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エビピラフじゃないよ、エディットだよ、とシタール顔。

インド伝統楽器シタールの世界的奏者であるインド人音楽家、ラビ・シャンカール氏が死去。92歳。 2012/12/12 15:47 【共同通信】
http://www.47news.jp/news/flashnews/

あの時代の有名人。
西欧のミュージシャンが注目したのは、ありていに言えばシタールの音色が彼らに神秘主義やドラッグの陶酔感をイメージさせたからであり、インドやネパールがドラッグの「聖地」であるかのように勝手に勘違いしていたからだった。

Pt Ravi Shankar at Woodstock

以下、シータルをフィーチャーしたる(!)楽曲、およびシタール風に聞こえる楽曲。

The Yardbirds – Heart Full Of Soul(UK:1965/06/04, US:1965/07/02)
シタールの音色に似せている例。2度目の引用。

produced by Giorgio Gomelsky
Pop Chart Peaks: Billboard & Record World 9, Cash Box 12 – UK Chart Peak: 2
The second of three U.S. hits for the British group in 1965 (see also “For Your Love” and “I’m A Man”).

The Beatles – Norwegian Wood(This Bird Has Flown)
ビートルズ – ノーウェジアン・ウッド(ノルウェーの森)
ビートルズ – ノルウェーの森
ビートルズ – ノーウェジアン・ウッド(ノールウェーの森)
ビートルズ – ノーウェジアン・ウッド
from the album “Rubber Soul”(UK:1965/12/03)ラバー・ソウル
(2023 Mix)
これはシタールを使った曲。
ストーンズの『黒くぬれ!(Paint It, Black)』は1966年5月のリリース。

The Rolling Stones – Paint It, Black(US:1966/05/06, UK:1966/05/13)黒くぬれ!
イントロはシタールではないらしい。

produced by Andrew Loog Oldham
Pop Chart Peaks: Billboard, Cash Box & Record World #1 – UK Chart Peak: #1
One of the Stones’ five U.S. top-10 singles in 1966.

Petula Clark – Colour My World(1966/12)
こちらも冒頭シタール風の音色ながら別の楽器と思われ。
2度目の引用。

The Cyrkle – Turn – Down Day(1966/07/21)
シタール?

produced by John Simon
Pop Chart Peaks: Billboard 16, Record World 17, Cash Box 18
Follow-up single release to their first hit “Red Rubber Ball”

Adam, Mike & Tim – A Most Peculiar Man

This is an A-side single to “Wedding Day” and is written by Paul Simon.
The 45 was released in 1966 by Columbia Records and the catalog # is DB 7903.
This group hails from the UK.

Donovan – Three King Fishers
ドノヴァン – 3羽のかわせみ
from the album “Sunshine Superman”(1966)サンシャイン・スーパーマン ドノヴァン・ニュー・フォーク・アルバム

Joe Harriot, John Mayer – Indo-Jazz Suite(1966)
2度目の引用。

Traffic – Hole In My Shoe(UK:1967/08, US:1967/10)
2度目の引用。

The Mystic Astrologic Crystal Band Featuring Steve Hoffman – Factory Endeavour
from the album “The Mystic Astrologic Crystal Band Featuring Steve Hoffman”(1967)

Grégory – Un Trou Dans Ma Chaussure(Hole In My Shoe)(1967)
2度目の引用。

Kenny Rankin – Peaceful
from the album “Mind-Dusters”(1967)

Jon And Robin – Thursday Morning(1968/05)
雰囲気は出ている。

Bobby Callender – Rainbow(1968)
2度目の引用。

Hell Preachers Inc. – Shalom(1968)
これもちょっと怪しい。

San Francisco Earthquake – March Of The Jingle Jangle People
3度目の引用。

This is an A-side single to “Bring Me Back A Little Water” and is written by Kenny Young.
The 45 was released in 1968 by Smash Records and the catalog # is S-2179.
This group is from Connecticut.

In-Sex – Space Man
シタール(?)

This is a B-side single to “Penitentiary Planet Blues” and is written by J. Rowland, P. Pitcoff, R. Waxman.
The 45 was released in 1968 by Hammer Records and the catalog # is H-3001.
This group hails from Pennsylvania.

The Turtles – The Owl(1968)
シタール(?)

Gabor Szabo – Three King Fishers(1968)
シタール風。

Andromeda – Day Of The Change(1969)
冒頭の音はシタール?

Bobby Callender – Sade Masoch(1969)
サドマゾ?

  ※(追記:この動画は削除されました

 

The Pandamonium – I Am What I Am(1969)
シタール風のギター。

Little Pattie – The Penthouse(1970/11)
First time on YT
Australia
Producer: Mike Perjanik
Composer: P. Leka, S. Pinz
イントロはシタールか、シタール風か?
2度目の引用。

Cosmic Eye – Sequence(1972)
Cosmic Eye was Amancio D’Silva’s band including Alan Branscombe, Kashev Sathe, and
John Mayer. They played a combination of jazz and Indian music.

  ※(追記:この動画は削除されました

 

<参考>
El Polen – La Flor(1972)
シタール風に弾いたギター(たぶん)

Harry Chapin – Cat’s In The Cradle(1974/08 stereo 45, edit version w fade ending)
ハリー・チェイピン
2度目の引用。

produced by Paul Leka
Pop Chart Peaks: #1 on Billboard, Cash Box & Record World – A/C Peak: 6
Harry’s only chart-topping single, presented here in the more commonly available’3:29′ single release version (actually 3:34). As opposed to the complete 3:44’album version,’ which was also issued on a smaller number of commercial 45s, this track deleted the original 2:22-2:28 passage and faded out during the final seconds rather than ending cold.<

Harry Chapin – Cat’s In The Cradle(1974/08 stereo 45, complete version w cold end)
2度目の引用。

produced by Paul Leka
Pop Chart Peaks: #1 on Billboard, Cash Box & Record World – A/C Peak: 6
Harry’s only chart-topping single, presented here in the complete’album version’ which was issued on a minority of the commercial 45s. Most of the released singles were the’3:29′ version (actually 3:34) which deleted the 2:22-2:28 passage and faded out during the final seconds rather than ending cold.

Kaseva – Rantauni(1974)
フィンランド。
2度目の引用。

いよいよ総選挙が投票日を迎えるに際し、メディアはこの工作活動の仕上げの段階に移行している。
その軸は三つだ。
1.自公圧勝予測を流布して、有権者の「勝ち馬に乗る」行動を引きだそうとしている。
2.選挙結果は確定的であるとの印象を植え付けて、できるだけ多くの有権者が投票所に足を運ばぬことが目指されている。
3.最大の攻撃対象である「日本未来の党」を著しく小さく見せることによって、「日本未来の党」への投票意欲を削ぐことが目指されている。
権力とメディアが結託した「不正選挙」である。
「主権者国民のための政治」を希求する国民は、絶対にあきらめてはならない。
最後の瞬間まで、徹底的に既得権益トライアングル・ペンタゴンに抵抗し続けなければならない。
これが主権者国民レジスタンス戦線である。
<マスゴミが実行する総選挙報道・三つの情報工作 植草一秀の『知られざる真実』とり一部引用>
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-6edd.html

アメリカみたいに投票結果の数字自体をごまかすというところまではまだ行ってないってことか?

今回も日本人は愚かな選択をすることだろう。
私は投票日に投票するつもりだが、おそらく私のは死票になると思われる。
極めて遺憾である(=すっげークヤシ~!!)

レジスタンスで思い出したが、フランスでレジスタンスが行われていたころ、ココ・シャネルは祖国の情報をドイツに流すスパイ活動をしていた。
シャネルは不幸な生い立ちで、男をつてに這い上がってきた女だった。

Jim Dale – My Resistance Is Low

 ココ・シャネルは、1971年に87才で亡くなるその前日まで、春のコレクションの準備をしていたという。それほどまでに仕事に打ち込んでいた彼女が完全に休業していた時期がある。第二次世界大戦が始まった1939年から終戦後の1954年までの15年間だ。
 かくも長い間、彼女は何をしていたのか?
 彼女の死後、その噂は広まり始めた。フランスは1940年から1944年までドイツの占領下にあったが、シャネルはこの占領時代、あるドイツ人男性と愛人関係にあった。この男はディンクラーゲ男爵といい、ドイツ王族の血を引くハンサムな貴公子で、シャネルは彼にぞっこんだった。
 ところが彼は、ドイツ諜報機関の大物スパイで、シャネルも協力者だったというのである。この黒い噂は真偽がはっきりしないまま、その後も長く囁かれ続けた。
 本書の著者ハル・ヴォーンこそ、この噂に終止符を打った人物である。彼はフランスの公文書館で偶然、フランス警察の報告書を発見した。なんとそこには、ドイツ軍情報部のエージェントとしてのシャネルの名前が、エージェント番号及びコードネームとともに記されてあったのである。シャネルは、ドイツのスパイと寝ていたどころか、彼女自身がナチスのれっきとしたスパイだったのだ。
(中略)
 連合軍によってフランスが解放されるとシャネルは逮捕されるが、チャーチルの計らいで釈放された。その後、スイスに亡命して嵐が過ぎるのを待ち1954年にファッション界にカムバックした。
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20121212/frn1212121131002-n1.htm

CHANEL
Edith Piaf – La Foule(1957)群衆

このシャネル紹介ビデオに使われているのはピアフの歌。それだけでもう選曲者の意図がありありと伺える。
同じく貧民窟から這い上がったピアフはレジスタンス運動の影の支援者だった。
対比の妙はその「死」において、なお際立っていた。

遺体はパリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。彼女のそのライフスタイルゆえに、カトリック教会のパリ大司教は葬儀におけるミサの執行を許さなかったが、葬儀には無数の死を悼む人々が路上に現れ葬列を見送り、パリ中の商店が弔意を表して休業し喪に服した。墓地での葬儀は40,000人以上のファンで混雑した。シャルル・アズナブールは第二次世界大戦後、パリの交通が完全にストップしたのはピアフの葬儀の時だけだったと述懐している。
<エディット・ピアフ – Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%95

1971年、住居としていたパリのホテル・リッツにて、コレクションの準備中に87歳で亡くなる。亡骸は第二次世界大戦中のドイツへの協力及びフランスへの裏切り行為によって、高級墓地への埋葬を拒否されたこともあり、亡命生活を送っていたスイス・ローザンヌの墓地「ボア・デュ・ヴォー」(セクション9・No.130)に埋葬される。シャネルの遺言により、墓石の周りには白い花が咲き乱れている。
<ココ・シャネル – Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%8D%E3%83%AB

シャネルの霊前へこの歌を手向けたい。

岡本敦郎 – 白い花の咲く頃(1950)

  ※(略)

 

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