日本舞踊の紫派藤間流家元で女優としても活躍した藤間紫(ふじま・むらさき、本名喜熨斗綾子=きのし・あやこ)さんが27日午後5時26分、肝不全のため東京都文京区の病院で死去した。85歳だった。東京都出身。
(中略)
7歳の時から日本舞踊を始め、その後藤間流宗家の六代目藤間勘十郎さん(十二代目勘祖)に弟子入り、結婚した。戦後は家元夫人として活動する傍ら、女優業にも進出。演劇、映画、テレビドラマと多岐にわたった。小粋で向こう気の強い役からコミカルな役まで幅広くこなし、代表作に舞台「華岡青洲の妻」「父の詫び状」「西太后」、映画「三等重役」、ドラマ「水滸伝」などがある。
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2009032701113
新東宝~東宝時代は喜劇映画が多かったですね。
コミカルな味のある庶民的なおかみさんとか、キツい物言いで相手を圧倒するハイソな奥様とか、そういうのをさせると圧倒的に巧かった。どうもそれだけ見てると日本舞踊の人とは思えませんでした。
小暮実千代、轟夕起子、久慈あさみ、淡島千景、淡路恵子といった人たちと競合するキャラという印象ですが、ホントはどういう方だったんでしょう、想像もつきません。
大木 実さん(おおき・みのる、本名池田実=いけだ・みのる、俳優)30日午前4時ごろ、すい臓がんのため東京都大田区の病院で死去、85歳。大阪市出身。葬儀は親族のみで済ませた。喪主は俳優で三男の大木聡(おおき・さとし、本名池田聡=いけだ・さとし)さん。
撮影所の照明助手から俳優に転じ、51年に映画「あゝ青春」でデビュー。サスペンス、任侠(にんきょう)物から恋愛物まで幅広いジャンルの役をこなし、代表作に「張込み」の刑事役がある。このほかの出演作に「路傍の石」「黒蜥蜴」「人生劇場・新飛車角」など。テレビでも時代劇を中心に活躍した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2009040100341

昭和20年代後半から30年代前半にかけて、大木実は松竹の「青春スター」でした。
左の写真を見ると確かに二枚目です。
その後は東映に転じてシブい脇役として、貫禄を示してましたっけね。
私が知っている大木実も、
大木実事務所
http://www.ohki007.com/
にあるような、苦みばしった中年男の面影です。
出演作品は映画だけでも相当数に及んでます。
『黒蜥蜴』の明智小五郎は確かに印象に残ってるんですけど、正真正銘の代表作はやはり『張込み』じゃないでしょうか。
右図は1955(昭和30)年公開の松竹映画『僕は横丁の人気者』の、同名主題歌レコード(SP盤/テイチクC-3804)に添付されていた歌詞カードの表1相当部分です。B面は『フーちゃんの子守唄』で、両面ともに主演の大木自身が歌っております。
映画は当時ありがちな前後編の二部構成で、
前編『僕は横丁の人気者 第一部 陽気なゴン兵さん』は4月19日公開。併映は高田浩吉・草笛光子主演の『伝七捕物帖 女郎蜘蛛』。
後編『僕は横丁の人気者 第二部 フーちゃんの子守唄』は5月25日公開。こちらの併映作品は久我美子・佐田啓二主演の『美わしき歳月』でした。
当時の大船現代劇は川喜多雄二、菅佐原英一、そしてこの大木実がエース格で、デビュー1年目の田村高広などは、線の細い芝居をする男優が多い松竹にあって尚一層控えめな演技でいささか埋没しておりました。
大木は佐田啓二・高橋貞二・鶴田浩二の「三羽烏」から鶴田が早々にフリーに転出したのを受けて格上げされ、1959(昭和34)年10月30日に公開された松竹映画三千本記念映画『三羽烏三代記』では佐田・高橋と並ぶ中堅三羽烏の一人として出演しています。
ちなみにこの映画では男優では、佐分利信・佐野周二・上原謙、佐田・高橋・大木、山本豊三・小坂一也・三上真一郎、
女優で岡田茉莉子・小山明子・高千穂ひづる、桑野みゆき・牧紀子・九条映子、
の「三羽烏」がキャスティングされていました。
当時、三人娘やロカビリー三人男、三人ヒロシなど集団で売り込む手法が持て囃されていて、映画界もそれに刺激されたのでしょう、松竹では岩下志麻・鰐淵晴子・倍賞千恵子の清新デラックス・トリオが、松竹以外では新東宝ハンサム・タワー、日活ダイヤモンド・ライン、日活グリーン・ライン、東宝お姐ちゃんトリオ、東宝3チャピーズなどがあり、「お姐ちゃん」シリーズでもやはり三世代揃った『お姐ちゃん三代記』が作られ1963年12月8日に公開されております。
その後は、カップル、コンビで売り出すのが流行って、倍賞千恵子・勝呂誉の「サニー・カップル」、 梓みちよ・田辺靖雄の「マイ・カップル」、金田星雄(金田正一の弟)・小宮恵子の「フレッシュ・コンビ」、ほかあまたの偽カップルが芸能界で生れては消えていきました。

