モリシゲ死す

 映画「夫婦善哉」やテレビドラマ「七人の孫」などで知られる俳優で演劇界初の文化勲章受章者、森繁久彌さんが死去したことが10日、分かった。96歳。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091110-00000509-sanspo-ent

いつも実年齢より上の役をやってたような印象があります。
とにかく才能溢れる人で、器用で、そつがない。
私の場合、この方の仕事で印象深いのは、母親が好きで一緒に見ていたテレビドラマ「だいこんの花」。
それと一連の東宝喜劇映画や松竹「喜劇 女は男のふるさとヨ」のシリーズ。
後姿や歩き方で、性格・感情・人生の哀歓を表現できるという、これはもう天賦の才ですね。
歌ではこの「フラメンコかっぽれ」と「知床旅情」。
作詞・作曲もやってしまう、シンガーソングライターでした。

森繁久弥 – フラメンコかっぽれ(1963)

  ※(追記:この動画は削除されました

 

『知床旅情』は森繁さんが主演作である東宝『地の涯に生きるもの』(1960年)の撮影で協力してもらったことに感謝の意を表するため作った歌でした。当初は『さらば羅臼』というタイトルでしたが羅臼町(らうすちょう)だけでなく斜里町(しゃりちょう)にも同じように協力してもらったので、両町に気をつかい『知床旅情』に変更したといういきさつがあるそうです。
(出典:1996年8月2日(金)放送TBS『おはようクジラ』の『故郷ニュース特急便 秘境・知床の夏(5) 知床旅情秘話』)

 

追加記事

今朝からテレビ朝日が『だいこんの花』の再放送を始めました。
私はたまたま途中から見たのですが10秒で『だいこんの花』だと分かりました。でも、まさかまるまる再放送するとは思っていなかった。
本放送のとき、この第1回から見ていたことを再確認しました。『だいこんの花』のあとのタイトルに野菜の名が入ったシリーズがどれも『だいこんの花』ほどは面白くなく、いつの間にか見なくなってしまった。これは「私が」というより「母が」なんですが、そういうことも思い出しました。

故 武原英子をテレビの画面で見たのも久しぶりです。この人は50歳で亡くなったんですね。私はもうその年令を超えてしまいました。
森繁と竹脇が風呂で背中を流し合うシーンで、ヘチマが出てきました。そういやウチの風呂場にもありましたよ、あのころ。
家族とその関係者の絆、その心の機微を中心に描かれる「ホームドラマ」ですが、『だいこんの花』には「妻」「母」がいないという際立った特徴があり、きょうの第1回でも父子して追憶・思慕する姿が描かれていました。
これは森繁が旧海軍巡洋艦の「艦長」だったという設定にも表れていますが戦前的天皇を大きな意味で母性(臣民は赤子)として認識し、その不在に喪失感を覚えている戦前世代と、そうした父親世代に畏敬と反発の感情が相半ばする戦後世代の複雑な心中を具象化しているのではないかと、私などは推察いたしますがどうでしょうか。
戦前的天皇は大根の花のように密やかでかそけき存在だったわけではありませんが、そのあり方がすでに失われてしまったという点で、先に逝ってしまった「妻」「母」同様、時とともにいや増して美化されるという、心理もまたあるだろうと思うのです。

放送が始まった1970年10月末というのは、東京五輪や明治百年も早や過去のものとなり、大阪万博さえも終ってしまった「祭りの後」状態で、公害や物価高、交通戦争など経済成長のひずみが身近ものとして感じられるようになったそういう頃でした。駆け足のような、あるいは行進するようなスピードだった世の中の動きが少し緩やかになり、落ち着いた心持で過去と向かい合う余裕が生れてきた、そういう空気だったように思います。
そうした中にあって、明治末年か大正一ケタに生れたであろう森繁演じる旧帝国軍人永山忠臣の、その感情と経験を第一とする非政治性、非思想性、批判的視点の欠如等々が、あたかもその時代の老人の特性であるかのように一般化されて描かれているという点は、このドラマを格別なものにしている理由の一つであったでしょう。
過ぎてしまえばすべてが美しくまた愛おしい、、、日本版マントバーニとも称すべき、あの美しすぎる番組テーマ曲は、主人公永山忠臣の自身に対する「際限なき恩赦」と、自己と自己の延長と考える国家の「無制限な名誉回復」のその恍惚たる気分を表すものとして、視聴者の意識下に流れたのではないでしょうか。
そんな気がいたします。
(2009年11月16日)

追加記事

第1回、第2回の再放送に続くきょうの3日目はいきなり第9回でした。DVDが出ているので、それを買えということでしょうかね。
ところでこの第9回では、早くも、永山誠(竹脇無我)が行儀見習いで永山家に住み込んでるトミ子(川口晶)と結婚しておりました。この話はすっかり忘れてました。イメージ的には最終回かその前に割烹日高の娘(武原英子)と結婚するとばかり思ってた。

誠とトミ子の結婚を前回追加記事の見立てに当てはめれば、
国家(戦前的天皇制)を個人(臣民)・家庭(戦前的家父長制)の延長として意識している旧帝国軍人永山忠臣(森繁久彌)の家へ、「君」でも「臣」でもない「民」の出(トミ子のトミは富豪の「富」でしょう)の嫁が来て、初めはギクシャクするけれども皆で盛り立てて行こうという流れになる。
これは日本の戦後(戦後的天皇制)というものを一家の姿に集約して見せたものではないでしょうかね。
回毎の題名が「錨をあげて」「敵艦見えず」「海ゆかば」「我帰港せり」など軍隊(海軍)にちなんでいること、鍋をするにも「ここは私の陣地なんだから」などと軍略的な喩えが多いこと、等から考えると、あながちうがった見方でもないような気がします。

戦前世代の、骨の髄までしみこんだ貴賤の価値観からすれば、日本の戦後はややお安くなってしまった、というところでしょう。言葉にするとトゲがあるようですが、こころの中では当たり前のようにそう認識していたのではないか。しかしそれもこれも自分たちの不甲斐なさのせいという原罪意識があるため、余計に口にすることがはばかられる。
そこに戦前世代の戦後におけるあいまいさの原点があったのだと、私は思います。

Buffalo Springfield – Do I Have To Come Right Out And Say It?

  ※(追記:この動画は削除されました

(2009年11月18日)

 

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