1997年の歳末風景(上)

 あの時代を偲ぶよすがをもとめ、町から町へと、さ迷い歩いてみましたよ。

 

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 地下鉄銀座線が創業70年らしい。
 この大型ディスプレイは表参道駅の構内にしつらえてある。
 私などはこの色、この型の車両に親しみを覚えるが、もちろん創業時はこれとは違っていた。
 一世を風靡した春日三球・照代さんの漫才をまったく知らない世代がもう世の中で活躍するようになった。
 往事茫々、烏兎怱々。

 

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 千代田線乃木坂駅のすぐ上にある乃木希典邸跡の外壁。
 となりには軍神乃木を祀る乃木神社があり、骨董市のある日は早朝から賑わう。
 乃木は粗食で蕎麦が大好物だったそうだが、その逸話にちなんだものか、向かい側には蕎麦屋がある。

 乃木というと『水師営の会見』の歌がすぐに思い浮かぶ。哀切なる曲調は万骨枯る勝利だったからだろう。
 神社など作らず、小さな墓標でも建てて静かに菩提を弔ってあげるのが、この人の意に適ってるんじゃないか、という気がした。

 

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 乃木邸跡の並びに立っている門柱に昔の表札が貼りついていた。
 門柱はマンションの塀に支えられる形で立っており、意図的に残されていることが見て取れる。こじんまりと自己主張してる様子が気に入った。

 新坂町が赤坂八丁目になったのは昭和41年。赤坂区が他区と併合し港区となったのは昭和22年のこと。
 さらにさかのぼって中世の頃、赤坂一帯は一ッ木村と呼ばれていたそうだ。

 国会議事堂を間近にのぞむ街=赤坂。
 江戸時代には吉原に比べれば数段格の落ちるいわゆる岡場所が出来、御一新後は政治の「裏」舞台ともいうべき高級料亭がずらり軒を連ねる特殊な街として発展した。
 その赤坂も今は焼肉レストランとパチンコ店とエステサロンの街に様がわりしている。
 昼間も夜も背広姿のサラリーマンばかりで、ラフな格好で歩くのがちょっと気恥ずかしい気にさえさせられる。
 そういえば、菊池章子さんが週一で出てくるリーズナブルなカラオケサロンが赤坂見附にあるそうだ。
 一度、ナマで「星の流れに」を聞いてみたいものだ。きっと泣いてしまうだろう。

 

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 神宮外苑・絵画館前の銀杏並木。
 この通りは誰が撮ってもそれなりに「絵」になるところなので、東京へ来たらぜひカメラを持ってパチリとやっていただきたい。

 もう少し前の時期なら銀杏の葉で道路が黄色に敷き詰められて、見た目はキレイなのだが、ギンナンのニオイがすごくて犬も逃げ出すという、そういう場面がみられる。その葉っぱは時期が来ると都の職員が片付けるので、ある日とつぜんキレイさっぱり無くなる。

 神宮外苑といえば夏の終りの花火大会が有名だ。その日は青山通りはもちろんのこと、この通りも立錐の余地がないほどの人出となるので、通過するだけの人は迂回しなければならない。

 

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 青山通り(国道246)から神宮絵画館をのぞむ。
 左側にはオープンカフェがあり、原宿の同種の店と違って、さほど排気ガスが気にならない。

 手前の青山通りを右に行くと青山一丁目、さらには赤坂に至り、左に行くと表参道の交差点に出、そのまま行くと渋谷に着く。
 背後のビルには以前、杉良太郎の事務所があった。

 私は首都高3号線でフタをされたような六本木通りより、空の広い、この青山通りが好きで、暇なときは何をするでもなくこの辺りをよくブラついている。
 かつてオリンピック道路と称されたように、この青山通りは昭和39年のあの東京五輪開催に先立って二倍に拡幅され、今日にいたっている。それ以前は商店もまばらな、至極のんびりとした通りだったという。
 六本木も青山も特殊なオーラを発していたのは昭和40年代、せいぜいが昭和55年くらいまでで、それ以後は他の街と大差なくなってしまった。

 

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 神宮絵画館。
 手前の噴水にわざわざ「噴水」の立札。誰が見ても噴水だ。
 見上げれば、いまにも風華が舞い落ちてきそうな暗い空。

 

(つづく)

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