シャンソン歌手の草分けとして、日本にシャンソンを定着させた石井好子(いしい・よしこ)さんが17日、肝不全のため死去した。87歳。葬儀は近親者で済ませた。
(中略)
衆議院議長も務めた石井光次郎氏の次女として、東京・神田に生まれた。東京音楽学校(現・東京芸大)声楽科卒。1945年にジャズ歌手としてデビューし、50年に渡米。52年、パリに移り、シャンソン歌手として認められる。以来、日本のシャンソン界の第一人者としてステージに立ち続けてきた。
ハスキーな声に人生の哀歓をにじませ、「枯葉」などシャンソンの名曲を日本に定着させる。晩年は「かもめ」「暗い日曜日」など、親友でもあったダミアの歌を得意とした。
61年、音楽事務所を設立し、岸洋子、加藤登紀子さんらを育成。ベテランから若手までが総出演する、毎夏恒例のコンサート「パリ祭」のプロデュースを続けた。91年、日本シャンソン協会を設立して会長に就任。シャンソン界の振興に尽くした。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20100722k0000m040030000c.html
シャンソンそのものは戦前から日本で歌われておりましたが、やはり後進を育て、ファン層を広げたというところでは、この方のご努力があったればこそですね。
戦後、外国音楽のパイオニアとなった人たちは恵まれた家庭環境の方が多く、この方もそうでした。その意味でノーブレス・オブリージュ(持てる者の義務)を立派に果たされたと思われます。
石井好子 – かもめ Les Goélands
石井好子 – 愛の賛歌
