020 天使の誘惑/021 土曜の夜何かが起きる

(上左)『天使の誘惑』 作詞:なかにし礼、作曲・編曲:鈴木邦彦、歌:黛・ジュン
発売:1968年5月1日、東芝音楽工業。
(上右)『土曜の夜何かが起きる』 作詞:なかにし礼、作曲・編曲:鈴木邦彦、歌:黛ジュン
発売:1969年12月20日、東芝音楽工業。

私より十歳年上で出身地が同じこと、黛ジュン以前に本名(渡辺順子)でレコードを出していたことなどを知ったのはずっと後のことです。
1960年代に「コケティッシュな魅力」という表現がありましたが、60年代前半のその代表が加賀まりこならば、67~69年はこの人。ミニスカートの似合う女性のナンバーワンでした。
特に好きな歌が1968年第10回日本レコード大賞受賞曲『天使の誘惑』と70年1~2月のヒット『土曜の夜何かが起きる』。今回は1度に2曲の紹介です。

ゲンダイネット 2006年7月24日 掲載『三木たかし「友と音楽に囲まれて」 黛ジュン』  ※(追記:リンク先のファイルは削除されました)
で実兄の三木たかしが明かしていますが、彼女は1956(昭和31)年ころには人前で歌ってギャラを稼ぎ、一家を支えていたそうです。かなりの苦労人ですね。
The Deluxe Beauty 黛ジュン  – 毎日がYukiYukiのつぶやき
なるブログには、
『小学生で音羽ゆりかご会で童謡を歌い、作曲家・船村徹に師事した後、ジャズに転向。』
との情報もあります。
サンミュージック創業者・初代社長=相沢秀禎(ひでよし)の著書『スターを作る男 タレント軍団との日々』によれば、1961(昭和36)年当時、すでに「ジャズの天才少女と評判をとっていた」そうです。相沢の経営する龍美プロの所属となり『ウエスタン・キャラバン』とともにジャズ喫茶などで実演に明け暮れていたようですが、龍美プロは1964年3月に自主廃業・解散となったそうですから、渡辺順子名義でのレコード・デビューはその直後ということになります。

(下左)『ダンケ・シェーン』 c/w 『ロリポップ・リップス』渡辺順子 ビクター 1964年4月
(下右)『悲しき水兵さん』伊藤アイコ c/w 『ウーキ・クーキ』渡辺順子 ビクター 1964年5月

シングル『恋のハレルヤ』の解説(大谷 亘)では、放送局の人間が東芝音工の「オデオン」レーベル担当であった高嶋弘之ディレクターに紹介したことになっている。それと同時に作曲家中島安敏に師事し、『10ヵ月の厳しいレッスン』を受け、さらに『偶然録音のため放送局に来ていた俳優の石原裕次郎さんが、彼女の唄声を何気なく聞いてすっかり惚れこんだのもまだ昨年の夏の頃』だった、とあります。『昨年の夏』とは1966年の夏ということになります。当時のレコードの「解説」というのは完全にファン向けのメッセージでしたから、事実関係がその通りかどうかはちょっと疑問ですね。
石原プロモーションへの移籍が66年夏だとしたら、龍美プロ解散から石原プロ入りまでの間はどういう形だったのでしょう。ビクターからレコードデビューということでビクター音楽芸能の預かりとなったのか、それとも別の所属だったのか、あるいは父親がマネージャーをしていたのか。
いづれにせよ、チャンスを活かせぬまま徒に時間ばかりが過ぎていき、忸怩たる思いでいっぱいだったに違いありません。
それだけに黛ジュンとして日の出の勢いで売れ始めたときは嬉しかったでしょうね。幼少時からの苦労と努力がやっと報われたのですから。それこそ天にも昇る気持ちだったでしょう。
そこから頂点を極めるまではあっという間でした。

『天使の誘惑』が大ヒットした1968年の夏――。私は日本三景の一つ「天橋立」へ観光に行き、その近くのプールのあるホテルに泊まったことがありました。
泳ぎ疲れて、プールの水の上でポヤ~ンと浮かんでおりますと、いきなり私を頭から水中に押し込む奴がいる。ビックリしてよく見たら私の兄でした。兄は何かにイラついてでもいたのか何度も私を沈めにかかった。もちろん本気ではないでしょうが、危険といえば危険です。実際そのとき私は足が攣ってしまって浮いてるのが不思議なくらいでした。この理不尽な仕打ちと足の痙攣と溺れる恐怖でその瞬間はよく覚えているのですが、
確かにそのときプールサイドのスピーカーから黛ジュンの『天使の誘惑』が流れていたのです。

黛ジュンとしての4枚目のシングル『天使の誘惑』は前3作と違って、いわゆるGSサウンドではありませんでした。また、このあとの『夕月』で復活しますが、当時流行りの小唄・端唄を歌うような節回しもこのときばかりは影を潜め、ストレートな発声をしております。なによりも特徴的だったのはジャケットにも書いてありますが「ハワイアン・ロック」であったこと。
おそらくこの言葉は、あとづけでしょう。当時でさえ「ハワイアン・ロック」という表現には私はピンと来なかった。むしろ「タヒチアン・ロック」じゃないかと。要するに「タムレ」サウンドでしょうと。そんなことは考えました。
でもそれはそれとして、、、
詞も曲もすごくいいんです。歌詞の主旨は同じ年の2か月前に発売されたザ・スパイダース『あの時君は若かった』の女性版みたいで、団塊世代の心の成長というか、少し大人になった部分が感じられる、そういう内容ですね。まぁ強いて分類すれば「未練」ということになるんでしょうけど、メロディがああいうふうですから、なんとも潔(いさぎよ)い感じでした。

こういう歌を聞いて、私は「早く大人になりたいナァ」というキモチになったものです。もちろんそれまでに「恋」というのはしていましたよ。小学校で隣のクラスだった「道子」、転校生の「洋子」それからあれはなンてったっけナー、5年生でもうかなりのバストの持ち主だった、あー思い出せない・・・

『土曜の夜何かが起きる』は黛ジュンとしては9枚目だそうです。連発していたヒットの最後でしたかねぇ。
とにかくカッコイイ曲ですねこれは。派手さはないですが、当時のソウル、ジャズ、ラテンがミックスされたような渋いサウンドで、ベースのベンベンという音がいかにも1969年から70年のムードです。それだけかと言われれば、それだけなんですね。いやぁそれだけでいいんです。
あの時代に私は確かに生きていたのであり、確かにこの曲を聴いて、シビレた。
そんな昔がありました。

ところで「黛ジュン」の表記は『天使の誘惑』を中心とする全盛期は「黛・ジュン」とナカグロが入ってます。一ファンであった私自身、当時、ナカグロがないと正確な表記じゃないという意識がありました。
シングル『恋のハレルヤ』のジャケットを見ますと表4にだけ1箇所「黛・ジュン」の表記があり、それ以外はすべて「黛ジュン」となってますが、続く67年7月の2枚目シングル『霧のかなたに』や同年12月のアルバム『恋のハレルヤ』以降は「黛・ジュン」の表記で統一されています。
これが『土曜の夜何かが起きる』ではすでにナカグロが取れて「黛ジュン」になってまして、日本フォノグラムのフィリップス・レーベル移籍後もそのままで、現在に至ってるようです。
そういえばフランク永井やいしだあゆみも当初は「フランク・永井」「いしだ・あゆみ」というふうに点が入ってましたね。
漫画家さいとう・たかをは最初っから。
こりゃ余談ですが――
太地喜和子は「ヽ」をとって大地喜和子となりましたし、
曙は「ヽ」を付けて(つまり正字を用いて)大関に昇進、初の外国人横綱(第64代)となり、その後「ヽ」を取って日本に帰化しました。
本田美奈子は「.(ドット)」をつけて名前が31画になったし、
バブルが弾けて、歌う不動産王=千昌夫の額からはホクロが消えてしまいました。
藤岡弘は「未だ完成していない」との意味で「、」をつけたそうです。
つのだ☆ひろ の☆はナカグロの代わり説が有力らしい。
モー娘。 ……知りません。
そうそうアレにも元々は「ヽ」がついてたんですよ。アレは。
つい先日も小沢一郎が役所とケンカして、護るべきは王権か、国民の主権か、「ヽ」一つで大違いということにもなりましたっけね。
ナカグロといっても徒や疎かにはできないってことです。

その後の黛ジュンをめぐる話題の中でいちばん注目されたのは『真赤な太陽』解禁についてでしょう。

Yahoo!セカンドライフ – 趣味と教養 – 世界に1枚、ベスト・オブ・ビートルズと幻の名盤2枚 – 高嶋 弘之
で、黛ジュン版の『真赤な太陽』について、そのディレクターが当時の事情を明かしています。  ※(追記:リンク先のファイルは削除されました)

美空ひばりと黛ジュン。YouTubeで聴き比べができますので、ちょっと聴いてみてください。

どうですか?
私はひばりの『真赤な太陽』をリアルタイムで見聞し、いいなと思った世代ですから、正直どちらも気に入ってます。甲乙つけ難いですね。それぞれ持ち味が違ってますし。
もし当時、黛ジュン版が発売されて競作になってたら、それはそれで盛り上がったんじゃないかと思いますよ。
また、ひばりサイドが何とか発売を阻止しようとしたその心理もよく分かります。
結局芸能界は今も昔も力関係がモノを言う弱肉強食の世界ですから、似たようなことは今だって起こりえるでしょう。

追加記事

<参考>
Drums Of Bora Bora & Songs Of Tahiti 1950s STEREO FULL ALBUM

Recorded in 1956 by Gaston Guilbert in Tahiti, this is from the original stereo vinyl pressing and may have a few audible defects. Please keep in mind my videos are never meant to take the place of higher quality sources, and I urge everyone interested in owning this album to seek out their own legitimate issue.

Drums Of Bora Bora – The Exciting Drummers Of Bora Bora
0:00 Pate Matai (The Swirling Winds)
1:17 Ta Ue (Conquest Of The Shark)
2:30 Ue Ue (Enticement)
3:42 Te Ui Api (Youth)
4:43 Ve (Glamor Of The Victor)
6:03 Pahae (Desire)
7:14 Otuu (Flight Of The Heron)
8:30 Torea (Bird Of The Sea)
9:20 Mati (Flame Of Love)
10:45 Tapu (The Forbidden Spring)
11:52 Reva Fanui (The Spirit Of Fanui)

Songs Of Tahiti
13:25 Tamure Paumoto (Fun In Paumoto) – The Tropic Trio
16:29 Matai Arofa (Sad Wind) – The Voices Of The Atolls
19:03 Te Po Haumaru (In The Cool Of The Evening) – The Voices Of The Atolls
22:02 E Hina (Dear Hina) – The Voices Of The Atolls
24:58 Vaiho Mai (Forget Me) – Alain Mottet Et Ses Rhythms Tropicaux
27:43 Otaha (Frigate Bird) – The Tropic Trio

This longplay record album was released in the USA as STT-1600 by Tiare Tahiti Records circa 1958

(2015年5月12日)

追加記事

(2019年5月26日)

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(2022年6月18日)

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