日別アーカイブ: 2009/08/15 土曜日

八月十五日

「日本教」「皇国国体イデオロギー」「国体カルト」とでも称すべき戦前日本の国粋主義には、2つの傾向性がありました。

ひとつは、事実の積み重ねによって科学的に結論を導き出す考え方であるとか、あるいは歴史的事実そのものを、感情的に否定して恬として恥じない精神風土があったということ。
自分たちだけは違う、自分たちだけは特別優れている、自分たちだけは他者の上に立つべきである、、、そういう夜郎自大の卑しい根性から発する選良意識に科学的根拠などあろうはずもなく、とうぜん神話やエセ科学に理由を求めざるをえなくなる・・・
すなわち、まずは結論ありきで、ある特定の観念を補強するような材料を「歴史」の中から検証なしに、しかも恣意的に択びとって、さももっともらしく正当性・自己絶対正義の証明として言い募るという、ま、早い話が、自分たちが信じたいものを信じる、自分たちの解釈をすべてに優先させる、そういう態度が当り前とされていたんですね。
戦前はそれに異を唱えれば「非国民」の烙印を押され、特高警察などに懲罰を加えられて、社会から完全に排除されました。戦後は逆に思想・信条の自由、信教の自由を楯にして、そうした根拠の怪しい観念が一見相対化されたかように装われ温存されてきました。
事実から出発せず、「そうであってほしい」という身勝手な願望から現実を再定義しようとするかかる傾向は、宗教一般・ナチズム・マルキシズム等の歴史解釈や韓国の人々の竹島に対する態度にも観て取れますが、それはさておき、少なくともそれは近代以前の考え方であり、私はズバリ中世の精神構造そのものだと思っています。

もうひとつはそうした観念を受け入れる側の情緒的な問題ですが、勧善懲悪幻想ということがあったと感じています。
モラルとしては勧善懲悪はおおいに結構です。しかし人間は100%善でも100%悪でもないわけで、そもそも善悪などという曖昧なものさしで世の中すべてを真っ二つにたて分けるにはいささかムリがあります。ましてや自国が絶対善で、それに敵対する国は絶対悪というのでは呆れてものも言えない。それは偽りの潔癖であり、憍慢の裏返しでしかありません。
日本人はあのようなひどい負け方をしたことで、少なくとも戦後、そうした勧善懲悪幻想から解き放たれた。「怪我の功名」というにはあまりにも犠牲が大きかったわけですが。
逆にアメリカ、中国、韓国、北朝鮮、イスラエルなどはますます独善・自尊・自己愛・自己正当化に凝り固まり、壮大なる虚構に酔い痴れて、敵対者からの仕打ちには凄まじい怨念で逆恨みし、敵対者への攻撃は賞賛されるべき大善行としてどこまでも許容し自画自賛するという、どうしようもない迷妄の中から今もって抜け出せないでいる。

かつての日本がそうでしたから、私はとてもじゃないが彼らを笑う気にはなれないのです。
いや、日本も復(また)そうなりつつあるのかもしれません。

◆    ◆    ◆

 松林宗恵さん89歳(まつばやし・しゅうえ<本名・釈宗恵=しゃく・そうけい>映画監督)15日、心不全のため死去。葬儀は近親者で行う。
(中略)
僧侶の資格をとった後、日本大在学中の1942年、東宝に入社。「東京のえくぼ」(52年)で監督デビューした。戦争末期に海軍に在籍した自身の経験と仏教的な無常観を反映させた「人間魚雷回天」(55年)で高い評価を得た。他にも「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」(60年)、「連合艦隊」(81年)などの戦争映画を手がけた。一方、森繁久弥さん主演の「社長」シリーズのうち23作(58~70年)を監督。71年からはテレビを中心に活躍し、「泣いてたまるか」「結婚戦争ここ一番」などのドラマを演出した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090815-00000020-maip-peo

核戦争の恐怖を描いたSF「世界大戦争」や戦記ものではたしかに仏教に根ざした作家性が出ていたと思います。
職人的監督として東宝カラーの担い手でもありましたが、その点、ご本人はどう感じておられたのでしょうか。
私がまだ見ていないこの方の作品でどうしても見たいのをいくつか挙げると、
 「まり子自叙伝 花咲く星座」(1959年)
 「東京のえくぼ」(1952年)
 「兄とその妹」(1956年)
 「風流温泉日記」(1958年)
 「風流交番日記」(1955年)
 「浅草の鬼」(1955年)
 「大学の人気者」(1958年)
 「万事お金」(1964年)
  ………………
まだまだあります。
東宝の昔の映画はなかなか見れる機会がないですね。