南国土佐を後にして

 約1万8000人の踊り子たちが競演する「第57回よさこい祭り」は10日、本祭1日目を迎えた。心配された台風もそれて上空には朝から青空が広がり、踊り子たちも「よさこいのパワーが台風を遠ざけた」と気合十分。大音量のよさこい節に合わせ、街中で繰り広げられる躍動感あふれる踊りと、小気味よい鳴子の音を、観客の熱気が包み込み、南国・土佐の夏を彩っている。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kochi/news/20100810-OYT8T01044.htm

この時期、大半の人が帰省するので都心は人通りがぐっと減ります。
地方ではそれぞれ夏祭りが行われる。
帰るべきふるさとのない私にはちょっと羨ましく思えます。

(上)昔の絵葉書「はりまや橋」
(下)  同  「青柳橋」

ビクター少年民謡会 – よさこい節
アルバム『民謡お国自慢<1>』所収。
高知県民謡

久保幸江、ポルチーニョ楽団 – 南国土佐を後にして

トリオ・ロス・パンチョス – 南国土佐を後にして
from the album “Trio Los Panchos en Tokyo”(1960)

ペギー葉山 – 南国土佐を後にして(1959/04)
作詞曲:武政英策、編曲:川上義彦

鈴木三重子 – 南国土佐を後にして(1955/09)
作詞曲 武政英策
伴奏:高知サロンアンサンブル

  ※(追記:この動画は削除されました

 

御存知のように『南国土佐を後にして』は鈴木三重子のオリジナルバージョン(武政英策作詞・作曲の新民謡、昭和30年9月テイチク発売)が出てから3年8ヶ月後の昭和34年5月、キングのペギー葉山が歌詞を若干変えてモダンな雰囲気で再発売し大ヒット。
日活がこれを小林旭主演で映画化しまして、同年8月4日、『事件記者 真昼の恐怖』との併映で公開しこれも大入りとなり、“渡り鳥シリーズ”の第一作目となりました。

丘 京子 – 南国土佐を後にして

ネットで検索するとこの盤,昭和28~29年頃のレコーディングとのことで「南国土佐を後にして」の曲名として最初にレコード化された物ではないかと思われます。歌詞もペギーさんのと一部違うし,レーベルには「民謡 南国土佐を後にして 武政栄策補作・編曲 丘 京子 伴奏 高知サロンアンサンブル」とあり,歌詞を聞くに,上京か?進学した学生が門出に唄ってくれた友のよさこい節を心の励みとして頑張っていますってところでしょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=RF6itkn_m4E

私は全く知らなかったのですが、どうやら鈴木三重子盤の前に、『南国土佐を後にして』がレコード化されていたようですね。となると創唱者はその丘京子ということになりそうです。

で、同じころ(たぶん発売会社も同じマーキュリーだろう思うのですが)中山礼子なる女性歌手が『浪曲南国土佐』という曲を出してます。

中山礼子 – 浪曲南国土佐(1959)
補作:武政英策、構成:和田香苗、編曲:和田香苗

歌詞を見ますと、ペギー葉山盤(作詞曲:武政英策)と表記の違いを除き、98%くらい同じ。ただし折り込まれる「よさこい節」以外のメロディの部分が全く違っています。そして全体として浪曲風でもないんですよね。
ただ、冒頭に『南国土佐を後にして』のお馴染みのメロディが演奏で短く引用されております。これがヒット後のスピンオフ作品なのか、丘京子盤・鈴木三重子盤・ペギー葉山盤の、後なのか先なのか、今のところ私には分かりません。

ちなみに、よさこいには欠かせない『よさこい鳴子踊り』も『南国土佐を後にして』と同じ武政英策の作詞・作曲です。

都はるみ – よさこい鳴子踊り(1965/07/10)
作詞曲:武政英策、編曲:市川昭介

  ※(追記:この動画は削除されました

 

都 はるみ – よさこい鴎(1965/03/20)
作詞:石本美由起、作編曲:市川昭介
シングル『巡礼小鳩』のB面。

<参考>
ダ・カーポ – よさこいワンダーランド(1995)
作詞:猿田忠博、補作詞:榊原広子、作曲:榊原政敏
NHK『みんなのうた』(1995/04~05 放送)

1969年の松竹映画『よさこい旅行』は新任駅長伴淳三郎と駅員フランキー堺のすったもんだを描いた人情喜劇で、なかなか味わい深いいい作品でした。
舞台となった土佐大原はどうやら架空の駅のようですね。

よさこいというと一糸乱れぬ鳴子踊りのイメージですが、昨今は個性的な創作舞踊もあるようで、面白そうです。

十人十彩 ~第56回高知よさこい祭り・本祭2日目(愛宕競演場)

 

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【高知県 室戸市民の愛する歌】

青木光一 – 船は三〇〇噸(1957/11)
作詞:石本美由起、作曲:上原げんと
SP盤『巡航船かもめ丸』のB面。

美幌 健 – おいらの船は300とん(1975)
作詞:石本美由起、作曲:上原げんと、補作曲:武政英策、編曲:甲斐靖文

竹中はじめ – おいらの船は300トン

北見恭子 – おいらの船は300トン
アルバム『北見恭子 全曲集 おんなの春』(2005/11/23)所収。

(2011年9月12日)

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大塚美晴 – 南国土佐節(南国土佐をあとにして)
作詞:清水みのる、採譜:黒野義勝、編曲:小沢直与志

歌詞、曲構成ともに「南国土佐を後にして」とほぼ同じで、原型のような雰囲気。
題名の付け方から考えると、丘 京子 盤に先んずるものだったのかもしれません。
(2014年8月14日)

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青木光一 – 船は三〇〇噸(1957/11)
作詞:石本美由起、作曲:上原げんと
SP盤『巡航船かもめ丸』のB面。

(2014年10月19日)

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小津は戦前に撮った『浮草物語』を自らリメイクして、戦後になって『浮草』を撮っています。中村鴈治郎、京マチ子主演の旅芸人一座の物語です。封切りは一九五九年十一月です。この作品を見て、『浮草』に描かれた時代をいつかと考えこむ人がいますが、この答は簡単です。作中に、ぺーギー葉山が歌って大ヒットした「南国土佐を後にして」が、若尾文子が子坊主の島津雅彦と踊るシーンに使われています。この歌は一九五九年にでたミリオンセラーです。ということは、『浮草』に描かれた時は、映画が撮られた時と同じ一九九五九年ということになるでしょう。
<貴田庄『小津安二郎と「東京物語」』182ページ より一部引用>

流行歌を一種の状況音として作中に取り入れるのは黒澤明もやってますね。
(2015年2月21日)

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 武政英策の作詞・作曲による「南国土佐を後にして」は、もともとは中国戦線に赴いた鯨部隊(土佐は捕鯨が盛んだった)の兵隊が、望郷の思いから歌っていた「南国節」あるいは「よさこいと兵隊」という歌だったという。元鯨部隊員の証言によれば、“都に来てから幾歳ぞ”の歌詞はもともと“戦地へ来てから~”であり、“月の浜辺で~”は“月の露営で~”と歌っていたものだったという。
(中略)
歌詞には“土佐の高知の播磨屋橋で~”と、「よさこい節」が挿入され、“桂浜”も“潮吹く魚”も登場する。
(中略)
 空襲で焼け出され、高知県に疎開していた武政は、酒の席で元歌を聞き、その望郷の思いに心動かされたという。昭和27年には作品化、同28年、29年にはレコード化するが、大ヒットしたのは昭和34年にペギー葉山がレコード化したものだ。

<帝国書院刊『歌が紡ぐ日本の地図』156ページ より一部引用>

すでにあった曲を採譜し少し手直しして 自作として JASRAC に登録するというのはどうなんだろう。
(2015年8月27日)

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(2016年1月30日)

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(2018年1月26日)

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(2023年2月12日)

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