから、これは重要なテーマでしょう。
すべて一から作っていく、その技術(ものづくりの基本)を習得していくというのは、大量生産・大量消費社会に対する実はアンチテーゼでもあるのですが、スポンサーにさえそうとは気づかせない巧さがあったし、抑制も感じられた。これは演出の勝利です。
浪江町だったということは、今後つづけるとしたら、場所を移さねばならないわけで、私としてはいささか「なり注」です。
以下、「DASH村」「DASH村」を含む投稿。
The Calvaes – Lonely, Lonely Village(1957)
Johnny Lytle Trio – The Village Caller(1958)
남인수(南仁樹) – 꽃피는 청춘마을(1959)
タイトルは「花咲く青春の村」の意。
Nathaniel Mayer and the Fabulous Twilights – Village Of Love(1962)
Nathaniel Mayer And The Fabulous Twilights – Village Of Love(1962/02)
Joe Dassin – Mon Village Du Bout Du Monde(France:1969)
ジョー・ダッサン – 世界のはてに美しく
日本盤シングルでは “Les Champs-Elysées”(オー・シャンゼリゼ)のB面(日本語バージョン)。
Nana Mouskouri – Down And Out And Far From Home
ナナ・ムスクーリ – 世界の果てに美しく
from the album “Turn On The Sun”(1970)緑の輝き
Kai Warner – Pueblo Bossa(1970)
featuring Tommy Reilly
from the album “The Fantastic Sound Of Kai Warner”(Germany:2009)
上の曲、プエブロ・ボッサという題が付けられています。
この Pueblo という単語には
(1)スペイン語で町、集落のこと。
(2)メキシコ北部とアメリカ合衆国南西部、特にニューメキシコ州やアリゾナ州に点在するインディアンの伝統的な共同体(集落、部落)とその住人。
(3)アメリカ合衆国のコロラド州にある町。
ほか いくつか意味があって、この場合どれを指してるのか、判断がつきかねてます。
りりィ – オレンジ村から春へ(1976)
1960年代、2つの「村」が世界から注目されました。
ひとつはマンハッタン島のブロードウェイとハドソン川の間、ワシントン・スクエア・パークを含む広い区域グリニッチ・ヴィレッジ(ウエスト・ヴィレッジ)。
都会の真ん中ですからもちろん農村ではなく、50年代からビート詩人や画家、若き前衛芸術家、野心的な芸人などが集まり、居並ぶカフェはモダン・フォークの揺籃となりました。
それはちょうど1920~30年代のハーレムがジャズやブラック・エンタテイメントを育てたのと似ていました。
公園に取り付けられた(政府の)監視カメラは、もしかしたら、詩人ウィリアム・モリスが許可なく公園内で反政府的なポエトリー・リーディングを行って捕まっていった様子を捉えていたかもしれない。その翌週にはアレン・ギンズバーグがリーディングを行い、運良く逮捕されなかったけれど、その様子をカメラは映していただろうか。あるいは、ピーター・ポール&マリーを結成する前にマリー・トラヴァースが噴水のすぐ横で唄っていたのを、カメラは見ていただろうか。
1952年の6月のある夜、ジュディス・マリーナとジュリアン・ベックの2人は、公園の南西の角にある石のチェス・テーブルのひとつに座って、一晩を過ごした。2人はそこで、アルフレッド・ジャリの戯曲『King Ubu(Ubu Roi)』の翻案をしていたのだ。彼らが創設した「ザ・リビング・シアター」は、政府と軍による原爆への避難訓練が実施されることへの反対活動を行ったが、その活動は1950年代にこの公園で始まった。
数え切れないくらいたくさんの反対運動やデモ、抗議のためのポエトリー・リーディング、大小様々なあらゆるキャンペーンが、この公園から始まり、また、この公園で行われてきた。<ビル・モーガン著 今井栄一訳『ビート・ジェネレーション ジャック・ケルアックと旅するニューヨーク』177ページ より一部引用>
9 Washington Square N
New York
大理石で造られたワシントン・アーチ
- Cafe Wha?
- The Gaslight Cafe – Wikipedia, the free encyclopedia
- Cafe Au Go Go – Wikipedia, the free encyclopedia
- Gerde’s Folk City – Wikipedia, the free encyclopedia
- 喫茶店・珈琲・紅茶ソング一覧 more register movement
Village Sunday(1960)
ドキュメンタリー。
日本の素顔「禅」(1961)
某国営放送のドキュメンタリー番組。
Japanese Old TV Documentary(ZEN Seen from Greenwich Village 1961)
Washington Square Park NYC 1968 pt1
A Summer day at Washington Square Park in Greenwich Village in NY.
トラディショナル・フォーク・リバイバル~モダン・フォーク・ブームをレコード会社が見逃すはずもなく、メジャーも次なるスターの発掘に乗り出しました。
Melanie Safka – Beautiful People / God’s Only Daughter
Live from Greenwich Village. The Bitter End, NYC 1968.
これはメラニーのデビュー・シングルの2曲。
グリニッチ・ヴィレッジで今も営業している有名なジャズクラブ『ヴィレッジ・ヴァンガード』。
The Vanguard Jazz Orchestra – Cherry Juice Part 1
Tony Williams – Rose of Washington Square(1961)
ワシントン・スクエアを歌った古いジャズ・ソング『ワシントン広場のバラ』。
Benny Goodman and his Orchestra – Rose of Washington Square
Red Nichols & His Five Pennies – Rose Of Washington Square(1929)
Billy Murray – Rose of Washington Square(1920)
ワシントン・スクエアといえばやっぱりこの曲。
これを聴くと小林幸子のデビュー曲『ウソツキ鴎』が連想されます。
The Village Stompers – Washington Square(1963/08/23)ワシントン広場の夜はふけて
Pop Chart Peaks: Billboard & Cash Box 2, Music Vendor 3
The only major national record hit for the “Folk-Dixie” band from Greenwich Village
The Ames Brothers – Washington Square(1963/09/27)
orchestra conducted by Joe Sherman
シングル “Knees Up! Mother Brown” のB面。
歌入りバージョン。
The New Band of Spike Jones – Washington Square / Puff(1963)
スパイク・ジョーンズ楽団 – ワシントン広場の夜は更けて
The Banjo Boys – Washington Square
The Music City Five Plus Ten – Washington Square(1963)
Billy Strange – Washington Square
from the album “Mr. Guitar”(1964)
Sacha Distel – Un Air De Banjo
“Washington Square”
Ico Cerutti – L’Uomo Del Banjo(1964)
Italy
◆ ◆ ◆
Leo Le Bug – Washington Square
Featuring: Bionic Man Sound
from the album Chinese Man Records “The Groove Sessions Vol. 1 : 2004-2007″(France:2008)
James Last – Washington Square(US:1971/01)
Composer: Bob Goldstein, David Shire
from the album “Beach Party”(Germany:1970)
ダニー飯田とパラダイス キング – ワシントン広場の夜は更けて(1964/02)
作詞・作曲 : ボブ・ゴールドステイン / デヴィッド・シャイア
日本語詞: 漣 健児、編曲 : ダニー飯田
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%80%E3%83%8B%E3%83%BC%E9%A3%AF%E7%94%B0%E3%81%A8%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0+%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E5%BA%83%E5%A0%B4%E3%81%AE%E5%A4%9C%E3%81%AF%E6%9B%B4%E3%81%91%E3%81%A6
The Village Stompers – Washington Square(1963/08/23)
Composr: B. Goldstein
ヴィレッジ・ストンパーズ – ワシントン広場の夜はふけて
Pop Chart Peaks: Billboard & Cash Box 2, Music Vendor 3
The only major national record hit for the “Folk-Dixie” band from Greenwich Village.
◆ ◆ ◆
The Washington Squares – Washington Square w/ Paul Schaffer(From MTV in 1985)
ビートニクの一般的なイメージをパロディにしてるようです。
60年代も後半になると、ヒップな若者が憧れる聖地は ビートニクのグリニッチ・ヴィレッジ(Greenwich Village)からヒッピーのハイト・アシュベリー(Haight-Ashbury)へ、すなわち東海岸ニューヨークから西海岸サンフランシスコへと移りました。
1960年代、ヘイト・ストリートは、ビート・ジェネレーションから生まれたとも言えるヒッピー・ジェネレーションにとっての、世界の中心だった。ここにいたヒッピーたちはフラワー・チルドレンを生み出し、やがて各地へと消えていった。
ビートの作家や詩人たちは60年代当時のサンフランシスコでも引き続き強い影響力を放っていたが、そのときストリートの中心にいた若者たちからすれば、ビートの面々とはもはやずいぶん年長の存在でもあった。<ビル・モーガン著、今井栄一訳『アレン・ギンズバーグと旅するサンフランシスコ』192ページ より一部引用>
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1960年代に注目された2つの「村」。
もうひとつはシーモア・ハーシュによって暴露された虐殺事件の村ソンミです。
My Lai Massacre, Vietnam 1968
無抵抗の村民504人を無差別に殺害したこの事件はベトナム反戦の世論に大きく影響しましたが、第二次大戦でも現在でも、アメリカは非戦闘員の大量殺害を行っているわけで、なぜソンミだけあれほどのインパクトがあったのか という疑問が残ります。
当時のアメリカ社会はまだまだ牧歌的で、メディアも政治権力の支配を受けずに、社会の木鐸としての健全性を保っていたのでしょう。
それが60年代のリベラルな時代精神の熱気の中で「発火」したんじゃないか。
常に正義を振りかざすアメリカの、その欺瞞に人々がようやく気がづいて声を上げたんじゃないだろうか。
わたしにはそんなふうに思えますが、、、
内閣府原子力安全委員会は25日、東京電力福島第一原子力発電所から大気中に放出された放射性物質のコンピューターによる拡散予測を公表した。
予測は本来、事故発生直後の避難に活用する計画だったが、これまで3月23日と4月12日の2回公開されただけだった。細野豪志・首相補佐官は25日の事故対策統合本部の共同記者会見で「3月半ばの最も放射線が飛んでいた時期に予測を利用できず、大変申し訳ない」と謝罪した。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110425-OYT1T00953.htm
私は彼らの出すデータを信用していません。
マグニチュード9・0の地震、30mの津波を想像すらできなかったし、実際、原発建設では想定しなかった。想定したくもなかったんでしょう。
彼らの科学的知見は所詮その程度だし、その後の国民に対する情報操作を見れば、まったく反省していないことは明らかです。
給料を返納してとっとと解散し、もう二度と顔を見せるな、と みんなが思ってますよ。
韓国の建設会社が国内で、福島第1原発事故を受けて福島県内の仮設住宅建設にあたる作業員をインターネット上で募集
(中略)
ソウル近郊にあるプレハブ住宅建設会社が24日、経験者約100人を募集。5月から4カ月の勤務で、月給は400万~650万ウォン(約30万~50万円)の条件だった。
現場は原発から60キロ以上離れた場所だが、「日本人が集まらないから韓国で採用するのか」「韓国政府がやめさせるべきだ」といった批判が殺到。
http://mainichi.jp/select/world/news/20110426k0000m030053000c.html
日本にいくらでも人が余ってるのに、これはどういうことでしょう。
微量ながら被曝は免れないため、後日の発病や損害賠償訴訟を懼れた日本の会社が引き受けなかったからか、
それとも単に人件費を安くしたかったのか。
ザ・タイマーズ – 土木作業員ブルース
「福島原発暴発阻止行動隊」を呼びかけた山田恭暉(72)さんは、住友金属工業に技術者として30年勤め、製鉄や環境・廃棄物処理、プラント建設などを手がけてきた。原発についても「新事業の研究で構造や問題点、安全性などを勉強してきた」経験をもつ。
現在、原発の事故現場には下請けや孫請け企業を含め、知識や経験もない人が、ハローワークなどで集められては投入されている。東京電力の、そんな場当たり的な対応に危機感を募らせた。
もし原発が暴発すれば、首都圏をも含めた広範な汚染が発生する可能性がある。それを防ぐには、ホースによる散水のような一時的な処置ではなく、10年間安定して作動する冷却設備を設置して、これを故障することなく保守、運転し続けなければならない。しかも、この冷却設備の建設や保守、運転はすでに高度の放射線物質に「決死の覚悟」で行わざるを得ないのだ。
暴発という最悪のシナリオを避けるため、どのような設備をつくることが必要か、放射線汚染を減らすためにどうしたらよいのか、「国家プロジェクトとして考えるべき」と山田さんはいう。
http://www.j-cast.com/2011/04/25094120.html
ならば、数多い原子力関連財団への天下り、巧妙なマスコミ支配、えげつないゼニ儲けの実態をよくご存知のはず。
それらの問題点を告発しなければ、同じことの繰り返しで少しも善くはならないってことも知悉してるでしょう。
そうした告発だって、同じように命がけのはずだ。
かつて原子力村の住人だった者の、それこそがいま為すべき仕事じゃないですか?
追加記事
Coffee House Rendezvous(1960s)
床屋からバーバーショップカルテットが、カフェからはモダンフォークが生まれました。
異なる業種の現場から音楽が発信される。面白い現象でしたね。
(2011年9月23日)
追加記事
- Beat Generation Documentary – The Source (1999) – PART 1/7
- Beat Generation Documentary – The Source (1999) – PART 2/7
- Beat Generation Documentary – The Source (1999) – PART 3/7
- Beat Generation Documentary – The Source (1999) – PART 4/7
- Beat Generation Documentary – The Source (1999) – PART 5/7
- Beat Generation Documentary – The Source (1999) – PART 6/7
- Beat Generation Documentary – The Source (1999) – PART 7/7
(2012年12月2日)
追加記事
ワシントン・スクエア西にある小地区は、 道路が狂ったように入り組んでおり、 「プレース」と呼ばれる区域に小さく分かれておりました。 最後の一枚の葉/オー・ヘンリー https://t.co/NdjcX0Sn15
— 最初の一文bot (@1line_bot) 2017年11月22日
(2017年11月22日)
追加記事
ユニオンスクエアまでのバスが来ないので歩く。一つの不満も出ない完璧なweather. そよ風にのって、まずはワシントンスクエアまで。 pic.twitter.com/Lf1h1l3MvY
— 矢野顕子 Akiko Yano (@Yano_Akiko) June 16, 2021
(2021年6月17日)
