
(左)『オリンピック・マーチ』 作曲:古関裕而、指揮:H.C.リーンショーテン、演奏:ロイヤル・ネヴィー・バンド、発売:1964年、ビクター(フィリップス)。
2009年10月3日(日本時間)、国際オリンピック委員会(IOC)総会で、2016年夏季五輪の開催地がリオデジャネイロに決まりました。
私は、それでよかったのだ、と思っています。日本が一番幸福だったあの15日間、あの喜びをブラジルの人々にぜひ味わっていただきたい。ブラジル経済が上向きである今だからこそ、それが相応しいのではないか。そう思うんですよ。
1964年の東京大会。
私の直接的体験は、マラソンの折返し地点でアベベ・ビキラをこの目で見たこと、ただそれだけでした。しかしブラウン管を通じて私は、開会式や重量あげ、陸上、体操、競泳、柔道、バレーボール、その他いろいろな競技、そしてあの閉会式をほぼ同じ日に見ることができた。これは非常にラッキーなことでした。
日本人はあのとき紳士淑女たらんと希(ねが)い、大いに日本選手を応援しつつも、外国選手に対する賞賛の拍手を惜しみませんでした。これは子供心にも日本人の美徳であると意識されたものです。実際日本人がここまで立派に大会を成し遂げたことに対して一番驚いたのは”敗戦国日本”を見縊っていた欧米各国であり、その認識を改めさせたことに日本人誰しもが心の底から快哉を叫んだものです。
その結果、戦前のカルト的愛国心が落ちたあとの寄る辺なき魂の空漠を、”人としての矜恃”を以て埋めることができた。東京大会の最大の収穫はまさにそこにあったと私は感じております。
各々の競技について語ると限(きり)がありませんし、感涙でモニタの字が見えなくなりそうですから措いとくとして、ここでは10月24日の閉会式について触れておきたい。
整然とした開会式も大いに感動しましたが、何と申しましても、あの友情に満ちた閉会式を私は終生忘れることはできないでしょう。私の人生の原点、といってもいい。「地上の平和」とはもしかしたらこういう光景なのかもしれない、そう感じさせる、たいへん素晴らしいものでした。
各国の選手・役員全員が収まる控え室は国立競技場にはありませんから、閉会式に参加する選手団は、開会式同様、外で待機しておりました。しかも場内フィールドでは直前まで馬術競技が行なわれており、雨雲が空を覆っていたこともあって、何が予期せぬ事態が起きるのではないかと、心配する向きもあったようです。
馬術競技自体の終了は15時47分。予定より少し早かったといいます。しかし表彰式がありますので時間的な余裕はありませんでした。
相模湖、八王子、大磯の選手村分村にいた選手・役員らは昼過ぎからバスで出発、15時40分までに代々木選手村へいったん集合し、3グループに分けふたたびバスで明治公園円周道路へ移動。到着順に神宮絵画館前広場で待機し、16時10分、ようやく結集・整列が完了しました。
17時、予定どおり閉会式が始まります。10月のこととて陽はもうすっかり落ちていましたが、競技場の照明が場内を真昼のように照らし出しています。
6万5000乃至7万余名(中継アナウンスでは「7万5000名」)の大歓声と拍手・手拍子に迎えられ、これもまた開会式と同じように、古関裕而作曲のオリンピック・マーチが力強い調子で始まりました。
すでに絵画館前の中央階段を上り、G門(青山門)前~神宮プール前~N門(マラソン門)前の道路を移動していた選手団は、千駄ヶ谷門側北ゲートからフィールド内トラック部分へ入場しました。
開会式と違うのは、選手団の半数近くが閉会式を待たずに帰国しているため、参加94カ国の旗手だけが先に入場し、残っている各国選手団4000余名がそのあと国別に行進するという点でした。
一列に並んだ旗手団の先頭は開会式と同じくギリシャ、しんがりは一番新しい国ザンビアに続いて、開催国日本。ここまでは整然とした行進が続いていました。そして、まもなく日の丸を掲げた福井誠選手がトラックに入ろうとしたその時です。
外国人選手らが福井選手を肩車して登場したのです。
それはまったくのハプニングでした(※のち演出と判明)。観衆がわぁっと沸きます。
あとに続く大勢の外国人選手たちは勝手に自国の集団を離れ、めいめいが思い思いの調子でトラックを歩いています。もはや誰が誰やら、国籍も民族も杳(よう)として知れません。もちろん日本選手団だけはマジメにかたまって動いていました、胴上げされてる福井選手を除いては。
肩を組み互いの健闘を称える者、並んで日本式のお辞儀をする者、ゼッケンのついたランニングシャツ姿で走る者、雨に備えて持参していた傘をくるくると回して踊りだす者、カメラで観客を撮る者、逆周りで歩き出す者、楽団の指揮を真似る者が現れるなど、誰も予想も想像もしていなかった展開となったのです。
それらが悪ふざけではなく、この大会に満足し、楽しんでいる、その喜びの自然な表出、発露であろうことは、観衆にも警備担当者にもストレートに伝わっていました。そこにいた誰もがこのうえなく素敵な笑顔だったからです。
それまで実直な語り口で生中継していたNHK福島幸雄アナウンサーでさえ、歓喜の爆発が伝染(つたわ)ったようで、おもわず相好をくずし、活舌を乱しながら、
「そして、ニッポンのォ、福井選手がついに各国選手に胴上げされました。そして肩車、肩車をされまして、いま第2コーナーからバックストレートに入るところ」
「あっ、アフリカの選手が日本の選手団の中にいます」
とその様子を伝えています。
乱れに乱れて、選手団がなかなか定位置に就かないので、福島アナはしまいには少し腹を立てながら「オリンピックは平和であります」と繰り返したそうです。
ようやく選手団がフィールド内に収まっても興奮は収まりません。すでに予定は十数分遅れていました。ここで区切りをつけるかのように照明が一度落とされ、それぞれの国歌とともに順次掲揚されるギリシャ、日本、メキシコの国旗を、スポットライトが浮かび上がらせました。
ついでIOCブランデージ会長の閉会宣言。
350人によるオリンピック讃歌の大合唱とともに、聖火台の火が静かに落とされていきます。やがて消える炎。
フィールド内の五輪旗とスタジアムの各国旗が降納されます。
五輪旗は5発の礼砲が轟く中、6名に掲げられつつ南ゲートから退出しました。
そしていよいよ閉会式の最も美しい瞬間が訪れます。
別れの歌『蛍の光』の合唱をきっかけに、電光掲示板には、
の文字が点灯しました。
フィールドを囲む女子学生たちが手にした松明をゆっくりと上下に動かし、暗闇を照らし出しています。
どこからか選手のかたことの日本語が聞えてきます。「サッヨォーナラ!」
『蛍の光』の演奏のテンポが速くなりました。選手団の退場です。
電光掲示板には、
MEXICO
CITY 1968
のメッセージが。
旗手、選手たちが再会を約し、肩を組み、握手を交わしながら、ゲートに向って歩いていきます。
この日この瞬間、世界のライバルたちは真の友となり、さらにまたライバルとして相見(あいまみ)えることを誓いつつ、別れのときを迎えたのです。
ありがとう。そしてお元気で。4年後、またメキシコ市で会いましょう。さようなら・・・
そのときです。一陣の風がグラウンドをサーッと吹き抜けました。あれは、敗者たちの無念を鎮めるオリンポスの神の息吹きであったのか、それとも国へ帰る選手たちを渡り鳥に見立てた雁渡しの風ででもあったものか。
18時18分、全選手団の退場が終了。皇族、来賓も退席され、観客が席を立ち始めたころ、場外2か所から空高く花火が打ち上げられ、大会の無事と大成功を寿いだのでした。
18時30分すぎには観客もおおかた退場し了わり、国立競技場に静けさが戻ってきました。おなじころ新宿御苑では、担当大臣、政府要人、各国貴賓、在日大公使、IOC役員、各国役員・選手、国会議員、東京・神奈川・埼玉の知事ら約1万2000名が出席し、サヨナラパーティ(選手役員等のレセプション)が始まろうとしていました。多数の模擬店が設けられ、特設ステージでは三波春夫、坂本九、梓みちよら有名歌手が歌ったといいます。これは関係者だけが知る本当のラスト・シークエンスでしょう。
さて、今回の『私を作った101枚』は、東京オリンピックの開会式、閉会式の選手入場行進の際に演奏された『オリンピック・マーチ』です。あの15日間の印象がこの1曲に凝縮されていて、聴くたびにその感激が鮮やかによみがえってくる、そういう曲です。
演奏しているロイヤル・ネヴィー・バンドとはオランダ王室海軍軍楽隊のことで、1864年、時のオランダ皇帝ウィレム三世によって創設された歴史ある名門ブラスバンドとして、広く知られております。
開会式、閉会式で実際に消防庁音楽隊・海上自衛隊音楽隊が行った演奏に較べると、気持ちテンポが遅い気がしますが、それは聴くための行進曲と行進のための行進曲の違いなのでしょう。
参考文献:
政治新聞社『オリンピックを迎える首都東京の展望』1961年2月発行 3500円
警視庁『オリンピック東京大会の警察記録』1969年11月発行 非売品
朝日新聞社『’64 東京オリンピック』1964年12月15日発行 2800円
(2009年10月3日)
追加記事
というわけで、例によってSONO-COLOアワーの情報です。
SONO-COLOアワーでは2回にわたって東京オリンピックを回顧し懐古する企画をやっております。
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SONO-COLOアワー
1982(昭和57)年10月8日放送 第44回
タイトル「オリンピアードの星は廻りて」
アバンタイトル:第11回ベルリン大会ヒトラー総統の開会宣言
a) 同ベルリン大会 ファンファーレ
1 東京オリンピック/古川緑波
b) 第15回ヘルシンキ大会 ファンファーレ~聖火~閉会式
c) 第16回メルボルン大会 ファンファーレ~聖火~閉会式
d) 第17回ローマ大会 ファンファーレ~グロンキ伊大統領開会宣言~閉会式
2 東京五輪音頭
a) 三波春夫
b) 三橋美智也
c) 橋幸夫
d) 北島三郎、畠山みどり
e) 坂本九、ダニー飯田とパラダイス・キング
3-1 海をこえて友よきたれ/藤山一郎
3-2 この日のために/三浦洸一、安西愛子
3-3 海をこえて友よきたれ/友竹正則、ヴォーチェ・アンジェリカ
3-4 東京オリンピック音頭/橋 幸夫、市丸、松島アキラ、神楽坂浮子
3-5 海をこえて友よきたれ/藤原 良、高石かつ枝
3-6 日本ばんざい/神戸一郎、花村菊江、五月みどり、中尾 渉、唐品由美、花ノ本寿
4 バンザイ東京オリンピック/面高陽子
5 さあ!オリンピックだ/平尾昌章(=平尾昌晃)、伊藤アイコ
(ナレーション)(BGM)オリンピック・マーチ/ロイヤル・ネヴィー・バンド
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音源に使用したのは、
(上左)日本コロムビア発売『東京オリンピック』5枚組LPセット
(上右)パイロット万年筆発売『オリンピック栄光の記録 NHK録音集』5枚組LPセット
『オリンピック栄光の記録』は歴代オリンピックの実況の音が貴重ですが、東京大会の閉会式については、アドリブが多かったせいか、いいとこが抜けてまして、代わりに実況を担当した福島アナの、弁明とも取れる回顧談に時間を割いています。
日本コロムビア5枚組の音も実況はすべてNHK音源となっていますが、こちらは閉会式にレコードの片面以上を充てています。
ロッパの『東京オリンピック』は1936(昭和11)年12月、ビクターから発売されたSP盤。といえばもうお察しのことと思いますが、これは東京で開催されることが決まった第12回大会を当て込んで出されたコミック・ソングでして、歌詞には活躍が期待される選手として孫(基禎)、田島(直人)の名が登場します。B面は能勢妙子と徳山璉の『スポーツ小唄』でした。


(上左)『東京五輪音頭 c/w 東京五輪おどり』三波春夫 1963年8月
(上右)『東京五輪音頭』三橋美智也 c/w 『新日本音頭』北見和夫、下谷二三子、新川二郎(=新川二朗)、小野由紀子 1964 キング
(上左)『東京五輪音頭』橋 幸夫 c/w 『東京音頭』橋幸夫、三沢あけみ 1964年 ビクター
(上右)『東京五輪音頭』 c/w 『前向きで行こう』坂本 九、ダニー飯田とパラダイス・キング 東芝


(上左)『海をこえて友よきたれ』藤山一郎 c/w 『栄冠』海上自衛隊東京音楽隊 東芝
(上右)『この日のために』三浦洸一、安西愛子 c/w 『東京オリンピック音頭』橋 幸夫、市丸、松島アキラ、神楽坂浮子 1962年 ビクター
『海をこえて友よきたれ』はNHK制作の「東京オリンピックの歌」で各社競作となりました。
藤山一郎盤のB面はレイモンド服部作編曲の行進曲『栄冠』。東京オリンピック前夜祭のために作ったとの作者ご本人の一文が掲載されています。歌手藤山一郎と作曲者レイモンド服部の楽曲が東芝からリリースされたというところに意外感があります。


(上左)『海をこえて友よきたれ』友竹正則、ヴォーチェ・アンジェリカ c/w 『東京五輪音頭』三橋美智也 キング
(上右)『海をこえて友よきたれ』藤原 良、高石かつ枝 c/w 『東京五輪音頭』北島三郎、畠山みどり 1963年6月 日本コロムビア
(上左)『日本ばんざい』神戸一郎、花村菊江、五月みどり、中尾 渉、唐品由美、花ノ本寿 c/w 『日の丸あげて』藤原 良、高石かつ枝、青山和子、草野士郎 1963年2月 日本コロムビア
(上右)ソノシート『バンザイ東京オリンピック』面高陽子 c/w 『日の丸あげて』藤原 良、高石かつ枝、青山和子、草野士郎
『バンザイ東京オリンピック』は日本コロムビアの電機製品を購入し協賛カードを送付した人に進呈されたソノシート。
当時、同社はオリンピック資金調達を行っていた財団法人東京オリンピック資金財団の協賛会員で「われわれの手で世界に誇れる大会を完成しよう」運動を推進しており、売り上げから財団へ寄付をし、購入者にこのソノシートと抽選券を渡していたそうです。
またこの曲は日本コロムビアの童謡シリーズ「コロちゃん」の系列として、シングル盤も発売されていて、そのB面はコロムビア児童合唱団『オリンピックはすてきだな』でした。
(下左) シングル盤のレーベル『オリンピックはすてきだな』コロムビア児童合唱団 1963年4月 日本コロムビア
(下右)『さあ!オリンピックだ』平尾昌章(=平尾昌晃)、伊藤アイコ c/w 『思い出の泉』伊藤アイコ 1964年 ビクター
平尾昌章、伊藤アイコの『さあ!オリンピックだ』は井田誠一・作詞、いずみ・たく作編曲。B面の『思い出の泉』はローマでの恋を歌っています。
以上の第44回から1回おいた第46回に、ふたたび東京オリンピックを取り上げました。この回では思い出の名シーンと閉会式の感動がテーマです。
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SONO-COLOアワー
1982(昭和57)年10月22日放送 第46回
タイトル「さらばTOKYO 聖火来り去る」
アバンタイトル (アナ中継)「フィールドに・・・その幕を閉じたのであります」
1 フレッシュ東京/吉永小百合
a) 東京大会 バレーボール女子 リーグ決勝 日本対ソビエト
b) (インタビュー)河西昌枝
c) 東京大会 水泳女子 100m決勝 田中聡子
d) 東京大会 体操女子 床運動 ベラ・チャスラフスカ
(BGM) 映画『東京オリンピック』(作曲:黛敏郎)
(セリフ) 大映『セックス・チェック 第二の性』より 安田道代(=大楠道代)、緒形 拳
(ドキュメント)マラソン折返し地点が設けられた東京都調布市の本田嘉一郎市長
(M) サヨナラ東京/坂本 九
2 GOLDEN PAVILION (KINKAKUJI) /NORRIE PARAMOR’S STRINGS & ORCHESTRA
e) 東京大会 閉会式実況
(M) 蛍の光
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(上左)『フレッシュ東京』吉永小百合 1964年2月 ビクター
(上右)記念ホノシート『感激の東京オリンピック』
記念ホノシート『感激の東京オリンピック』
企画・松下電器
TBSラジオ実況放送に、芥川隆行の語りをミキシングしたもので、ソノシート1枚に、開会式、重量あげ、レスリング、体操競技、マラソン、ボクシング、バレーボール、閉会式をコンパクトにまとめています。何といっても芥川の語りが絶品で、たしかこの回の放送のラスト「蛍の光」部分の音源はこれから採ったように記憶しています。
(上)カルピス食品株式会社『カルピス オリンピック ハイライト ソノシート』1964年10月
ソノシート5枚組で、金具を使わず折っただけの紙ジャケットが異色です。
記述によると、カルピスは選手村で提供され各国選手に愛飲されたとか。
音源提供は日本民間放送連盟。開会式、閉会式の音源はTBSとなっています。
(上右)『調布市政10周年記念ソノシート』レーベル部分
制作:日本コロムビア
’64年の想い出
NHK実況放送より 開会式、マラソン競技
その日の想い出
調布市長 本田嘉一郎
思い出の名シーンでは、柔道無差別級ヘーシンク対神永、重量あげフェザー級三宅、男子種目別つり輪早田、マラソン円谷、棒高跳びハンセン、男子100mヘイズ、などなど、時間の都合で割愛せざるをえなかったのが残念でした。

(上)米輸入盤LP『IN TOKYO-IN LOVE』 Norrie Paramor’s Strings & Orchestra with the voice Patricia Clarck(1964)
ノリー・パラマー(日本語ではノリー・パレイマーの表記も)は英コロムビア・レコードのプロデューサー、作曲家、アレンジャーで、クリフ・リチャードやヘレン・シャピロ等を担当していた人です。ノリー・パラマー楽団名義のイージー・リスニング物はアメリカではキャピトル・レコードから発売されていました。
パラマーはこれ以前に2枚(THE STREET OF TOKYO, RAINY NIGHT IN TOKYO)、日本をテーマにしたアルバムを出してるのですが、どうしてもエキゾチ(シ)ズムのフィルターがかかってしまうようです。収録曲には歌謡曲も含まれてまして、このアルバムでは『黒い花びら』『黄昏のビギン』『上を向いて歩こう』『可愛いめんどりが歌った』など、当時、キャピトルが契約していた東芝の曲を演ってます。
ちなみに金閣寺をイメージした『Golden Pavilion』はパラマー自身の作品です。”外人選手が日本に対して抱いたイメージ”はこんなんではなかったか、ということでチョイスいたしました。
開会式楽曲クレジット:
君が代
オリンピック序曲 作曲:團伊玖磨
電子音楽 作曲:黛敏郎
<選手入場行進曲>
オリンピック・マーチ 作曲:古関裕而
後甲板にて 作曲:ケネス・アルフォード
海を越える握手 作曲:スーザ
サンブルとミューズ(サンブル・エ・ミューズ連隊) 作曲:ジーン・ロベール・ブランケット
祝典行進曲 作曲:團伊玖磨
剣と槍 作曲:H.シュタルケ
交響曲第9番 作曲:ベートーヴェン
オリンピック東京大会ファンファーレ 作曲:今井光也 / 日本体育協会日本オリンピック委員会
オリンピック讃歌 作詞:カ・パラマ(カ・パイアマ)、作曲:スピロ・サマラ、編曲:古関裕而、訳詞:野上 彰
オリンピック東京大会讃歌(A) 作詞:佐藤春夫、作曲:清水 修
閉会式楽曲クレジット:
電子音楽 作曲:黛敏郎
<選手入場行進曲>
オリンピック・マーチ 作曲:古関裕而
旧友 作曲:タイケ
後甲板にて 作曲:ケネス・アルフォード
海を越える握手 作曲:スーザ
サンブルとミューズ(サンブル・エ・ミューズ連隊) 作曲:ジーン・ロベール・ブランケット
オリンピック東京大会ファンファーレ 作曲:今井光也 / 日本体育協会日本オリンピック委員会
オリンピック東京大会讃歌(B) 作詞:西条八十、作曲:小倉 朗
オリンピック讃歌 作詞:カ・パラマ(カ・パイアマ)、作曲:スピロ・サマラ、編曲:古関裕而、訳詞:野上 彰
鼓隊マーチ 作曲:須摩洋朔
ギリシャ国歌
君が代
メキシコ国歌
蛍の光
この2回の東京大会の特集で使わなかった音源も多数ありました。
参考のために以下に列挙しておきたいと思います。


(上左)『月刊朝日ソノラマ』1963年10月号(No.46)
巻頭特集「オリンピックまであと一年」
(文)山口瞳の「江分利満氏のオリンピック論」
(写真)聖火台の点火実験、銀座4丁目付近の地下鉄工事現場、ほぼ完成した高速4号線千駄ヶ谷付近
(上右)シングル盤『オリンピックを讃えて』作曲:須摩洋朔、演奏:陸上自衛隊中央音楽隊1962年 キング
須摩洋朔(すま・ようさく)は戦前の陸軍軍楽隊のころから活躍していた、有名な作編曲家・トロンボーン奏者。


(上左)明星1964年10月号付録ソノシートの台紙
これにオレンジ色のソノシート1枚が付いています。曲は橋幸夫の『みんなの旗』と『人間みな同じ』。作詞は両曲とも川内康範で、「白地は正義だ」なんてあるのでさすが康範先生、右翼チックだなんて思ったら君が代の「君はみんなをさしている」と案外バランスをとってたり。
(上右)テイチク・フォノグラフ『東京オリンピック’64』
NHK実況放送からトータル1時間分を収録したソノシート4枚組。写真多数。発行日は不明。


(上左)日本WHO協会『オリンピック讃歌』ソノシート1枚
作詞:パラマ、作曲:サマラ、訳詞:野上 彰の『オリンピック讃歌』が収められています。
(上右)朝日ソノラマ『東京オリンピック』
NHKラジオ実況放送による音の記録。ソノシート3枚。
こうしてみてみると、テレビの実況中継の音声を使ったレコード、ソノシートがありません。テレビの実況はやはり画像中心ということで、アナがあまりしゃべらなかったようです。


(上左)『月刊朝日ソノラマ』1963年11月号(No.59)
巻頭特集「オリンピックが変えた東京」
(上右)『毎日グラフ 別冊1965年1月号<12人の魔女>』付録
12人の魔女 勝利の声
五輪優勝の瞬間、表彰式、大松監督の声、涙にむせぶ魔女たち
企画:毎日グラフ編集部
資料提供:民放連オリンピックラジオ放送本部
制作:ニッポン・エコー
- 東京オリンピック – Wikipedia
- YouTube – 映画『東京オリンピック』閉会式
- JOC – 東京オリンピック 1964
- 京子喫茶室 | 東京オリンピック マラソン折り返し地点の碑から
- 時事ドットコム:近代オリンピックとその時代
- 戦後日本の世相史(Shallow history of Japan after World War II)
(2009年10月3日)
追加記事
資料室を調べてたら、後からこんなものが見つかりました(写真:クリックで拡大)。
(上左)アサヒグラフ 1964年10月2日号 80円
『オリンピック選手村ひらく』
74万7450平方メートルの代々木ワシントンハイツが1963年12月に米軍から返還され、11億円をかけた突貫工事の末ついに完成した選手村。記事では9月15日にオープンした代々木本村を紹介しています。
ほか、韓国選手団受け入れ準備のため来日した孫基禎氏の記事。
五輪関連以外では、国連のロビー活動を取材した『国連ロビーの外交官たち』、アメリカの超小型電気自動車ランブル・シート、輸出用カナリヤの飼育を始めた閉山炭鉱の人たち、電子ビームの微細加工技術、新幹線No.1号切符入手者、建築制限の新大阪駅周辺、失敗に終ったベトナム9月13日ラム・バンパト准将のクーデター、など。
(上右)アサヒグラフ 1964年10月16日号
『栄冠へ精鋭つどう・代々木選手村の生活』
表紙写真:女子100メートル背泳クリスチーヌ・キャロン(仏)
各国有名選手のようす、日本選手団結団式、「金メダルは15個以上を 日本の優勝予想」、開幕を待つ選手村、外人観光客を一般家庭が受け入れる「民泊」、等の記事。
五輪以外では「門出 結婚の儀をおえられて 常陸宮両殿下」、「創傷外科の進歩」「森英恵 歌謡曲『氷雪の門』のために」、「”新名所”岐阜羽島駅」など。
(上左)アサヒグラフ 1964年10月23日号
『オリンピック東京大会開く』
開会式、重量あげ、飛板飛込み、競泳男子100メートル自由形、ボート、近代五種、バレーボール、バスケット、レストング、
「後半戦を占う メダルはいくつ日本の手に」、「後半の見どころ 体操、柔道」バレーボール、女子80メートル障害」、「本誌記者座談会 各国選手見たまま」等の記事。
「善意通訳 マミちゃん」というルポがあり何だろうと思い、よく読んでみたら、今でいう民間ボランティアの通訳のことでした。
(上右)アサヒグラフ 1964年10月30日号
『速報 東京オリンピック』
男子体操規定、男子砲丸投げ、女子五種競技、男子800メートル決勝、棒高とび、女子100メートル決勝、男子100メートル決勝、20キロ競歩、女子走幅とび、女子バレー、重量あげ、レスリング(フリースタイル)、競泳女子100メートル自由形決勝、サッカー予選リーグ、男子1万メートル、バスケットボール、女子100メートル背泳決勝、男子100メートル背泳決勝、飛込み、海路で来日した五輪見物客、等の記事。
五輪以外では「三人乗り宇宙船 ウォスホート無事帰還」の話題。
(上左)アサヒグラフ 1964年11月6日号
『東京オリンピック終る』
表紙写真:女子バレー涙の表彰式
巻頭の特集は「池田首相辞任」。
五輪記事では女子バレーチーム、外国人選手たち、マラソン、女子80メートル障害の依田郁子、体操女子規定、総合馬術耐久レース、ヨット、男子体操6種目、柔道、ブルガリア選手が選手村で神前結婚式を挙げた等の話題。
外国人選手らが東京の街を見物した、外国人観光客が目立っている、というので、記事タイトルは「あふれる国際色 東京の十月」。なんかほほえましいですね。
アサヒグラフはこの時期、増刊『東京オリンピック』280円を発行しています。
(上右)日本書籍出版協会発行『世界各国オリンピックポスター集』250円
付・開催地の記念切手一覧
亀倉雄策デザインの有名な公式ポスターはじめ歴代オリンピックのポスター(縮刷版)を集めたもの。これは貴重です。


(上左)わせだ書房発行、東龍太郎著『オリンピック』1962(昭和37)年5月17日初版の箱。
(上右)中の本。
時の東京都知事の著作となっていますが、近代オリンピックの歴史と理念に関わる部分はライターの書いたものではないかと考えられます。また関係者の寄稿『オリンピック余話』にもかなりの紙数が割かれています。
この本は発行年の翌年の成人式で、新成人に配布されたようですね。
(2009年10月5日)
追加記事
カクテルの辞典を披くとたいてい載ってるんですけど、東京オリンピック記念のカクテルが存在します。
名前は『マイ東京』(MY TOKYO)。
オリンピック開催記念のコンクールで優勝した作品で、考案者は大阪の上田芳明氏。
実はだいぶ前に私はバーテンダーさんにこのカクテルを作ってもらい、飲んだことがありました。
ウイスキーベースということで、けっこうクラッときます。
- オリンピック記念で作られたカクテル『マイ東京』 – ココロに届く1杯のメッセージを… – Yahoo!ブログ
- マイ東京|この「カクテル」が美味しい!
- いるか喫茶バーのスタンダードショートカクテルマイ東京
(2009年10月17日)
以下、データ量が多くなりましたので、分割しました。


















