満洲の丘に立ちて

2013/09/18
日本海に面したウラジオストク近郊の船舶修理工場で16日に起きた原子力潜水艦「トムスク」の火災で、出火時に消火器が動かないなど複数の規則違反があったことがわかった。乗組員15人が負傷して入院していたことも判明した。ノーボスチ通信が伝えた。
http://www.asahi.com/international/update/0918/TKY201309180600.html

2013/09/19
オウム真理教の信者ら ロシアに「幸せの町」を建設希望
ニジニ・ノヴゴロド州にはオウム真理教から教義の大半を受け継ぐ宗教団体の信者らが住む新しい町が登場する可能性がある。
  ヴェーダ文化センター「ヂヴィヤ・ロカ」はニジニ・ノヴゴロド州の県境にあるチュフロムカ村にある。信者だった学生ヤロスラフ・ボガシュクさんが死亡したことをきっかけとするスキャンダルを受けて、ウクライナからロシアに移動してきたものだが、昨年にはかつて信者であったイリーナ・マルシナさんが自らの乳児を殺害する事件が起こっていた。警察はマルシナさんと「ヂヴィヤ・ロカ」との直接的つながりを突き止めてはいないが、かつての夫は文化センターで妻が発狂したと主張している。
  「ヂヴィヤ・ロカ」の教義は約80%をオウム真理教から受け継いだもので、東京地下鉄サリン事件で麻原彰晃尊師らの指導部が死刑判決を受けて以後も一部の信者はそのままのこり、ロシアで活動を続けている。
 「ヂヴィヤ・ロカ」の指導者らは信者らのためのコテージ5000棟の建設を計画しているが、地元住民らはそのような隣人らを抱えることに不満を訴えている。
  元信者らによれば、計画はニジニ・ノヴゴロド近くに「幸せの町」を建設するだけにとどまらず、そこを基盤としてグルは自身の国家建設まで考えているという。
http://japanese.ruvr.ru/2013_09_19/121613853/

ロシアのショイグ国防相は19日、シリアの化学兵器廃棄について、ロシア内の施設を利用する計画は現時点ではないと述べた。インタファクス通信が報じた。
(中略)
ロシアは旧ソビエト時代の化学兵器を廃棄するため、国内に7つの処理施設を保有している。
マスタードガス、VX、サリンなどの毒ガスを含む化学兵器を大量に廃棄処理できる施設を持つのは、ロシアの他は米国のみ。ただ、米国は化学兵器の国内持込を法律で禁じている。
http://jp.reuters.com/article/jpRussia/idJPTJE98I01K20130919

ロシア農業監督庁は、日本の福島周辺に位置する8県からの魚輸入禁止を解除することは可能ではないとの考えを明らかにした。
これはロシア農業監督庁が行っているモニタリングおよび国際機関からの資料に基づいてとられた決定だとされている。日本はロシアに対して繰り返し輸入禁止解除を求めていた。
http://japanese.ruvr.ru/2013_09_20/121668217/

【ビデオ】ロシアのドラッグレースで日産「GT-R」が自爆!
YouTubeで公開されたこの映像は、ロシアのモスクワで開催されたドラッグレース「Unlim500+」で撮影されたもの。雨の降る中、2台のGT-Rが勢いよくスタートした直後、1台がハンドルを取られてガードレールに激突。幸いにも負傷者は出なかったようだが、事故を起こしたドライバーがヘルメットやレーシングスーツを着用していなかったことを考えると、この結果は奇跡的と言えるだろう。
http://jp.autoblog.com/2013/09/20/nissan-gt-r-terrifying-drag-strip-crash-video/

Nissan GT-R crash on Unlim 500+ Stage 11 — Official video

 西側におけるロシア文化とロシア・ファッションへの関心は、歴史的に上下しているが、長期に渡って消えることはない。王位継承、戦争、革命、ペレストロイカといった大変動がロシアで起こるたびに、新たなブームが訪れる。
 18世紀にヨーロッパの人々を刺激したのはロシアの改革者ピョートル大帝、次に1814年のパリ入城でコサックとロシア軍のユサール連隊、さらに19世紀末から20世紀初頭にかけて皇族も参加したロシア貴族の「仮装舞踏会」だ。
 ロシアへの関心が再び高まったのは、フランスで初めてディアギレフの「バレエ・リュス」の公演が行われた1909年。アヴァンギャルドな雑誌「芸術世界」を中心とした芸術家集団、すなわちレオン・バクスト、イヴァン・ビリビン、アレクサンドル・ベノワ、ニコライ・リョーリフ(レーリヒ)らが、「ボリス・ゴドゥノフ」、「春の祭典」、「火の鳥」、その他のロシアをテーマとした演劇をデザインして、大きな成功を収めた。
 有名なフランスのデザイナーであるポール・ポワレは1911年、ロシアから帰国した後、ウクライナの刺しゅうとコサックのブーツをパリのファッションに 持ち込んだ。ロシア革命後にロシア帝国からの亡命者がフランス、ドイツ、アメリカ、イギリス、その他の国に流入すると、あらゆるものにロシアの影響が見られるようになった。
 ボヤルスキー襟、伝統的なスラブ・デザイン、北方のココーシニク、タッセル付きのショール、その他さまざまなロシア独自の要素が、ヨーロッパのファッションに根付いた。
 20世紀後半には、イヴ・サンローランがロシアの衣装に関心を持ち、ロシア・コレクションを発表。毛皮の帽子、ブーツ、何層ものスカート、刺しゅうがほどこされたブラウスなどを用いて、贅沢で個性的なファッションに仕上げた。
 だが本格的なロシア・ブームが始まったのは2000年代半ば。
http://roshianow.jp/arts/2013/09/18/45161.html

たしか『さすらいのギター』についてブログで取り上げたことがあったと記憶しているのだが、見つからない。
原曲は、日露戦争に関連して作られたロシアの吹奏楽曲『満州の丘に立ちて』で、英雄的な死を遂げた兵士を弔う歌詞が後から付けられた。
1962年、フィンランドの人気女性歌手ライラ・キンヌネンがこれを歌いヨーロッパで注目され、同じくフィンランドのラウタランカ(エレキギターバンド)のザ・サウンズが63年にマンチュリアン・ビートのタイトルで演奏し、ヒット。日本でも哀愁エレキサウンドとして人気となった。71年のベンチャーズのバージョンでリバイバルし、小山ルミがこのベンチャーズ盤の歌入りカバーを出してヒットした。

Danny Everett & The Spectacles – Moonlight Beat(1993)

Esittäjänä Mona – Mandshurian kummut

The Mustangs – Mandschurian Beat

ザ・ピーナッツ – さすらいのギター

  ※(追記:この動画は削除されました

 

小山ルミ – さすらいのギター(1971)

  ※(追記:この動画は削除されました

 

The Ventures – Manchurian Beat
ザ・ベンチャーズ – さすらいのギター(1971)

  ※(追記:この動画は削除されました

 

Laila Kinnunen – Mandshurian kummut(1967)

The Spotnicks – Mandshurian Beat

  ※(略)

 

The Sounds – Mandshurian Beat(1963)さすらいのギター

Laila Kinnunen – Mandshurian kummut
Laila laulaa elokuvassa Lauantaileikit Mandshurian kummut venäjäksi. Levytys on vuodelta 1962 ja elokuva vuodelta 1963.

Laila Kinnunen -Mantsurian kummut(1962)
Suomeksi

Юлия Запольская – На сопках Маньчжурии

Jorma Juselius – Mandshurian kukkuloilla(1956)

Metro Tytöt – Mantsurian kukkuloilla

A. Aimo – Mandshurian kukkuloilla(1944)

Viljo Vesterinen – Mandshurian kukkuloilla(1935)

На сопках Маньчжурии
Russo-Japanese War 1904-1905

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