日別アーカイブ: 2009/11/09 月曜日

自註自解(2)

 

◆ ご当地ソングの出自

「ご当地もの」「ご当地ソング」という言葉がいつごろから使われ始めたのか、初出を求めて文献を渉猟・精査することは可能でしょうが、言葉として実際使われだした時期はおそらく確定できないでしょう。「ご当地もの」についてはレコード業界内では戦前にまでさかのぼるかもしれません。
「ご当地」の語そのものは、旅芸人一座の先触れ口上「ご当地初お目見え」云々でも分かるように、他所者(よそもの)がある土地について「こちらさま」という意味で使う丁寧語で、相手側の会社を「御社」「貴社」などというのと同じです。それが自尊的意味合いに変わるのは後の話――。

ご当地ソング以前のご当地ソングとして、俚謡(=民謡)・俗曲が挙げられます。ほとんどはその土地以外で歌われることはなく、その必要もなかったはずのものです。昔の人は郷党心が強かったですから、中にはライバルの村や地域、隣国に対して矜(ほこ)る、いわゆる“お国自慢”“名物自慢”をするという要素を持った歌もありましたが、それらは少数派ですね。

大きな動きがあったのは明治維新とその前後です。薩摩、長州など遠国(おんごく)の人々が敵地江戸を目指し移動し、ついに到達して占領する。参勤交代のほかにこれほど大きな移動があったのは江戸開幕(かいばく)以来でしょう。討幕軍兵士の在所の民謡・俗曲、軍歌に準ずるような兵士の愛唱歌が持ち込まれたほか、通過地点の歌も江戸に入ってきた。江戸そのものもクローズアップされて、官軍が来たら焼け野原になるという主旨の俗曲が歌われたといいますが、これは討幕派の心理作戦だったかもしれません。

革命は裏切られるのが常です。明治政府の苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)と権柄尽くに幻滅した庶民が阿呆駄羅経や書生節で、ささやかな抵抗を試みたということがありました。同時にそれなりに平和だった徳川の治世を懐かしむ江戸懐古ブームも起きたそうです。そんな中で「お江戸日本橋」や「鎌倉節」といった幕末のはやり歌がリバイバルしました。

明治も中ごろになると、旧制高校や大学の寮歌・校歌、「デカンショ節」のような寮生愛唱歌の流行が見られました。今ではちょっと考えられませんね。寮歌・校歌はその所在地の景観を讃える文句が入るのが普通で、その意味ではご当地ソングとはいえるでしょうけど、本来なら生徒や関係者以外には関心がもたれない性質のものです。逆にいえばそれだけ名作が多かったということでしょう。
寮歌は戦前世代の青春の歌として、昭和30~40年代にふたたび脚光を浴びました。

同じく明治の中葉、本格的な民謡ブームが起こり、「磯節」「金毘羅船々」「木曾節」「米山甚句」「おけさ」「大島節」「銚子大漁節」等々、今にち民謡として知られている多くの歌が広く認知されるようになりました。その主な担い手は芸者衆で、歌われたのは宴席でした。「安来節(やすぎぶし)」のようにパフォーマンスを伴うものも人気で、全国を巡業したといいます。

1879(明治12)年、円筒型蓄音機が初めて輸入されました。平円盤型は1903(明治36)年。
国産レコードの製造・販売は1909(明治42)年ころだそうです。
フィルム式映写システム「キネトスコープ」が神戸で本邦初公開されたのは1896(明治29)年11月。
日本初のラジオ放送は1925年(大正14年)3月。

演歌(戦争、時事問題などに関して政治的主張や諷刺をする歌)や浅草オペラの劇中歌などの影響から、いわゆる流行歌が花開いた明治後期~大正年間~昭和初期、
新聞・雑誌をはるかに凌駕する影響力を秘めたレコード・映画(上映時に生演奏あるいはレコードを使用)・ラジオが登場したことで、ご当地ソングが量産される下地が出来上がったといっていいでしょう。
はやり唄の担い手の役割も、街頭演歌師やお座敷の芸者から、職業歌手とその分身であるレコードへと移っていきました。
地名や特定の土地の風物が出てくる歌では、この時期、
「電車唱歌」「ハイカラソング」「七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の根)」「新どんどん節」「むらさき節」「マックロ節」「新金色夜叉」「新深川節」「東京節(パイノパイ)」「平和節」「復興節」「洒落男」
などがあります。
ここまでは「原(プロト)ご当地ソング」「前(プレ)ご当地ソング」とでも称すべき、大いなる助走の期間でした。音楽がようやくレコードやラジオといった媒体に乗った。そしてそこにもう一つ重要な要素が加わることでご当地ソングはビッグバンを起こすことになります。

◆ ご当地ソングの本分

いつの時代でも優れたソングライターが、新しい潮流を作っていくものです。
この時代は中山晋平、野口雨情、西条八十でした。
彼らの流行歌、新童謡、新民謡は、レコード、ラジオという強い味方を得て、燎原の火のように全国に広がり、さらに次世代の才能を呼び覚ます役割を果たしました。
ここに至ってようやく我々はご当地ソングの名にふさわしい歌と遭遇することになります。

「城ヶ島の雨」「船頭小唄」「証城寺の狸囃子」「砂山」「足柄山」「須坂小唄」「磯原節」「波浮の港」「松島音頭」「茶っ切り節」「当世銀座節」「竜峡小唄」「神田小唄」「東京行進曲」「東京音頭」・・・

こうした歌には最初から地域PRに利用するために企画されたものが多く、それがまたレコードという商品によって広まっていくという、二重の「商業性」によって成り立っている。これは明らかに従前とは異なる点です。
ご当地ソングの、「ご当地」という観光を意識した勿体づけ、「ソング」などとわざわざ外来語でいう洒落っ気・チャラっ気、そうした気分にふさわしい楽曲がこの時期、作られるようになったということですね。
しかしまぁ、江戸中期の元禄時代や文化・文政期にも観光ブーム(物見遊山・お伊勢参り・湯治の流行)が起き、やはり遠い土地の民謡が江戸や京・大坂(大阪)で流行ったそうですから、現象としてはそうしたことの現代版といえるでしょう。

およそご当地ソングというからには、その「土地」「場所」を優れていると自認し、できればPRしたいという気分がなければいけないわけで、そこに他所者が惹きつけられる、興味を持つ。この構造がご当地ソングの基本でしょう。PRの役割が減っても「ゼロ」ということにはならない。なぜなら人間が一生の間に行ける場所の数は非常に限られていますし、実際に住んで生活し、土地の人の情けに触れて初めてその「土地」「場所」の特性が分かるというのが本当のとこですから。ご当地ソングはその誘い水になればいい。もっとも逃げ水現象で永遠にたどり着けない幻想に終るかもしれませんが。

流行歌で外国の地名の入っているもの、とりわけ台湾、朝鮮、中国、シベリヤ、あるいは南方に関するものでは、領土拡張への意志が露わになっているものが多く、日清・日露両戦役にかかわる演歌のように、かなりきな臭い感じがあります。例えば「戦友」「青島節」「さすらいの唄」「鴨緑江節」「流浪の旅」「馬賊の歌」「酋長の娘」といったもの。
せいぜい割り引いて云えば南溟北涯の冒険浪漫、エキゾチ(シ)ズム。日本侵略がそうだと言われれば日本人が怒り出すように、もちろんそれは一方的な感情に過ぎません。
この流れは満洲事変から太平洋戦争の敗戦まで続き、大陸歌謡などというくくりも生れました。

◆ ご当地ソングの諸相

さて、その後のことは、実は今と大差ないですね。

各自治体がレコード会社に制作を委託して観光地のPRソングを作る、観光資源のないところでも盆踊り用に「○○音頭」「○○小唄」を作る。レコード会社からすれば「特販」ということになりますが、そうしたもので全国的に流行した曲はほとんどありません。歌としてはつまらないものが多い。
『東村山音頭』が志村けんのとてつもない改作によって知られるようになったのは例外中の例外でしょう。
もっとつまらないのは校歌です。今じゃどこの小・中・高・大学にも校歌がありますが、関係のない人たちまでが歌いたくなるようなのは、まず聞いたことがない。
これら「特販」レコードは宣伝費をかけて商品として一般に売られる筋のものではありません。私はそれをあえて売るという流通経路があってもいいと思う。ネット通販が可能な今だからこそできると思うんですけどね。

(上)SPレコード「観光佐渡めぐり」のA面とB面。
おそらく昭和31~33年ころのものと考えられます。SPには珍しく、盤面がピクチャーレコードになっていて、A面には金北山、尖閣湾の写真、B面には佐渡島の地図と、「佐渡おけさ」「相川音頭」「両津甚句」の一節が印刷されています。歌とバスガイドの案内、そしてカラー写真まで付ける、テレビ普及直前の、かなりお金をかけた宣材ですね。

歌謡曲としてのご当地ソングが売れる要素としては、やはり「情」の部分が重要となってきます。普通の歌謡曲と、そこはまったく同じです。
恋愛、別れ、未練、追憶、恨み、喜怒哀楽、親子の情愛などが、特定の「場所」と関わることで、より輪郭のハッキリしたドラマ性を獲得する。それが歌謡曲におけるご当地ソングのキモであります。
地名が入っていても、歌の主人公と関係が希薄な場合は、これはご当地ソングとはいえません。たとえば「きょうは新宿 あす銀座」という詞があったとしても、歌の主人公が気まぐれで飲みに行く場所のひとつでしかないとか、そういうことではご当地ソングではない。
結局その歌の主旨においてその「場所」の重要度がいかばかりか、その歌世界での「場所」の存在感の軽重・大小が判断の決め手となりますから、ご当地ソングか否かを判定するにはケース・バイ・ケース、一曲一曲よくよく吟味する必要があります。

その意味では「情」が「薄く」ても、実はご当地ソングとしては成り立ちます。テーマがあればいいんです。
例えば「温泉」。各地の温泉を各コーラスに振り分ける形式の歌。これはいうなればご当地ソングの集合体=マルチご当地ソング、ですね。

これらは昭和30~40年代の旅行ブーム(cf.「点と線」「ディスカバー・ジャパン」)、熱海・南紀白浜・宮崎への新婚旅行の流行(cf.「喜劇 大安旅行」)、レジャー・ブーム、温泉(掘削)ブーム(cf.「喜劇 駅前温泉」「喜劇 一発勝負」)などに、見事に対応した秀逸な企画といえましょう。
マルチでない単一の温泉ものでは、民謡の「草津節」「草津湯もみ唄」に代表される湯もみ唄系がズバリそのものでしょう。

雨情・晋平の新民謡で葭町二三吉(藤本二三吉)が歌った「三朝小唄」では、ひと言「三朝湯の神」と触れている箇所がありますが、三朝温泉のご当地ソングではなく、あくまで鳥取県三朝のそれでして、昭和32年制定の「三朝町歌」でも2番に「靡く湯げむり 懐かしく」とあるくらいです。温泉だけじゃないぞ、ってとこでしょうか。いささか総花的ではあります。同じ藤本二三吉でも時雨音羽・中山晋平で作られた「野沢温泉小唄」ですとテーマを温泉のみに絞って成功しています。擬声語(オノマトペ)がまたよろしい。

ご当地ソングの女王だった赤坂小梅の歌では「奥津温泉小唄」が比較的知られております。「金田一温泉小唄」というのも歌ってるようですね。
新民謡は粗製かどうかは別として乱造されてきたことは確かで、自治体発注の「○○音頭」「○○小唄」につながっていく流れです。乱造により名曲発生率がどんどん低くなってる気がします。

ちなみに、五月みどりの「温泉芸者」には地名やそれに類する情報はまったく出てきません。この場合は歌の舞台が不特定なほうがより世界が広がり、深みが生まれるわけで、そういうケースもあるということです。

温泉のほかにも、盛り場、酒どころ、港町あるいは各地の女性といったテーマでやはりマルチなご当地ソングが作られました。
女性というテーマでは世界版のほうが趣向に富んでいたように思います。世界各国の女性を歌うポール・アンカ「ラブ」、リッキー・ネルソン「トラブリン・マン(=トラベリン・マン)」などはその代表です。日本ではCMソングとして作られたハニー・ナイツの「ふりむかないで」は曲としてもよく出来てました。

「どこそこの何々娘」のような人物像をテーマとしたご当地ソングがあります。この一群では「東京○○娘」という題名が多い(時に「娘」が「女の子」「レディ」「シンデレラ」「女神」になったりします)。
この場合の「東京」、あるいはオリンピック以前では「銀座」も含めていいかもしれませんが、それは「都会」の例え・言い換え・代替語であることが多いということに、留意すべきでしょう。奔放な「都会の娘」をテーマにしながら、あえて「都会」といわずに「東京」とつける。そのほうが商品(レコード)として魅力的ですし、イメージも描きやすい。そもそも日本では都会のNo.1が東京なわけですから間違いではないですね。

とはいえ、タイトル以外に「東京」の語も東京の風物も登場しない藤てるみ「東京ヤ・ヤ・ガール」、米米CLUB「東京イェイイェイ娘」といった極端な例もあり、そうでなくとも地域性の希薄な「東京○○娘」のほうがむしろ多いのですから、安易にそれらを東京のご当地ソングとして分類・認定するのは、これは考えものです。

(参考)

余談ですが、戦前・戦後を通じて、各地の花売娘を歌い続けた岡晴夫は、最後 き り はとうとう南アメリカ北部ベネズエラのカラカスまで行ってしまいました。ただし岡晴夫の花売娘ものは、作詞者が現地に必ず行っていたかは別として、いづれもご当地ソングとして立派に成り立つものばかりです。

ご当地ソングでは「○○ブルース」「○○ブギ」「○○ワルツ」など、(独自のファッションや世界観を併せ持っている)流行の音楽スタイルから作っていく方法が常套的です。
これも賑やかで重層的で多面的な都会なら、たいていの音楽スタイルは合うわけでして、例えば春日八郎に「東京ウエスタン」という歌があります。
発売は1955年10月。東京とアメリカ西部ではあまりにかけ離れてますが、これには当時、西部劇映画が全盛であったこと、それまで米軍キャンプでのみ演奏されていたカントリー&ウエスタンが一般の日本人にも興味をもたれるようになったことなどが背景としてあるのです。そこで銀座をはしごする淋しい男が自分を西部劇のカウボーイに、銀座を砂漠に、酒場をオアシスに擬(なぞら)えるという、少々無理のある歌が出来上がってしまった。しかも曲調はカントリーとはいえない。
――サテ、これはご当地ソングに数えていいものでしょうか?
私はご当地ソングというよりは時代風俗を象徴する歌として記憶されるべきものだと思います。ケイ・スターの「ロック・アンド・ロール・ワルツ」、フランク・シナトラの「ツイストにはかなわない」みたいなもので、とりあえずはやりものには乗っておこうという精神でしょう。

昭和も五十年代に入ると一億総中流化し、移動の費用もさしたる負担ではなくなりました。マイカーが津々浦々まで普及し、道路網が整備され、列車のスピードが上り、旅客機さえ気軽に利用されるようになって、日本列島の「時間的距離」は以前に比べ各段に縮まった。
皮肉なことに、そうしたことがご当地ソングの衰退を招いてしまいました。お金と時間の余裕さえあれば誰でも簡単に「ご当地」を満喫できるのですから、無理もありません。

歌謡曲の時代も終りJ-POPともなりますと、個人の日常の感覚が聞き手の理解にあまり配慮しない形で歌にされることが多くなり、「場所」の扱いもマクロなイメージから個人の意識にある一要素に格下げされた観があります。それがいいとか悪いとかではありません。テレビと学校教育の影響で、どこの地方の子供でも普通に標準語が話せるようになり、流行も感覚も町並み同様に、均一化・平均化・画一化されてきたという事実があるのみです。
今ごろになって旧町名を復活させたり、B級グルメを作ってアピールするのですから、ご苦労なことではあります。
現実がこうである以上、これから作られるご当地ソングは「ご当地ソング」らしさを強調したパロディとならざるをえないでしょう。あるいはまた、すでに失われてしまった「ご当地」への郷愁の歌となるかもしれません。

◆    ◆    ◆

追加記事

 東京商工リサーチは先ごろ、社名の中に山手線の駅名が入った企業の調査結果を発表した。該当する会社がゼロという「新大久保」の“不人気”ぶりが判明するなど興味深い結果だが、あらためて「東京」という言葉が持つ圧倒的なブランド力が浮き彫りになったのが特徴だ。
(中略)
同社は「今年は山手線命名100周年でもあり、山手線とともに歩んだ企業という観点で調査しました。当社では100年以上の歴史がある特集を行ってきた経緯があり、その一環でもあります」(情報本部)と説明する。
(中略)
   【山手線の駅名と同商号企業の数】


http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20091107/dms0911071313004-n1.htm

町の不動産屋が多いような気がします。「新大久保」がないのは「新」が「大久保」ではなく会社名自体に掛っているように錯覚されるおそれがあるからではないでしょうか。出版社でそういう種類の社名がありますよね。

「滋賀ッツマン」人気 ご当地キャラ次々身近な話題
 従来の勧善懲悪型とは異なり、戦わないことが誇りというヒーローを描いたアニメ「滋賀ッツマン」が人気を博している。“地域密着”をテーマに、個性的な得意技を持った各地のご当地キャラクターが次々に登場するのが受け、昨年9月にびわ湖放送(BBC)で放映開始されてから半年で映画が上映。今月8日にはDVDも発売される予定で、一風変わったニューヒーローのファンがますます増えそうだ。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/news/20091106-OYT8T01267.htm

もはやご当地PRは歌でなく、キャラクターの時代です。
ご当地キャラには「ゆるキャラ」系と記事にあるような「戦隊」系の2種があるようですね。どちらも女性や子どもに大受けで、地元の支持もあついのが特徴。歌はそのキャラに付随する一要素でしかありません。
(2009年11月9日)

追加記事

 埼玉県入間市の会社員が、約13年かけて国内外の珍しい名前の土地100か所以上を訪ねた記録を出版し、話題になっている。エロマンガ、マルデアホ、笑内(おかしない)、鼻毛、南蛇井(なんじゃい)……。思わずニヤリとする地名のオンパレードに、「会社を解雇されてつらい時に本を読み、元気が出た」などの感想が届く。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100104-00000476-yom-soci

名所や名物が無くとも、地名それ自体が面白ければ注目される、、、これも情報化社会のご利益でしょう。
逆バージョンで外国人にとってヘンな意味になる日本語・日本の地名もけっこうありそうですね。

(2010年1月5日)

追加記事

銀河熱風オンセンガー(4:18)
(編曲:田中公平/ナレーション:鈴置洋孝)
EP盤「おぢさんシンドローム」のB面。『J9シリーズ』へのオマージュで、山本が当時ファンクラブの機関誌『檸檬倶楽部』で連載していた同名小説の主題歌。冒頭に『銀河旋風ブライガー』の主題歌と同様のナレーションが入る。歌詞の中には日本全国各地の温泉の名称が歌われている。なお山本は過去に大病を患った際に病院の診断ミスを受け、医者に不信感を持った経験があり、その時の思いが温泉治療の歌詞に織り込まれている。

<山本正之’88 – Wikipedia>

山本正之 – 銀河熱風オンセンガー(1988)

湯治の視点から温泉を歌にしている。
地名としては箱根、伊豆、熱海、鬼怒川、野沢、下呂、飯坂、白浜、三朝、指宿、花巻、浅虫が登場する。
(2016年4月12日)

追加記事

菅原文太・愛川欽也 – ワッパ人生
アルバム『文太・キンキン 歌え!!トラック野郎』より。
釧路、札幌、旭川、酒田、女川、石巻、高知、松山、下関、久留米、熊本、都城

  ※(追記:この動画は削除されました

 

(2016年7月1日)

追加記事

山内惠介 – 恋する街角(2008/10/01)
作詞:下地亜記子、作曲:水森英夫、編曲:伊戸のりお
地名:札幌、すすき野、名古屋、住吉、錦、大阪、道頓堀、博多、那珂川、中洲

  ※(追記:この動画は削除されました

 

山内惠介 – 恋する街角~スペシャルバージョン(2009/02/25)
地名:東京、(赤坂)サカス、(六本木)ヒルズ、(東京)ミッドタウンを追加。

  ※(追記:この動画は削除されました

 

(2021年12月31日)