太陽より2000倍も明るい観測史上最大の巨星を発見したとの論文を、英シェフィールド大(Sheffield University)などの国際研究チームが21日、英王立天文学会(Royal Astronomical Society)の専門誌「Monthly Notices」に発表した。これまで考えられてきた太陽質量の限界を2倍に拡張する発見という。
(中略)
「R136a1」と名付けられた。
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2742263/5994553
「巨星」「シェフィールド」の文字から、
ブロードウェイの興行王フローレンツ・ジーグフェルドの半生を描いた豪華絢爛たるMGMミュージカル映画『巨星ジーグフェルド(The Great Ziegfeld)』(1936年公開)を連想しました。
The Great Ziegfeld – Trailer [1936] [9th Oscar Best Picture]
1929年10月24日「暗黒の木曜日」に端を発する世界大恐慌。そのピークは過ぎたとはいえ、1936年当時、アメリカの国家財政は相変わらず危機的状況がつづいていました。
ジョン・スタインベックが『怒りの葡萄(The Grapes of Wrath)』で描いた中西部のプア・ホワイトの悲惨はまさにこの時代です。
アメリカ全体が貧乏だった時代にハリウッドは信じられないほどの豪華さで、かかるミュージカル映画を量産していたわけで、当時の客がみな夢見ごこちで見ていたことは容易に想像されます。
The Band – Knockin’ Lost John
ザ・バンド – ドジなジョン
from the album “Islands”(1977)
1929年から始まった大恐慌で失業した男の歌。
Will Glahe Orchestra – WPA Polka(1939)
That’s Entertainment Part II Trailer
ちなみにTVドラマ『ルート66』では、現代の若者が誰もが知ってる国民文学『怒りの葡萄』でジョード一家が辿った道筋をスポーツカーでぶっ飛ばすことによってアメリカ経済の復興・繁栄ぶりをアピールしたいという保守層が気に入りそうな裏テーマも当然考えらるわけですが、ストーリー上で強調されたことはなかったようですね。
しかし視聴者が二重写しで観ていたことは間違いありません。
ダストボウル(英語: Dust Bowl)は、1931年から1939年にかけてグレートプレーンズ広域で断続的に発生した砂嵐である。
<ダストボウル – Wikipedia>
Woody Guthrie – Great Dust Storm Disaster
1930’s Great Depression and Dust Bowl in Photos
The Grapes of Wrath(1940)怒りの葡萄 Trailer
<参考>
Pat Boone – Wrath Of Grapes(1966)怒りのぶどう
タイトルは「葡萄の怒り」の意。
以下、「ルート66」「Route 66」を含む投稿。
あるユーザーがそんな歌詞ばかりをつなげて曲を作り、動画サイト「ニコニコ動画」に投稿した。「翼を広げて旅に出る」や「瞳を閉じて」など、一度は耳にしたことがあるような歌詞が、ポップに歌われる。知らずに聞けば、新人の女性歌手かと思ってしまうほど秀逸だ。
しかし、これだけ並べても歌詞を覚えられないのは、なぜだろう。光が射す方へ、一歩ずつ歩いて、君の名を呼べば、わかるだろうか。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100722/tnr1007220744002-n1.htm
『真夜中のギター』で歌われているように、「何かを求めて」「さまよう」のが青春。
老人だったらただの徘徊ですよ。
Rudy and The Cruisers – Cruisin’ Baby
Rudy and The Cruisers – Cruising Baby(1981)
Fuse – Cruisin’ For Burgers(1969)
2度目の引用。
Chuck Berry – No Particular Place To Go(1964/04)
After a fairly dry period, Chuck made it back into the Billboard’pop’ top 10 for the first time since 1958 with a song similarly constructed to his classic 1957 hit “School Day.”
The Chell-Mars – Roamin’ Heart(1963)
Jesse Boone & The Astros – No Particular One
The Cruisers – Cruisin’(1959)
“Bucky” & The Premiers – Cruisin’
そこへいくと阿久悠の詩作は言葉の持つムードに流されない、明確な世界の構築がありました。それはちょうどシナリオライターが首尾結構を整えて物語を完結させるのと似ていました。
阿久悠の場合は歌の主人公の設定がちゃんとなされている。作りこまれているんですね。だから“私小説”ではなかった。あくまでエンタテイメント。
だからといってJ-POPの価値が一段低いわけじゃありません。ひととおり出尽くしたということですね。
歌においてもう新しい元素記号が作られることはない。私はそう思ってます。
