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2005年06月30日

アルプスの少女はハイジ、鳥肌実は・・・

「軍艦島」保存検討へ 長崎市の委員会発足

 かつて炭鉱の島として栄えた長崎市高島町の「端島」(通称・軍艦島)の保存を検討する同市の保存活用技術検討委員会が30日、発足した。
(中略)
 委員会は大学教授など7人で構成。島の建造物が風化しているため、現地調査を行い、その結果を基に保存工事の可能性を検討する。今年中にも検討結果をまとめ、伊藤一長(いとう・いっちょう)市長に報告する。
 30日の第1回委員会で委員長の宮原和明(みやはら・かずあき)・長崎総合科学大教授は「閉山から30年がたち、傷みも進む中で、何とかして観光資源にできないか保存修復方法を考えたい」と述べた。
http://www.sankei.co.jp/news/050630/sha090.htm

私は廃墟というか、かつてそこに人が生活していた痕跡、その時代性のあとかた(寂び)とでもいうべきものが大好きでして、この「軍艦島」もぜひ見てみたいとかねがね思っておりました。
今回のプロジェクトは、廃墟を廃墟の状態のままで保存できうるのか、遺跡や古址のように観光地化することは可能か、というヒジョーにまたムツカシい問題を含んでおりまして、ある意味、時間を止めるという無謀な試みにも等しいわけでございます。
これは共産主義の指導者の遺体を防腐処理してガラスケースの中に収め展示するよりも、さらに困難を要する話であろうと思われます。

2005年06月28日

東京で売ってるじゃあーりませんか ! ?

050628_01.jpgさきほどたまたま入ったセブンイレブン(神宮前店)で、『タイムスリップグリコ 大阪万博編』(294円)を発見しました。
・・・なんでここにあるの? 確か関西限定だったんじゃなかったっけ?・・・
とりあえず一個買ってみましたが、開けようかどうか迷ってます。
このまんま保存しちゃおッかな。

2005年06月19日

「誰も知らない」ビートルズの5日間

050619_01.jpg産経新聞社刊『カムジン』7月号 特集「誰も知らないビートルズの5日間 日本滞在103時間完全プレイバック」』650円
この本、婦人雑誌のところに並んでました。表紙を見るとたしかにそんな感じなんですが、中身はシュミシュミおじさんの世界です。
新聞社系の雑誌ならではの独特のレイアウト、広告が印象的です。
正直いうと今、買ったことをほんの少し後悔してます。

2005年06月18日

アロハの心を持ってないヤツがいくらアロハ着たってそりゃダメだよ

夏の軽装にアロハを ハワイ州が売り込み攻勢

 今月からスタートした政府の「夏のビジネス軽装(クールビズ)」で、国会や霞が関では敬遠されているアロハシャツの着用を促進しようと、ハワイ州観光局(東京)など米国の関係機関がPRに本腰を入れ始めた。
(中略)
クールビズの旗振り役である環境省の炭谷茂事務次官も「海でヨットに乗る時は似合うが、今の官庁の常識ではちょっと無理では」と話す。
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=home&NWID=2005061801002548

どうせ日本はそのうち熱帯気候になるんでしょうから、アロハに慎太郎刈りで、男はみんな裕次郎。これで決まり!

050618_03.jpgデール・ホープ著『THE ALOHA SHIRT』
2003年 デザインエクスチェンジ(株)刊
アロハシャツの写真を中心に構成したアロハの事典。
でもなぁ一着一万円以上とか、そういうのって、そうそう買えませんよ。

坂本九物語

山口達也の“九ちゃんスマイル”だ

 TOKIOの山口達也(33)が主演するテレビ東京・大阪系スペシャルドラマ「上を向いて歩こう〜坂本九物語」(8月放送)の制作発表が16日、東京都港区のホテルで行われた。同ドラマは1985年に飛行機事故に遭い、43歳で亡くなった歌手坂本九さんの生涯を描く。
(中略)
 会見に出席した夫人で女優の柏木由紀子(57)は「これまでもドラマ化の話があったが断ってきた。でも今なら客観的に見られる。若い人にも坂本の魅力を知ってもらいたいと承諾した」と経緯を明かした。
(中略)
 デビュー前の15歳から43歳までを演じる。劇中では「上を向いて歩こう」「ジェンカ」「涙くんさようなら」など九さんのヒット曲6、7曲も歌う予定。坂本さんが亡くなる直前に柏木とのデュエット用に作詞作曲した幻の未発表曲「心の瞳」も披露する。
(中略)
 柏木役のともさかりえ(25)は本人を横に緊張気味。「笑顔を支えた母性と温かさを出したい。九さんが天国で笑ってご覧になってほしい」。脚本のジェームス三木は「笑顔の裏の劣等感や欲望など、人間・坂本九を描いた」と話した。
http://www.daily.co.jp/gossip/2005/06/17/176797.shtml
050618_01.jpg050618_02.jpg

例によって、手持ちの資料。

(左)柏木由紀子著『上を向いて歩こう』1986年 フジテレビ出版
(右)坂本照明著『星空の旅人』2003年 文星出版

坂本照明氏は坂本九の実兄。

テイチクの歌手だったジェームス三木は時代的には坂本九より気持ち早いくらいです。スタイル的にはフランク永井みたいな都会派歌謡でした。『初恋ロックン』なんて怪しい歌をうたわされて、あのころのジェームス三木はくさってたんじゃないでしょうかね。♪ハァロックンロックン、カックン♪ですからね。

¶postscript―*

『坂本九 没後20年 ドラマスペシャル 上を向いて歩こう 坂本九物語』

「43歳大惨事で逝った不滅のスターは9人兄弟の末っ子!あの笑顔と歌声の秘密…九ちゃんの知られざる真実」
脚本:ジェームス三木
出演:山口達也、岡江久美子、ともさかりえ、加賀まりこ、古谷一行
数々の名曲を残し、人懐こい笑顔で愛された国民的スター、坂本九さんの生涯を描く。坂本照明、柏木由紀子原作、ジェームス三木脚本、木下高男監督。
1941年、9人きょうだいの末っ子として生まれ、父、寛(古谷一行)と母、いく(岡江久美子)の愛情の下、ロカビリーにあこがれる青年に育った九(山口達也)。やがてテレビの時代が到来し、歌手デビュー。
人々の心をとらえた彼の曲はヒット街道をひた走った。映画の主演も決まり、にわかに忙しくなる中、九は新曲「上を向いて歩こう」に出合う。同曲は大ヒットし、61年には紅白歌合戦に初出場を果たした。その後、女優の由紀子(ともさかりえ)と結婚した九は、家庭という新たな幸福を手にする。
<Yahoo!テレビ 番組紹介より引用>

ドラマは前出2冊(写真上)を原作として、8月21日(日)21:00〜23:14にテレビ東京系で放送されました。
(2005年8月21日)

2005年06月17日

「奥さまは魔女」映画化

「奥さまは魔女」が映画に キッドマンが主演

 1960−70年代にお茶の間で大ヒットした米テレビのコメディードラマ「奥さまは魔女」が、ハリウッドを舞台に新たに映画化され、全米で24日から、日本では今年9月から公開される。アカデミー賞女優ニコール・キッドマンが主演で、ラブストーリーとして生まれ変わる。
 設定は現代。キッドマン演じる魔女イザベルは普通の恋を夢見て人間界に降りてきたばかり。そこに、テレビドラマ「奥さまは魔女」の新作で魔女のサマンサ役女優を探す俳優ジャック(ウィル・フェレル)が現れる。魔法を使うとき、口元をピクピクさせるのはテレビ版と同じ。
 テレビ版は米国では64年から8年間放送され、日本では、サマンサのファッションや米国の中流家庭の豊かさが話題を呼んだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050617-00000193-kyodo-ent

同時期、アメリカで人気を二分した「ザット・ガール」は、しかし映画化はされないでしょう。あれはあの時代そのものが凝縮された宝石みたいなものですからね。時代性を離れて、リメイクする意味はありません。

THAT GIRL on the WEB !
http://thatgirltv.com/

2005年06月13日

ヒット曲でつづることば物語

050613_01.jpg日本放送協会刊『NHK知るを楽しむ(木)日本語なるほど塾』683円。
大塚明子氏の『ヒット曲でつづることば物語』(6月)
佐々木瑞枝氏の『留学生から見たニホンゴのトホホ』(7月)

これまで歌謡曲を分析した本はずいぶんと出てまして、私もけっこうそういうの持ってます (*^_^*)
得心のゆく分析もあれば、なかには平岡正明氏のように思い入れや妄想を爆発させたものもあり、歌謡曲の時代を生きた私としては大いに楽しませてもらってますよ。

2005年06月12日

昭和レトロな店構え

連絡船うどんに行列 昭和横丁が「宇高」の味再現

 香美郡土佐山田町のえびす商店街を昭和のレトロな店構えに変える「ゑびす昭和横丁」が11日始まり、懐かしい「宇高連絡船うどん」を再現したイベントなどでにぎわった。12日まで。
http://www.kochinews.co.jp/0506/050612headline08.htm

森永拓郎氏が指摘するように、この手の企画で重要なのは人間。店の人が“昭和30年代的感覚の人”にならないと、成功しません。見た目だけ“昭和”じゃ、すぐに厭きられてしまいます。えびす商店街の皆さんはどうでしょうか。

2005年06月11日

古書店頭在庫の流動化

日本一狭い古本屋出現? 牧志公設市場前に

 那覇市の牧志公設市場前に“日本一狭い古本屋”「極狭書店 とくふく堂」が4月23日に開店した。間口が75センチで奥行きが180センチ、高さが275センチの空間に本棚を備え、横歩きをしないと移動できない狭さ。店長兼営業の徳沢達哉さん(34)は「意外に『狭くて落ち着く』といった声が多い」と笑う。ギネスブックへの申請も準備中だ。
(中略)
 店内には小説や旅行本、写真集など常時約250冊の本が並べられており、毎日20冊から40冊を入れ替えている。那覇市内の徳沢さんの住宅兼倉庫には約2500冊の在庫があり、ひろみさんが本の管理を受け持っている。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-3073-storytopic-5.html

「毎日20冊から40冊を入れ替え」るというのはなかなか出来ることじゃありません。
沖縄へ行った際にはぜひとも立ち寄りたいですね。

燃えつきた東京

050611_01.jpg中目黒ブックセンターにて、JTB発行『60年代「燃える東京」を歩く』1500円+税を購入。
ビートたけし、日高恒太朗、須藤靖貴、山崎マキコほかの人たちが、1960年代の事件・イベント・話題の現場を再踏査するという趣向。
写真・図版・地図・コラム・当時の記事などを駆使した重層的編集で、楽しく読めるようになってます。
こりゃやっぱり、実際に歩いてみるしかないでしょ。

2005年06月09日

東京都や新宿区がツブした60's新宿カルチャーについて

050608_01.jpg
東京人7月号 特集『新宿が熱かった頃 1968-72』900円。

あいかわらず怪しい広告の載っている雑誌です。900円という売値で、実売どれくらいでしょうか。売れても売れなくてもいいのですから、気楽といえば気楽です。
今回はあのころの新宿がテーマ。時代の勝利者たちはいまや権威です。彼らの語る勝者の歴史に改めて耳を傾けるのもいいでしょう。

 

◇    ◇    ◇

せっかくですからここで、うちの資料室にある新宿関係の書籍を紹介しておきましょう。

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関根弘著『わが新宿!』1969年 財界展望社。
大正9(1920)年生れの編集者で詩人の著者が、あの時代の新宿をまさに当事者として活写した記録。写真や地図、年表もあり史料価値絶大。

 

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三田和夫著『新宿慕情』1975年 発行=正論新聞社出版局、発売=恒友出版。
元讀賣新聞社会部記者で正論新聞を創設した著者によるエッセイ集。
事件記者時代に出会ったさまざまな人間たち、事件を回想しています。ちなみに当時の正論新聞社は丸山明宏(美輪明宏)が借りていた部屋のとなりだったそうです。
 

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田辺茂一著『わが町・新宿』1976年 サンケイ出版。
ご存知、新宿「紀伊国屋書店」社長(故人)。映画『新宿泥棒日記』に出演なさってましたね。本書は1975年1月からサンケイ新聞(産経新聞)に連載していた随筆をまとめたもので、氏は当時70歳。なにしろ回想録は明治から始まるんですよ。まずはこれを読んで、おおまかな新宿の歴史のアウトラインを把握したいところです。
 

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野坂昭如著『新宿海溝』1979年 文藝春秋。
自伝的長編実名小説。
「新宿の深いネオンの海を回游する文士、編集者の群れ。文壇を仰ぎ見つつ酒場の片隅で耳傾けていた、あの遠い日々。獣道を共に辿った多くの友人との邂逅、そして別れ――」(腰帯の宣伝文句より)
巻末に登場人物・登場店名の索引があります。
 

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森泉笙子著『新宿の夜はキャラ色 藝術家バー・カヌー』1986年 三一書房。
1960年代前半に、作家・芸術家・文化人がたむろしていた新宿のバー「カヌー」の物語。実に多士済々な顔ぶれ。表紙のADはなんと常連客だった埴谷雄高。
 

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伊ノ部康之著『新宿・どん底の青春』1992年 朝日新聞社。
昭和26(1951)年、役者志望の青年達によって始められた酒場「どん底」は2005年現在も盛業中です(ビックリ!)
どん底
http://yama.ne.jp/kaname/home/donzoko/
演劇人・映画人・作家に愛された伝説の酒場の“青春時代”を描くドキュメント。
 

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太田篤也著『新宿池林房物語』1998年 本の雑誌社。
1964年に北海道から上京した著者が、努力の末、新宿で店を開くまでの青春記。60年代新宿の喫茶店、バー、飲み屋などが多数登場する。
 

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渡辺英綱著 ラピュタ新書002『新編 新宿ゴールデン街』2003年 ふーじょんぷろだくと。
ゴールデン街の酒場「ナベサン」経営者でもある著者が振り返る、戦後の新宿。
 

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窪田篤人著『新宿ムーラン・ルージュ』1989年 六興出版。
森繁、由利徹、三崎千恵子、市村利幸らを輩出した、ご存知新宿ムーラン・ルージュ。その最後の文芸部員であり、「七人の孫」や「マリーの桜」など数々の名作ドラマを書いたシナリオ作家の著者がつづる“センチメンタル・ジャーニー”。
 

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小津豊子著『光は新宿から』1998年 K&Kプレス。
敗戦直後の新宿にいち早くマーケットを開いた関東小津組組長・小津喜之助の評伝。
著者はその長女。
 

◇    ◇    ◇

¶postscript―*
こんな連載記事を見つけました。
asahi.com:記事一覧 - マイタウン東京 - 中央線の詩
(2006年4月16日)

2005年06月08日

歌って笑って生放送!

今夜、フジテレビが『超豪華競演!堺正章&井上順の歌って笑って生放送!時代を飾った名曲たち2』を放送してました。前回好評だったため3時間の枠に拡大しての放送です。

司会:堺正章、井上順
出演:中尾ミエ、園まり、九重佑三子、岡崎友紀、桜木健一、平田隆夫とセルスターズ、藤正樹、三善英史、石川ひとみ、松本ちえこ、リリーズ、ムッシュかまやつ、井上堯之、あべ静江、あいざき進也、太田裕美、城みちる、アグネス・チャン、中条きよし、敏いとうとハッピー&ブルー、ロス・インディオス&シルヴィア、小林幸子、本郷直樹、黛ジュン、じゅん&ネネ、辺見マリ、日吉ミミ、山本リンダ、大信田礼子、渚ゆう子、小川知子、中村晃子、欧陽菲菲

九重佑三子が「コメットさん」のテーマ(2種類)を、岡崎友紀が「おくさまは18歳」「なんたって18歳!」を、それぞれメドレーで歌ったのが特にヨカッた。ゲストに石立鉄男を呼び出したのも高得点です。
三善英史は、声が荒れてますねぇ。繊細さが消えて高音の伸びがない。摂生しないとイケマセン。
藤正樹は顔が田口計に似てきた。
リリーズ、テンポがちょっと外れてました。ご愛嬌ですか。
本郷直樹、出てきましたね。歌に遜色なくホッとしました。
こうしてみてみると欧陽菲菲が一番カッコよかったですね。歌うという作業そのものにすべてを集中しているからでしょう。日本語がいまだにヘタなのもそのせい?!

2005年06月07日

♪マッヒルィジアナママ、ロニニョリン♪

漣健児が逝った。

草野昌一さん74歳=訳詞家 アメリカンポップスを

 「あの娘(こ)はルイジアナ・ママ……」など、漣(さざなみ)健児の筆名で、数多くのアメリカンポップスの訳詞を手掛けた訳詞家で、シンコーミュージック・エンタテインメント会長の草野昌一(くさの・しょういち)さんが6日、すい臓がんのため死去した。74歳。葬儀は近親者のみで行い、お別れ会は7月12日午後2時、東京都千代田区飯田橋1の1の1のホテルグランドパレス。自宅は非公表。連絡先は同区神田小川町2の1の同社。喪主は二男で同社社長の夏矢(なつや)さん。
 早稲田大卒。父親の創業した新興楽譜出版社に入社。専務となり、83年にシンコーミュージックに改称した。雑誌「ミュージック・ライフ」編集長の傍ら、60年に坂本九の歌った「ステキなタイミング」で訳詞家としてデビュー。コニー・フランシスの「可愛いベイビー」や「ルイジアナ・ママ」「赤鼻のトナカイ」など多くのヒット曲を訳し、カバーポップス時代をリードした。ロックのリズムと日本語詞を融合させ、日本の音楽界に影響を与えた。98年、日本レコード大賞功労賞を受賞した。
毎日新聞 2005年6月7日 21時41分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20050608k0000m060121000c.html
草野昌一氏=シンコーミュージック・エンタテイメント会長

 草野昌一氏(くさの・しょういち=シンコーミュージック・エンタテイメント会長)6日、すい臓がんで死去。74歳。「お別れの会」は7月12日午後2時、東京都千代田区飯田橋1の1の1ホテルグランドパレス。喪主は二男、夏矢(なつや)氏。
 音楽雑誌「ミュージックライフ」の編集長を務める傍ら、「漣(さざなみ)健児」のペンネームで洋楽ポップスの日本語詞を手掛け、「可愛(かわい)いベイビー」「ヴァケーション」「砂に消えた涙」などのヒット曲を送り出した。
(2005年6月7日23時16分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/obit/news/20050607zz24.htm
「可愛いベイビー」などの訳詞手がけた草野昌一さん死去

朝日新聞 2005年06月07日20時51分
 「可愛いベイビー」や「ルイジアナ・ママ」の日本語詞を漣(さざなみ)健児の名で手がけた訳詞家で、シンコーミュージック・エンタテイメント会長の草野昌一(くさの・しょういち)さんが6日午前6時55分、膵臓(すいぞう)がんで死去した。74歳だった。葬儀は密葬で済ませる。お別れ会は7月12日午後2時から東京都千代田区飯田橋1の1の1のホテルグランドパレスで。喪主は次男で同社社長の夏矢(なつや)さん。連絡先は同区神田小川町2の1の同社(電話03・3292・2862)。
 父が創業した新興楽譜出版社に53年に入社。「ミュージック・ライフ」誌の編集長だった60年、漣健児の筆名で故坂本九さんが歌った「ステキなタイミング」の訳詞家としてデビューした。コニー・フランシスの日本語詞のほとんどを手がけるなど、洋楽と日本語を融合させた60年代ポップスを次々にヒットさせた。訳詞は400曲を超え、ニール・セダカやナット・キング・コールらにも提供された。代表作に「ヴァケーション」「赤鼻のトナカイ」「恋はみずいろ」など。
 音楽出版社協会理事長を務めるなど、音楽著作権ビジネスの整備にも尽くした。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0607/007.html?t
050607_01.jpg050607_02.jpg

(左)『ルーツはシックスティーズ 漣健児のワンダーランド』1998年
(右)『漣健児 カバーポップスの時代 ルーツはシックスティーズ』1998年

たくさんの楽しい訳詞をありがとう。
ステキなタイミングをありがとう。
ルイジアナ・ママをありがとう。
可愛いベイビーをありがとう。
ヴァケーションをありがとう。
ジョニー・エンジェルをありがとう。
ビキニ・スタイルのお嬢さんをありがとう。
パイナップル・プリンセスをありがとう。
悲しき街角をありがとう。
花咲く街角をありがとう。
電話でキッスをありがとう。
悲しき恋の物語(浮気なスー)をありがとう。
トランジスター・シスターをありがとう。
ティーンエイジ・クレオパトラをありがとう。
レッツ・ゴー物語(ストーリー)をありがとう。
カマ・カマ・ベイビーをありがとう。
砂に消えた涙をありがとう。
そよ風にのってをありがとう。
のっぽのサリーをありがとう。
ジェニ・ジェニをありがとう。
恋と涙の17才をありがとう。
キャント・バイ・ミー・ラブをありがとう。
五ひきの仔ブタとチャールストンをありがとう。
赤鼻のトナカイをありがとう。
ママがサンタにキッスしたをありがとう。
ほんとにほんとにありがとう。
あなたの訳した歌を聞いて、私はほんとに楽しかった。
ありがとう漣健児。
そして、さようなら。

2005年06月01日

宅録できるジミヘン

050601_01.jpgサウンド・デザイナー6月号。特集『宅録できるジミヘン&ヴァン・ヘイレンの録り方』。800円。
この雑誌は初めて買いました。内容は録音機材のノウハウや紹介が中心のようです。
この号の特集は一読タイアップと分かる企画で、いくつかのエフェクターやアンプ・シュミレーターを用いてジミヘンやヴァン・ヘイレンの音に近づく方法が解説されています。
実は私はジミヘンをはじめ60年代のサイケデリック・ロック、アート・ロック関係が大好きで、ついついこの本を買ってはみましたが・・・サテ、ギターというものを手にしたこともなく、何か買った意味があったのかと、今はちょっと悩んでおりますよ。

 
¶postscript―*

Hendrix 'pretended to be gay' to get out of army

29/07/2005 - 07:13:51
Rock legend Jimi Hendrix pretended he was gay to get out of the US Army, a new biography reveals.
Hendrix was discharged from the 101st Airborne division in 1962, launching a musical career that would redefine the guitar, leave other rock heroes of the day speechless and culminate with his headlining performance of The Star-Spangled Banner at Woodstock in 1969.
http://212.2.162.45/entertainment/story.asp?j=109936890&p=yx99374x4&n=109937451

ジミヘンがゲイのフリをして除隊させてもらっていた、との新事実!?
(2005年8月1日)