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2006年02月26日

リオ「   」。 (1)の若大将(2)のポポ売り(3)ネット補聴器

南米最大の夏の祭典、ブラジル・リオデジャネイロの「リオのカーニバル」が24日、開幕し、街中が熱狂的なサンバのリズムに包まれた。
 カーニバルは全長約700メートルのパレード専用会場「サンボドロモ」で行われ、26、27の両日には、優勝を競う精鋭14チームの豪華なパレードで最高潮を迎える。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060225-00000505-yom-int

ブラジル音楽も含め中南米音楽が好きで輸入盤をずいぶん買った時期がありました。たしかに音楽はすばらしいのですが、カーニバルの写真(特に山車)を見ると、彼らのセンスにちょっとついていけない気がします。
中南米のキリスト教はカトリック。そのせいか、独特のグロテスク感があるように思います。血とか肉体とかの表現がいやに生々しく、意匠も常に過剰気味。
一級建築士でもある小野一郎氏の写真集『ウルトラバロック』でピックアップされてる、稠密な、なにかゴニョゴニョと蠢きだしそうな、そんな気味悪さを感じてしまうのです。


◇    ◇    ◇


ハワイアンテイストで懐メロやってます。

サバビアン・カフェ
http://www.beltek.co.jp/clutch/aom/s-cafe/

2006年02月25日

湘南色の電車

東京駅から姿消す湘南色 東海道線、半世紀の歴史

 オレンジと緑のツートンカラーが特徴の「113系」電車が今春、発祥の地である東京駅から姿を消す。国鉄時代の1950年に車体塗装の先駆けとして東海道線に登場して以来、半世紀以上にわたり沿線風景に溶け込んだ「湘南カラー」は3月半ば以降、すべてステンレス製車両に代わる。
 この塗り分けは、中長距離では初の電車として東京−沼津間で運行を始めた「80系」電車で採用されたのが始まり。地味な茶色が当たり前だった当時、目にも鮮やかな配色は国民の戦後復興に向けた期待にもつながり、話題を呼んだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060225-00000028-kyodo-soci

緑とオレンジの塗装の電車が消えるというのは2004年8月にすでに報道されておりましたね。
このブログでも記事を拾ってます。
cf. register movement: 石立鉄男の消息

2004年8月6日 朝日新聞記事

 オレンジ色と深緑の「湘南色」と呼ばれるツートンカラーで東海道線を走ってきた湘南電車が東京駅から消えることが決まった。
JR東日本は10月のダイヤ改定で、新型のステンレス車両を本格導入するため、古い湘南色の電車は06年1月までにすべて消える。
50年余にわたって東海道線を彩った電車が静かに歴史の幕を閉じようとしている。
湘南電車は1950年、当時の国鉄が初めての中長距離電車として、東京―沼津間で走らせたのがはじまり。
当時の国鉄電車は濃い茶色の単色ばかりで、電車カラー化の先駆けになり、「湘南色」と呼ばれるようになった。
日本国有鉄道百年史は「2色に塗り分けた長大編成電車列車が緑の風を切って疾走する姿は、戦後の苦しい復興の道を歩んでいた鉄道と国民に大きな希望を与えた」と振り返る。
(中略)
しかし、JRの発足とともに、旧国鉄時代の古い電車は次々と廃車になり、新しいステンレス製の電車に。
新しい車両は費用のかかる全体塗装はせずに、テープで車体にラインを入れる形になった。
さらに、今年10月のダイヤ改定で湘南新宿ラインが増発され、東海道線にも新型車両が次々と投入されることになった。
最後まで湘南色の伝統を守っていた113系電車も06年1月までに東京駅から姿を消す。
(中略)
同じく湘南色の電車は都内では上野駅から東北線を走っているが、こちらは一足早く今年10月までに現役を引退する。
首都圏から湘南色は消えるが、JR東海は、静岡県内を中心にしばらく湘南色の電車を走らせる予定だ。
http://www.asahi.com/national/update/0806/007.html

この塗装は113系以外にも使われていて、実は全国的に走ってました。
湘南色という言い方が妥当かどうかは分かりませんが、高度経済成長のシンボルカラーの一つであったことは確かでしょう。

2006年02月24日

ウィンピーの大好物

モス、復刻店を都内にオープン−創業時の味を再現

モスフードサービスは23日、創業当時の店舗とメニューを再現した「復刻版モスバーガー店舗」を東京・汐留にオープンした。72年に東京・板橋に開店した1号店の店構えをそのまま再現。わずか29平方メートルの面積に立ち席のみのカウンターも当時のまま。メニューもかつてのレシピを使い、昔の味を復活させた。店舗運営も創業時の密な接客サービスを心がけ、他の店舗のモデルとする方針だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060224-00000032-nkn-ind

1burger.gifハンバーガーはウィンピーの大好物という程度の知識しかなく、銀座三越一階に開店(1971年7月)したマクドナルドにさっそく買いに行ったら、いきなりジンガイ・パツキンのチャンネエが「イラッシャイマセ」とか言うので、いささか気圧されたという記憶があります(笑)
でも六本木には戦後ずっとハンバーガーを出してるような店があったんですよね。

2006年02月20日

被災後初のマルディグラ

被災後初のマルディグラ ニューオーリンズ

 昨年8月末にハリケーン「カトリーナ」による壊滅的被害を受けた米ルイジアナ州ニューオーリンズで18日、世界屈指のカーニバルとして知られる「マルディグラ」のパレードが本格的に始まった。
 今回のマルディグラはハリケーン後初めて。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060219-00000049-kyodo-soci

ニューオーリンズのジャズやブルース、R&Bのたぐいが昔から好きでして、中学・高校のころは夢中でレコードを買い集めたものでした。
いまのニューオーリンズ音楽は、もうすっかり洗練された音ですね。

     MardiGras - Yahoo! Search Results


2006年02月18日

オーストラリア版「こんにちは赤ちゃん」?

プレスリー娘が4度目婚、京都で挙式

 故エルビス・プレスリーの娘で、歌手のリサ・マリー・プレスリー(38)が、京都で挙式していたことが17日明らかになった。
 AP電によると、相手はギタリストで音楽プロデューサーのマイケル・ロックウッド。リサの音楽ディレクターを務めており、昨年発売したアルバム「Now What」をプロデュースした。リサは過去に歌手マイケル・ジャクソン(47)、俳優ニコラス・ケイジ(42)らと結婚、離婚しており、4回目の結婚。
リサの代理人によると、挙式は先月22日。母プリシラ・プレスリーさんが新婦の付添人、最初の夫ダニー・キーオさんが新郎の付添人を務めた。キーオさんとの間にもうけた2人の子供も出席。日本式のお辞儀をするなど、純和風の儀式だったという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060218-00000021-spn-ent

4回目の結婚ですか。慰謝料だの財産分与だのって、あったのかなぁ。
子どもがいて再婚するってのは、記事を引き継ぎながらブログのデザインを変えていくようなものなのかも。


◇    ◇    ◇


オムニバスCD V.A. / Baby Dub
http://pics.livedoor.com/u/takepiro0804/205542

オーストラリア版の今風「こんにちは赤ちゃん」でしょうかね?


◇    ◇    ◇


ジョニー・キャッシュの伝記映画『ウォーク・ザ・ライン 君につづく道』が間もなく公開されるようです。
アメリカのサブちゃんみたいな人ですが、日本ではイマイチ知られてません。
歌詞の英語が分からないと永遠に理解できないタイプの歌手です。

映画「ウォーク・ザ・ライン」オフィシャルサイト
http://www.foxjapan.com/movies/walktheline/


かくいう私も英語がチンプンカンプンなので、この人の歌の良さがイマイチ分かってません。
レコード棚を見たらLPが2枚。貰いもののシングルが4枚。
これでも日本人としては持ってるほうかも。

LP「THE ORIGINAL JOHNNY CASH」JOHNNY CASHLP「THE SURVIVORS」JOHNNY CASH, JERRY LEE LEWIS, CARL PERKINS

(左)だいぶ前(たぶん1970年代中ごろ)に、英Charly Recordsから発売されたLP『THE ORIGINAL JOHNNY CASH/JOHNNY CASH』。
1957年3月〜1958年7月のサン・スタジオでの録音を集めています。

(右)米Columbiaが1982年に発売したLP『THE SURVIVORS/JOHNNY CASH, JERRY LEE LEWIS, CARL PERKINS』。
大物3人によるスーパー・セッション企画、といえば聞こえはいいですが、
なんだかんだ言って、松本伊代・早見優・堀ちえみによるユニット『キューティー★マミー』と大差ない発想です。

シングル「若者の叫び」ジョニー・キャッシュシングル「うつろな日曜日」ジョニー・キャッシュ
シングル「黒い服の男」ジョニー・キャッシュシングル「お前と俺」ジョニー・キャッシュ

(上段左)シングル『若者の叫び』
ジョニー・キャッシュが国民的な大物歌手として認識されたのはコロムビア移籍後のことです。このシングルは『スーという名の少年』に続くヒットで、キャッシュボックス11位を記録しています。歌詞は「近ごろの若いモンは」と眉根を寄せる年寄り世代に対して、若者は真実を追究してるだけなんだ、と擁護する内容。

(上段右)シングル『うつろな日曜日』
いささか懐かしいイメージの、のどかな日曜日のようすを歌っているこの曲はクリス・クリストファーソンの作。1969年から全米で放映されていた「ジョニー・キャッシュ・ショー」での録音です。

(下段右)シングル『黒い服の男』
政治を痛烈に皮肉っているプロテスト・ソング。
この人本来のスタンスではない気がします。おそらく当時の、ベトナム戦争の行き詰まりや反戦運動の高まり、ボブ・ディランの人気などをふまえて、出されたものでしょう。

(下段左)シングル『お前と俺』
パラマウントの“ニュー・シネマ”『お前と俺(Little Fauss and Bog Halsy)』(1970年)の主題歌(オリジナル・サウンド・トラック)です。
『俺たちに明日はない』でC.W.モス役を演じたマイケル・J・ポラードが、ロバート・レッドフォードとともにYAMAHAのバイクで走りまくってる映画でした。

2006年02月16日

私のころは「仰げば尊し」「蛍の光」しか無かった

学生も社会人も、2月を過ぎると出会いと別れのシーズンが到来。毎年数多くの「卒業ソング」が生まれますが、今年はとくに名曲ぞろい!
  『卒業の日』サスケ
  『振り向けば…/Destination』Janne Da Arc
  『Dear/旅立ちの日に・・・』川嶋あい
  『ソツギョウ』加藤ミリヤ
  『桜色』竹井詩織里
  『桜』コブクロ
  『卒業〜さよならは言えない〜』安次嶺奈菜子
http://magazine.music.yahoo.co.jp/rep/20060215_001/

「クリスマス」とともに今やヒットソングの定番テーマとなりつつある春の「卒業」。
ちょうどいい機会なので、自分にとっての「卒業ソング」は何だろうと、考えてみました。

シングル「僕ら就職コース」石黒高二コンパクト盤「青春時代」森田公一&トップギャラン

映画『高校三年生』(大映)でも重要なテーマとして描かれてましたが、進学する人と就職する人の“心理的な別れ”というのがありまして、卒業より前のその別れが、社会的階級選択の、事実上の岐れ目ともなっちゃってる。今も昔もそうです。
その屈折した心情を余すところなく歌いきった隠れた名曲が、、、あるんです。
題名はズバリ、『僕ら就職コース』(1964年4月発売)。
うははは、いやスゲーな、これ。
テイチク創業30周年記念新人歌手募集で入賞した、その名も石黒高二(いしぐろこうじ)のデビュー盤だそうですよ。
大学生の「金のボタン」はあきらめけど「めそめそしない」「泣かない」と自らを鼓舞鼓吹し、「茜の空」に叫ぶ青春群像。
歌の主人公は進学コースの者達と「いつも席次をあらそった」といいますから、成績に関しては十分進学できるレベルだったのでしょう。それでも就職せざるをえなかった背景・事情に、歌詞はまったく触れておりません。
彼のその後の人生はどうだったのでしょうか。そして石黒高二自身は・・・?

森田公一&トップギャラン『青春時代』。
これが名曲であることは異論のないところでしょう。私の好みじゃありませんがネ。
『僕ら就職コース』が進学組と就職組の分かれる高校二年、つまり卒業2年前の歌だとしたら、この歌の場合は「卒業までの半年」前という時点。しかし「二人がくらした年月」というんですから、常識的に考えれば歌の主人公は大学生でしょう。
……え? あなたは高校で同棲してましたか? ありゃりゃ。
こっちのアナタは中学で家を飛び出して同棲・妊娠・出産、ついでに別れちゃった!?
♪あーそれも青春〜ン、、、って拓郎かいな。

シングル「贈る言葉」海援隊シングル「学校の先生」坂上二郎

おなじみ、海援隊『贈る言葉』(1979年11月発売)。
一応は、教師が巣立ってゆく生徒たちに贈る言葉、ということでしょう。ただし歌詞は学校という場を離れていかなるシチュエーションにも当てはまる内容となっています。

これとは対照的に、はっきりと教師の立場で卒業していった教え子たちに思いを馳せる内容であるのが、坂上二郎の『学校の先生』(1974年11月1日発売)。
おそらく昭和30年代後半から40年代中ごろにかけての学校(中学校)の雰囲気です。
この歌を聞くと私は涙が止まらなくなります。カタルシスってやつですか。あのころ不幸だった者たちへの、ある意味「鎮魂」の力がこの歌にはあるような気がするのです。

シングル「クラスメート」星のぞみ1967年7月10日にミノルフォンより発売された『夏は過ぎても』のB面の『クラスメート』。
歌っているのは「星のぞみ」という育ちのよさそうな、感じのいい女性で、『青春時代』という佳曲を残している人です。(もちろん森田公一のとは同名異曲)
残念ながら『クラスメート』は確信犯的に平凡な楽曲でして、あのころの日本映画の、どこか地方の昼下がりの商店街が映っている“引き”のシーンで、宣伝放送のスピーカーからかすかに流れていれば、それはそれでぴったりかもしれない、と思わせる朦朧(もうろう)感に終始している歌です。
ではなぜここで取り上げたかというと、この歌はA面と兼ね合わせて聞くと、卒業後、約半年立ったころ(夏の終り)に、かつて心を寄せていたクラスメートを、そこはかとなく懐かしむ内容であることが理解されるのでありまして、そこがユーミンの『卒業写真』の世界のいわば予表、予型に相当するんじゃないか、と考えているからです。それだけなんですけどネ。

実は私自身にとっての「卒業ソング」を考えたとき、いちばん最初に思い浮かんだのが岩崎宏美の『二十才前(はたちまえ)』でした。しかし歌詞をチェックしてみるとこの歌は卒業とは何ら関係なく、あえていうなら「年齢がテーマの曲」「成人式ソング」とでも云うべきものでした。
そしてもう1曲、1967年の『いつも心に太陽を』。イギリスの女性ソロシンガー「ルル」がうたった同名映画の主題歌で世界的に大ヒットしました。同じように低所得者層の子弟が通う学校の荒廃ぶりを描いた映画『暴力教室』と、当時よく対比されて語られておりましたね。1995年には続編も作られてます。

近ごろじゃ「卒業」を「大人への仲間入り」とする歌も多いようですが、実際にはなおズレがあるように思えます。卒業は、やはり友との切ない別れであり、学校という桎梏からの解放であり、旅立ちであり、船出でありましょう。
その意味で、私が卒業してゆく若い人に贈りたい一曲はこの歌です。
『出発の歌』
出発と書いて「たびだち」と読ませています。副題は「失われた時を求めて」。
つまり旅行の出発、鹿島立ちではなく、新たな環境、世界への門出を景気づける歌ですね、これは。
『出発の歌』(1971年11月25日 キング発売)は上条恒彦+六文銭のヒットとしてよく知られております。『アクエリアス』っぽい印象の曲だなと、当時は思いましたね。
まぁ、音は
BARKS - FOLK RENAISSANCE : 出発の歌/上条恒彦と六文銭
http://www.barks.jp/listen/?v=1&id=52009955
あたりで聞いていただくとして、
私は若い人にはぜひ広い世界へ飛び出してって大活躍していただきたいので、ここでは外人さんバージョンを挙げておきたいと思います。
シングル「出発の歌」マイク・カーブ・コングリゲイションマイク・カーブ・コングリゲイションが歌う『出発の歌』(1971年12月 日本コロムビア発売)。「SONG OF DEPARTURE」と英語タイトルが付されておりますが、歌詞は日本語のままです(笑)。
宇宙に、未来に、飛んでゆけ、とうたうこの歌。宇宙に行こうとした かの堀江元社長も、きっと一度は耳にしたことがあるでしょう。

というわけで、あれこれくどくどと申し上げましたが、
今春、いろんな学校を卒業する皆さん、そしてついに卒業できずドロップアウトした皆さん、さらには卒業しそこなって留年した皆さん、
――皆さんの未来に幸多からんことを祈り、私の送辞に代えさせていただきます。礼ッ!

¶postscript―*

Yahoo!ミュージック:卒業ソングの定番といえば?
http://music.yahoo.co.jp/poll/result.php?poll_id=2207&wv=1
2006年02月17日より 計21942票

アーチスト 「曲名」
得票率
得票数
スピッツ「空も飛べるはず」
29%
6332 票
海援隊「贈る言葉」
14%
2929 票
ケツメイシ「トモダチ」
12%
2540 票
森山直太朗「さくら(独唱)」
10%
1990 票
尾崎豊「卒業」
9%
1868 票
荒井由実「卒業写真」
9%
1814 票
Kiroro「Best Friend」
8%
1745 票
H2O「想い出がいっぱい」
7%
1452 票
SMAP「世界に一つだけの花」
6%
1111 票
渡辺美里「卒業」
1%
161 票

(2006年2月21日)

¶postscript―*

ORICON STYLE ニュース:定番の卒業ソングNo.1は、あの名曲!!
http://news.oricon.co.jp/omr/14558.html

(2006年3月7日)

2006年02月07日

昭和30年代パノラマ大画報

060207_01.jpg宝島社刊『昭和30年代パノラマ大画報 今よみがえる、ニッポンの青春!』1200円+税。
2006年2月15日発行。
監修:コモエスタ八重樫
制作:株式会社レッカ社
増補・改訂・編集:ケンコミュニケーション

映画「三丁目の夕日」は団塊世代にかなり好評だったようですね。今後同じように彼らのフトコロへ照準を定めた商品がいろいろ出てくるでしょうが、じつは昭和30年代とか1960年代へのレトロスペクティヴは1970年代後半に最初のブームが起こってるんですよ。ワタクシなぞもその頃いろいろ企画を売り込んだもんです。
これからその第2波がきっと来るでしょう。前回と違うのは個人に焦点を当てるという傾向が強いこと。各人の個人的体験を透してあの時代を語るというのがポイントですね。このことはいづれ皆さんにも感じ取っていただけることと思いますよ。それはさておき――

この「昭和30年代パノラマ大画報」はカバーの返しに紹介されているとおり、1991年8月にJICC出版(現・宝島社)より初版発行された『1960年大百科 東京タワーからビートルズまで』(下左)を増補・改訂したものです。

060207_02.jpg060207_03.jpg

その後、これに年表を加えたものが、1997年12月、宝島社から 別冊宝島354『さよなら20世紀シリーズ [1960年大百科] 』(上右)として出されておりますから、
実際にはこれで3度目のリイシューということになります。
まぁ決定版ということでしょう。

060207_04.jpg宝島社における、このテの企画の原点は、やはり1975年6月1日発行「宝島」6月号(JICC出版局刊。第3巻6号=発売は1975年5月1日)の特集「ぼくたちの世代 SWINGIN' 60'S CATALOG」でしょう。北山耕平の「LOVE ME DO!」と、結城 杏の「OLD FRIENDS」の2つの文章に、写真・図表などを加え膨らませているため、時に本文が途中で何ページも飛んだりする、ちょっとクセのある編集なんですが、そこがマァなんとも宝島らしいんですね。
表紙には「植草甚一編集」と謳われてますがこの頃の実際の編集人は高平哲郎です。

060207_05.jpg同じ年の12月、やはり重要な一書が発売されております。
主婦の友社刊、小野耕世編 21世紀ブックス「CUSTOM版 60年代のカタログ」がそれです。
「思いでの、テレビ・まんが・CM・映画・歌謡曲・ポップス・ファッション……大行進!」との惹句そのままに、各ジャンルが鳥瞰的に網羅され、その方面に詳しいスペシャリストによって、思い入れたっぷりの註釈が加えられる、というスタイルでした。
いかにもアメコミ研究者である小野の編集らしく、日本で人気だったアメリカのテレビドラマが冒頭に来ています。もちろんトップは「スーパーマン」です。

さて、すっかり懐古ブームが定着した80年代、その余波消えやらぬ90年代には、同工のレトロ本が次から次へと出版されました。そのほとんどはビジュアル(グラフィック)中心で、テーマごとに細分化される傾向がありました。
たとえば「自民党抗争史」とか「ザ・全共闘」みたいなところまでいきましたから。
映画、テレビ、ラジオ、芸能、音楽、書籍、雑誌、イベント、雑貨、食品、楽器、車、バイク、鉄道、旅客機、船舶、兵器、風景写真、建築、スポーツ、ファッション、遊び、玩具、ブーム、事件、犯罪、風俗、言葉、思想、政治、経済、そしてコンピューターとインターネット、、、、
ネタ的には、ほぼ出尽くしたんじゃないでしょうか。
あ、一個足りないものがありました。反省(!)です。
        団塊世代が一番ニガ手なのがこれでした(笑)

2006年02月04日

脱力フレーズ満載

060204_01.jpg幻冬舎コミックス刊、幻冬舎発売『昭和へっぽこフレーズ大全 このへんでドロンします』税込1050円。
2005年4月30日発行。・・・あ、去年の春でた本なんですね。気がつきませんでした。
いわゆる死語のオモシロさを扱っておりますが、この本のエラいところは単語ではなく、あくまでフレーズで収集していることでしょう。
タイムスパン的にはかなり幅があって、戦前から昭和40年代くらいまででしょうか。さすがに今では違和感のある言い回しばかりですね。
昭和50年代の若い人の演劇やコントで、笑いを取るためのギャグとして、よくこういった言葉が使われてましたっけ。
ところで「あら、あんたカマトトね」っていうの入ってませんでしたネ。

2006年02月03日

ドイツ盤が1枚315円!

CD「ルイ・プリマ/フォナ・セラ」CD「ジーン・ヴィンセント/ビー・バップ・ア・ルーラ」

CD「ジュニア・ウォーカーオール・スターズ/ショット・ガン」CD「ニール・ダイアモンド/ソリタリー・マン」

CD「ソニー&シェール/アイ・ガット・ユー・ベイブ」

またまた廉価版CDです。書店「リブロ」の某店にて、税別2000円がなんと税込315円で売ってました。いやぁーついつい買っちゃいましたねー。5枚でたったの税込1575円です。
いづれもドイツ直輸入盤です。

ルイ・プリマ。
ニューオーリンズ生まれ(1910年12月7日)のイタリア系アメリカ人で、白人ジャンプ・シャウター的な部分が、ロックンロールのルーツとして認識されている人です。俳優・声優としても活躍しました。
聞けばすぐ分かりますが、音楽的にはサッチモ、キャブ・キャロウェイ、ルイ・ジョーダン、スリム・ゲイラードといった人たちの影響を強く受けており、パフォーマンス的にはショーアップされたエンタテイメントがその特徴でした。
女性歌手キーリー・スミスとのコンビは、のちのソニー&シェールがお手本にした、とも云われています。
1930年代のコンボ時代、40年代のビッグバンド時代を経て、50年代にはラスベガスのショーで活躍、60年代にはゴーゴーバンドを作って大いに気を吐きましたが、1975年、病を得て、それから3年後に故郷ニューオーリンズで没しました。
このCDではヒット曲というと「シング・シング・シング」「ジャスト・ア・ジゴロ」くらいでしょうが、その時代のいわゆるジャンピン・ジャイブ系の録音をチョイスした聞き応えのある選曲で、編者のセンスの確かさがうかがわれます。

ジーン・ヴィンセント。
ひととおり揃ってるベスト盤です。「ピストル・パッキン・ママ」は入ってますが「ピンクのサンダーバード」は、、、おや? 入ってませんねー。「シルヴァリー・ムーン」もない。でも「ワイルドキャット」とか入ってるし……。
私のお好みは昔も今も「シー・シー・リトル・シェイラ」と「ダンス・トゥ・ザ・バップ」です。若き日の夢、青春の情熱、なつかしの“ロッカビリィ”、、、遠い昔、こういう音楽が好きでした。
この人は独自のロカビリー・サウンドのほかに、ファッツ・ドミノ・スタイルあり、黒人コーラス調あり、バディ・ホリー風あり、スタンダード・ナンバーなんかもあって、メジャーのキャピトルでいろいろいじくられたフシがあります。晩年、ブッダ・レーベルに「サンシャイン」というアルバムを残してまして、進境のほどを留めております。

ジュニア・ウォーカー。
1995年に他界したテナー・サックス奏者。1964年以降、モータウンでアーチスト兼セッション・マンとして活躍しました。
70年代に大流行するファンクをすでに60年代中期に作り上げていた才人で、スティーブ・ウィンウッドに影響を与えたことでも知られています。

ニール・ダイアモンド。
この盤では「スウィート・キャロライン」以前の録音(9割がたは自作曲)を集めています。基本的にはスローのラ・バンバ・タイプ〜ソウル・アンド・インスピレーション的なスタイルですね。どれもひじょうにハイブロウでよく出来てはいるんですけどね、ヒットに不可欠なチャームがイマイチかけてるような気がします。
これらよりもさらに前のヒットしなかった曲がまだまだありますが、そのへんはさすがに今もって陽の目を見ていません。

ソニー&シェール。
あの頃らしさが横溢したデュオ時代の極めつけ20曲です。スペクター風味のフォーク・ロック、それと、流行りのサウンドをいろいろ取り入れようとするあまり、スタイルがちょっと右往左往してる、そういう流れも感じられます。
そうそうソニー・ボノって、コメディアンの顔もあって「フライングハイ2 危険がいっぱい月への旅」(1982年)に出てたんですよね。ソニー&シェール時代にはTVのコメディー・ショーが人気だったし。スペシャルティのA&Rマンだったなんて、なんだか信じられません。後年、パーム・スプリングス市長、上院議員として活躍しましたが、1998年、スキー事故で急逝。
ちょっと生き急いでるようなところのある人でしたね。
1999年、アメリカで伝記ドラマ『ソニー&シェール』AND THE BEAT GOES ON: THE SONNY AND CHER STORYが放映されました。演じたのはジェイ・アンダーウッド(ソニー役)とレニー・ファイア(シェール役)でした。