看過(みす)ごされた折り返し点

2008年5月12日午後2時28分(日本時間同3時28分)、中国四川省北部でM7・9の巨大地震が発生し、死者・行方不明者あわせて9万人にも及んだ。
いわゆる「汶川(ウェンチュアン)地震」「四川大地震」である。

その年、四川省に隣接する中国チベット自治区では支配者漢族(中国人)に対する仏教徒チベット人の反乱が続き、それが四川省内にも波及しつつあり、多くの死者を出していた。

512 地震纪实 都江堰 实拍 四川 大 地震
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dazzz2009
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2-5-08 Earthquake in chengdu! 成都地震現場實拍!
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汶川地震 北川地震刚发生时的画面曝光
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四川大地震監視器影片
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四川省大地震の瞬間=2013年4月20日
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汶川震中地震10分鐘後的珍貴畫面
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15 May 2008 – China Sichuan Quake – BBC Report
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2008 Sichuan earthquake video-1
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记录大片《解密:512汶川大地震》第一集
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半径30キロ圏の11市町のうち2首長が毎日新聞のアンケートに対し「停止すべきだ」と回答した。4首長は「国が判断すべきだ」「対応基準を作るべきだ」と、国などの関与を求めた。

<浜岡原発アンケ:南海トラフ地震、割れる意見 臨時情報時 – 毎日新聞 より一部引用>
https://mainichi.jp/articles/20180512/k00/00m/040/192000c


Source: (2016/05/13 5首長「再稼働、市町同意必要」 浜岡原発31キロ圏アンケート|静岡新聞アットエス

浜岡原子力発電所
静岡県御前崎市佐倉5561

まさにダモクレスの剣(sword of Damocles)。
首都圏を壊滅させるため、時限装置として、わざとこの位置に設置したとしか思えない。

午後2時半ごろ、京都市東山区祇園町南側の飲食店で「店の2階から煙が出ている」と消防に通報がありました。火は約2時間後にほぼ消し止められましたが、消防車のホースにつまづいた女性1人がけがをしました。火が出たのは木造2階立ての割烹(かっぽう)料理店付近で、周囲にも延焼しましたが、出火当時、店に客はいなかったということです。

<煙立ち込め…京都・祇園で火災 休日の観光地が騒然 より一部引用>
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000127133.html

戦乱の時代には幾度となく大火に焼かれ、また地震・大雨・旱魃・落雷・飢饉・疫病などありとあらゆる災害に見舞われてきた町・京都。
その京都で発生した最大規模の火災として知られているのは「天明の大火(京都大火)」。御所再建をめぐり朝廷と幕府の軋轢を生んだとされている。

ザ・ピーナッツ – 祇園小唄

倍賞千恵子 – 祇園小唄

藤圭子 – 祇園小唄

以下、「祇園小唄」を含む投稿。

なぜ、オートリバース機能をカットしたのか。東芝エルイートレーディングの広報担当者は2018年5月9日、J-CASTニュースの取材に、「もちろんオートリバース機能を採用したいと考えておりました」。にもかかわらず、搭載を断念した理由については、
「オートリバースが可能なカセットメカを供給できる唯一の製造会社も、現在はすでに生産中止しており、オートリバースメカの入手が不可能であるというのが現状です。自社で開発するという方法も考えられますが、特殊なノウハウと設備投資が必要であり、コスト的に現実的ではありません」
と説明した。

<唯一の製造会社がすでに生産中止 ラジカセから消えた「オートリバース」 – ライブドアニュース より一部引用>
http://news.livedoor.com/article/detail/14704321/

近代日本の折り返し点は何かと考えるとやはり「敗戦」ではなかろうか。
では戦後日本はというと、どこまでを「戦後」というかによって違ってくる。
「歴史認識」「評価」ではなく、あくまで現実・事実を基準にするならば、きょう現在も「戦後」の内であると云わざるべからずとなる。
さすれば戦後の折り返し点は経済的には日経平均最高値(1989年12月29日)と翌年のバブル崩壊、政治的には自民党初下野の1990年8月9日、……のあたりだったのではないかと推察されるのだ。
当時世界は冷戦終了に伴う、それこそ「戦後処理」の真っ只中であり、日本では1989年1月7日の昭和天皇崩御で新元号「平成」がスタートしていた。
個人的な印象としては、制度的・精神的な「箍(たが)」が壊れて外れ、自己規律の基本が喪われてしまったように感じられたことを憶えている。

<以下、関連ワード>

【PSR】
Point of safe return
燃料がちょうど半分になり安全に帰還できる限界の地点のこと。
「エイリアンVS.プレデター」のセリフに出てくる。

【ティッピング・ポイント】
「傾く(tipping)点(point)」
物事が劇的に変化を始める、小さなきっかけ。
ある現象が後戻りできない変化を起こす転換点。
類似表現:PSR(Point of safe return)、デッドライン

あるアイデアや流行もしくは社会的行動が、敷居を超えて一気に流れ出し、野火のように広がる劇的瞬間のこと(マルコム・グラッドウェル著『ティッピング・ポイント』飛鳥新社、2000/03)

【クリティカル・ポイント】
critical point
1 臨界点。臨界温度下で気体が液化する場合の圧力と体積を示す点。
2 (比喩的に)物事が限界に達する段階・時点。

【閾値】
いきち(ゐきち)
生体の感覚に興奮を生じさせるために必要な刺激の最小値。
類義表現:受忍限度

【閾値が低い】
いきちがひくい
外部の物事に容易に影響を受けるさま。
類義表現:
感受性の強い、感受性が強い、感受性の高い、感受性が高い、高感度の、感度のいい、感度のよい、感度がいい、感度がよい、感度の高い、感度が高い、敏感な、鋭敏な、感覚が鋭敏な、感受しやすい、感じやすい、、反応しやすい、影響されやすい、影響を受けやすい多感な、動じやすい、センシティブな、デリケートな

以下、「Point Of Safe Return」を含む投稿。

2018/02/13
高林さんが梅ジャム製造を始めたのは戦後すぐ。家計の足しになればと乾物屋で見つけた傷物の梅肉で梅ジャムを作り、紙芝居屋で子供に売ったのが始まり。紙芝居が衰退すると、今度は駄菓子屋で売られるようになり、子供の定番おやつの1つとなった。
(中略)
「何人もの投資家から『高林さんの味をなくしたくない。譲ってほしい』と頼まれましたが、私と同じ味を出すのは不可能です。コツはどうしたって教えようがないですから」
 70年続けた仕事から身を引く日、高林さんは梅ジャムを充填する機械に「長いことお疲れさまでした。ありがとう」と声をかけ、表面を日本酒で清めたという。

<生産終了の「梅ジャム」社長 譲渡申し出を断った理由 マネーポストWEB より一部引用>
https://www.moneypost.jp/246320

紙芝居があり、駄菓子屋があり、無邪気な子供たちがいて、貧しかったけれども希望にあふれていた世界がかつてあった。
「梅ジャム」はそうした世界とともに消えるべき存在だったのだろう。

2008/11/21
製造業の多くは、今後5年から10年の間に従業員の過半数を占めている熟練社員が退職する、いわゆる2007年問題を抱え、現在、技術・技能の伝承に関する様々な取り組みを行っている。
(中略)
例えば、ある企業では、熟練社員の作業をビデオ撮影し、動画情報として残すなどの対策を講じてきているが、撮影目的が曖昧だったために、熟練技能を伝承するどころか、単なる作業風景としての映像にしか過ぎず、撮影した映像だけが蓄積される状況に陥っている。

<技術・技能伝承への取り組み 富士通総研 より一部引用>
http://www.fujitsu.com/jp/group/fri/column/opinion/200811/2008-11-2.html

安い給料でこき使えるよう「派遣制度」を国に法制化させたのは製造業を中核とする大企業のトップたちである。いうならば自己責任であるからして自業自得ということになる。

【あ行】
■アイマ・イモコ

(以下略)

<はてな匿名ダイアリー > 2018-05-11 ■カタカナにすると人名みたいになる四字熟語一覧 より一部引用>
https://anond.hatelabo.jp/20180511155651

面白い視点。
総じて東南アジア、中東系の雰囲気。

映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(原題:Darkest Hour、日本公開は2018年3月30日)のはじめの方に、チャーチルが朝食を取るシーンがある(ゲイリー・オールドマンの演技は素晴らしかった)。
スクランブルエッグ、薄切りのベーコン、シャンペンとスコッチウィスキーが、クリスタル製の塩入れや胡椒入れ、磨きこまれたカトラリーと一緒に、銀のトレーに乗っている。時は1940年。チャーチルが首相になろうとする頃だ。手紙を口述筆記させながらイライラしたチャーチルは、その豪勢な朝食を脇へ押しやり、葉巻を吹かし出す。その朝食にはおそらく二度と手をつけないのだろう。
この男がその3年後、現在のインド東部からバングラデシュにかけて広がるベンガル地方で300万人が餓死した、ベンガル飢饉を引き起こしたのだ。
私の家族にとって、そして、ベンガル周辺の多くの家族にとって、食べ物との関係は、ベンガル飢饉にまでさかのぼる。75年たった今の時代に生きる私も、食卓にのぼる米に感謝の気持ちを持つ。
ベンガルの人々は非常に長い間、自らが栽培した米を、イギリスの軍隊や市民を養うためにすべて取り上げられていた。イギリスによる食料の徴収は、世界の歴史でも最悪の飢饉の1つを起こすほどひどかった。
飢えの軌跡を辿れば、非常に明確な支配構造が見えてくる。

<300万人が死んだ「ベンガル飢饉」と、インド人にとってのチャーチル -BuzzFeed より一部引用>
https://www.buzzfeed.com/jp/bedatridattachoudhury/by-glorifying-churchill-britain-is-committing-new-crimes-1

日本のアジア支配は短期だった。
もし長引けば同じようなことが起きていたかもしれない。
そう考えると、早く負けて良かった ということになる。

 学生の支援に役立ててもらおうと、福岡市の男性が九州大学に5億1600万円の寄付をした。「財産を残すより若い方に渡した方が、お金が生きる」と考えた。
(中略)
 中本さんは小倉西高校在学中、恩師に九大進学を強く勧められた。だが家庭が貧しく、泣く泣くあきらめた。(中略)
働きながら独学。1972年ごろ、静電気を使ったコピー機関連の特許を米国で取ったという。「情熱が執念に変わるまで勉強すれば道は開ける」。87年に福岡市で印刷会社「青陽社」を創業。財産を築いた。

<貧しくて諦めた九大に5億円寄付 独学で特許得た80歳(朝日新聞デジタル) – Yahoo!ニュース より一部引用>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180511-00000063-asahi-soci

相続税で取り上げられるくらいなら……だね。

 1兆円を超す国費を投じながら、技術成果の達成度はわずか16%。会計検査院の「もんじゅ」に関する報告書が明らかにしたのは、半世紀以上も国の原子力政策の中核だった高速増殖炉開発の惨憺(さんたん)たる結末だ。

<惨憺たる結末のもんじゅ 現実見ずに後継炉開発の暴挙:朝日新聞デジタル より一部引用>
https://www.asahi.com/articles/ASL5D0CPJL5CUTIL01D.html

67年間も法律事務所で弁護士の秘書として働き、96歳で亡くなったある女性が、コツコツと820万どる(約9億円)もの大金を貯蓄し、死後に恵まれない学生の奨学金にあててほしいと寄付しました。
多額の遺産を寄付したのは、ニューヨーク州で弁護士の秘書として働いていたシルビア・ブルームさん。ブルームさんは東ヨーロッパの移民として生まれ、大恐慌時代のニューヨーク・ブルックリンで育ちました。公立学校に通い、夜間で大学の学位を取ったのちにウォール街の法律事務所Cleary Gottlieb Steen&Hamiltonに勤めると、67年にわたってのべ1200人以上の弁護士やスタッフと働きました。子どものいないブルームさんは夫と長年、賃貸アパートに住み、その暮らしは極めて質素なものだったとのこと

<弁護士秘書として67年働いた女性がコツコツと約9億円に増やした財産を死後に寄付 – GIGAZINE より一部引用>
https://gigazine.net/news/20180512-old-secretary-donate-fortune/

5億・9億寄付する人もいりゃ、血税1兆円ムダにする役人もいる。
世の中いろいろ。
キタサーホイサッサァー ってやつだ。

坂本九 – 九ちゃん音頭~それが浮き世と云うものさ~(1961/10)
2度目の引用。

  ※(追記:この動画は削除されました

 

以下、「九ちゃん音頭」を含む投稿。

追加記事

2018/12/26
1袋10円。高林さんはどんなに原材料が値上がりしようと、製法や原材料の配合を工夫して味と価格を維持してきた。子どもたちのための駄菓子であり続けるためだ。
梅ジャムの発売は1947年。戦後日本の復興の歩みと重なる。生まれも育ちも東京都荒川区の高林さんは終戦と同時に疎開先から東京に戻る。当時14歳。自宅近くの焼け野原を開墾し野菜を育てて売ったり、魚を仕入れて売ったりして一家の生計を支えた。
なにか商売のネタがないかと、自転車で上野の問屋街のほうまでぐるぐる走り回っていたとき、乾物屋の軒先で、つぶれた梅肉が売られているのを目にする。最近目にする紙芝居屋の光景と重なった。「紙芝居を見る子ども向けに梅のお菓子を作ったらどうだろう」
なめても酸っぱくないようにするにはどうするか。当時の砂糖は高価でとても手が出ない。安価な人工甘味料のサッカリンを使うことにした。小麦粉やでんぷんを混ぜ、なめらかにするなど連日試作に精を出した。
地道な自転車巡りで見当をつけた紙芝居屋に、たるごと納めた。子どもの目の前でせんべいにジャムを塗り1枚1円で売る形式で、飛ぶように売れていった。テレビもゲームもない時代。今のように濃い味の菓子もなく「外で遊び回り汗をかく子どもに梅ジャムの甘酸っぱさは良く合った」。
従業員は一時5人に増え、あんずやオレンジのジャムも作った。細長い鉛筆アメやなめ続けると数字が出てくる数字アメなど商品も増えた。
ところがテレビ放送が50年代半ばから始まり高度経済成長期に入ると、紙芝居屋の販売に陰りが見え始めた。子どもたちは紙芝居よりテレビを見始め、紙芝居屋も別の働き口を見つけ辞めてしまったからだ。
高林さんは新しい販路として菓子問屋に梅ジャムを卸すことにした。当時は女性の働き口が少なく家の軒先を開放して駄菓子屋を開くことが多かったという。さらにテレビ放送が始まったといってもまだまだ子どもたちは外で遊ぶことが多く、梅ジャムの販売も最盛期を迎えた。自宅の工場もフル稼働で一日あたり1万6千~1万7千個は袋詰めしていたという。
ところが1983年にテレビゲーム機が登場すると状況はがらりと変わった。子どもたちは外で遊ばなくなり、駄菓子屋も減っていった。問屋に商品を卸す頻度が毎日から2日に1回、3日に1回になり、そのうち1週間に1度回っても「今日はいらないよ」と問屋に言われ始めた。売り上げは最盛期の1割以下に減っていた。
そうした中、高林さんはある決断をする。中学生だった2人の息子を自分の前に座らせて言った。「家は手伝わなくていい。自分のやりたいことをやりなさい」。実は廃業は約20年前からの既定路線だったのだ。
あとは店を畳むタイミングだ。ディスカウントストアのドン・キホーテに卸すなど細々と生産は続けていたが、2014年ころには販売量も激減していた。「あと3年我慢すれば梅ジャムを売り始めて70年。それまではがんばろう」。痛む足をかばいながら、梅ジャム作りと配達を続けた。
廃業を宣言したのは17年末。全国から惜しむ声が寄せられた。同業他社から「生産を引き継ぎたい」という申し出や、後継者候補まで現れた。1箱400円のところ、ネット上で60倍超の2万5千円にまでつり上がったこともあった。しかし、高林さんの決意はぶれなかった。
梅ジャムの消費期限は製造から1年間。18年12月31日が最終日となる。「未練は一切ありません。駄菓子屋がなくなって、子どもは買わない。今はやり遂げた思いしかありませんよ」

<年末で消える元祖梅ジャム 創業70年、廃業選んだ信念 – 日本経済新聞 より一部引用>
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39347900V21C18A2000000/

ジャムセッション(英: Jam session)とは、本格的な準備や、予め用意しておいたアレンジを使うことなしに、ミュージシャン達が集まって即興的に演奏すること[1]。特にこれを重視するバンドをジャム・バンドという。類似語としてアドリブやインプロヴィゼーションがある。
ジャム (英: Jam) の語源は、食品のジャムに由来していると推測されており、”something sweet, something excellent.”(甘い感じ、素晴らしい感じ)を表した表現として1929年に生じた言葉とされている。

<ジャム (音楽) – Wikipedia>

Bobby Gregg And His Friends – The Jam Part 1(1962/03)
B面は “The Jam Part 2″。

Roy Buchanan on guitar
Pop Chart Peaks: Music Vendor 26, Billboard 29, Cash Box 34 – R&B Chart Peak: 14
Bobby Gregg (Robert Grego) was a musician & record producer who’s remembered as the drummer on Simon & Garfunkel’s augmented “The Sound Of Silence” track and various Bob Dylan recordings, including “Like A Rolling Stone.”

Pete Seeger – The Jam On Gerry’s Rocks(1958)
2度目の引用。

(2018年12月26日)

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