012 おじさまとデイト
作詞:荒木光子、作編曲:吉田正。歌:中尾ミエ。発売:1963(昭和38)年6月、ビクター。
先日、名匠スタンリー・ドーネン監督の『アバンチュール・イン・リオ (Blame It on Rio)』(1984年米)というコメディ映画をテレビの深夜劇場で見ました。年ごろの娘ジェニファー(ミシェル・ジョンソン)が父親の親友マシュー(マイケル・ケイン)に熱を上げて大騒ぎというストーリーです。
高校生ぐらいの娘のなかには、頼りない同級生に飽き足らず、父親のような歳の男性に憧れる、そういう種類の子がいるらしいんですな。日本にもいるでしょう、そういうのは。
男の子でも希に「愛があれば歳の差なんて」という熟女嗜好(マザコンの変形?)が見受けられますが、女の子の場合に較べりゃマァそっちは少数派でしょう。
歳の差恋愛・歳の差結婚でも両者成人の場合は何の問題もないわけです。“おいらくの恋”と冷やかされるとか、せいぜい遺産相続でモメるとか、その程度ですよ。
ところが女の子が未成年、しかもローティーンだとこれはちょっと大変なことになります。
1924年16才の少女と結婚したチャールズ・チャップリン、1958年14歳の従妹(いとこ)と結婚したジェリー・リー・ルイス、そうしたロリコン男(チッキン・ホーク=少女好き)のスキャンダルが今も引き合いに出されることがあります。
ロリコンという言葉の出典がウラジミール・ナボコフの小説『ロリータ(Lolita)』であることはよく知られてます。これは中年男が少女(12歳半)に心奪われ最後には破滅するという話で、その文体・表現の美しさとは裏腹に、描かれる世界は耽美主義・悪魔主義・異端文学・暗黒小説といった範疇に入れられるべきものでした。
ナボコフ自身の脚色、スタンリー・キューブリックの演出による1962年の映画化、エンニオ・モリコーネが音楽を担当した1997年の再映画化をはじめ、亜流もしくはイメージの流用はおびただしい数にのぼり、70〜80年代にかけていわゆるロリータ物が氾濫した観がありました。
エロチックロリータ[DAISYDAISY ロリータのための映画・小説情報]
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少女愛を“昇華”させた実例もあります。『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロルは今も世界的に尊敬されておりますが、成熟した女性より少女のほうが好きだったようです。保守的な大学の学寮で生涯の大半を過ごしたという、中世の修道士みたいな生活がなにか影響していたのでしょうか。
少女の側の中年男性への憧れと、オジサン側の少女愛という、それぞれ位相の異なるベクトルが、何の因果かぴったりと相対したとき、日常の均衡は崩れ二人は危うい綱渡りを強いられることになるようです。
敗戦までは16歳くらいでお嫁に行くなんてことは、日本の農村なんかではさして珍しくありませんでした。しかし戦後は変わりました。法律的にはぎりぎりセーフ、でも世間体が…という歳の差恋愛・歳の差結婚がふたたびクローズアップされるようになったのは、1970年のことです。
本村三四子原作、岡崎友紀主演、大映テレビ室・TBS制作の連続テレビドラマ『おくさまは18歳』(すでに結婚している高校教師と女生徒がそれを隠そうとするコメディ)、
富島健夫原作、関根恵子主演の大映映画『おさな妻』(こちらは17歳の女子高生と31歳の子持ち男のシリアスな話)
の2作品が話題となり、それぞれ映画化・テレビドラマ化もされました。1993年の連続テレビドラマ『高校教師』はそうした作品をやはり踏まえた上で企画として成立したのではないかという気がします。
歌ではどうでしょうか。
――ということでやっと今回の“私をつくった”一枚の話になるわけですが。
中尾ミエの『おじさまとデイト』。ご本人も忘れているでしょう。少なくともレパートリーからは外されております。
この歌は月刊『平凡』の歌詞募集の当選作品でした。テーマとしては『アバンチュール・イン・リオ』の女の子の気持でしょうか。時代的にはこのテーマを歌にするのはちょっと早過ぎたかもしれませんね。
やさしく抱かれ踊っていたいとか、ホッペにキッスしてとかいう件(くだり)に出くわすと、歌の主人公の少女と「おじさま」なる人物の関係は、伯父さまでも叔父さまでもなく、赤の他人の小父さま(即ち買物ブギで連呼される「オッサン」)なのではないか、と察せられるのです。
しかもこの「おじさま」、車寅次郎のような貧乏人ではなく、スポーツカーでナイトクラブへ連れて行ってくれるリッチマンという設定。ますます以て怪しい関係です。
まァこのへんが歌としては限界でしょう。これ以上行くとドラマが始まってしまう。パトロンであるとかダンナであるとか債権者であるとか、カネと色と欲の織りなすドロドロの世界、今で云えば援助交際、少女買春、果ては人身売買なんてとこまで行ってしまう。だから話としてはここで寸止めということです。
秘すれば花、ということがあります。作詞曲:浜口庫之助、歌:伊東きよ子の『花と小父さん』はメルヘンチックなフォークソングでした。でもこの歌、ある種の童話やわらべ歌のように、本当は恐ろしい裏の意味を持っている?、、、のかもしれません。
歌の主人公が一人称の“僕”でイコール「小父さん」なのですが、なぜか歌うのは女性とか男性の場合はボーカルグループ。そういやずっと後の大久保清あたりも自分のことを「ボク」と言ってましたっけね。自分を「僕」と称するオジサンを、あなたはどう思います?
ちなみに1990年、フジテレビ『男と女のミステリー』でドラマ化(タイトルは『花とおじさん』)された時、主題歌であるこの歌をうたっていたのは、出演もした畠田理恵(1996年3月、将棋の羽生善治と結婚)でした。
1997年にリリースされたオムニバスCD『幻の名盤解放歌集*大映レコード蒸発編』には黒沢良、麻里エチコの『おじさま、いや?』という楽曲が収録されていました。
この曲は1969年に大映レコードから発売されたもので、『おじさまとデイト』と同主旨ながら、女の子の側の迫り方が格段にヒートアップしております。
同じ60年代でありながらこの違い、まさに“this is 60年代”とはこのことで、私が一貫して唱えている「60年代とは変化の異名(いみょう)なり」を如実に指し示している好例と申せましょう。
桜たまこの『東京娘』(1976年)・『おじさんルンバ』(1977年)は、少女からオジサンへの熱烈なラブコールの歌でしたね。『おじさまとデイト』から13年、ようやくストレートに表現されるようになりました。情熱と野心を秘めた少女の猛烈アタックに、オジサンもさぞやタジタジかと思いきや、オジサン側のリアクションが見えてこず、なにやら一抹の不安が生じてくるのです。
つまり映画『赤線地帯』のラストシーンのように、これは不特定多数のオジサンに対する呼びかけ、メッセージではないか……彼女らは消費社会にあって物欲・消費の欲望を我慢しきれず、手っ取り早くオジサンから毟り取ろうとしているのではないか……
あるいはそうかもしれない。そうでないかもしれない。かくいう私も恋愛はあまり研究してないので何とも言えません。
やはり、少女からのアプローチをオジサンが斥(しりぞ)けるというセンが、流行歌としても世の中の常識としても、無難でヨロシンじゃないですか?
さて、『おじさまとデイト』に関して私は、その異色の歌詞もさることながら“消化不良の和製ポップス”というテイストに大いに魅力を感じているのです。
言ッチャァなんですが外国音楽に影響され続けてきた日本の流行歌・歌謡曲・和製ポップス・J-POPの、それはアクのようなものでして、いつの時代でも常に、路傍に咲く名もない花のように、好事家のオジサンに見つけられるのをひっそりと待っているのです。
私は1975年当時、こうしたテイストを勝手に【綺麗さびのエロス】などと名づけ、いろんな人に、面白いでしょう? ね? ね?……と言ってまわりましたが、ほとんど病的なマニアとしか思われませんでした。私ごときがマニアじゃ本当のマニアの人に失礼ですよねぇ。
この『おじさまとデイト』はマッシュポテトとかプリーズ・ミスター・ポストマンみたいなビートの効いたミディアム・テンポでありながら、アフタービートでなく頭打ち。むしろラテンのチャチャチャに近い気がします。
作・編曲の吉田正といえばジョージ・シアリング的なタッチで都会派歌謡を確立した人。のちに橋幸夫のポップス歌謡で若い人にも大いにアピールしましたが、1963年当時はまだ“テーンエイジ・ポップスとどう向き合うか”という考えがまとまっていなかったようです。個人的にはこのころが吉田作品のオイシイ時代だと思ってます。
翌1964年、吉田正は『おじさまとデイト』で試したスタイルを吉永小百合の映画主題歌『こんにちわ20才』で再び使ってますが、さすがにその時はずっと洗練されたものに仕上がっておりました。
(2004年11月30日)
¶postscript―*
今日の『徹子の部屋』で、伊東ゆかり、中尾ミエ、園まりの3人が揃ってゲストで登場してました。園まりも本調子で、2005年に予定されている3人娘復活コンサートの出来が期待されます。
(2004年11月30日)
¶postscript―*
B級GSザ・フレッシュメンの『お花おばさん』という歌があります。この曲で若い「僕」が求愛してるのは「お花おばさん」ではなく、その「かわいい娘」さんの方でした。
ハハハ、そりゃそうだ。つまり女のコの母親に対して、娘さんをクダサイって言ってる歌ですね。
ところで「お花おばさん」とはどういう人なのでしょう。プロフィールが不明です。私が想像するに、南方戦線で夫が戦死、花屋に住み込みで奉公し、納入先のダンスホールで知り合った男と出来てしまい、子どもを授かるも結局別れて、暖簾分けしてもらった小さな花屋を経営。女手ひとつで一人娘を育て上げたわりにはその苦労を見た目に感じさせない、ちょっと渡辺美佐子似の都会派のおばさんではないかと思うのです。
それで娘についても歌詞では具体的に言及されてません。
私が想像するに・・・(以下略)
(2005年1月15日)