此秋はマヒナの友も替りけり
「マヒナスターズ」ボーカリスト、三原さと志氏が死去三原さと志氏(みはら・さとし、本名・小山田晃=おやまだ・あきら=歌謡コーラスグループ「マヒナスターズ」のメンバー)30日、呼吸不全で死去。71歳。
(中略)
喪主は長男でミュージシャンの小山田圭吾氏。
1958年、和田弘とマヒナスターズのボーカリストとしてデビュー。「誰よりも君を愛す」「好きだった」などをヒットさせた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061001-00000512-yom-ent
三原さと志氏死去(みはら・さとし=コーラスグループ「マヒナスターズ」のボーカル、本名小山田晃=おやまだ・あきら)9月30日午後6時ごろ、呼吸不全のため東京都世田谷区の病院で死去、71歳。中国の青島(チンタオ)出身。
(中略)
マヒナスターズは「誰よりも君を愛す」や「お座敷小唄」などのヒット曲があり、三原氏は結成時からのメンバー。圭吾氏は「Cornelius」の名前で活動するミュージシャン。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061001-00000068-jij-soci
1953(昭和28)年3月、バッキー・白片率いるアロハ・ハワイアンズが分裂して生まれたマヒナ・スターズ。1年で再分裂し、和田弘がリーダーとなりました。そのとき和田はまだ23歳の若者でした。
三島敏夫、松平直樹、三原さと志などのボーカリストがマヒナに参加したのは以降のこと。流行歌を積極的にレパートリーとしたため、ハワイアン界からは異端児扱いされたそうです。
師匠筋であるバッキーとの反目が続いていたこともあり、1956(昭和31)年の5月以降、和田はムード歌謡コーラス路線にシフトします。そしてビクターから出したLPのタイトル「魅惑のコーラス」がそのままマヒナのキャッチフレーズとなって人気が沸騰、次々ヒットを飛ばしていきました。
マヒナと同じくハワイアンからポップスや歌謡コーラスに転向したグループには、ほかに、伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズ、ダニー・飯田とパラダイス・キング、黒沢明とロス・プリモス、木村茂とジョイ・ベルス(のちのジョイベルス東京。木村茂はマンドリンを担当)などが知られています。
私が持っている三原さと志の一番古い(1959年発売)レコードがこれです。
AB面ともにドイツ映画『白銀は招くよ』の主題歌で、オリジナルの歌唱者はトニー・ザイラー。
三原さと志には他に、朝丘雪路とのデュエット曲『愛はさだめ川』(1983年 CBS・ソニー)というシングルがあるようですね。