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008 ガード下の靴みがき

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SP歌詞カード「ガード下の靴みがき」宮城まり子 聴く必ず泣いてしまう歌があります。人にもよるでしょうが私の場合『星の流れに』 『岸壁の母(菊池章子盤)』 『ああ上野駅』 『ヨイトマケの唄』 『学校の先生』、そして最も泣けるのがこの『ガード下の靴みがき』です。
 作詞・宮川哲夫、作曲・利根一郎、歌・宮城まり子。1955年ビクターレコード発売。
 〃逆境・貧困を堪え忍んで働く少年のいぢらしさ〃、当時としても難しい題材ですが、詞・曲・歌唱ともに間然するところ無く、聞く者の心にすっと入ってきます。まさにプロの仕事ですね。ちなみに「ガード」(けた橋、陸橋)というのは和製英語で、英語ではgirder bridge(ガーダー・ブリッジ)と云うそうです。

 1955(昭和30)年。ようやく敗戦の痛手から立ち直りかけてはいましたが、貧富の差は大きく、そのしわ寄せは子供たちに押しつけられていました。昭和8年に少年虐待防止法が、昭和22年暮には児童福祉法が施行されているにもかかわらず、働く子供の姿がそこかしこに見られた時代でした。数年後には「消費は美徳」の所得倍増・レジャー時代が国是としてスタートしようという、それはまさに高度経済成長前夜の〃深き闇〃であったのです。

 発売当時のB面曲は築地容子の『モスコウの花売娘』。男子の靴みがきに対して女子の花売りという一つの典型です。その境遇により働かざるを得ない子供たちの物語は、過去においては説経節『さんせう太夫』、地唄・長唄『越後獅子』、そして尋常小学校の教科書や少年向けの雑誌に描かれ、そうした要素をすべて受け継いで、戦後、美空ひばりが『越後獅子の唄』 『私は街の子』 『ひばりの花売娘』 『角兵衛獅子の唄』 『街の灯がとぼる頃』(花売娘物)、『旅の角兵衛獅子』 『流れのギター姉妹』などを歌っております。
 演劇・映画の分野では、戦後、主に左翼系劇団あるいは社会派の監督によって、劣悪な労働条件の下、経済的理由で働く未成年の健気な姿が感動的に描かれたりしました。

 ひばり登場後の歌謡曲の世界ではそうしたテーマの歌は昭和40年代の初めごろまで作られ、『三味線姉妹』『新聞少年』などがヒットしましたが、東京五輪の頃になると子供たちの状況はかなり改善されていて、年齢層が少し上の話題、たとえば就職か進学かの進路問題であるとか、生活の心配のないハイテーンの恋愛の悩みといったことに、テーマがシフトするようになります。(たとえば進路問題を扱う歌謡曲では『僕ら就職コース』というのがあります。これは改めてご紹介しましょう。)

 さて、話を戻しましょう。
 花売りをテーマにした歌は物売りソングの範疇に入り、靴みがきは職業ソングの変形に分類されるべき、というのが私の予(かね)てからの持論です。靴みがき物の先行例としてレッド・フォーレーほかでヒットした『チャタヌギ・シューシャインボーイ』(1950年)、暁テル子『東京シューシャインボーイ』(1951年)が有名ですね。どちらもブギの名曲で、シャッシャというブラシの音が蒸気機関車の音に似ていることからブギに乗せる必然性があるということなのでしょう。
 ブルース、ゴスペル、スイングジャズ、ヒルビリー、ウエスタン・スイング、R&B、ジャグバンド、スキッフルなどでは、トレインソング(レイルロードソング)、ホーボーソングというジャンルがあり(遠藤賢司『夜汽車のブルース』もこれですか)、トレインソングにブギウギそのものやそのベースパターンが多く用いられたという経緯がありました(例『チャタヌガ・チュー・チュー』 『A列車で行こう』 『ロック・アイランド・ライン』等々)。
 汽車が走る前の段階では、線路工夫の労働歌(ワークソング)がありますが、さすがにテンポが違います。
 日本ではトレインソングというと、トリローの傑作『僕は特急の機関士で』はむしろ例外的で、哀愁・旅・北国といった情緒的テーマが多く、『北帰行』 『哀愁列車』 『赤いランプの終列車』 『悲しきトレイン北国行き』 『津軽海峡冬景色』など、およそブギウギとは縁のない歌がほとんどです。
 ――いや、また脱線しました、トレインソングの話だけに!

 宮城まり子の話をしましょう。
私たちの間では中村メイコと宮城まり子は常に注目の的でした。二人とも本当に希有な才能の持ち主で一流のエンターテイナーでありましたが(今も!)、その卓越した才能と大衆的なルックスと謙虚な人柄ゆえに大スターの地位を得ることはなかった、という逆説的説明しかできないのが口惜(くちお)しいところです。
 レコード会社は中村メイコが日本コロムビア→ビクター、宮城まり子がポリドール→ビクターで、共にビクターからSP盤をリリースした時期があります。両者ともコミックソングの企画が続き、特に吉本興業の仕切るドサ回り一座に長くいた宮城まり子は、ビクター入社後もしばらくは色物扱いに甘んじておりましたが、たまたまシリアスな映画の主題歌を歌ったことからその豊かな表現力が認知され、昭和30年8月、人生のターニングポイントとなった『ガード下の靴みがき』がついにリリースされたのでした。

 3年後、芸術座で『まり子の自叙伝』を上演。宮城まり子の依って立つところとはいかなるものか、一連の歌とともに、そのイメージを決定づけたのです。『ガード下の靴みがき』以降、ギャラの出ないような施設への慰問活動を積極的に続ける中で、彼女の内面に醸成されていった事どもについては、軽々に論評すべきではないような気がします。

 金で勲章や名誉称号が買える世の中で、人間の福祉ということに一個人として、一女性として、いつかではなく今の今、現実の上で、あれほどまでに大きな貢献を成した宮城に対し、総理大臣・厚生労働省の大臣・官僚ども以下、七重の膝を八重に折り三拝九拝してもまだ足りないくらいです。
 たかが流行歌、ではあります。しかしひとつの歌と人間の出会い・共鳴・交感がその人生までも変えてしまう、ということがあります。宮城まり子と『ガード下の靴みがき』がその好い例でしょう。「ねむの木学園」サイトにあるプロフィールで、『ガード下の靴みがき』を自身すべての原点・出発点に据えていることからもそのことが明らかです。
 『ガード下の靴みがき』を聞いていっとき涙を流す人は多いでしょう。しかし、人間いかに生くべきかをこの歌は自身に問いかけているのだ、ということに思いを致さねば、この歌を唱う宮城まり子の心に触れることはできないのではないかと考えるのです。
(2003年4月3日)

シングル「口づけは山手線のガード下」ダンガン・ブラザーズ¶postscript―*
ガード下をテーマにした歌には、その後のものでは、たとえばダンガン・ブラザーズの『口づけは山手線のガード下』(1981年。写真右)、SIONの『ガード下』(1993年。アルバム『I DON'T LIKE MYSELF』収録曲)といったものがあります。
 ダンガン・ブラザーズの歌は、ガード下で愛の告白をするハッピーな内容で、列車の通過音でそれが聞こえないかもしれない、といったモノクロ時代のフランス映画を思わせる洒落たシチュエーションになってます。ボーカルは♪結局飲んでる黒ラベル♪の中島文明で、この人の声ならばたとえ蒸気機関車が走っていてもきっと聞こえることでしょう。
 SIONの楽曲は未聴ですが、東京では新宿のストリートから有名になった人なので、おそらくこの〃ガード下〃は新宿駅のそれではないかと思われます。福山雅治が私淑するシンガーとしても有名ですね。
(2003年4月17日)

¶postscript―*
6月16日に亡くなった春風亭柳昇の落語に『ガード下』という演目があったそうです。
(2003年6月16日)

シングル「小雨の陸橋」島倉千代子¶postscript―*
 ガードというのは人が常に“下”だけを通るわけじゃない……歩道橋を歩いていて、ふとそう気がつきました。
 線路の上を人や車の通る橋が架かっている。そういういわゆる“陸橋”は、むしろガードよりも多いんじゃないか。
 そう思いまして歌を探してみたら、なんと見つけちゃいました。
 島倉千代子1966年5月のリリース『小雨の陸橋』がそれです。
 橋の上で線路を見下ろしながら、夜汽車で去っていった恋人を偲ぶという内容。どうやらデートの待ち合わせもその陸橋だったようです。
 なんとなく『君の名は』の数寄屋橋みたいですね。
(2004年12月18日)

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