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2004年10月31日

地下鉄って、どこから

NY地下鉄100周年、レトロな車両と服装でお祝い

 米ニューヨーク市の地下鉄が27日、1904年の開通から100周年を迎えた。記念式典では、1年以上かけて復元された1917年式のレトロ車両が旧市庁舎駅からグランドセントラル駅の間を運行。ブルームバーグ市長らが乗車し、地下鉄誕生100年を祝った。
 ニューヨークの地下鉄は1904年10月27日、マンハッタン南部の市庁舎から北部のハーレム間(約14・5キロ)に開通。当時は28駅で、運賃は5セントだった。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20041028i5x2.htm

銀行強盗や金庫破りの映画と同じように、地下鉄の出てくる映画もたくさんあります。
地下鉄そのものがメーンなっている話では『サブウェイ・パニック』(1974)が懐かしい。こんど日本で公開される韓国映画『TUBE(チューブ)』はその血を直接受け継いでるような作品ですね。

『地下鉄のザジ』(1960)は地下鉄に乗れなかった少女の話でした。『七年目の浮気』(1955)でモンローのスカートを吹き上げたのは地下鉄の通風口から吹き出る生暖かい風でした。『ある戦慄』(1967)は見る者にニューヨークの地下鉄の恐ろしさを嫌というほど教えてくれました。

アクション映画やサスペンス映画でNYが舞台だと地下鉄が大概出てきます。時にはサイコホラーやSFにも。
『続・猿の惑星』で未来人が住んでいたのはNYの地下鉄の駅でしたっけ。

地下ではなく高架線、そしてその下の道路でのおッかけっこもかなり多いですね。『グリニッジ・ビレッジの青春』(1976)に出てくる古びたホームの佇まい、『フレンチ・コネクション』のあの凄まじいカーチェイス、などは今でもこの目に焼きついてます。

日本の地下鉄は1927(昭和2)年に開通した上野―浅草間が最初です。大阪は1933(昭和8)年の梅田―心斎橋間ですね。
初めはあまりに珍しすぎて流行歌にさえなりませんでしたが、やがて1929年『東京行進曲』(佐藤千夜子)、1933年の『東京祭』(藤本二三吉、松平晃)などで、小田急やバスに続く都会的でシャレた乗り物として取り上げられるようになりました。

シングル「西銀座駅前」フランク・永井シングル「地下鉄は今日も終電車」井上ひろしシングル「空いっぱいのキッス」南田健
歌の世界で地下鉄が大きくクローズアップされるのは流行歌から歌謡曲と言い方が変わってきた頃のことでしょうか。
たとえば、フランク・永井の和製ハートブレイク・ホテル『西銀座駅前』(写真上左)。1958年、SP・シングル同時発売でした。これがなんかやたらに凄んでる歌で、「ABC、XYZ」なんて口癖の奴ァ、いねーよなぁ〜と、つい思ってしまいます(笑)。1957年暮に出来た丸の内線のこの駅は1963年2月末に銀座駅と改称して今に至ってます。

井上ひろしのそれとなくロックン調な『地下鉄(メトロ)は今日も終電車』(写真上中)は1959年12月のリリース。毎日終電車までデートしている恋人たちを歌ってます。ジャケットの絵は丸の内線ですね。
南田健の『恋の地下鉄』は1967年10月発売『空いっぱいのキッス』(写真上右)のB面でした。駅としては銀座だけで、むしろ“銀座のご当地ソング”といった趣です。

猫の『地下鉄に乗って』は皆さん、よくご存知でしょう。丸の内線を「赤坂見附」「四谷」「新宿」と通過するシチュエーションで、おそらく乗ったのは銀座あたりではないかという気がします。

LP「春日三球・照代」このほか、たとえば堀川健の『メトロ四号線』とか川谷拓三の『地下鉄のジジ』とか、まだいろいろありますが、“地下鉄ソング”と申しますと、春日三球・照代の『地下鉄音頭』にトドメを刺すでしょう。
私はシングル盤ではなくLP(写真左=1977年11月発売)しか持っておりませんが……。

ここらへんで、ヨーロッパ代表ということでイギリスからペトゥラ・クラーク(発音としてはペチュラ・クラークですか)に登場してもらいましょうかネ。
シングル「天使のささやき」ペトゥラ・クラーク『天使のささやき(Don't Sleep In The Subway)』(写真右)はトニー・ハッチ、ジャッキー・トレントの黄金コンビによる1967年の作品。これが、いいんだなー。いかにもスウィンギン・ロンドンってカンジで。

『森を歩こう(A Walk In The Black Forest)』のヒットで知られるドイツの軽音楽王ホルスト・ヤンコフスキー(今で云うとラウンジ/スムーズ・ジャズ系?)のアルバム『Lounge Legends』に同名曲がラインナップされてますけど、同じ曲かどうかは今ンとこ不明です。
ビースティ・ボーイズの『No Sleep Till Brooklyn』は聞いてませんが、きっと同じ主旨の歌じゃないかと思います。

Petula Clark.net - Official Site
http://www.petulaclark.net/

Friends of the High Line
http://www.thehighline.org/
マンハッタンの西側にある高架路線跡の再開発計画コンペティション。

Bluejake: Photos: The High Line, August 2002
http://www.bluejake.com/images/2002_highline/index.htm

2004年10月29日

実写版『フランダースの犬』 【ネタバレ注意】

先日、日本テレビで『フランダースの犬』(1998年米)を見ました。

原作:ウィーダ
監督:ケビン・ブロディ
出演:ジェレミー・ジェームズ・キスナー、ジェシー・ジェームズ、ジョン・ボイト、ジャック・ウォーデン

例のアニメの『フランダースの犬』を、放送当時、私はあえて見ませんでしたが、その後、アニメ名場面ということで、いろんな番組がラストシーンだけを繰り返し放送したため、そこだけが強く印象に残っております。
またアニメに感動した子どもたちが長じて物語の舞台となったベルギーのアントワープへ大挙して押しかけた、という話も面白いと思いました。
それで今回、実写版のラストシーンはどんなか見てやろうという気になったわけです。

見てて、私には以下の点がちょっと引っかかりました。

  • 犬のパトラッシュがリアルなフランダース犬(ブービエ・デ・フランドル)で、見た目が小グマのよう。可愛げのない顔で口をひらいたとこなぞはむしろ恐ろしげ。

  • 主人公ネロを演じる子役(2人)がなんとも現代的なルックス。

  • 祖父がネロに「死ねば母親にもに会える」と天国の素晴らしさを語って聞かせる。

  • ラストの聖堂内で息絶え昇天するシーンでは、画家ルーベンスがお迎えにくる。その後、『ポルターガイスト』のような特撮で、若くして逝った母親(の霊)が登場し、ネロと抱擁する。

フランダース犬はそもそも労働犬で仔犬の時に尾と耳を切除してしまうそうですから、それであんな感じなんでしょうけど、日本人の感覚からするとどう見ても「愛らし」くはない。愛らしくないので、哀れを感じさせない、ということがあります。
またネロがイケメン・タレントみたいでも、哀れな感じがしません。
ネロの中で、母に対する渇仰よりも幼なじみのガールフレンド=アロアへの興味がより大きくなっているのも、母子の感情的癒着が強い日本人には「可愛げが無く」感じられます。
これらの点は西洋人と日本人の感性・民族性の違いですね。

ジプシー(ロム、ロマ、マヌーシュ)の一団がいわゆるジプシー音楽を奏でながら踊るシーンがあります。そこで聞こえる音楽がジプシーキングスみたいに洗練されすぎてて、まるで現代の話みたいに感じられてしまいます。これはちょっと残念な気がしました。

拝金主義の教会、ネロが放火犯として誣告されるところ、祖父ジェハンが死んで天涯孤独となるところ、家賃の苛斂誅求、打算で優勝者が決まる絵画コンテストは、この物語のキモですね。
家賃さえ払えなくなったネロは吹雪の中をさ迷い歩きます。
そして、たどり着く先は・・・
私は『人間の条件』の主人公=梶が満洲の雪の曠野で斃れるシーンを思い出しました。あれは人間としての誇りを完うした姿でした。
ネロもまた潔い道を選びます。まるで生活保護を拒否して餓死した母娘のように。

ルーベンスの霊の登場と母子再会は『丹波哲郎の大霊界』みたいでいただけません。妙に現実的なんですよ。それでよけい興ざめです。

最後のカットはルーベンスの銅像なめの大聖堂。その背後から光が現れ、スーッと天に昇っていきます。アニメのように天使が降りてきて天へ引き上げていくよりもこのほうが美しく、またロマンチックですね。音楽もクドくなくサラッとしててよろしい。

この映画にはネロとパトラッシュが助かるハッピーエンド版があって、原作が知られている国以外ではその版が公開されたということが、1998年当時、話題になりましたね。

フランダースの犬(ウィーダ 作) [マルチメディア対訳版]
http://www.bauddha.net/flanders/

PATRASCHE.NET
http://www.patrasche.net/

2004年10月28日

坂道美学入門

041028_01.jpg講談社刊、タモリ著『タモリのTOKYO坂道美学入門』1680円。
一部で話題になってる本ですね。
『笑っていいとも!』をいつも見てる人でもこの本を買う人は少ないでしょう。
多忙なタレントが東京中をブラブラ歩いたとも思えません。リサーチャーが厳選した坂を、スケジュールを入れて、検分しに行ったのでしょう、きっと。
アスファルトと建物で覆われちゃってる今の東京じゃ、地面の重畳起伏くらしか自然を感じさせる要素がないんです。逆にそれくらいしかないから、よけい愛おしさを覚えるんじゃないでしょうかね。

2004年10月27日

お富さんのカバー

さっき、南青山5丁目のコンビニ『ポプラ アンティック通り店』へ入ったら、妙な店内BGMがかかってました。
春日八郎の『お富さん』のカバーですごくインチキっぽい。

検索したらすぐに出てきました。

★★★ミスゴブリン★★★
http://www.missgoblin.com/
MISSGOBLIN
http://missgoblin.cocolog-nifty.com/

この人はまた違うんですね。
Umekichi official site
http://www.daipro-x.co.jp/umekichi/

シングル「ディスコお富さん」エボニー・ウェッブ
『お富さん』のカバーで思い出されるのは1978年のエボニー・ウェッブ盤(右)です。
開店10年目の赤坂『MUGEN』に出演しておりましたっけね。
この人たち、LPでは『フジヤマ・ママ』までやっちゃってましたよ。


シングル「その後のお富さん」春日八郎<br />
エボニー・ウェッブに刺激されたわけじゃないでしょうけど、春日八郎自身が1984年に『お富さん』の続編を歌ってます。
題して『その後のお富さん』(左)。
B面も『再会お富』と、まさにお富さん一色。
A・B面ともに、作詞:伊藤アキラ、作曲:森田公一、編曲:竜崎孝路。
花柳流の振り付けまでついてます。
ジャケットのイラストはこっちのほうがちょっとヘタかも。
 

◇    ◇    ◇


ザ・ゴールデン・カップスの映画完成…舞台挨拶

 R&Bバンド、ザ・ゴールデン・カップスの軌跡を追ったドキュメンタリー映画「ワンモアタイム」の完成披露試写会が26日、東京・丸の内プラゼールで行われ、デイヴ平尾(59)らオリジナルメンバー5人が舞台あいさつした。

 昭和41年の結成、46年の解散、そして昨年横浜で1度だけ行った再結成ライブの模様など同バンドの歴史を綴った内容。平尾はビールを飲みながら登場し「自慢は日本で初めてのバンドとしてのドキュメンタリー映画。音楽の歴史に残る作品になる」と豪語した。

 東京・テアトル新宿で11月20日公開。同17日に同バンドのベスト盤「ブルース・オブ・ライフ」とライブ盤「ワンモアタイム」が発売される。

http://www.sanspo.com/geino/top/gt200410/gt2004102709.html

GSの人で、ブーム終焉以降も音楽の世界でクリエイティヴな活動を続けてきたという人は、数えるほどしかおりません。むしろGS直後に出てきたニューミュージック系統の人が頑張ってたりしますね。
だからといって、その価値を比較することはできません。なんにせよ、出来上がってしまった音楽は本人たちを離れて一人歩きしていくものです。
寿命の長い歌もあれば短いのもあります。その価値もまた単純に比較すべきではない、と思います。


◇    ◇    ◇

¶postscript―*

CD「おとみさん」ミス・ゴブリンCD「ヘイヘイ・ブギ」UMEKICHI

今日買っちゃいました(写真上左)。
キングレコードなんですね。どーりで「哀愁列車」「憧れのハワイ航路」「さよならはダンスの後で」も歌ってます。
ほか、ポピーズ、麻里圭子とリオ・アルマのカバーとか演(や)ってます。
ボーカルのmiwaさん、歌が巧いですね。ほんとはプロのスタジオシンガーかな?
ジャケットの表が竹久夢二、裏が川崎ゆきおの、“偽絵”というのはこの人たちらしいと感じました。

UMEKICHIさんのも同じ日に買いました。3タイトルありましたが、とりあえず一番安いやつを(写真上右)。
ミス・ゴブリンのmiwaさんに較べると、意あまって力足りずの観は否めませんが、素直に歌っているところは好感が持てます。
サウンドの豪華さはブライアン・セッツァー並ですね。
(2005年1月8日)


¶postscript―*
「お富さん」はいかにも沖縄出身の渡久地政信らしく琉球音楽の色彩が濃厚だ、という指摘は昔からありました。タモリが実際にそれを音で証明してましたっけ。
元チャンプルーズの平安 隆がCD『かりゆしの月』で「お富さん」を歌ってるそうです。近々買う予定です。
(2005年5月7日)


¶postscript―*

郷土の誇り・春日八郎さん無残 スプレー塗料でいたずら

 5日午前4時ごろ、福島県会津坂下町のJR只見線会津坂下駅の駅舎や、駅前広場にある町出身の歌手、故春日八郎さんの銅像などに、スプレー塗料でいたずら書きがされているのを駅員が見つけた。
(中略)
 春日さんの銅像は台座を含め高さ約1.6メートル。2003年10月、13回忌の法要に合わせて町の有志らが建立。全国各地のファンからも寄付が集まった。町職員と駅員らが5日、洗浄作業を行い、大部分は消した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051006-00000008-khk-toh

やった連中は春日八郎という歌手を知らないと思いますよ。

春日八郎記念公園・おもいで館
http://www.kasugaomoidekan.jp/

(2005年10月6日)

2004年10月24日

♪こーら、こーら、達者でナ

「豚にコーラ」ユニーク研究に注目

 オーストリアでは、豚をより早く成長させるために、エサにあるものを加えるユニークな研究が 注目されています。
(中略)
 ある日、「食欲をそそる成分がある」といわれるコーラを、エサに混ぜて子豚に 与えたところ、エサがあっという 間になくなりました。
 研究の結果、コーラ入りのエサを与えた子豚は通常の子豚に比べて、成長が大きく上回ったほか、病気で死亡する豚も少なくなったということです。
http://news.tbs.co.jp/headline/tbs_headline1057618.html

コーラといいますと、赤塚不二夫の漫画に出てきた
「♪エイコーラ、コカコーラ、ペプシコーラ」
というギャグがすぐに思い出されます。ありゃ、何の漫画でしたかなぁ・・・
(植木等の「♪おとぅちゃんのためなァ〜ら、エーンヤコーラ」っていうのもありましたっけね)

mca-9256.jpgポピュラー・ソングの世界では『ラムとコカ・コーラ』という歌が有名です。
私はこのナンバーを1974年に買ったアンドリュース・シスターズのLP(写真左)で初めて知りました。
青木啓(あおき・ひらく)氏のライナーノーツには、
『原曲は西インド諸島トリニダードのすぐれたカリプソ歌手ロード・インヴェイダー(本名リュパート・グラント)の作品。第2次大戦中、トリニダードに設けられたアメリカ軍基地の兵隊に対する諷刺と皮肉をこめた力リプソ。コメディアンのモリー・アムステルダムが歌詞に手を入れ、バンドリーダーのポール・バロンと女性歌手ジェリ・サリヴァンが編曲した。アンドリュース・シスターズのレコードは44年末から大ヒット、ミリオン・セラーを記録している。44年10月18日録音。』
云々とあります。
録音からちょうど30年目にしてやっとこの曲と私は出会った、というわけです。
なーる、アンドリュース・シスターズのオリジナルじゃないんだナ・・・
高崎一郎サンのオチャラケ解説なんかと違って、青木先生のライナーはホントに勉強になりました。

arf-12.jpgそれからまた30年たった今年2004年、
秋葉原のバラエティ・ショップのワゴンセールで買った廉価版CDで、再び、『ラムとコカ・コーラ』と相まみえることになったのですから、合縁奇縁とはまさにこのことです。
『南米音楽 カリプソの溢れる個性』(写真右)。
製造は韓国、でも日本向け商品。
ウ〜ン怪しい、ダイジョウブかこんなの買って。
曲目を見ると中村とうよう氏もウハウハ喜ぶような、古い録音ばかりの凝った選曲です。
こりゃ買うしかないですね。それに安いし。
『ラムとコカ・コーラ』はウィルモス・フーディーニという歌手のバージョンが入ってました。
sopa-2.jpg曲のデータは記されてはいませんが、音の雰囲気からすると1940年代後半〜50年代初期あたりの録音でしょうか。

あと、忘れちゃいけないのがザ・バーズのラストアルバム『ファーザー・アロング』(日本発売1972年2月)からのシングルカット『コーラとアメリカ人』(写真左)ですね。
これもやはりアメリカ人に対する諷刺と皮肉が身上の曲でした。
この頃のバーズはもう初期のバーズとはメンバーもサウンドもかなり違ってましたね。

ll-1045-c.jpg『ラムとコカ・コーラ』にしろ『コーラとアメリカ人』にしろ、コーラがスノッブなアメリカ人のシンボルのように扱われてますけど、コーラのCMソングにはこんなカッチョイイのがありましたよ。
『恋はリズムにのせて(Music to Watch girls by)』アンディ・ウイリアムス(写真右)。
1967年3月から4月(日本では同年6月〜7月)にかけて、ヒットしました。
この曲はダイエット・ペプシのCM曲に歌詞をつけたもので、演奏だけのバージョンと競作となりました。
それまでのアンディのレパートリーには無かったビートの利いたロックですが、さすがに巧く歌ってます。

cokacola_demo.jpgさて、もうひとつ本家本元コカ・コーラのCMソング集で、こんなレコードが見つかりました。
シュレルス、フォー・シーズンズ、ロイ・オービソン、ジャン&ディーンが、コークの歌をうたってます。コカ・コーラ社がラジオ局に配ったプロモ用のシングル盤(写真左)で、どのように使われたのかちょっと事情が分かりません。
「1965」年のクレジットが入ってます。


コンパクト盤「恋のレッスン」ジョニー・ソマーズそうそう、「コークといえばコカ・コーラ」ですよ。(コークという言葉には短縮的愛称というほかに骸炭(コークス)の黒さに対する連想も働いてる気がしますが、どうでしょうか)
ブロードウェイ・ミュージカル『バイ・バイ・バーディー』(1960年4月初演)の挿入歌である『ワン・ボーイ』はジョニー・ソマーズのソロデビュー・シングル曲(1960年6月)でもあるのですが、その歌詞に「have coke with」という言葉が出てきます。コカ・コーラという商品名そのものではなく愛称で通じるほどすでに生活に定着していた、ということでしょう。健康なアメリカ人でコカ・コーラを飲んだことのない人って、まず居ないんじゃないでしょうかね。
ところでジョニー・ソマーズはこのシングルの後、ペプシ・コーラのCMソングを歌ったそうですよ。

最後にやっぱりビートルズですか。『カム・トゥゲザー』の「He shoot....」。こりゃオーソドックスだけどヤバい言い換えで、あの時代らしいですね。

◇   ◇   ◇

37年かけ来月放送1万回 FM「ジェットストリーム」

 TOKYO−FMの深夜番組「ジェット ストリーム」が、来月25日で1万回を迎える。放送開始以来37年、国内ではFM放送で最長の番組になるという。
 番組は67年7月に始まった。日付が替わった午前0時、「ミスター・ロンリー」の曲にのせて「遠い地平線が消えて……」と始まる故城達也さんのナレーションはラジオ界の伝説で、CDにもなった。このオープニングは1000回目から登場、今も続いている。
 パーソナリティーは、初代の城さんが94年末に病気で降板するまで7387回務めた。
http://www.asahi.com/culture/update/1023/005.html

城達也の死去とともに終わるべきでした。
長く続いていることが必ずしも美しいわけではありませんね。

◇   ◇   ◇

シングル「This Is Song For Coca-Cola」矢沢永吉
¶postscript―*
こんなのもあったということで……。
1980年3月ワーナー・パイオニアからのリリースでした。
(2004年12月3日)

 

¶postscript―*

強力!コカ・コーラCMソング集!!(2005/02/02)

ほとんど歴代ヒット曲メドレーのよう!1962年から1989年までコカ・コーラのCM曲としてお茶の間に流れたあの曲、その曲、この曲がどーんと54曲(予定)、CD2枚組になって登場します。
3月24日発売予定で、タイトルは『コカ・コーラCMソング集 1962-89』。
(中略)
歌詞等を変えてレコード化されていた曲も、オリジナルのCMバージョン・CMサイズでの収録。さらにラジオCMのみだった曲も収録という完璧な内容。
 GENEON GNCP1005 税込み3990円
http://www.ongakudb.com/contents/news.aspx?code=0502123

これはスゴイ。「即、買い」です。
(2005年2月1日)


050207_01.jpg¶postscript―*
 ロック画報18(2005年2月発売)の付録CDに、野坂昭如の歌う『コカコーラ小唄』という面白い曲が入ってました。
 演歌調のパロディ・ソングで、アメリカの豊かさの象徴としてのコーラへの、愛憎半ばする複雑な心理を、戦後闇市焼け跡派ならではのレトリックで、痛快に歌いのめしておりますが、、、コカ・コーラ社からすればメーワク至極でしょう(笑)
(2005年2月7日)

 

2004年10月22日

笑ってる場合ですYO!

041022_01.jpg『レコード・コレクターズ』11月号 特集『ビーチ・ボーイズ――スマイル』600円。
ブライアン・ウィルソンの『スマイル』が日本でも発売された、ということで、表4にはしっかり広告が。

Brian Wilson :: Official Web Site
http://www.brianwilson.com/

MSNBCのニュースで、サム・シェーンのインタビューに答えるブライアン(4分)
37 years later 'Smile' released
Sept. 28: Legendary singer Brian Wilson talks about his new album “Smile,” which was released Tuesday, with MSNBC-TV’s Sam Shane.
http://www.msnbc.msn.com/id/6114308/

そりゃそうと、、、
進研ゼミのCMで『若者たち』が使われております。
歌っているのは元「真心ブラザーズ」のYO-KING(ヨーキング)。

ブライアンの新録『スマイル』がYO-KING版『若者たち』みたいだったら・・・・
あー心配だ。

進研ゼミTVCM紹介「若者たち篇」
http://www.benesse.co.jp/zemi/tvcm/

2004年10月21日

プリーズ Mr.DJ

ストーカー女、今度は脅迫=罰金刑恨み、女性DJ宅に−大阪

 大阪のFMラジオでディスクジョッキー(DJ)を担当する女性(41)へのストーカー行為で罰金刑を受けた無職××××子容疑者(30)=兵庫県宝塚市中野町=が21日までに、女性宅を訪れ「殺すぞ」などと脅したとして、大阪府警東署に脅迫の現行犯で逮捕された。同容疑者は「しばくためにした」と認めているという。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/stalker/

ラジオDJへのストーカー行為。
さながらクリント・イーストウッド監督・主演『恐怖のメロディ』Play Misty For Me(1971年。日本公開1972年)のよう。
『ミスティ』という美しいスタンダードナンバーが文字どおり恐怖のメロディとなるサイコ・サスペンス。
病んだアメリカがドラマのテーマになった70年代前半の、忘れがたき作品のひとつです。

ところで記事で伏字にした容疑者女性の、その苗字がちょいと珍しいンじゃないですか。

Play Misty For Me (1971)
http://www.filmsite.org/playm.html
Clint Eastwood.net : Play Misty for Me(1971)
http://www.clinteastwood.net/welcome2.html

金庫の札束、紙にすり替わる…5800万円分 新潟・上越信金

 新潟県柿崎町の上越信用金庫柿崎支店で21日までに、金庫室に保管していた現金約5800万円が紙にすり替わっていたことが分かり、同信金は上越北署に届け出た。同署は窃盗事件の可能性もあるとみて捜査している。
http://www.sankei.co.jp/news/041021/sha110.htm

さて、金庫破りの映画というと、これはモウたくさんあってたいへんだ。
まぁ、あまりマジなハナシより、『黄金の七人』とか『ブリンクス』みたいな
シャレッ気のあるほうが、アタシャ好きですね。

気のないそぶり、速記ない返事

速記者の募集、衆院も取りやめ…手書き消滅へ

 衆院議院運営委員会は20日の理事会で、来年度の速記者養成所の募集を取りやめることを決めた。参院もすでに同様の決定をしている。
 両院とも再来年度以降も募集を行わない方針。今後、大正時代以来続いてきた手書き速記は段階的に姿を消すことになる。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20041020ia23.htm

外国の議会ではどうしているんだろう?

ウチの母親が大昔、早稲田速記の通信教育を受けておりました。
半年くらい勉強してましたかねぇ・・・。

2004年10月20日

2270番目?

ゴジラ50歳、ハリウッド殿堂入り…ミッキーの仲間に

 今年が誕生50周年の怪獣ゴジラが、ハリウッドの“殿堂入り”を果たした。日本映画が生んだ怪獣ゴジラに20日、映画、テレビ、音楽などの分野で功績のあった人を対象にした称号「ウォーク・オブ・フェイム」が贈られた。
 創作キャラクターがこの栄誉に輝くのは、ミッキー・マウス、ドナルド・ダックに次いで3度目。
 この称号は、ハリウッド商工会議所が1958年に制定。受賞すると、ハリウッド大通りの歩道に、名前が刻まれた星形プレートが埋め込まれる。今回のゴジラが、2270番目の“受賞者”となる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041020-00000511-yom-soci

まさかハリウッド商工会議所に多額の寄付をしたわけでもあるまいに、アメリカ側としては特に意味のない50周年に殿堂入り。
「ミッキーの仲間に」なんて冗談じゃない、って思いませんか?

2004年10月19日

小林旭 マイトガイ スーパーグラフィティ

041018_01.jpg白夜書房刊『小林旭 マイトガイ スーパーグラフィティ』税込2000円
スチール、ポスター、
レコードジャケット、
出演映画のデータ。
資料価値大。

2004年10月16日

伸ばせば伸びる

東京タワー伸びる? 新タワー構想に対抗、日本電波塔が提案

FujiSankei Business i. 2004/10/16
 東京タワーの全長が伸びる−。こんな計画が持ち上がった。
 東京タワーを運営する日本電波塔(東京都港区)は、タワーの全長を333メートルから360メートルに増築する計画を策定した。テレビ放送局と視聴者との双方向通信などが可能な地上デジタル放送が本格化する2011年には実現したい考えだ。
http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/art-20041015214330-IYYBSGLINR.nwc

東京タワーが写っている(または描かれている)レコードジャケットは、探せばけっこう出てきそうですね。
CDですと、クレモンティーヌの『アン・プリヴェ〜東京の休日』なんかシャレてます。
ここでは個人的に気に入っている、ちょっと珍しいものをご紹介しておきましょう。

LP「ジューン・ヴァリー・イン・ジャパン」ジューン・ヴァリーシングル「テレビ塔音頭」山下敬二郎、朝丘雪路

(写真上左)テイチク(ユニオン)UPS-1036
LP『ジューン・ヴァリー・イン・ジャパン』

ジャズ系シンガー ジューン・ヴァリーが1967年の来日時に録音した音源で、日本で人気のヒット曲を選んで歌っています。珍しいのは英語詞で吹き込まれた歌謡曲『赤坂の夜は更けて』で(歌謡曲はこれ1曲だけ)、レイジーな雰囲気がイマイチ足りない気もしますが、私は好きですね。
当時のテイチク洋楽部門は、デッカ、コーラル、ブランズウィック、セプター、モニュメント、メトロノーム、ソネットなど、錚々たる海外レーベルと契約していて、スゴい名盤を出しまくっておりました。

(写真上右)東芝JP-1003・NP-1004
山下敬二郎、朝丘雪路『テレビ塔音頭』
大江洋一『テレビ塔の見える道』

シングル盤・SP盤共通歌詞カード。
写真ではなく“挿し絵”タッチの絵です。
歌詞を見るとなぜか東京タワーではなくテレビ塔という名称で歌われてます。
敬ちゃんは例によってステキにヘタくそで、またまた魅力爆発、といったところでしょう。

¶postscript―*

<ジャンボ機>東京タワーに”ニアミス” 管制官は交信せず

 東京湾上空で9月19日未明、バンコク発東京国際空港(羽田空港)行きのジャンボ旅客機が、通常の進入ルートを大きく外れ、東京タワー(東京都港区、高さ333メートル)と高度差約200メートルにまで接近していたことが分かった。同機は約5分間にわたり、都心部の高度400〜700メートルを飛行。この間、同機と管制官の交信は一切なかった。大型旅客機が都心部にまで入り込むのは昼夜を問わず極めて異例で、一歩間違えば、大惨事につながりかねない事態だった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041018-00000004-mai-soci

「通常の進入ルートを大きく外れ」たのに管制官は交信せず「見守っていたということではないか」(国交省管制課)。
東京の無防備ぶりが暴露されちゃいましたね。その意味ではこの事件、あって良かったのかも。
(2004年10月18日)

2004年10月13日

ザ・ビートルズ’64BOX

ビートルズ幻のアルバム 初CD化

 1964年に発売され、空前のヒットを記録したザ・ビートルズの「ミート・ザ・ビートルズ」など4枚のアルバムが初めてCD化され、11月17日に「ザ・ビートルズ’64BOX」として発売される。87年以来、廃盤になっていた幻の米キャピトル・レコード盤で、17年ぶりの復活。世界的なビートルズ旋風が起きた年の歴史的作品でもあり、世界規模でファンの話題を集めそうだ。
 17年の時を経て復活するのは「ミート・ザ・ビートルズ」「ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム」「サムシング・ニュー」「ビートルズ’65」の米キャピトル・レコード盤。4枚組のボックス・セットとして緊急発売される。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041013-00000019-spn-ent

1960年代には音楽の流行がめまぐるしく変化し、録音技術が飛躍的に進歩したため、一年一年の音の違いがハッキリしています。
CD化にあたって音質調整が失敗してると、1963年、64年ころの、時代の空気を味わうことはちょっとムリかも・・・。

2004年10月11日

ラブ・サウンズ・スタイル読本

041011_02.jpg愛育社刊、濱田高志:監修『ラブ・サウンズ・スタイル読本』1575円。
国産イージーリスニングのディスクガイド。初回のみ初CD化音源4曲を収録した8cmCD同梱。
各社共通CD企画『Love Sounds Styleシリーズ』全8タイトルと連動した内容だそうで。
本の判型がCDサイズでちょっと読みにくい気がします。

あの日に帰りたい。東京キャンティ物語

他人の歌をうたうと、ヘタなのがバレてしまうことがある。
他人に歌われてはじめて名曲であることがわかる歌がある。

昔、ニューミュージック系のアーチストが軒並みテレビ出演を拒否した時代がありました。彼らは心変わりして今では積極的にテレビやCMに出演し、かつての神懸かり的イメージを捨て去って等身大のオノレをさらけ出すようになりました。
テレビが人間性のアラの部分まで映し出してしまうことを、若き日の彼らは本能的に察知していたのかもしれませんね。そして結局、金と名声を失いたくないという気持ちに克てなくなったのでしょう。
ムリもありません。ニューミュージックはとっくにオールドミュージックになり果てているのですから。
時の移ろいというものは残酷です。

◇   ◇   ◇

041011_01.jpg昨夜、日本テレビが『あの日に帰りたい。 東京キャンティ物語』という「ドラマ+疑似ドキュメンタリー+スタジオでの歌」で構成された音楽ドラマを放送してました。
主に参考にされたのは、野地秩嘉著『キャンティ物語』(1994年)です。
あくまでユーミン(松任谷由実)のデビュー秘話がメインで、キャンティとその創業者夫妻についてはうわべをさらっと触れる程度でした。
タイアップ臭(もちろんユーミンの新アルバムとその宣伝をサポートするJ-WAVEのことでキャンティはダシということ)が芬々としている上、最近の人気歌手の起用にも必然性が無く、
まぁ数字がすべてのテレビではこんな感じにせざるを得ないのだろうな、というのが率直な感想です。

それでも、過去のテレビ番組でキャンティと有名人の関係について触れているのは、たいてい六本木とか東京タワーといったテーマの時くらいでしたから、とりあえずキャンティを正面から取り上げた功績は特筆に値します。

シングル「あの日に帰りたい」荒井由実ところでこのドラマを見てキャンティに行ってみようと思ったアナタ、それだけであのレストランに行くのはやめたほうがいいでしょう。そういう感覚自体があまりにスノッブすぎてキャンティの客としてはちょっと相応しくありません。せめて野地氏の『キャンティ物語』くらいは読んでおきたいところです。しかし間違ってもその本の受け売りを店内で口にしてはいけませんヨ。キャンティへ行くという行為の完成度がガクッと落ちますから。

さて次は、『ニコラス物語』『ハンバーガーイン物語』『シシリア物語』とか、まとめて行きましょーかね?
あゝ、ほんとうの『六本木野獣会』ドラマをもう一度ちゃんと作りましょうよ。

011 別れのワルツ

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シングル「ジングル・ベル c/w 別れのワルツ」丸山明宏A面『ジングル・ベル』、B面『別れのワルツ』。
 両面ともに、訳詞:丸山明宏、編曲:服部良一、歌:丸山明宏(のちの美輪明宏)。発売:1957(昭和32)年11月、日本コロムビア。
 大ヒットとなった『メケメケ』(訳詞は丸山。B面は『ジェルソミーナ』)も同時リリースされてまして、当時、会社側がこの新人の実力と才能と人気を高く評価していたらしいことがうかがい知れます。ちなみに両盤ともSPでの発売ですが、私の所有しているレコード(写真左)はその後に出されたシングル盤です。

 丸山の訳詞は職業作家では書けない清新なリリシズムと、ハートウォーミングな物語性にあふれていて、なにかこう、素晴らしい映画を見たあとのような、そんな感動を聞く者に与えます。特にB面の『別れのワルツ』は日本で録音された『蛍の光』の中ではベストワンではないでしょうか。おなじみのメロディは異なる詞で2回繰り返されるのですが、その間奏部分で長めのセリフが入ります。これがまた素晴らしい。もちろん私は『SONO-COLOアワー』で流しました。

 ところでこの人の場合、その性向と芸術性が不可分だろうと考えられるので、唐突にもつい下世話な疑問を呈しちゃうわけですが――、喉ボトケはいつごろ無くなったんでしょうかね。

シングル「おねだり」カルーセル麻紀

 丸山の『ジングル・ベル』からちょうど11年6ヶ月後(1969年5月)に同じ日本コロムビアで、ある意味〃後輩〃、またある意味〃先輩〃かもしれないカルーセル麻紀が、関敬六と軽妙な掛け合いをするコミックソング『おねだり』(写真上)を発表しています。B面『緋牡丹仁義』では『姓は緋牡丹 名は麻紀』と歌っており、どのみちNHK向きではないというカンジです。しかも歌詞カードでは『性は緋牡丹』となかなか手の込んだ確信犯的誤植さえ見られます。
 ちなみに美少年系のピーターが『夜と朝のあいだに』でデビューしたのも同じ69年でした。

シングル「涙のデイト」キンヤ もう一人、丸山の末流ともいうべき人物の〃お皿〃を挙げておきましょう。1982年ポリスターからリリースされたKINYA(キンヤ)の『涙のデイト』(写真右)です。
 彼はアン・ルイスが見つけてきたタレントで、一時ずいぶんとテレビに露出していました。この盤はA・B面とも竹内まりやの作詞・作曲で、オールディーズっぽい雰囲気があります。ただKINYAはトークの人で、歌はご愛敬程度でした。
 これらの人々はいわゆる「おネエ系」だそうで、芸能界に多いという木下恵介(故人)、藤村有弘(故人)、藤木孝などの系統とは、また一線を画すのだそうです。これも故人のディヴァインなどはやはり前者と云うべきなのでしょうか。
 それはさておき――、
 丸山明宏は美輪に改名したあたりから、前世云々といった宗教的発言、とりわけ法華経への傾倒を示す文言(もんごん)・言辞(げんじ)が目立つようになりました。昨今は執筆活動に加え講演も数多くこなすようになり、そうした場で女性たちに人生の極意を語り、道を説いている姿にはなるほど後光がさしていて、それこそ観音様、といった風情がうかがえます。

美輪明宏
http://www.o-miwa.co.jp/

(2003年11月20日)

¶postscript―*

カルーセル麻紀、正真“証明”女に 戸籍性別変更認められる!!

 タレントのカルーセル麻紀(61)が晴れて「女」になり、「平原徹男」から「平原麻紀」となったことが4日までにわかった。
 7月16日に施行された性同一性障害者の戸籍の性別変更を認める法律でカルーセルは家庭裁判所へ戸籍の変更を申し立てていたが、家裁側は「社会的に女性としての自我を取得しつつある」として変更が相当と判断。9月28日に性別変更の書類手続きが区役所で行われる段階に入ったことを、担当弁護士から報告されたという。
 カルーセルはスポーツ紙の取材に「やったわ! うれしい。やっと女性になれた」などと大喜びで、現在、書き換え中の健康保険証、パスポートが出来上がるのを心待ちにしているとか。今月下旬に都内で記者会見を開くという。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_10/g2004100403.html

 外面は整形やエステで菩薩のようになっても、どうしようも出来ないのが骨格ですね。肉体とは実にやっかいなものです。
(2004年10月4日)

010 こまっちゃうナ

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シングル「こまっちゃうナ」山本リンダ エレキがデンデケデケデケ、ドラムがズントトスッタ…のベンチャーズ・サウンドが若者に熱狂的に受け入れられると、レコード会社はいわゆる〃リズム歌謡〃〃エレキ歌謡〃なる若向けの曲を量産するようになりました。
 その中からは、いづれこのコラムでも採りあげる予定の『涙の太陽』『回転禁止の青春さ』『恋をするなら』といった名作が生まれました。リンダの『こまっちゃうナ』もそうした時代の、ズントトスッタな歌のひとつでした。
 作詞・作曲:遠藤実。歌:山本リンダ。発売:1966(昭和41年)年9月、ミノルフォン。

 本名:山本アツ子。結婚したので姓が替わったかもしれません。先日、私以上にファンだという人と話をしました。その人は開口一番「あれもかわいそうな娘です」と言うのでした。
 「たしかに1950年代、東京でさえ差別的フンイキでありましたから、外人の多い横浜でもいろいろ大変でしたでしょうし、またお父さんとも縁が薄く、経済的にもご苦労が多かったことでしょう」と私は通りいっぺんのことを申しましたところ、「宗教にのめり込む者はたいていどうしようもない地獄を抱えているものです。今は知らぬが、昔は皆そうだった」とおっしゃる。たしかに1991年当時、テレビのワイドショーで有名信者代表として誰それが悪いんです云々と据わった目で話しているVTRを見た覚えがあります。『どうにもとまらない』のころもそうでしたが、信仰者のイメージとパフォーマンスとのギャップがありすぎるなという印象を受けました。

 私の感覚では不幸、とくに経済的不幸が特別なものに思えるようなってきたのは1975年ごろで、家庭の経済も大方横並びに改善されてきた気がしたものです。彼女が育った時代は日本全体が貧乏で、それはもう目も当てられない不幸が右を見ても左を見てもゴロゴロしている、そういうひどい時代でした。彼女は小学生の時に母親に連れられていって入信したそうです。おそらく、苦労しながら娘を育てたその母の愛情と二重写しの形で、信仰というものを受け入れていったのではないでしょうか。私が初めて彼女の存在を知った時はすでにバリバリの子供信者だったはずです。

 11歳で『装苑』のモデルになり15歳で歌手デビュー。歌手・モデル・タレントとして大活躍し、経済的にはかなり恵まれたと思われます。しかし反動はやはり来るもので、69〜71年には人気が退潮、TVの出番も極端に減ってしまいました。
 数ある不幸の中でも人気を挽回したいという悩みはかなり上等な部類にはいると思われますが、現世での勝利が彼女の信仰のテーマである以上、その時期、改めて自身の信仰に没頭していったことは想像に難くありません。
 私は1972年のカムバックの時、またしても歌手再生に成功した阿久悠の手腕に敬服したものでした。と同時に本格派歌手のレベルにはついに達しえなかった様子を目の当たりにして、資質というものは努力では補えないものであるなぁと感じたものです。

 2003年1月、ミノルフォンで出したLPジャケットをそのまま使い、『ミノルフォン・イヤーズ』なる全曲集がCDでリリースされました。ミノルフォン時代のシングル盤は8割がた持っていますが、やはり往年のファンとしては見つけたその場で買ってしまいました。私が昔コンピレーションした『面白愉快で懐かし原盤』で使った『ミニミニデート』の宣伝用フォノシートの音源は含まれていないようですね。いや、それでいい、それでいいのです。私の好きだった山本リンダはあの舌っ足らずなおしゃべりを永遠に続けていてほしいのです。妖精のような無邪気さの奥に不幸の影が有るか無しかうっすらと感じられる。それこそ芸能人。彼女は紛れもなく芸能人なのです。

 さてひとつ気になることは『こまっちゃうナ』のママが「笑っているだけ」なのは、音羽たかし訳詞『悲しき16才』のパパとママが「ただ笑うだけ」であるのに似ており、作詞する時にイメージしたのではないか、ということです。遠藤先生、いかがですか?

山本リンダ・ホームページ
http://www.linda-yamamoto.com/

(2003年7月10日)

CD「トン吉チン平カン太」野沢直子¶postscript―*
稀代の名コメディエンヌ野沢直子が1989年に『こまっちゃうナ』をカバー(写真右)しています。これがまた傑作で……。
(2003年7月15日)


¶postscript―*
有馬敲(ありま・たかし)著『替歌・戯歌研究』(2003年5月25日発売)に、『こまっちゃうナ』の替え歌が2例報告されています。アソコに毛が生えて困っちゃうというその歌は、当時、私も口ずさんだ覚えがあります。
(2004年5月13日)

¶postscript―*

今度は“励まし系”山本リンダ「どうにもとまらない」

 来年で芸能生活40周年を迎える歌手、山本リンダ(53)が16日、東京・港区のON AIR麻布スタジオで来年1月13日発売の「どうにもとまらない〜ノンストップ」(キング)の公開レコーディングを行った=写真。
 昭和47年の大ヒット曲「どうにもとまらない」を作詞家、阿久悠氏(67)が32年ぶりに書き直した作品。胸元がセクシーな赤いシャツ姿で熱唱したリンダは「今度の歌詞は“励まし系”。アレンジもかっこいい」と出来に大満足の様子。「来年40周年ですが、リンダはとまりません。おばあちゃんになってもとまりません。みんなもとまっちゃダメよ!!」と意気んだ。同曲は、フジテレビ系アニメ「レジェンズ 甦える竜王伝説」(日曜前9・30)のエンディングテーマとして12月26日から放送される。
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200411/gt2004111710.html

ヒットはしなかったけれどもいいメロディだという曲に異なる詞をつける、つけ直すという作業は、実は早くから阿久悠氏がやっていたことのひとつ。ただしヒット曲にあたかも替え歌のように別の詞をつけるというのは、氏としても初めてのことでしょう。
(2004年11月17日)

¶postscript―*

リンダ 明大と「狙いうち」成就

 歌手・山本リンダ(53)が20日、東京・日比谷公会堂で行われた明治大学応援団の応援団祭「第50回 紫紺の集い」に特別ゲストとして出演。大ヒット曲「どうにもとまらない」などをリーダーとチアーガールとのジョイントステージ披露し、会場を盛り上げた。
 今では高校野球などの応援曲として有名なリンダの大ヒット曲「狙いうち」。最初に野球応援曲として使用したのが明治大学応援団だった。リンダも「明大と聞くと、自分の故郷のような感じがする」というほど。それが縁となり、今年初めて応援団との共演ステージが実現した。
 吹奏楽部の演奏に合わせ、最新シングル「リンダ」と大ヒット曲「どうにもとまらない」をソロで披露。明治大のチャンスメロディーでもある「狙いうち」を、チアガールの踊りとリーダーの拍手をバックに熱唱した。なかなか見ることができないステージに、会場は神宮球場の学生席以上の盛り上がりとなった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041121-00000019-dal-ent

(2004年11月21日)

¶postscript―*

 ブログ(日記風サイト)から生まれたポーランド出身のキュートな2人組ガールズユニット「Blog27」が、13日発売のアルバム「LOL」で日本デビューする。収録曲「Uh La La La」は山本リンダのヒット曲「狙いうち」を連想させるリズム&メロディーが売り。エイベックスとユニバーサルがタッグを組んだ超異例の共同ベンチャーで日本でのブレークは必至だ。
 欧州各国で旋風を巻き越した2人が、ついに日本でベールを脱ぐ。ユニット誕生のきっかけはブログ。05年春、メンバーのトーラ(13)、アーラ(13)が立ち上げ、自ら更新。これまでに計1000万ページビューを記録する人気ぶりで、ブログ上の試聴用曲には連日、アクセスが殺到。たちまち各国で話題となり、同年5月、本国でデビューシングル「Uh La La La」を発売。世界初の“ブログ発の歌姫”が誕生した。
 新アルバムは全12曲。ノリノリで歌う“ウ〜ラララ〜”が必殺フレーズの同曲も、もちろん収録されている。英語の歌詞だが、リンダのヒット曲を思わせるリズムはインパクト十分。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060909-00000010-dal-ent

超異例の共同ベンチャー? 怪しいですなぁー。
とりあえずシングルだけでも買っときますか。
(2006年9月9日)

2004年10月08日

丸い緑の山手線

家電量販店のテーマ・ソングばかりを集めたCD登場!!

 意識して覚えているわけではないのに、なぜか口づさめる曲、アナタにもひとつやふたつありますよね? たとえば、CMだけでなく店頭でも繰り返し流され、知らず知らずのうちにフレーズを覚えてしまっている、♪丸い緑の山手線、真ん中通るは中央線、新宿西口駅の前〜とか、♪ビーック、ビック、ビック、ビックカメラ〜とかはどうです? 他にも、♪石丸〜石丸〜電気のことなら石丸電気〜とか、♪オノデンボーヤが未来を運ぶ〜とか、アナタも口づさめるのでは? そんな家電量販店のテーマ・ソングばかりを集めた魅惑のコンピレーション・アルバム『エレクトリックパーク(仮) 』(PCCA-02106 \2,100税込)がリリースされます!

(1) 石丸電気の歌(石丸電気)
(2) オノデンボーヤCMソング(オノデン)
(3) It's HappyYASUIWorld(コジマ)
(4) ハートでさくらや(さくらや)
(5) サトームセンCMソング(サトームセン)
(6) HELLO, SOFMAP WORLD(ソフマップ)
(7) ビッグカメラサウンドロゴ(ビックカメラ)
(8) ヤマダ電機(ヤマダ電機)
(9) ヨドバシカメラの歌(ヨドバシカメラ)
http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=7522

石丸電気は日の丸電気の後身なのか? 私は知りません。
秋葉原でレコードを買いだした時には石丸電気でした。
購入金額に応じてレコード用の金券をくれる。これがなかなか率がよかった。
私の持っているLPの半数以上は秋葉原で買っております。
今は昔、1970年代の話です。

ソウル トレイン

久保田利伸“全米制覇”足掛かり

米国民的音楽番組24年ぶり日本人出演
 米国を拠点に活動しているシンガー・ソングライターの久保田利伸(42)が、米国の国民的音楽番組「Soul Train(ソウル トレイン)」に11月上旬に出演することが7日、分かった。“ブラックミュージックの殿堂”と言われる人気番組で、日本人ではテクノユニット「YMO」以来24年ぶり2組目の出演。先月発売した新作アルバムは現地スターからも絶賛されており、全米デビューから9年でついにブレークの兆しが見えてきた。
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/geinou/oct/o20041007_30.htm

じつは『Soul Train』的なディスコシーンの登場が、私と同時代音楽との分岐点でした。1971、2年ころのことです。
今でもディスコミュージックは私の音楽ではありません。
それにしてもこの番組、まだやってたんですね。

Soul Train - Don Cornelius Productions, Inc.
http://www.soultraintv.com/

Soul Train - TV Series - TV Tome
http://www.tvtome.com/tvtome/servlet/ShowMainServlet/showid-7494/Soul_Train/

Soul Train
http://www.museum.tv/archives/etv/S/htmlS/soultrain/soultrain.htm

2004年10月06日

八千八声の時無鳥

<河内家菊水丸さん>著作権者の確認訴訟が和解

 河内音頭をベースにした作詞作曲を行う河内家菊水丸さんが、自ら創作した曲を、鉄炮節河内音頭で知られる故・鉄砲光三郎さんの作曲として日本音楽著作権協会(JASRAC)に登録、無断でCD販売したとして、レコード販売会社「テイチクエンタテインメント」(東京都)などに、著作権者としての確認などを求めた訴訟が5日、大阪地裁で和解した。
 和解内容は、問題となった「明石家さんま物語」など4曲のうち、(1)「明石家さんま物語」は鉄砲さん、「河内音頭で夜をぶっとばせ」は菊水丸さんをそれぞれ著作権者とする(2)残る2曲は鉄砲さんと菊水丸さんをともに著作権者とする(3)流通したCDは回収せず、新たな複製販売はしない――など。
 和解後に会見した菊水丸さんは「和解内容には納得している。いつか裁判所の前で御礼音頭を披露したい」と話した。テイチク側は「裁判所の配慮もあり、友好的解決がなされたと考えている」とコメントした。
 菊水丸さんは昨年8月、テイチク側がこの4曲を鉄砲さんの作曲としてJASRACに登録、02年10月に4曲収録したCDを無断で発売したとして提訴した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041006-00000008-mai-soci

いくら鉃砲節といっても鉃砲光三郎ひとりで河内音頭を作ったわけではありません。それにこれまでも多くの歌手が河内音頭のレコードを出してきました。菊水丸だけを狙い撃ちにするんじゃ会社が個人をイジメてると見られても仕方ないですね。言ってみれば念仏や題目を商標登録するようなもので、世間の良識からもハズれております。
(ちなみに鉄砲の鉄は「鉄」ではなく「失」が「矢」になっている「鉃」が正しい表記です。)

私が所有している鉃砲光三郎のレコードは以下の3枚だけです(3枚ともLP)。
『《河内音頭》民謡鉃砲節《第一集》』
『《河内音頭》民謡鉃砲節《第二集》』
『《河内音頭》民謡鉃砲節《第四集》』

LP「《河内音頭》民謡鉃砲節《第一集》」鉃砲光三郎LP「《河内音頭》民謡鉃砲節《第二集》」鉃砲光三郎LP「《河内音頭》民謡鉃砲節《第四集》」鉃砲光三郎

今東光が第一集ジャケット裏に『鉃砲光三郎賛』を寄せており、河内音頭の歴史を縷々開陳しております。その一文が図らずも河内音頭が鉃砲光三郎の発明でないことを“裏書”しちゃってますヨ。ジャケットにもレコード盤にも作詞・作曲・編曲者の名はありません。作者不詳の民謡ですから当然です。

鉃砲さん以外の河内音頭のレコードは手持ちのものでは以下の2枚です。

シングル「青春河内音頭 c/w 津軽じょんがら節」金沢明子『青春河内音頭 c/w 津軽じょんがら節』金沢明子 ビクター音産 1979年発売。
A・B面それぞれ、作曲者に相当するクレジットは『大阪府民謡』『青森県民謡』。
『青春河内音頭』は、1番で、おなじみの♪エーさては・・・歌いましょう♪までの歌詞とヨイトコサーサノヨイヤサッサの囃子言葉を使い、2番がオリジナルの歌詞。作詞者表示は林 紀彦。


シングル「明石家さんま物語 c/w 河内音頭でぶっとばせ」河内家菊水丸『明石家さんま物語 c/w 河内音頭でぶっとばせ』河内家菊水丸 テイチク
A・B面ともに作曲者のクレジットなし。
作詞者表示は
『明石家さんま物語』が佐原一哉、河内家菊水丸、
『河内音頭でぶっとばせ』は安東 夏
となってます。

河内音頭はそれを歌い継いできた大勢の歌い手すべてが作者であり、ありえるのは改作・編曲のみです。かかる音楽を称して民俗音楽と申します。
テイチクは河内音頭のかつてのスター鉃砲光三郎が自社の所属であったことをこれ幸いに、河内音頭を独占するつもりだったのでしょう。まったく呆れたものです。

¶postscript―*
河内音頭の掛け声を取り入れた関ジャニ8『浪花いろは節』の全国発売は9月22日。なんとこれがテイチクからの発売です。
なるほどそういうことだったのか・・・。
(2004年10月12日)

2004年10月05日

塀の中のウォール・オブ・サウンド

ロック音楽プロデューサーのスペクター、検察官をヒトラーにたとえる

 女優殺害の罪で起訴されている米著名ロック音楽プロデューサー、フィル・スペクター(63)が27日、無罪を主張した。アドルフ・ヒトラーのように振舞う検察官の犠牲になったと述べている。
 スペクターは先週、殺人罪でロサンゼルス郡の大陪審により起訴された。
 27日には起訴状が開示され、その後でスペクターは短時間ながら法廷に出廷し、無罪を主張した。
 ただ、法廷を後にしたスペクターは、大陪審による起訴を選択した検察官の判断に関して、「あのヒトラーのような地方検察官とその取り巻きたちは、非難されるべきで、良心がなく、軽蔑に値する」と非難している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040928-00000214-reu-ent

つくづく人格と才能は別物だなぁと思う。

2004年10月03日

失はれた地平線

映画「失はれた地平線」の舞台(フンザ・パキスタン)

 「失はれた地平線」 「チップス先生さようなら」で知られる英国人作家ジェームズ・ヒルトンが1933年に発表した同名小説を、巨匠フランク・キャプラ監督が37年に映画化。アカデミー賞美術監督賞と編集賞を受賞した。シャングリ・ラのシーンはスタジオ内に組まれた大がかりなセットで撮影された。上映時間は2時間12分だが、その後、短縮版が一般化し、完全版は失われたとされる。
http://www.yomiuri.co.jp/tabi/world/20040928sc22.htm

シングル「世界はまるい」サントラ1973年のミュージカル映画版『失われた地平線(Lost Horizon)』は音楽がバート・バカラック。興行的にも失敗し好評さくさくならぬ悪評ふんぷんのシャシンでした。
ただ「世界はまるい(THE WORLD IS A CIRCLE)」という曲がズバ抜けて素晴らしく(みんなそう思ってるみたい)、私のバカラックBEST5にも入っております。

Sony Pictures Online Top Joy
http://www.sonypictures.jp/archive/cinemaparadise/05/1.html

肖像写真の巨匠

肖像写真の巨匠、R・アベドン氏死去 81歳

 リチャード・アベドン氏(米写真家)1日、脳内出血のため米テキサス州サンアントニオ市内の病院で死去、81歳。
 ニューヨーク生まれ。1945年から65年までハーパース・バザー誌の専属カメラマンとして活躍、ポートレートやドキュメンタリーなどの手法を取り入れた革新的なファッション写真で注目された。66年から90年までヴォーグ誌、92年からはニューヨーカー誌のカメラマンとして活躍。
(中略)
 57年に公開されたオードリー・ヘプバーン主演の米映画「パリの恋人」でフレッド・アステアが演じた写真家のモデルとされる。2002年にニューヨーク・タイムズ紙の「世界一有名な写真家」に選ばれた。
http://www.sankei.co.jp/news/041002/bun033.htm

「パリの恋人」の原題はFUNNY FACE。この「ファニーフェイス」というのが流行語にもなりましたけど、
どういうわけか日本ではファッションモデルから女優になった芳村真理とか「アンパンのへそ」こと団令子あたりがそれだということになってました。
まぁ、ヘップバーンはキレイすぎてファニーフェイスなどとはとんでもない、ということですよね。
リチャード・アベドン氏の写真は今のファッション写真の元祖というか原型になったということです。商業写真は米資本主義とともにあったわけですが、同氏の作品には写真家としての個性、スタイリッシュな現代性が強く出ていたため、際立っていたということでしょう。

Richard Avedon
http://www.richardavedon.com/menu.php

American Masters . Richard Avedon | PBS
http://www.pbs.org/wnet/americanmasters/database/avedon_r.html

2004年10月01日

かいじ101号

「あずさ2号」アンサーソング、終点は「紅白」!?

 “電車DJソング”でファンも多い3人組ユニット「スーパーベルズ」が、狩人の「あずさ2号」のアンサーソングともいえる楽曲をこのほどリリースした。その名も「かいじ101号」(レディオソニック)。
 同曲は6月に発売したアルバム「モーターマンでGO」の収録曲だったが、題材の中央本線の地元・山梨放送が推薦曲として流し、「だれが歌っているのか」「狩人の新曲か」と問い合わせが殺到、急遽シングルカットされた。
 作詞作曲の野月貴弘は並外れた鉄道マニアで、以前から「あずさ2号」に関心を持っていた。というのも、狩人が歌った昭和52年は歌詞通り、「あずさ2号」は8時ちょうどの新宿発だったが、翌53年のダイヤ改正で偶数番は下り列車に変更。その後、新宿8時ちょうど発は「スーパーあずさ5号」となり、「あずさ2号」は今年3月13日の改正で復活したが、新宿行きの松本始発列車になったからだ。
 そのため「新宿発の列車でアンサーソングをつくりたい」(野月)と、作曲時、8時に一番近い時間に新宿を出発していた「かいじ101号」を題材に選んだという。
 曲調は「あずさ2号」に似ているが、詞はまったく別もの。おなじみのサビのフレーズが「♪8時あたりの〜」となっているのは、これはダイヤ改正で「…101号」の運行時間がしばしば変更されるためとか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041001-00000012-ykf-ent

いきなり話が違って恐縮ですが、ベルズというグループはいいですなぁ。
「ライク・ア・ローリングストーン」をソフトロックにしたような、一連の作品。しかもウィスパーリング唱法で、どこかオシャレ。

さてベテラン「カシオペア」と、はや中堅の「スーパーベルズ」。鉄ッちゃんバンドとしても確固たる地位を占めているようです。
えっ、それだけ? ごめん、よく知らないんだ。