聖小百合

 12月1日、東京・有楽町朝日ホール。毎年この日は、多くの業界関係者を集めて「映画の日」中央大会が開催されているのだが、その後に行われた映画興行社の集まりである全興連主催「ゴールデングロス賞」授与式で“二文字”は飛び出した。
 冒頭の出席者はいう。
「全興連特別功労大賞に吉永小百合さんが選ばれ、挨拶に立ったのです」
(中略)
「自転車で転倒したり、羽田空港のエスカレーターから転がり落ちたり、体力的にも限界を感じるようになりました。一時は引退も考えました……」
(中略)
「こうして皆様が応援して下さるのにも応えなければいけませんし、もう少し頑張ってみようと思います」
 と結んで、関係者をホッとさせてはいたのだが
<週刊新潮 2010年12月16日号>
http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/tachiyomi/20101209_1.html

俳優には演技を探求するタイプとそうでないタイプがいます。
スターさんの大半はそうでないタイプですが、小百合さんは生真面目な方ですから演技を探求しようとした。そのへんにボタンの掛け違いというか、勘違いがあったように思うんですよ。
そもそもあの持ち前の芯の強さ、悪くいえば「我(が)」が演技の邪魔をしてるところがあった。「少女」でなくなったとき、それが活かされる役というのは『戦争と人間』における標耕平の妻順子のようなキャラクターに限られてくるわけで、ために演技者としての悩みが一層深まることにもなります。どんな役をやっても「生真面目さ」が出てしまいますから、オファーする側も結局そういう役で持ってくるようになる。
ありていにいえば、小百合さんは演技派の人ではないし、そうなる必要もない生まれながらの大スターであるのに、演技を追求しようとした、
しかしスターにしては何事に対しても真摯でありすぎて“遊び”の部分が不足していた、
――という二重三重の行き違いが生じてしまったわけです。
ありのままのご自分を徹底的に肯定して自身を楽しむことが、ひいてはファンを楽しませることにつながる、と思うんですがね。
まぁスターさんだからその個性を想定してということでいいんでしょうけど、私は新たな展開も見てみたい気がします。

キューポラロケ当時との比較写真

青春プレイバック 吉永小百合 キューポラのある街

  ※(追記:この動画は削除されました

 

吉永小百合 – 勇気あるもの(1967)

  ※(追記:この動画は削除されました

 
 

 聖小百合「わたしちがっているかしら」と60年代初期(ハナ)の川口   英二(1992年)

 

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