13年半ぶりに単発テレビドラマ『夢のサーフシティ』 Deadman’s Curve を見ました。ジャン&ディーンの物語です。
13年半というのは1996年8月29日深夜『木曜ナイトシアター』なる枠で字幕スーパーで放映されたのをビデオで録っていて、それをDVDに焼きなおすため録画以来初めて再生した、ということです。
この作品はアメリカではCBSのネットで1978年2月3日に放送されています。
キャロル・キングをモデルにしている1996年の映画『グレイス・オブ・マイ・ハート』 Grace of My Heart はあまりにも脚色されていて、キャロル・キング物語とはいいがたいと評されました。
一方『夢のサーフシティ』の筋書きは実際に起こったことをほぼなぞっています。有名なジャン・ベリー(2004年3月26日歿)の自動車事故(1966年4月12日)が物語の中心になっているからでしょう。
(上)ジャンの事故を報じた記事。ドラマでは車の上半分が潰れたように描かれていましたが、実際はこんなにひどいもので、3人が死亡しています。
ほぼ実話とはいえ、腑に落ちないところもあります。
1958年のデビューシングル『ジェニー・リー』について、ラジオのアナウンサーが「by Jan Berry」と紹介するシーンなどはそうですね。
<ジャン&アーニーではなくジャン・ベリー単独名義でリリースされた>
と誤解されかねません。
Jan & Arnie – Jennie Lee(Arwin:1958/04/21, Dot:1960/07)
with Don Ralke’s Music
Raucous top-10 hit by Jan Berry and Arnie Ginsburg. Arnie soon left the group and was replaced by Dean Torrence, resulting in the “Jan & Dean” name change.
(下)初シングル『ジェニー・リー』誕生のきっかけとなった実在の踊り子サン。この歌の誕生秘話はドラマ冒頭に出てきます。
惜しむらくは、1年1年大きく変化していった60年代アメリカンポップスと彼らの音楽の、その変遷までは描き切れていない。そのあたりは別個にドキュメンタリーでも作っていただきたいところです。
本物のジャン・ベリーが顔を出してるほか、パパ・ドゥ・ラン・ランがライブのシーンでしっかり写ってますし、ディック・クラーク、マイク・ラヴ、ブルース・ジョンストンが実名で、ウルフマン・ジャックが「ジャッカル」というDJ役で出ていて、このフィルムの価値を高めています。
さて、『夢のサーフシティ』がなぜ1978年2月に放送されたのか。それはこの作品の隠れた主役パパ・ドゥ・ラン・ラン(Papa Doo Run Run)をサーフィン・ミュージックの正当な継承者としてプッシュしようという売り手側の意図があったから、と推察されます。
この時期、彼らはバック・バンドとして、ジャン&ディーンとともにアメリカ中をツアーしている真っ最中でした。また1975年から90年まで務めたディズニーランド(カリフォルニア)のセレブリティ・ハウス・バンドの仕事も同時に行っておりますので、ジャン&ディーンより儲けていたかもしれません。81年からはビーチ・ボーイズのバックアップ・バンドにもなってます。70年代後半から80年代かけて、往年のサーフィン・サウンドを高いクオリティで再現できたのは彼らくらいなものでした。
彼らはジャン&ディーンやビーチ・ボーイズの申し子として、そして時にはその代理として、いまも活動を続けています。
- PAPA DOO RUN RUN – California Surf Band
- Papa Doo Run Run – Wikipedia, the free encyclopedia
- Papa Doo Run Run – Hot August Nights Photos
Jan & Dean Dead Man’s Curve Movie
1978 TV Movie about Jan & Dean.This is the final 7 minutes of the movie.At the beginning of this clip, you can see the real Jan Berry in the crowd.
Brian Wilson Talks About Jan Berry: “Encomium In Memoriam Vol. 1”
ジャン&ディーン(名義)の曲で私が一番好きなのは、
Jan & Dean – It’s As Easy As 1, 2, 3(1965/04/16)
ジャン&ディーン – イッツ・アズ・イージー・アズ、1, 2, 3
ジャンとデーン – イージー・アズ・1-2-3
“Jan Berry & Jill Gibson” as “Jan & Dean”
シングル “You Really Know How To Hurt A Guy” のB面。
from the album “The Little Old Lady From Pasadena”(1964/09)パサディナのおばあちゃん
from the album “Dead Man’s Curve / The New Girl In School”(1964/04)デッド・マンズ・カーブ/ニュー・ガール・イン・スクール
Jill Gibson – It’s As Easy As 1, 2, 3(Imperial:1964/09)
Easy As 1, 2, 3 – Encomium In Memoriam Vol. 1: Jan Berry of Jan & Dean”
このあたり( ↓ )も素晴らしい。
Jan and Dean – Like A Summer Rain(1966)
わずか数年で彼らの音楽もこれだけ大きく変わっている。それは彼ら戦後第一世代(二人とも生まれは戦前)の心の成長とシンクロしているかのようです。
人間が心身ともに急激に成長するのは十代後半から二十歳前後でしょう。ちょうどその時代の音楽の急激な変化こそが、60年代音楽の魅力そのものといっていい。
「60年代とは変化の異名(いみょう)なり」と私が三十数年前から称えているのは、ズバリそのことなんです。
追加記事
(2014年3月24日)
追加記事
テディ・ベアーズがドナ・キャスの家の車庫で形を成していったのとほぼ同時期、ユニヴァーシティ高校に通うジャン・ベリー、ディーン・トーレンスそしてアー二ー・ギンズバーグの三人は、ベル・エアにあるベリーの自宅ガレージで、ジェニー・リーという地元のストリッパーの舞台にインスパイアされて書いた曲をデモ録音した。この〈ジェニー・リー(Jennie Lee)〉が、女優のドリス・デイとその夫マーティ・メルチャーが経営する小さなレーベル、アーウィン・レコードの目にとまったとき、トーレンスは陸軍予備隊で六ヶ月の兵役期間中だった。しかしインストゥルメンタルのオーヴァーダブを施して曲は完成し、ビルボード誌トップ100の第八位という快挙をなしとげた(三ヶ月後、このチャートは「ホット100」と改名された)。
トーレンスが兵役から戻るのと入れ替わるように今度はアーニーが海軍の兵役に出てしまったため、彼らは新たにジャン&ディーンとして、ハーブ・ニューマンとリュー・バイデルのエラ・レーベルの傘下であるドレ・レコードからデビューすることになった。このドレ・レコードは、フェアファクス高校の卒業生であるハーブ・アルパート(彼も二年の陸軍兵役から戻ったばかり)とその友人ルー・アドラーをプロデューサー/ソングライターとして抱え、テディ・ベアーズとも最近契約したばかりだった。
彼らはほとんどがお互い知人もしくは顔見知りであり、ハリウッド高校のリッキー・ネルソンが巻き起こしたカリフォルニア・ポップス旋風に我先に続こうとしていた。<ティモシー・ホワイト著、宮治ひろみ訳『ビーチ・ボーイズとカリフォルニア文化』111ページ より一部引用>
(2017年9月6日)
追加記事
Happy birthday dear Lou!#LouAdler pic.twitter.com/3oJoeSeQ8O
— Carole King (@Carole_King) December 13, 2020
(2020年12月14日)


