がん患者介護日誌(5)

予想はしていたが、父の遺品はほとんど価値のないものばかり。
しかも量が多く、処分に相当の労力を費やさねばならなかった。
 

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9月4日(日)

午前、みずほ銀行青山支店で、S葬儀社の口座に葬儀代を振り込む。
午前11時40分、父の部屋へ到着。
燃えるゴミ4袋、燃えないゴミ7袋を出す。
税金、厚生年金、恩給、その他の昔の書類を整理。

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9月6日(火)

午前、10時40分、千代田区役所へ到着。
2階の税務保険年金課にて、『葬祭費支給申請』手続きを行う。
国民健康保険証を返納。
国民健康保険の不足分をその場で支払い。4280円。

同じく2階の老人保険のセクションで、老人保健法医療受給者証を返却。

午前11時30分、父の部屋へ到着。
燃えるゴミ4袋、燃えないゴミ6袋を出す。
税金、厚生年金、恩給、その他の昔の書類を整理。
書類関係の整理を終了。

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9月8日(木)

午後12時10分、父の部屋へ到着。
雉と貂の剥製を毀し、燃えるゴミ2袋に分ける。
ガラスケースを分解。
燃えないゴミ6袋を出す。
ポストに携帯電話の請求書。近所のサンクスで支払いを済ませる。1852円。
これで携帯関係は終了。

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9月11日(日)

正午過ぎ、父の部屋へ到着。
台所にあった金属製の組み立て式棚を2つ分解。
安物のほうを燃えないゴミとしてまとめる。
燃えないゴミ6袋、燃えるゴミ5袋を出す。

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9月13日(火)

午前11時40分、父の部屋へ到着。
木製のテレビ台2つを解体。燃えるゴミとしてまとめる。
燃えるゴミ4袋、燃えないゴミ1袋を出す。

帰宅したら、父が懇意にしてもらっていた不動産仲介業者からお悔やみの手紙が届いていた。

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9月15日(木)

正午過ぎ、父の部屋へ到着。
壊れている小型テレビを解体し、燃えるゴミとしてまとめる。
管理人から、ゴミは30×30cm以上だと粗大ゴミ扱いになるので、シールを貼って別のところに出してほしいと、クレーム。
千代田区の、独居老人のケアをする福祉法人に電話し、過日死亡したのでお知らせの類はご無用に願いますと伝える。

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9月16日(金)

午前10時40分、父の部屋へ到着。
兄、正午過ぎ、到着。

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9月17日(土)

兄が知人の車で父の部屋へ行き、荷物を搬出。

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9月21日(水)

午後1時すぎ、父の部屋へ到着。
ポストをチェック。
千代田区役所国民健康保険係から父の部屋住所で私宛に、『変更通知送付のお知らせ』
NTT東日本の『次回口座振替のお知らせ』
携帯電話会社から『電話料金領収証』

留守電に3件。

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9月26日(月)

午後0時40分ごろ、父の部屋へ到着。
東京ガスお客様センターへ電話して、契約名義人の死亡とガス使用停止を申し出。

ようやく部屋が空の状態になった。
もうここへ来ることはないだろうと思うと、感慨もひとしお。
自分が死ぬときはなるだけ他者に迷惑をかけないようにしたいものだ、とつくづく思う。
ようやく終った。

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不思議に思われるかもしれないが、私は父の死に関連して、涙を流したことは一度もない。
父は私が最も嫌うタイプの人間だった。
私が物心ついてからその骨を拾うまで、父と接してきて感じていたのは、主に恐れと嫌悪とストレスである。
しかし、私はその遺伝子の半分を受け継いでいる紛れもない実子であるから、立場として「介護」をした。
そこに親子の情愛などというややこしい話は介在していない。
私は私の中にあるであろう、あの「父」的な考え方、態度、目つきや言葉づかいに至るまでを、意識して排除してきた。
それはこれからも続く。
私は父の墓に入るつもりはない。

(がん患者介護日誌・終)

 

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