談=霧丸五郎
構成=菅佐原英二
(1)
ローマの月なんて眺めたこたァなかったけど、きっとティンタレラディルナだろって、そう思ってたよ。……1964年はね、ちょっと忘れられない年だったな。おいらは女剣劇「七浦千代乃」一座の座付き作者・兼・雑用掛りとして、まるで故郷を売ったやくざみたいにさ、ずゥ~っと地方をまわってたよ。女剣劇、見たことないでしょ? 二十歳そこそこで座付き作者ってのも笑わせるけど、本人はもうその気でさ、まあ早い話が千代乃の若いツバメだったってわけ。
だから東京の変わりようを知らなかったし、五輪が終ってからしばらくして東京に舞い戻ったときは浦島太郎か永のお勤め帰(げえ)りみたいな気分でさ、変わってないとこは変わってなかったけど、変わったとこはまるっきり変わってたねぇ。
一座を離れたのは今だから話せるようなもんだけど、これがまたケッサクな話でさ。
女剣劇ってのは芝居よりもチラリズムが売りで、戦前からその伝統がずーっとあったわけ。千代乃ははじめ大江美智子の一座にいたらしいんだけど娘役に飽き足らなくてね、つまりは大江みたいな役がやりたいってんで結局、パトロンに金を出させて一座を旗揚げしたのが1959年、つまり昭和の30…4年か、…な? 秋だよ、秋。ところが大御所の大江に遠慮して役者が集まらねえんだよ。で困ってさ、新聞の三行広告で募集したら、左翼の小劇団が代々木と決別したのはよかったが客が動員できなくなったってんで、丸ごと身売りしてきたんですよ。違う意味でそのスジだったんでどうしたもんかいと迷ったそうなんだけど、大道具は作れるし芝居もちゃんとやれるんで、ようするにそれで行っちゃった。マジメというかねぇ、理屈っぽい人が多いんだよね。それからずっと地方の小屋をまわって、こつこつファンを増やしていったところへ、おいらが転がり込んだってわけ。ちょうど京橋駅で爆弾が破裂して大騒ぎになったころだったかな。
当時、ストリップが関西から変わりだした時期でね。東洋ショー劇場とかダイコーミュージック、それから千林の寿ミュージックとか、ちょうど瀬踏みっていうのかな、警察の反応をみるように、三ヶ月に一回くらいね、かなりヤバいショーをやるようになったんです。で、そういうのが出ちゃうともう女剣劇なんか見る人どんどん減っちゃうわけ。もうそのものを見に来るわけだからストレートでね、何たって話が手っ取り早い。ところがこっちは着物ごしに湯文字を付け替えたり、たしかにセクシーな場面はあるにはあるが、やはり芝居であると。笑いもあれば涙もあると。だいたいストリップの踊りと剣劇の殺陣とはまったく違うものなんだから比べる方がおかしいと、団員一同思ってたわけですよ。それでちょうど旗揚げ五周年なんで、秋の公演は大阪で派手にやろうということになった。それが1964年の秋。
時代はそろそろテレビ全盛でね、旅芸人はだんだん隅ッコに押しやられてきたころだね。もしこれが東京だったら、珍しい昔の見せモンとして取材されるようなことがあったかもしんないけど、客は来なかったろうね。いわゆる前衛芝居ってのもあるにゃあったけど、大学のサークルどまりでまだ世間で評判にはなってなかったな。……そう、一度、寺山修司が千代乃の楽屋へ来たことがあった。誰も知らなくてね、そのころじゃ無理もないけど。劇団は維持するのがたいへんでしょとか何とか、訊いてたっけ。
で、花の浪花でやる以上、何かこうパーッと話題が欲しいと。そこで座付き作者のおいらが考えたのが、人気の浪花節語りと千代乃の芝居のドッキング。まあドッキングって言葉はそのころまだ無くって、共演と云うかね、あくまでスターは千代乃だから格はそれより低くなくちゃまずいけど、人気はそこそこなくちゃいけない。最初、千代乃はこの企画を嫌がるんじゃないかと思ったけど、あっさり承知したんでびっくりした。千代乃もなにか期するとこがあったんじゃないかな。んで、おいらが目をつけたのが梅鶯(ばいおう)の弟子筋にあたる春日井梅軒(ばいけん)という若手でね。時々テレビに出ては短い自作の「時事浪曲」というのをやってて、けっこう評判がよかった。浪曲師や落語家連中は、ラジオやテレビの最初のころはそりゃもうひっぱりだこだったんだけど、そのころはもうタレント性がないと寄席番組以外はだめでね、その点、梅軒は人好きのする顔だし頭の回転も速かったから、テレビ向きだったんだな。そのまま続けていれば全国的なスターになってたかも……。
梅軒を千代乃に会わせて千代乃自身から依頼させるという段取りで上手いこと話が決まって、おいらが台本を浪曲入りバージョンに書き換えた。出し物は名作「雪之丞変化」。梅軒も乗り気で稽古にちゃんと出てきてたよ。ところが初日を前にして、とんでもないことが判明した。
梅軒が所属するA興業が別の仕事を入れていたんだな。今で云うダブルブッキングってやつ。どうも梅軒は知ってたようなんだが、そんなこと一言も言わなかったから、こっちゃァもう安心しきってたんだね。だからもう冷水頭上一斗って感じ。一斗分んない? まいいや。しかも悪いことにァ任侠団体が絡んできた。当時の芸能界というのはやくざ社会と密接な関係にあって、林長二郎も鶴田も皆やられてる。たとえば映画の地方ロケなんかするときは警察への届け出のほかに必ずその土地の親分に挨拶に行かなくちゃいけないという具合でね、今は知らないが当時のA興業のバックには泣く子も黙るあの、Y組が控えていた。昭和30年代の前半はこの関西のY組や関東のK会などの大組織が地方進出を始めて各地で抗争事件が勃発していた。ナントカ代理戦争なんてのもそうだしね。密輸された拳銃でドンパチやらかしてた、そういう時代だったんだよ。
それで、初日の明け方、梅軒の自宅をY組傘下で直系のT一家の乾分たちが取り囲んで出られなくしちゃった。梅軒がいないと芝居の段取りが付かなくなるし、別の出し物に替えるにしても小屋主への支払いがあるから開けないわけにはいかないし、千代乃も座員も、おいらもほとほと困った。このまま何もしないで開演の午後1時を待ってるわけにもいかないので、しょうがない、行きましたよ、親分のところへ。何しろおいら言いだしっぺだからね。もう覚悟して、土下座でもなんでもしようと。指を出せと云われたらどうしようか、黙って切られるか、拒否するか、逃げ出すか。いろんなこと考えながらね。T組の事務所では親分がちょうど東京五輪の入場行進の実況生中継を見ていた。しかも熱心に……。
(2)
奥の方にテレビがあって、それもカラーテレビなんだ。開会式の実況でアナウンサーが晴れがましい口調で喋っているのが、なんか恨めしくってねぇ。あーおいらは今まで何やってたんだろうって……情けなかったね、自分の置かれている状況がね。「アカシアの雨がやむとき」みたいな気分でさ。親分はこっちに背を向けて高価(たか)そうなソファーに座ってテレビ見ているわけよ。
そいで乾分がおいらの腕をねじ上げて「連れてきました、こいつです」とか何とかいって引き据えるわけさ。こう見えてもおいらは往生際が悪いほうでね、開き直ることができないんだね。そんなおいらを嘲笑うかのように、親分はさ、「シッシッシッシ」って、肩ゆらせてやがんの。振り向きもしない。完全な雑魚扱い。
ちッきしょー…って思ったね。こっちゃァ悔しくって、自然に涙がポロポロ出てきた。
親分は愉快そうに肩ゆらして「シッシッシッシ」
おいらは涙ながして「くっくっくっく」
「シッシッシッシ」「くっくっくっく」、「シッシ」「くっく」、「シッシ」「くっく」……って、ニワトリ追ってんじゃないっつーの。・・・・面白い?
そいで、テレビ中継がさ、いよいよ最後、94ヶ国目、開催国ニッポン!……ていうんだ。音楽がさ、始めに戻って♪ツァーン、ツァララーンツァラ、ツァララララララン。ツァン、ツァツァンツァン、ツァララララララーーン。♪ツァーーンツァッツァッ、ツァッツァーン……て、ちょうどいい具合に鳴るわけよ。真紅のジャケットがどうしたこうしたとかさ、そうしたら、親分が突然「ぐおーッ」って叫ぶんだね。
おいらもうキモがツブれたね。こりゃ間違いなく殺されるってね。明日は淀川においらの土左衛門が浮かぶなって。
親分は「ぐおー」っていいながら立ち上がって、右手の握りこぶしで左手の手のひらをバッチンバッチン叩いてやがんの。震えちゃったよ、こんなヤツ相手じゃ話になんないって。
そしたらさ、乾分の一人が親分に、鼻紙だかハンカチだか差し出して、それで親分が鼻をブッシュンブッシュンかむんだね。
こっち向いたら、最初、風邪ひいたオニオコゼかと思ったけど、目を真っ赤にはらして子供みたいに泣いてやがんだよ、すごいジイさんが。何と云ったらいいのかね、上田吉二郎みたいな感じの人だったねぇ。
そいで、「日本が……日本が……こんな立派になって」とか言ってさ。どうやらこの人、五輪の中継みて、感激して泣いてたんだね。
何だかんだブツブツいったあと、おいらを見て、おまえは何だって、云うんだ。ここがおいらのエライとこなんだけど、名前いうより先に「私も今の中継を見ておもわず涙が出てきました。あの敗戦からよくぞここまで立ち上がった。感無量です、泣けます」とか言ったんだよ。そしたらさぁ「お前もそう思うか。若造のくせに見所がある」とかいうことになって、それじゃぁッてんで、そのあとはこっちも適当に話あわせてさぁ、「日本の伝統文化の浪花節と、世界に誇る国劇の合体なんです、こんなすごい舞台は二度と見られませんよ!」…なぁーんてさぁ、よく云うよ、おいらも。
そしたらさー、最後のころには親分が「いいじゃないか。やらせてやれよ。俺も見に行く」っていうんだよ。やったぁ、って感じ。助かったぁーってね。どうもこの親分、明治・大正の古い時代の任侠型の親分なんだね。だから〃情〃に動かされやすい。安保の時なんかわざわざ一家を引き連れて、反共活動するために上京したっていうんだよ。そういうタイプなんだ。当時はけっこういましたよ、がんこオヤジとか、かみなりオヤジとか云われててね。
そんなわけでなんとか虎口(ここう)を逃れたおいらは親分のお墨付きをいただいて後顧(こうこ)の憂いなく、「七浦千代乃」一座旗揚げ五周年記念公演「雪之丞変化」の千秋楽を迎えることが出来たってわけ。
ところがさあ、千代乃のおいらに対する態度がどうもよそよそしいのよ。若いツバメのおいらより若い男はまわりに見当たらないし、ハテ、なんでおいらを避けるのか?
さて公演も無事に終わり、小屋主に金を払うことになった時、またまたたいへんなことが判った。まず金が無い。通帳もハンコもそれを管理してるはずの千代乃の姿も無い。それと同時に梅軒が多額の借金を踏み倒していなくなったって情報が入ってきた。いろいろ調べてみると、千代乃と梅軒が一座の金を持ったままトンズラしたらしい。二人はいつの間にか〃好い仲〃になってたんだね。知らぬはおいらばかりなり。とんだ道化だ、鷺坂伴内だ。
一座にはそのとき借金はなかったけど、これで出来ちゃったわけだ。さあ、どうする。おいらはすぐT組の親分のあの、手のひらのバッチンバッチンが思い出されてね、今度こそただじゃ済まないと思った。梅軒の所属するA興業にはT組の上部組織のY組が絡んでいる。Y組といえば日本でもっとも恐れられている組織だからね。おいらと座員は話し合って、もう逃げちゃおって結論に達した。左翼くずれの座員も全員「異議なーし」ってね。バラバラになってしばらくは潜行三千里を極め込もうと。なにしろ座員たちはそういうの得意だから。
それで「道具類一切置いていきますので処分して返済金に宛てて下さい」って小屋主に書き置きして、夜陰に乗じて一同蜘蛛の子を散らすように四散したわけです。あと、どうなったのかねぇ……。千代乃の話も梅軒の噂も、二度と聞くことはなかったねぇ。
おいらはさぁ、元が東京だからさ、東京に戻ってきたんだけど、なんか気が抜けちゃってね。喫茶店のボーイとか、運送屋の手伝いとかして、その日ぐらしみたいなもんよ。
ある日、代々木のとあるビルに荷物を届けにいった事があったんだ。もう夕方で、空には美しい夕映えが広がっていた。あんまり奇麗なんで見上げたんだね。そしたらビルの屋上から飛び降りようとする奴がいるじゃないか。今、自分が出てきたビルなんだ。アッと思ってすぐ戻ってエレベーターが無いんで階段かけのぼって、屋上に出た。屋上へ出るドアにカギがかかっていたらダメだったかもしれないね。若いきゃしゃな感じの男だった。柵のない屋上だったけど、縁に外向きに腰かけてやがんの。
「待て待て待て待てーーーッ! 下を歩いてる人にぶつかったら君は殺人罪だぞ。罪のない奴を巻き添えにしてお前はそれでいいと思ってるのかーッ」
いきなりおいらがそう云ったんであいつは混乱したんだろうね。普通だったら「思いなおせ」とか「早まるな」とか言うでしょ?そうじゃないんだもの。「死ぬんだったら、洞窟か樹海にでも行って、誰にも迷惑かけないようにして死ね!大体、飛び降り自殺の死体なんてキモチ悪いぞ。子供がそれ見て引きつけ起こしたら、お前はどう責任を取るんだッ。ショックで妊婦が早産するかもしれんぞ。どうしてくれるッ!?」
なんかおいらの云うことって、いつもピントが外れてんだよね。こっちも気が動転してるから、もうメチャクチャ云ってるわけ。そしたら、そいつが気分悪そうな顔しだしてね、とうとうオエッて吐いちゃって、なんだかずいぶんナイーブというかナーバスな奴だなぁと。まあ、そういう奴だから、飛び降り自殺なんか、やろうとするんだろうけどね。
で、「とにかく、こっちこい」と。そしたら、どうやら筋肉がツッちゃってるらしくて動けないんだね。だからおいらは、そいつの身体をなんとか床の方へ引き寄せて、座らせたんだよ。
「バカだなぁ。なんでこんなことするんだ。シンタイハップこれを父母に享く。あえて何だらかんたらって云うだろうが……」
おいらはツッてて痛いというそいつの腰や脚を指圧してやりながら、そう云ったんだよ。そしたらそいつは身体をビクッと震わせておいらの手を払いのけるんだ。なんだい、人がせっかく親切にしてやってるのに…!そう思ったが、そこはグッとこらえて言った。「まぁいいから話してみな。聞いてやるよ」
(つづく)
