日別アーカイブ: 2012/12/05 水曜日

フィリピン・ミンダナオ島で甚大な台風被害

現地からの報道によると、台風24号がフィリピンを襲い、5日までに南部ミンダナオ島を中心に各地で大きな被害が出ており、死者は少なくとも270人にのぼり、数百人が行方不明となっている。
 台風は土砂崩れや鉄砲水をもたらし、多数の家屋が破壊された。とくにミンダナオ島のコンポステラバレー、東ダバオ両州などの被害が甚大。全体で約12万人が被災し、8万7千人以上が避難生活を余儀なくされている。
http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2012/12/05/23typhoon/

台風被害で数百人死亡というのはただごとではありません。
死者が多くなった原因は台風の強さ、降雨量でしょうか?

ミンダナオ島(Mindanao)はフィリピンでルソン島に次いで2番目に大きい島。フィリピン諸島は、ルソン島周辺の群島・ヴィサヤ諸島・ミンダナオ島周辺の群島という3つの大きな群島で構成されているが、国土の南3分の1の部分にあたるのがミンダナオ周辺の群島である。ミンダナオ群島はミンダナオ島とその南西のスールー諸島などから構成されており、6つの地方と26の州からなっている。
(中略)
ミンダナオ島、とりわけダバオは日本との関係が深い。19世紀末にアメリカ人によって開かれたマニラ麻の農園作業に応募した移民がさきがけだった。1903年ごろのルソン島でのバギオへ至る高原道路建設では数千人の日本人労働者が厳しい工事に従事し、工事の後はミンダナオ島へ機会を求めて多くの人が移動した。
こうした中、太田恭三郎を筆頭に、マニラ麻農園を買収したり開設したりする日本人農園経営者が多く現れ、彼らは農場から工場まで一貫した施設を建設したため、小さな町だったダバオは大都市へと飛躍的に発展し、第二次世界大戦前までは2万人近い人口を有する東南アジア最大の日本人コミュニティを形成していた。中でも沖縄出身者が7割を占めていたとされる。だが太平洋戦争末期のミンダナオ島の戦いで兵士のみならず日本人民間人も含む数万人が戦闘や病死、餓死で犠牲になった。戦後もダバオを始めミンダナオ島には多くの日系人がいるが、戦後にその証拠を紛失してしまったため日系人であることを証明できない日系移民が数多くいる。
<ミンダナオ島 – Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%8A%E3%82%AA%E5%B3%B6

ミンダナオ島の位置

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追加記事

2012/12/08
 フィリピン国家災害対策本部は8日、南部ミンダナオ島を襲った台風24号による死者が459人に達したことを明らかにした。532人が依然として行方不明で、死者・行方不明者数は約1000人に上っている。アキノ大統領は国家災害事態を宣言した。
 4日に台風がミンダナオ島を襲ってから4日間が過ぎたが、洪水や土砂崩れで道路が寸断され、捜索作業や救援物資の配布が難航。一部地域で停電や断水、通信の途絶も続いてる。アキノ大統領は7日に被災地入りして、被災者を見舞うとともに、被害が拡大した原因を検証し、再発防止策を講じる考えを示した。
 被害が甚大だったミンダナオ島東部のコンポステラバレー州と東ダバオ州の死者は410人を超えた。全半壊した家屋は約3万8000戸で、21万人以上が避難生活を余儀なくされている。インフラや農業分野の被害額は約42億ペソ(約84億円)に達した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121208-00000089-jij-asia

(2012年12月8日)

追加記事

4日にフィリピンを直撃した大型台風24号(アジア名:ボーファ、Bopha)による死者が1000人を超えた。フィリピン政府が16日、発表した。
 民間防衛当局主任のベニト・ラモス(Benito Ramos)氏は、台風24号による死者が1020人に達したと述べた。被害は、洪水と地滑りの被害に見舞われた南部のミンダナオ(Mindanao)島に集中している。
 依然、844人が行方不明で、そのうちおよそ半数は台風直撃前に出港した漁船に乗っていた。ラモス氏は、不明者の多くは死亡している恐れがあると語った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121216-00000000-jij_afp-int

(2012年12月16日)