ビクター音楽部門売却

 電機メーカーの日本ビクターとケンウッドの持ち株会社「JVC・ケンウッド・ホールディングス」が、ビクターの音楽ソフト事業をゲームソフト大手のコナミに売却する方向で調整していることが3日、明らかになった。
(中略)
 ビクターエンタテインメントは1928年に日本ビクターの音楽事業部門としてレコード生産を開始。72年にレコード会社として分離された。
(中略)
 JVCは、昨秋以降の景気悪化で業績が低迷し、2010年3月期の税引き後利益が200億円の赤字となる見通しだ。特に傘下のビクターは、欧州テレビ事業が縮小を迫られるなど業績落ち込みが深刻で、立て直しが急務となっている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091103-00001096-yom-bus_all

ひとつには、レコード会社、芸能プロ、マスメディア、JASRACが作り上げた収益構造が時代に合わなくなってきている、ということもあるでしょう。
無名の新人がロクに宣伝もしてないのにいきなりランク上位に登場するなんて面妖(おか)しいですからね。
「さぁこれが新しいヒット曲です」といって押し付けるやり方に、みんなもう飽きてきてるんじゃないでしょうか。
アーチストが簡単にCDを作れるようになり、あるいはCDにすらせず音楽ファイルとしてネットで発表し、販売する。それで売れれば正真正銘のヒットでしょう。
そうした流れが今後、主流になってくると私は観ています。

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デュラン・デュランのベーシスト、ジョン・テイラーが、インターネットの良し悪しについてBBCにメッセージを寄せた。テイラーは、ネットの発達により時代や場所を問わず幅広い音楽が見聞きできるようになったのは素晴らしいが、その分、アーティストや作品のカリスマ性が希釈されているかもしれないと考えている。
http://www.barks.jp/news/?id=1000055193

これはたぶんその通りですね。
売り手側がカリスマ性創出に腐心するのは有史以来の「芸能」の性(さが)でしょう。
そうでなくとも、じらしたり、あおったり。
その心理作戦は、ネット上でも常用されてます。
そういう「ウソ」でもなければ、人間社会なんてホントつまりませんよ。
(2009年11月11日)

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 日本ビクターとケンウッドを傘下に持つJVC・ケンウッド・ホールディングスが、ゲームソフト大手コナミへの音楽ソフト子会社「ビクターエンタテインメント」の売却交渉を打ち切ったことが28日、分かった。売却金額で折り合わず、合意に至らなかった。コナミとの交渉が不調に終わったのを受け、JVC・ケンウッドは、外部からの経営トップ招聘(しょうへい)などで経営をてこ入れし、自社の傘下に置いたまま再建を図る。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091128-00000515-san-bus_all

1980年代前半、原宿のビクター制作部に出入りしていたことがありましたが、居丈高な人が多かった印象があります。
今回のこともけっきょく自業自得でしょう。
(2009年11月28日)

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 音楽事業への参入を目指してJVC・ケンウッド・ホールディングスと交渉しているソフトバンクが、JVC傘下の日本ビクターの音楽子会社2社を買収することで大筋合意したことが15日、明らかになった。
(中略)
 ビクターエンタはサザンオールスターズやSMAPら、テイチクは石原裕次郎、和田アキ子といった人気歌手の著作権などを、それぞれ管理している。
(中略)
 ビクターエンタを巡ってJVCは、昨秋にもゲームソフト大手のコナミと売却交渉を行ったが、金額面などが折り合わず破談になった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100416-00000132-yom-bus_all

(2010年4月16日)

ビクター音楽部門売却」への0件のフィードバック

  1. 板倉弘志

    ヨーロッパのクラシック音楽はもともと宮廷での宴会で演奏されて
    その場かぎりでその曲はおしまい。だれも記憶にのこらず作曲者すら
    記憶にとどめないものだったそうです。それを楽譜に記録して作品に番号を
    ふって後世にまで自分の作品を残そうと最初に考えたのはベートーベンだという話。
    実際残すつもりがなかった楽譜は番号がふっていなかったとか・・。
    現在レコード、CDというメディアがあったから人々に広まってしかも記録として曲が後世に残っているわけです。
    これが音楽配信によってメディアでのやりとりが定着し、メディアでの流通が消え去ってしまった時、はたして後世に残る曲は今ほどはないのではないでしょうか。
    中古CD、中古レコードという市場もなくなってしまうでしょうし。
    将来の音楽産業はもとより「楽曲は残る」という常識さえも変わってしまうのが心配です。
    変わるというよりベートーベン以前のその場限りの時代にもどってしまいそうですねぇ。

    返信
  2. eiji 投稿作成者

    11月に入り急に寒くなってきましたね。景気もいよいよ悪くなってる気がします。

    > レコード、CDというメディアがあったから人々に
    > 広まってしかも記録として曲が後世に残っている

    > 音楽配信によってメディアでのやりとりが定着し、
    > メディアでの流通が消え去ってしまった時、
    > はたして後世に残る曲は今ほどはないのではないでしょうか

    問題の本質を突いている分析です。

    効率的に、より多くの人々に商品としての楽曲を認知させるマスメディア。
    CDの大量生産・大量販売。
    この両方が行き詰ってる現状・・・。
    けさのニュースでもこの話題をやっていて、「ネット配信がビジネスモデルとして確立できていない」との指摘がありました。

    出版社、出版物がそうであったように、
    レコード、JASRAC登録曲が「権威」「ステータス」でありました。
    それが今、崩れだしている。
    この時代、プロ、アマという区別はあまり意味がないかもしれませんが、一流アーチストとそうでない方々、つまりピンキリが同列に並ぶような状況は、既成勢力にとっては有り難くないことは間違いないでしょう。
    そこで必要なのは、新たな権威だと思われます。音楽の質とその音楽なりの完成度を的確に見抜いて評価できる確かな眼、いや耳ですか。
    なにもブロードウェイ初日の翌朝の新聞評のように、特定の批評家だけがその役割を担う必要はありません。より多くの人々がより確かな審美眼を持てばいいだけなのですが、
    なかなか一筋縄ではいきませんね。石原都知事じゃないですが「民度」なんて話まで出てきそうですし。

    産業革命以降の出来事は、すべて実験だった、という人がいます。
    いざとなれば人類は産業革命以前の暮らしへ戻ればいい、そういうのです。
    あたしゃ、地球規模の自然災害や世界戦争でもない限り、それも無理だと思うんですけどね。
    昨今の音楽業界の低迷は産業構造の変化を促(うなが)さずにはおかないでしょうけど、それがどういう結果をもたらすのか、いや、それより我々にとってそれが良いことか悪いことか、答えが出るまでもう少し時間がかかりそうです。
    「なりゆきが注目されます」、俗にいう『なり注』ってやつです。
    それよりも自分で動いたほうが面白いでしょうね、私自身も周囲の音楽やる人にけしかけてます。
    私の年代の人はパソコンを敬遠する人がけっこういましてね。そういうのに、デスクトップミュージックとかネット活用をやれやれって言ってます。

    返信

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