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実写版『フランダースの犬』 【ネタバレ注意】

先日、日本テレビで『フランダースの犬』(1998年米)を見ました。

原作:ウィーダ
監督:ケビン・ブロディ
出演:ジェレミー・ジェームズ・キスナー、ジェシー・ジェームズ、ジョン・ボイト、ジャック・ウォーデン

例のアニメの『フランダースの犬』を、放送当時、私はあえて見ませんでしたが、その後、アニメ名場面ということで、いろんな番組がラストシーンだけを繰り返し放送したため、そこだけが強く印象に残っております。
またアニメに感動した子どもたちが長じて物語の舞台となったベルギーのアントワープへ大挙して押しかけた、という話も面白いと思いました。
それで今回、実写版のラストシーンはどんなか見てやろうという気になったわけです。

見てて、私には以下の点がちょっと引っかかりました。

  • 犬のパトラッシュがリアルなフランダース犬(ブービエ・デ・フランドル)で、見た目が小グマのよう。可愛げのない顔で口をひらいたとこなぞはむしろ恐ろしげ。

  • 主人公ネロを演じる子役(2人)がなんとも現代的なルックス。

  • 祖父がネロに「死ねば母親にもに会える」と天国の素晴らしさを語って聞かせる。

  • ラストの聖堂内で息絶え昇天するシーンでは、画家ルーベンスがお迎えにくる。その後、『ポルターガイスト』のような特撮で、若くして逝った母親(の霊)が登場し、ネロと抱擁する。

フランダース犬はそもそも労働犬で仔犬の時に尾と耳を切除してしまうそうですから、それであんな感じなんでしょうけど、日本人の感覚からするとどう見ても「愛らし」くはない。愛らしくないので、哀れを感じさせない、ということがあります。
またネロがイケメン・タレントみたいでも、哀れな感じがしません。
ネロの中で、母に対する渇仰よりも幼なじみのガールフレンド=アロアへの興味がより大きくなっているのも、母子の感情的癒着が強い日本人には「可愛げが無く」感じられます。
これらの点は西洋人と日本人の感性・民族性の違いですね。

ジプシー(ロム、ロマ、マヌーシュ)の一団がいわゆるジプシー音楽を奏でながら踊るシーンがあります。そこで聞こえる音楽がジプシーキングスみたいに洗練されすぎてて、まるで現代の話みたいに感じられてしまいます。これはちょっと残念な気がしました。

拝金主義の教会、ネロが放火犯として誣告されるところ、祖父ジェハンが死んで天涯孤独となるところ、家賃の苛斂誅求、打算で優勝者が決まる絵画コンテストは、この物語のキモですね。
家賃さえ払えなくなったネロは吹雪の中をさ迷い歩きます。
そして、たどり着く先は・・・
私は『人間の条件』の主人公=梶が満洲の雪の曠野で斃れるシーンを思い出しました。あれは人間としての誇りを完うした姿でした。
ネロもまた潔い道を選びます。まるで生活保護を拒否して餓死した母娘のように。

ルーベンスの霊の登場と母子再会は『丹波哲郎の大霊界』みたいでいただけません。妙に現実的なんですよ。それでよけい興ざめです。

最後のカットはルーベンスの銅像なめの大聖堂。その背後から光が現れ、スーッと天に昇っていきます。アニメのように天使が降りてきて天へ引き上げていくよりもこのほうが美しく、またロマンチックですね。音楽もクドくなくサラッとしててよろしい。

この映画にはネロとパトラッシュが助かるハッピーエンド版があって、原作が知られている国以外ではその版が公開されたということが、1998年当時、話題になりましたね。

フランダースの犬(ウィーダ 作) [マルチメディア対訳版]
http://www.bauddha.net/flanders/

PATRASCHE.NET
http://www.patrasche.net/

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