昨日以降、サイト全体にアメリカからのアクセスが急に増えました。
IPに気になる傾向があり、おかしな動きをしてないか、ログを注視しています。
事務所のポストを覗いたらポリ袋に入った紙の束がありました。
時節がら、どこぞの教団が架空の市民団体を名乗って組織的にばら撒く敵対候補中傷の怪文書ビラかと思ったら、朝日新聞の「無料見本紙」。しかも元旦に配達される新聞みたいに分厚い。
そういえば新聞を取らなくなってもう20年以上経ちます。
必要な場合はコンビニか駅の売店で買うくらいで、もうすっかり縁がない。
40面もある朝日新聞の他に、「Be on Saturday」という新聞体裁の別紙が2種類も付いてました。
どちらも広告や記事風広告でいっぱい。というよりこれはたぶん広告がメインなんでしょう。
めくって読んでたら、3ミリほどの小さな虫が出てきました。
最初アリかと思ってよく見たらゴキブリの赤ん坊。なんでも赤ん坊は可愛いやね(笑)
たぶんこのパッケージを作っている場にいたんでしょうね。
その「Be」の一つにニニ・ロッソのことが載っていたのではさみで切り抜きました。
そうそう、昔は新聞をよく切り抜いてましたっけ。シザーズ&ペースト(切り貼り)、記事のスクラップです。
年末にその年の切り抜きから厳選して、コピー機を使って再構成し、まとめる。そういう作業をよくしてました。
ニニ・ロッソ・・・、イタリアのトランペット奏者で作曲家。
1994年10月に残念ながらお亡くなりになってます。
- La ballata della tromba (1961) 夕焼けのトランペット
- Quel vagabondo (1962) さすらいのトランペット
- Concerto disperato (1962) さすらいのマーチ
- Ken Thorne Band Orchestra – Legions Last Patrol ケン・ソーンによるカバー
- Wednesday Night 水曜ロードショーのテーマ「水曜日の夜」
以下、「トランペット」「ラッパ」関連の記事。
ブブゼラ(vuvuzela)とは細長いラッパの形をしたチアホーンのこと。伝統楽器を原型としており、近年プラスチック製品が登場したことから、南アフリカで応援グッズとして普及した。現地では有名クラブのファンが、それぞれのチームカラーのブブゼラを「ヴォー」っと鳴らして応援するスタイルが定着している。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/tvote/poll.jsp?MODE=RESULT&POLL_ID=20091023
Original Vuvuzela
応援の時に日本では鉦や太鼓を鳴らしますね。
あれってしかし、外人からすれば奇異で下品なものに感じる、かもしれません。
インターナショナルな試合では、それなりに「ご他聞」を考えるべきでしょう。
むずかしいところです。
カズーのように音階らしきものが出せたら、ブブゼラの印象もまた変わってくると思いますが・・・
Enter Kazoo Man: Metallica Enter Sandman performed on KAZOO by Mister Tim (multitrack)
The Staccatos – Walker Street(1967)
Ginny Satin – Where Did All The Good Times Go(1965/01)
Ginny Satin = Diane Castle = Diana King
手拍子、カズーが入る。
2度目の引用。
Joanie Sommers – Johnny Get Angry(1962/05)
ジョニー・ソマーズ – 内気なジョニー
from the album “Johnny Get Angry”(1962)内気なジョニー
produced & arranged by Stan Applebaum
Dion – Little Diane(1962/05)
ディオン – リトル・ダイアン
ダイオン – リトル・ダイアン
arranged & conducted by Glen Stuart
鈴木やすしがローカル版を出している。
パンクブーブーの佐藤哲夫の声を聞いて、「ゲロゲ~ロ」の青空球児を思い出しました。
ダミ声の系譜です。
一言でダミ声といっても上田吉二郎と田中角栄ではだいぶ違いますね。
そしてまたハスキー・ボイスやジャンプ・シャウターの声とも違います。
ダミ声歌手で世界で最も成功したのはジルベール・ベコーじゃないかと思うんですが、どうでしょう?
Gilbert Bécaud – Je t’appartiens(1955)
ジルベール・ベコー – 神の思いのままに
英語版は “Let It Be Me” として知られています。
ベートーベン「歓喜の歌」にルーツがあるように感じました。
2度目の引用。
Gilbert Becaud – Et Maintenant(1961/12)
ジルベール・ベコー – そして今は
英題 “What Now My Love”
クラシックの『ボレロ』と同じコード進行。
アメリカ映画では、自由や社会正義といった理想があって、それに基づいた主人公の行動が感動を呼ぶ例が多いのですが、日本の場合は自己犠牲とか非業の死とか「情」に訴えるストーリーがいまだに多い。
これは理想を掲げ尊びながらも現実社会においてそれが実現されていないアメリカと、タテマエとホンネを使い分けて常に調整しながら調和を保とうとする日本社会の違いなのでしょう。
私は「さぁ感動しろ」とばかりにこれでもかと演出を凝らす日本式はどうも苦手で余り見る気がしません。いわゆる浪花節的な話、感動巨篇とかいうやつですね。
公開時にヒットして確かに投資に見合った額は回収出来るかもしれないが名作として日本映画史に残るかどうかは怪しいと思いますよ。
昔も三倍泣ける母ものとかありましたけど、昔の日本映画は全体としては昨今の作品よりも演出に抑制が利いていた気がします。
つまり目の前の映像(事象)により直截に「感動」するというのではなく、自分の脳の中でいったん自分の体験や記憶のフィルターを通すことによって「感動」を得るというプロセスが普通にあって、むしろそういう部分に訴えるように演出していたのではないかと考えられるんです。
結局見る側が昔とは違ってしまった。その点では今の演出方法は正しいのかもしれません。
想定される観客への過剰適応は、映画よりテレビのほうが断然強いですね。翌朝にはもう数字が出そろって評価が下されてしまうのですから無理もない。テレビ番組の変遷はそのまま日本国民の生活感覚・感性の変化の反映といっていいでしょう。
映画とテレビの地位はとっくの昔に逆転して、以来、映画はテレビに従属する地位に甘んじています。衛星放送の充実や受像機画面の大型化で、その流れが再度逆転することはもうないでしょう。
映画にしろテレビにしろ、私は想定される観客のタイプからこれまた何十年も昔にハズレてますから、どうでもいいようなもんですけどねー。
追加記事
サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で、けたたましい音とともに一躍有名になった応援グッズの民族楽器ブブゼラ。17日付の中国紙・毎日経済新聞によると、プラスチック製のブブゼラの9割は中国製という。
同紙によれば、中国で生産を請け負っているのは5社前後。年初から4月までに約100万個を生産したという浙江省寧波市のプラスチック製品メーカーは、今年の売上高予想が前年比5割増と、ブブゼラ景気に沸く。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100617-00000089-jij-int
安全な、、、プラスティックなんでしょうか……
サッカーのワールドカップ(W杯)で一躍有名になった南アフリカの民族楽器「ブブゼラ」だが、フランスでは、労働組合がその大音量を抗議デモに利用しようという動きが出ている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100617-00000589-reu-int
格安に不快な大音量を出せるから?
シュプレヒコールはもう時代遅れなのかも。
(2010年6月17日)
追加記事
サッカーW杯南アフリカ大会で決勝進出を決めたオランダで注目されているブブゼラ音楽が、日本に上陸する。同国の有名デュオ、コー兄弟が歌う「勝利のブブゼラ」が、9日からレコチョクで配信される。南アフリカの民族楽器、ブブゼラをふんだんに取り入れたサンバ調の楽曲。コー兄弟が軽快なリズムに乗りながら歌い、ブブゼラを吹きまくっている。
オランダの快進撃とともに、同曲も脚光を浴び始めた。南アフリカ大会に向けて作られ、同国で09年9月に発売。同国のサッカーW杯コンピレーションアルバムにも収録された。現在、同国のW杯中継や関連番組で頻繁に使用され、同国ヒットチャートでも急上昇中。コー兄弟が歌うユーチューブ動画には、この2週間だけで35万ビューのアクセスがあったという。
http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201007080051.html
Gebroeders Ko – Vuvuzela(Officiële Videoclip)

まったく菅佐原さんのいう意見に賛成であります。私も1981年あたりからテレビドラマなどは見なくなってしまいました。日本でよくつかわれる言葉「お涙ちょうだい」的なものが増えてしまったこととやはり「さぁ感動しろ」的な演出に嫌気がさしてしまったのです。
アニメ映画の話でよく「僕はアンチジブリだ」と言うとみな首をかしげます。だって大衆に媚びすぎなんだもん。
映画会社それぞれに系列館があって配給制度が確立していた当時は、フツーにお客さんが入れば作り手は文句を言われなかったでしょうけど、
今はテレビ局、その他の出資によって巨額の製作費が賄われる投資の対象ですから、何がなんでも絶対当てなくてはいけないというプレッシャーがあって、特に地味めなストーリーの場合は、判りやすい「感動」が不可欠となるのでしょう。
「情に流されやすい」のは「人情家」の証拠ですからそれ自体はどうこう云う筋合いじゃないでしょうが、「情に訴える」部分がまたぞろ人心掌握・民心収攬・国民統合・国家総動員のベースになるようなことになると、あたしゃ左翼でも市民運動家でもないけれども、戦前の皇国史観やカルトな国体観がまた息を吹き返すんじゃないかと心配したくもなります。ああいうのは今の天皇家にとっては迷惑な話でしょう。
童謡 傷兵サンアリガタウ
※(追記:この動画は削除されました)
桜井の別れ(唱歌 青葉茂れる桜井の)
※(追記:この動画は削除されました)
こういう歌を聞いてると、ひねくれ者のこの私でさえ、ついうっかり「聖上陛下」の「赤子(せきし)」として命を捧げたくなってくるから不思議です。
情に訴えるというのは、それほどに日本人には有効なマインドコントロールの方法なのでしょう。
「シラケ世代」以降「情動人間」が減って利害で動く「利己的人間」が増えたみたいですが、それでも日本人の「情に流されやすい」国民性はそうそう変わらないと思います。
日本はもともと理想や目的があって人為的に建国された国ではないだけに、例えば「国防」や「外交」を子どもたちに教えるようなときは、民族主義的愛国心だけでなく、より高い理想と、そしてまた惨憺たる国際社会の現実を、バランスよく教えるようにしてもらいたいものです。
> 「僕はアンチジブリだ」
ジブリ作品が高い「作家性」に裏打ちされたアニメであることは当然認めますが、実は私も苦手です。
観客動員の実績があるし国際的評価も高いので、ジブリに出資するところはいくらでもあるでしょう。しかし出資の額が多いほどコケるわけにはいかなくなりますから、冒険はしづらいでしょうね。当然これまで好評だった要素をよけい強く出していくことになる。つまり媚びるということにもなるのでしょう。
余談ですが、ディズニーからジブリへ来た現社長は某政党の演説会に毎回出席しておりまして、その政党の芸術に対する政策を絶賛し、各候補への熱烈な推薦スピーチを行っています。そのことも私のジブリ嫌いの原因の一つとなってるかもしれません。