終わり支度、世襲支度、旅支度

 JR山陰線の余部鉄橋(兵庫県香美町香住区余部)が16日、新橋架け替えに伴い、鉄道橋としての98年の役目を終え、お別れの式が行われた。鉄橋は一部を残し、展望施設が整備される。
 余部鉄橋は高さ41メートル、長さ310メートルの国内最大のトレッスル橋で、1909(明治42)年着工、12(同45)年に開通した。鉄骨を組み上げた形と赤い塗装が、緑の山々と青い日本海に映え、観光名所として多くの人が訪れてきた。人気ドラマ「夢千代日記」の冒頭シーンにも使われた。
 86年12月、冬の季節風にあおられた回送列車が、カニ加工工場の上に転落し、6人が犠牲となる事故が起きた。冬季運休と、鉄橋の老朽化が相まって、架け替えが決まり、JR西日本が07年3月から、並行するコンクリート橋への架け替え工事に着手していた。
 お別れの式には、列車転落事故の遺族や歴代町長、JR関係者ら約50人が集まり、事故慰霊碑に祈りをささげ、橋脚に献酒して別れを惜しんだ。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100717k0000m040095000c.html

鉄道ファンならずともこの絶景には大いに心動かされます。
ただ、いかにも吹きさらしで、危険なムードに充ち満ちている。
そこがまた魅力ではあったんでしょうね。

余部鉄橋

餘部鉄橋 「思い出のあまるべ」

北朝鮮で「金正日時代」の終わり支度!?
金総書記の銅像を初公開、ジョンウン氏が主導
 北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の銅像が、人民武力部の機関紙「朝鮮人民軍」(以下、軍報)で初めて公開された。
(中略)
 金日成主席の銅像は、平壌の万寿台の丘をはじめ、北朝鮮内の至る所に広く存在しているが、金総書記の銅像が確認されたことはない。統一部の当局者は、「どこどこに行けば金総書記の銅像がある、という証言はたびたび聞かれたが、今回のように、国家レベルで製作した全身像が写真とともに公開されたのは初めて」と語った。
 昨年韓国入りした幹部クラスの脱北者Aさんは、「かつて“将軍様の銅像を建てよう”という忠誠競争があったが、金総書記はいつもこれに反対だった。1980年代に出された、金父子の肖像画を並べて掲げようという提案も、当初は金総書記の反対により、官公署や一般家庭で金総書記の肖像画を掲げたり降ろしたりする混乱が見られた」と語った。
(中略)
 だが金総書記は、自分の銅像の建立に反対せざるを得ない。なぜならば、「金総書記の銅像の登場は、金総書記時代の終えんを意味するからだ」(安全保障部局の当局者)。金日成主席の銅像が本格的に建てられた時期が、金日成政権末期、すなわち金総書記が急浮上する時期と重なったのは、偶然ではない。
http://www.chosunonline.com/news/20100717000015

社会民主主義だとか言ってもしょせん世襲。王権の継承にほかなりません。
そのうち後継者がジョンイルの言動の解説者となり、唯一のスポークスマンとなり、代理人となり、その座を襲うこととなる。もちろん真に実力を持つ軍部の賛同がなければ成り立ちません。
実に回りくどいですな。
世界中のファシズム国家やファシズム組織の「王」は皆、この権威継承で苦労する。頼りになるのは側近ですが、元々独裁者は人望がないのでここを先途とばかりに裏切る者がかならず出る。
まぁ永遠に続くファシズムというのはありえませんから、その崩壊過程を我々は面白おかしく見物してればいいわけですが、あの北朝鮮には拉致・誘拐された日本人がまだ大勢いるわけで、その点だけは非常に気がかりです。

ああいう連中の好む歌ってどれも似たり寄ったりですなぁ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です