2010年の冬、地球全体が異常気象に苦しんでいる。アジアと欧州、北アメリカなど北半球の国が近年になかった寒波と大雪に襲われている一方、南半球では猛暑と洪水による被害が続出している。
南半球の一部の地域と中東・北アフリカなど赤道地方は最近、気温が平年より10度ほど高い高温現象が続いていると、フィナンシャルタイムズ(FT)が12日報じた。
豪メルボルンでは猛暑のため数百便の列車の運行が遅延またはキャンセルになった。気温が44度を超え、線路が機能しなくなったからだ。暴雨で農村の家屋が浸水したりもした。ブラジルでも最近、暴雨のため数十人が死亡した。アフリカのケニアでは洪水で3万人の被災者が発生した。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=125014&servcode=A00&code=A00
昨年末から北米や欧州、アジアなど北半球を襲っている寒波は、北極圏の寒気の動き「北極振動」が強い寒気放出期になったのが原因とする分析を米雪氷データセンターが12日までにまとめた。
寒気の蓄積や放出の大きさを示す指数は、昨年12月にマイナス3・41と1950年以降最も低く、寒気が強く放出されているという。
(中略)
年末から年始にかけて、米国や欧州、アジアでは記録的な寒さを記録。温暖な気候で知られる米フロリダ州で氷点下を記録、欧州では主要空港で航空便の遅れや運休が相次いだ。中国やインドでも記録的な寒さが続き、インド北部では300人近くが寒波の犠牲になった。
http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010011301000150.html
気象庁は13日、北半球のヨーロッパから東アジア、北米にかけてたびたび寒気が南下し、昨年12月中旬以降、約1カ月にわたり異常な低温になっていると発表した。
(中略)
12月中旬から今月中旬にかけ、欧州やロシア、米国などで平年の最低気温を大幅に下回る異常な低温を記録したほか、韓国のソウルでは低気圧の影響も重なり、1月初めに26センチの積雪を記録した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010011301024
えー、お寒うございます。
このところ寒さで目が覚める朝が続いております。
昔はもっと寒かった気がいたしますが、気がするだけで、今この時の寒さばかりが身に堪えますな。
人の記憶なんざ曖昧なもの。齢とともに暑さ寒さの感じ方も変わってくるのは致し方ないことでございましょう。同じ気温・同じ湿度でも、あの日と今日とでは感じ方が違いますし、着てる服や居る場所でも違ってまいります。
巣鴨地蔵通商店街にあるベンチで、老人たちが「年寄りには暑い夏も寒い冬もいらないね」なんてボソボソしゃべって・・・・あ、これ前に書きましたか。
どーも近ごろ物忘れがひどくてマイッちゃいます。
それにしても寒い。肩と向う脛のあたりが冷たーくなっております。
子どものときから血行不良でございました。冬ともなりますと、手はまるで氷のよう。級友が私の手を触って「うわっ死んでるみたいじゃん!」と叫んだことがありましたっけ。
暖房の効いた室内に入りますと、メガネがブワッと曇りますし、縮んでいた末梢の毛細血管が急に開いて上気いたしますしね。耳も顔もゆでだこのようにまっかっかになる。この、気温の差の激しいのが一番困ります。
二十歳ごろまでは毎年毎年、ひどい風邪をひきまして、吸入器のお世話ンなってました。吸入器というのはなかなか面白ぅございますね。あれの前でだらしなく口を開けるときには首によだれかけを掛けます。大昔はアルコールランプを使ってたのに、1975年くらいから電熱式のが出た。電熱式は味気なくてイケマセン。
大人になっても相変わらず「風邪ひき」なんですが、なぜかこの冬だけは不思議とまだ風邪をひいておりません。どういうんですかね、豚インフル、もとい新型インフルエンザが大流行してるっていうのに・・・
今、北半球が猛烈な寒さで南半球がメチャメチャ暑いそうです。
こまった、もんですね。
さてさて、忘れたころのSONO-COLOアワー情報。
1月の今ごろに放送した内容です。
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SONO-COLOアワー
1982(昭和57)年1月15日放送 第7回
タイトル「女たちのウエスタン・カーニバル」
アバンタイトル:(M)フジヤマ・ママ/沢たまき
1 ロカビリー剣法/美空ひばり
a)(セリフ)若尾文子、川口浩 大映「女は抵抗する」(1960年)より
2 ロカビリー三度笠/万代陽子、三村和子
b)(セリフ)フランキー堺、森繁久弥 東宝「駅前旅館」(1958年)より
3 お座敷ロック/五月みどり
c)(歌)ジェリー・ルイス 米パラマウント「底抜け楽じゃないデス(Rock-A-Bye Baby)」(1957年)より
4 ロック・アラウンド・ザ・クロック/江利チエミ
d)(セリフ)高島忠夫、坊屋三郎 新東宝「新日本珍道中 西日本の巻」(1958年)より
5 ロッカ・チッカ/沢たまき
e)(セリフ)「大人になっちゃったのかしら…」「女は抵抗する」より
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この回は日本の女性歌手によるロカビリー(ロックンロール)、またはロカビリーを題材にした歌謡曲の特集で、曲間には映画に出てくるロカビリー関連の場面の音声を使ってます。
(下左)SP「ロカビリー剣法」美空ひばり
(下右)SP「ロック・アラウンド・ザ・クロック」江利チエミ
「ロカビリー剣法」については、以下の記事をご参照下さい。
江利チエミの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は1955(昭和30)年12月のリリース。訳詞:音羽たかし、編曲:村山芳男。演奏は小原重徳とブルー・コーツ。
チエミ盤のひと月前、日本コロムビアがダーク・ダックスの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を発売しております。こちらは訳詞:藤浦洸、編曲:小野満、演奏は小野満とフォーブラザースでした。
(上左)SPレコードの袋「踊ろよヘンリー」江利チエミ 1955年9月
(上右)SP歌詞カード「40杯のコーヒー」江利チエミ 1954年6月
江利チエミにはR&B系のカバーがあり、
たとえばジョージア・ギブスがエタ・ジェイムスの「ロール・ウィズ・ミー・ヘンリー(The Wallflower / Roll with Me Henry)」をカバーした「踊ろよヘンリー(Dance With Me Henry)」、
エラ・メイ・モースがダニー・オーヴァーベアのヒットをカバーした「40杯のコーヒー(40 cups of coffee )」など、プレ・プレスリー期のへヴィーなサウンドをあの若さで見事に歌いきっております(ビクターレコードのライバル雪村いづみはエラ・メイ・モースの『セブンティーン(Seven Teen)』をカバーしてます)
キングのSP時代で、ロックンロール、R&B関連をピックアップしておくと、他に
チャタヌギ・シューシャイン・ボーイ(江利チエミ)
ハウ・ハイ・ザ・ムーン(江利チエミ)
涙のチャペル(ペギー葉山)
ジャンバラヤ(江利チエミ)
スコキアン(江利チエミ)
トウィードリー・ディー(ティーヴ釜范)
アンチェインド・メロディー(ペギー葉山)
トウィードル・ディー(ペギー葉山)
マンボ・ロック(ペギー葉山)
ババルー(江利チエミ)
グリスビーのブルース(中原美紗緒)
ロック・アンド・ロール・ワルツ(江利チエミ)
バナナ・ボート・ソング(江利チエミ)
バイ・バイ・ラブ(江利チエミ)
リトル・ダーリン(平尾昌章)
バター・フィンガース(平尾昌章)
月のなぎさ(江利チエミ)
かんごくロック(平尾昌章)
ロンサム・カウボーイ(平尾昌章)
ダイアナ(平尾昌章)
バルコニーにすわって(平尾昌章)
ルシヤ(平尾昌章)
ロック「聖者が街へやって来る」(平尾昌章)
あたりが注目されます。ザ・ピーナッツもSP時代末期に名を連ねてますね。
(下左)シングル「ロカビリー三度笠」万代陽子、三村和子
(下右)シングル「ロッカチッカ」c/w「フジヤマ・ママ」沢たまき
「ロカビリー三度笠」は1961(昭和36)年11月の発売。すでに万代陽子は同年6月「ドドンパNo.5」で、三村和子は7月に「浜辺のパチャンガ」でデビューしてまして、この二人を改めて「ドンパチャ・コンビ」として売り出そうという企画でした。
音楽としてはロカビリーとは無縁のもので、「アプレ」「太陽族」「ファンキー」同様、ドライな戦後派という形容詞として「ロカビリー」の語が用いられています。
「お座敷ロック」は1958(昭和33)年11月に発売された五月みどりのデビュー曲。作詞は関沢新一、作編曲は「ロカビリー剣法」の作曲をしている米山正夫でした。
アプレ芸者のイメージで売り出そうとした日本コロムビアのこの企画は完全にコケ、けっきょく五月みどりは“正々堂々”の日本調お座敷ソングでスターの仲間入りを果たしました。
当時ご本人はこの歌のテンポが大のニガ手だったそうです。今も出来れば歌いたくないレパートリーのようですね。
「フジヤマ・ママ」「ロッカチッカ」については以下のリンク先をご覧下さい。
曲間のセリフは、ロカビリーに関連する映画のセリフを使いました。
「底抜け楽じゃないデス」の監督は、ジェーン・マンスフィールドをフィーチャーしたロックンロール映画「女はそれを我慢できない(The Girl Can’t Help It)」のフランク・タシュリン。
この映画では「CMソングを歌いながらその商品を使うおばあさん」と「流行りのロカビリーを真似るジェリー・ルイス」がひどく印象に残ってます。
同じ1957年のMGMミュージカル「絹の靴下(Silk Stockings )」では、なんとあのフレッド・アステアがゴージャスなロックンロール「The Riz Roll And Rock」を歌い、かつ踊っておりまして、ロックンロールがこの年、広くアメリカ社会に認知され、浸透していったことが窺えます。
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SONO-COLOアワー
1983(昭和58)年1月7日放送 第57回
タイトル(特になし)
アバンタイトル:(声)「なんか文句あっかお前ら……青島ダァ!」(青島幸男)
1 恋のヒット・パレード/クレイグ・ダグラス
2 シビレさせたのは誰?/バリー・マン
3 悲しきハート/スーザン・シンガー
4 カフス・ボタンとネクタイ・ピン/ナンシー・シナトラ
5 Pushing A Good Thing Too Far/Little Pattie
6 ハッピー・エンド物語/ダニー・ジョーダン
a) シビレさせたのは誰?/ザ・タイタンズ~ジャン&ディーン~ザ・ボッパーズ~OL’55
b) (声)バリー・マニロウ
7 Shoop Shoop De Doop Rama Lama Ding Dong Yeah Yeah Yeah/The Clinger Sisters
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この回はいわゆるオールディーズ・ポップスの特集。
オールディーズ・サウンドの末期からロックの時代の手前、ビートルズ登場までの7曲をかけました。
オールディーズ・サウンドの「飽和」感、もうおなか一杯の満腹感、集大成であり「まとめ」であり、区切りである曲1、2。
(左)クレイグ・ダグラス「恋のヒット・パレード」
この曲については以下のリンク先をご覧下さい。

(上・左)1978年12月、日本コロムビア「60sポップス・シンガー・ソング・ライター・コレクション フー・プット・ザ・ボム/バリー・マン」
1961年末にABCパラマウントから発売されたオリジナルアルバムの復刻。
(上・右)1985年、ワーナー・パイオニア「30th Anniversary of Rock & Roll Series フー・プット・ザ・ボンプ/バリー・マン」
ボーナストラック4曲を加えた復刻盤。
(上・中央)ワーナー・パイオニアがWEA JAPANとなってCD化された同アルバム。
「シビレさせたのは誰?」については皆さんよくご存知のことと思います。80年代初頭、その日本盤シングルには10万以上の値がついてました。
この人の「楽譜を書けない読めない伝説」はホントなんでしょうか? もしそうなら紛れもない天才ですね。
英・米・豪の女性シンガー3人による曲3~5。
(下左)シングル「悲しきハート」スーザン・シンガー
(下右)シングル「カフス・ボタンとネクタイ・ピン」ナンシー・シナトラ
ヘレン・シャピロとは同い歳の従姉妹という以外、詳細不明のスーザン・シンガー(Susan Singer)。
悲しきハート(Lock Your Heart Away)は英国1962年、日本63年発売の曲。ロンドンレーベル経由でアメリカでもシングルで発売されてるようです。
日本盤シングルには以下の人物紹介が載ってました。
スーザン・シンガー Susan Singer
スーザン・シンガーは芳紀まさに16才、やはり16才のヘレン・シャピロとはいとこ同志である。二人は同じ学校に通う大の仲良しで、よく一緒にうたを歌う。そして、シンガーは、いとこのヘレンを尊敬しており、将来はコメディむきの女優になることが望みだ。それで時々映画にも出演している。彼女の趣味は、ダンス、ポピュラー・レコードを聴くこと、旅行、そして人ごみの中に行ったり、パーティに出ること、それから時々一人だけになることだという。モーリス・バーマン音楽学校在学中。
豊かな才能に恵まれているので、前途洋々、将来を期待されている。
- Susan Singer – Hello First Love (Helen Shapiro’s Cousin)
- Susan Singer – Johnny Summertime
- Gee! It’s Great To Be Young – Susan Singer
- Susan Singer – Bobby’s Loven’ Touch
- 末が善ければすべて善し more register movement(※弘田三枝子「悲しきハート」へのリンク)
「カフス・ボタンとネクタイ・ピン(Cuff Links and a Tie Clip)」はナンシー・シナトラのデビュー・シングル(1961年)。わずか1分51秒の曲で、これ以降1965年まで本国アメリカでは鳴かず飛ばず。親の七光りは通じなかったようです。
以下、同日本盤シングルの記述。
フランク・シナトラの娘であり、青春シンガー、トミー・サンズのよきワイフである話題の新星ナンシー・シナトラが放つニューヒットが登場しました。
ナンシーはシナトラの娘としてニュージャージー州に生れました。まもなくロス・アンジェルスに移り学生生活を送り、1年半ほど南『カリフォルニア大学で経済学を専攻しました。1960年9月、トミー・サンズと結婚し、現在21才。これといった音楽教育は受けていませんが、それは父ゆずりの音楽的才能をもってプロ歌手に仲間入りしました。可愛いいブラウンの瞳と髪をもった美人で、デビュー作「カフス・ボタンとネクタイ・ピン」で一躍全米のハイティーンの人気を奪ってしまいました。
- Nancy Sinatra – Cuff Links And Tie Clip
- Nancy Sinatra – Tonight You Belong To Me
- Nancy Sinatra – Like I Do(1962)
- Nancy Sinatra – Sugar Town(1966/10)
- Nancy Sinatra & Frank Sinatra – Somethin’ Stupid(1967/03)
- Nancy Sinatra.com
- MOVIN’ WITH NANCY – The Nancy Sinatra UK Fan Page
- NANCY SINATRA 天国
(下)ブレイク直前の時期と思われるナンシー・シナトラ。もうブーツを履いてますね。

(下)1980年に豪EMIがリリースしたEMI時代のベスト盤『20 Stompie Wompie Hits / Little Pattie』。
このアルバムは2001年にCD化されましたが、リマスタリングが悪く、音量すら統一されておりませんでした。

Little Pattie(リトル・パティ)=本名Patricia Thelma Amphlett(パトリシア・テルマ・アンフレット)は1949年3月17日、オーストラリアのシドニーで生まれ、1963年にデビュー、60~70年代に同国で活躍した歌手・タレントでした。
「Pushing A Good Thing Too Far」は1965年に発売された、通算5枚目のシングルのA面曲。
この時点でオーストラリアはビートルズの衝撃から1年を経過しており、リトル・パティもその影響を感じさせる「Dear Judy」「Surfin’ Time Again」を発表しております。
続くこの曲はイギリスのTony Hatch(トニー・ハッチ)のサウンドに近い、えらくオシャレな仕上がり。16歳の誕生日に合わせてリリースされたとか。
スーザン・シンガー、ナンシー・シナトラの2曲とは、もうぜんぜん違うサウンドですね。
Sandy Williams – Pushing A Good Thing Too Far(1966/01)
シングル “Anyone In The World” のB面。
Little Pattie – Pushing a Good Thing Too Far(1965)
Little Pattie – Pushing A Good Thing Too Far(TV live)
2度目の引用。
Dinah Lee – Pushing a Good Thing Too Far(1965)
シングル “I Can’t Believe What You Say” のB面。
ニュージーランド出身で豪・英でもモッズガールとして人気を得た人。
Barbara Lewis – Pushin’ A Good Thing Too Far(1964/10)
Ada Lee – You’re Pushing A Good Thing Too Far
<参考>
John Bowie – You’re Gonna Miss A Good Thing(Baby)
同時期の似たようなタイトル・内容の歌
<参考>
Sharon Soul – How Can I Get To You?(1965/01)
同じ頃の似たテイストの楽曲。
曲5~7の3曲からは、青春前期の終り――子ども時代への未練、成長への不安――等々をイメージさせる、うっすらとした哀しさ・寂しさが感じられます。これはベビーブーマー世代の成長過程と完全にリンクしております。
(上左)シングル「ハッピー・エンド物語」ダニー・ジョーダン
(上右)米シングル「Shoop Shoop De Doop Rama Lama Ding Dong Yeah Yeah Yeah」The Clinger Sisters
「ハッピー・エンド物語」については以下のリンク先をご参照下さい。
「Shoop Shoop De Doop Rama Lama Ding Dong Yeah Yeah Yeah」は1964年の曲。
Yeah Yeah Yeahはビートルズのヤァヤァヤァでして、ビートルズ以前のオールディーズ・ポップス、ドゥーワップ・リバイバルと、新しいサウンドのビートルズを「無邪気」にも結合させるという、まさに当時のティーンネイジャーの混乱ぶりをそのまま表現してるような、今から考えれば「すごい」楽曲です。
発売元のTollie Recordsは、この年の3月ビートルズの「ツイスト&シャウト」を、4月には同じく「ラブ・ミー・ドゥ」をリリースしてまして、その人気にあやかり、急遽作ったのでしょう。
口パクですが、奇跡的にも歌ってる映像が残されています。
- The Clinger Sisters – Shoop Shoop De Doop Rama Lama Ding Dong Yeah Yeah Yeah(from Teenage Memories vol.1)
- 45 Discography for Tollie Records
- Puppet— Clinger Sisters ’64-Tollie 9035
(2010年1月14日)
追加記事
リトル・パティの動画が新たにYouTubeにポストされてました。
最近の映像では えれぇデブってます。こりゃレスリー・ゴーアといい勝負だな。
1966年にベトナムの豪兵慰問をしてるんですね。70年代には政治にも関わったようです。
ナンシー・シナトラも1966年と67年の2回、ベトナム慰問をしています。意外な共通点かも。
- Little Pattie – ‘Aria Hall Of Fame’ 2009 (Part 2)
- Little Pattie – ‘Talking Heads’ 2007 (Part 1)
- 9991810 Patricia Thelma ‘Little Pattie’ Amphlett, OAM
- Stomper wows real gone girls, but she’s just Pattie
- Little Pattie – Wikipedia, the free encyclopedia
追加記事
今回の寒さは1995年の1、2月のパターンに似てますね。
あの年の1月7日朝から8日にかけて、アメリカ東部一帯を過去10年間で最大の猛吹雪が襲いました。
ニューヨークやワシントンDCなど主要空港が閉鎖され、鉄道・バスの運行にも多大の支障が出た。
ニュージャージー、ウエストヴァージニア、メリーランドなど8つの州では非常事態宣言が出されるなど、終日、市民生活が混乱しました。
この後いったん気温が上がり、溶けた雪と大雨のために洪水が起きて、クリントンがペンシルバニア州に非常事態を宣言しています。
そして2月2日には、北極圏の寒波がアメリカ中西部から南部まで降りて来て、ミネソタ州ではなんと-51度を記録。97年ぶりに最低気温を更新しました。
寒さは1週間以上続き、凍死する人など75人以上が亡くなったそうです。
あの時の寒波に較べれば今年の寒さはまだマシだった、といえそうです。
(2010年1月18日)
追加記事
ヤフオクにリトル・パティの日本盤シングルが出てました。
「すてきなマイ・ボーイ(He’s My Boy)」c/w「愛してほしいの(I Just Need Your Love)」。
オデオン(東芝音工) OR-1560 当時の価格370円。
A面の「He’s My Boy」は1964年オーストラリア発売の通算3枚目のA面曲で、この人のオリジナルでは最もオールディーズ・ポップス的な曲調。途中、五木ひろし「夜空」の♪なおさら逢いたい逢いたい…みたいな感じの部分があります。
B面「I Just Need Your Love」は65年オーストラリア発売の通算6枚目「Dance Puppet Dance」のB面。つまりこの日本盤シングル「すてきなマイ・ボーイ」は1965年の発売ということになります。
この人の日本盤シングルでは筒美京平の作曲デビュー作「黄色いレモン」(競作盤)c/w「小さな恋人」1966年11月5日発売 オデオン(東芝音工)OR-1615のほうが売れたのかもしれません。
(2010年1月19日)
追加記事
この投稿記事で、クリンガー・シスターズについて、
クリンガー・シスターズ(The Clinger Sisters)の名義では、同社からもう1枚シングルが出ています。
と書きましたが、その後、彼女たちが姉妹で結成した固有のグループで、しかも永らく活動していたことが判りました。
改めてその映像をまとめましたので、
以下のページをご覧下さい。
(2012年4月8日)











バリーマン「楽譜を書けない読めない」ははじめて聞きました。まさかぁーの一言です。弁護士が法律知らなかったり大工がのこぎり持っていなかったりタクシーが運転免許持ってないようなものですぞ。
エリーグリニッジがジェフ・バリーと結婚した理由が「あ、ピアノが弾けたからよ」とインタビューで言ってたのを思い出しました。
アルドンソングライターは変わり者が多いね。
この二週分聞き逃していました。リンクのLittle PattieのPushing A Good Thing Too Farが気に入りました。やっぱアネットっていうかレスリーゴーアとかカバー時代の弘田三枝子タイプですかね。
バリー・マンが「現在も楽譜を書けない読めない」というのは、
Wayne Jancik(ウェイン・ジャンシック)著『THE BILLBOARD BOOK OF ONE-HIT WONDERS』(1990年)が出典で、日本版(1991年・音楽之友社発行)監修のかまち潤が注釈を入れてないところを見ると、事実なんでしょう。
「美空ひばりが楽譜を読めなかった」という話もどこかで聞いたことがありますが、そういうことってあるんですね。
リトル・パティにはけっこういい曲あります。
この人の傾向としては、その時々の流行りの音楽で大衆がカッコイイと思うスタイルを、いち早く取り入れる、ということでしょう。
アバとかドナ・サマーが流行ればディスコの曲調になるし、シーナ・イーストンとかオリヴィア・ニュートン・ジョンが流行ればジャズダンス風の感じになる。そもそもデビューがサーフィンサウンドで、それもそのときの流行だったということなんでしょう。
若いころでも、あまり可愛いとか美人とかというタイプじゃないとは思うんですけど、年いってから狸が化けたみたいになっちゃった(笑)。オージービーフの食いすぎですかね。
オーストラリアやニュージーランドのミュージシャンは世界的なヒットを出すとすぐ国を出ちゃうようですが、ローカルで活動してる人たちの曲にもビックリするようないい曲があるみたいですよ。
<参考サイト>
Ozzie Music Man
http://www.ozziemusicman.com/
ABC TV – Long Way To The Top
http://www.abc.net.au/longway/
Pop Archives – Sources of Australian Pop Records from the 50s, 60s and 70s
http://www.poparchives.com.au/home.php
追加記事
写真のとおりなら識譜能力あり、だよね。
(2021年3月30日)