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2004年09月30日

No More Auction Block For Me

ディランの『風に吹かれて』はゴスペル『No More Auction Block For Me』の改作だという記述をどっかで読みました。
ブラックじゃなくてブロックとしているところがミソなんですね。
そこで、タワーレコードのサイトで検索し、
ディラン自身が歌っている『No More Auction Block』を聞いてみたのですが、
・・・あまり似てません。
オデッタのはどうでしょう。
・・・あゝなるほど、出だしが同じなんですね。

もっとゴスペルっぽいのはないでしょうか。
アメリカのサイトでエラ・ジェンキンス Ella JenkinsのMP3試聴ページをメッケました。
http://www.mp3.com/albums/93624/summary.html
んー、『風に吹かれて』の原型というには、ちょっと違いますかねぇ・・・

2004年09月29日

ジョンストン島

ハワイから愛媛にブイ漂着 4500キロを1年かけて漂流

 愛媛県津島町沖で29日までに、約4500キロ離れた米ハワイ州ジョンストン島に設置されていたブイが見つかった。昨年9月に重りの鎖が切れて流出したもので、太平洋を1年かけて漂流、日本に流れ着いた。
 宇和島海上保安部が9月13日、海上を漂流しているブイを回収。太陽電池などのラベルに「U・S・COAST GUARD」などと書かれていたため、同保安部が米沿岸警備隊に問い合わせたところ、オアフ島・ホノルルから南西約1300キロのジョンストン島沖の環礁から流出したものと分かった。ブイは鉄製で高さ7.9メートル、直径2.4メートル。
 同保安部は「米国からの漂着物は1963年の設立以来、初めて」と驚いている。
http://www.sankei.co.jp/news/040929/sha086.htm

アルバム「サーフィン・ラウンド・ザ・ワールド」ブルース・ジョンストン大きさからいうと、有名なブルース・ジョンストンのアルバム『サーフィン・ラウンド・ザ・ワールド』のジャケット写真にあるような、ブイでしょうかね。
椰子の実に較べると、ちょっと野暮ですか。

009 ふりむかないで

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シングル「ふりむかないで」ザ・ピーナッツ 作詞:岩谷時子、作曲・編曲:宮川泰(ひろし)。歌:ザ・ピーナッツ。発売:1962(昭和37)年2月、キング。
 当時、日本で流行っていた「リトル・ダーリン」「ダイアナ」「おお!キャロル」といったロッカルンバの曲調に、これまた多かったウォーウォーイェーイェーヤーヤーシャラララポンシュポンポンといった類の、スキャットとも囃子詞(はやしことば)ともつかぬコーラスを乗せた、いかにもあの時代らしい、和製ポップスの名曲です。
(レコードの品番も歌謡曲ではなくローカル盤の扱いでした。ちなみに国際卓球連盟〔ITTF〕会長の名はアダム・「シャララ」、東ティモール民主共和国の初代大統領は「シャナナ」・グスマンです。どっちもかっこいい名前だなァ〜)

 冒頭、詞では
  「Yeh,Yeh,Yeh,Yeh,
    〃 〃 〃 〃 」
とだけあるのを、あのようにノビノビとまた明るく展開したところ、そして歌い出しで詞ではただ単に「ふりむかないで」とあるのを、♪ふ・り・む・か、なッハッハ、ァヒィでぇー♪と符割りしたところに作曲家の非凡な才能が発揮されておりますが、かてて加えて岩谷時子の詞がまた素晴らしくチャーミングで、ヤローの作詞家センセー方にはおよそ考えも及ばぬような女の子のハートの機微が、生き生きとした言葉で「語られて」おるのでありまして、そうしたことがテーンネイジ・ポップスとしてのこの歌に、輝きと奥行きを与えているのだ、と愚考するものであります。
シングル「サマー・クリエーション」ジョーン・シェパード(ああ、それとプレスリーの「ホホォミークロース」とか、バディ・ホリーの「マイペーギースウッフッウ」のような、かつてのロックンローラー達の、いわゆるヒーカップ〔しゃっくり〕唱法の影響もうかがえますね。
それから、千昌夫の元細君ジョーン・シェパードの1971年ヒット曲『サマー・クリエーション』(マックスファクターCMソング=写真右)のイントロは、上記「Yeh,Yeh,Yeh,Yeh」のメロディーにクリソツですが、ありゃ果たして偶然でしょうか? レコードに編曲者のクレジットはなく、作詞ドン・ポムス、作曲ハル・ワトキンスとだけあります。ホントにジンガイですかね?)

 ピーナッツと申しますと映画好きの私としましては、東宝社長シリーズでアメリカより帰国した森繁社長がバーテンダーに「ザ・ピーナッツ」とおつまみを注文するシーンがまず思い浮かびます。もちろんピーナッツの二人を念頭に置いたセリフです。
 そしてもうひとつ、1962年、文芸プロダクションにんじんくらぶ製作=松竹配給『裸体』――これは永井荷風の原作を1962年の時代設定に翻案したシャシンで、成沢昌茂の第1回監督作品なのですが、この映画の中で主演の瑳峨三智子が
 ♪ふ・り・む・か、なッハッハ、ァヒィでぇ〜♪
と鼻歌をうたう場面が一度ならず二度までも出てくるのです。ま、それはストーリーとは関係ないんですが、これがなかなかセクシーで、私などはグッときちゃいます。

 映画で忘れてならないのが、ロカビリーマダムこと渡辺プロの渡辺美佐をモデルにし、実際にあった移籍騒動に取材している1960年の大映映画『女は抵抗する』ですね。そのラスト近くでザ・ピーナッツが“有望な双子歌手”として若尾文子演じる主人公にスカウトされる場面が出てきます。
 実際には二人のデビューは、ドラマーのジミー竹内が、名古屋のレストラン『ザンビ』で歌っていた「伊藤シスターズ」こと伊藤日出代・月子姉妹を知って、1958年に渡辺晋に紹介したことがきっかけでした。その後、伊藤姉妹は品川区上大崎の渡辺家に住み込む形でレッスンを受けるようになります。レッスンをしたのは当時シックス・ジョーズのピアニストだった宮川泰で、ビブラートをしない独特のハーモニーは、宮川のレッスンと地方巡業(主にシックス・ジョーズのコンサート)での実戦で磨かれていったそうです。(ノー・ビブラート唱法では北原謙二が有名ですね)

 伊藤日出代・月子が伊藤ユミ・エミのザ・ピーナッツとして正式デビューしたのは1959年2月の『第二回日劇コーラスパレード』でのこと。ザ・ピーナッツの命名者は日本テレビのプロデューサー井原忠高だったといいます。以降の活躍はミナサマよくご存じの通りですね。

シングル「東京たそがれ」ザ・ピーナッツ さて、この『ふりむかないで』には続編らしきものが存在します。『東京たそがれ』(=ウナ・セラ・ディ東京 写真左)のB面曲『こっちを向いて』がそれです(1963年11月発売)。
 作曲・編曲は同じく宮川泰が担当していますが、作詞は秋元近史となっております。この人は当時日本テレビのディレクターで、あの『シャボン玉ホリデー』の生みの親。渡辺美佐の華麗なる人脈の中でもひときわ渡辺プロに近く、そうした関係でオイシいB面曲の作詞を担当することになったと推測されます。
シングル「ウナ・セラ・ディ東京」カテリーナ・ヴァレンテ そしてこの歌は、渡辺晋が興行界の大立者・永田貞雄と共同で招聘したカテリーナ・ヴァレンテが『ウナ・セラ・ディ東京』の日本語盤(写真右)を録音をする際に一緒に吹き込み、やはりそのB面として東京五輪の年に発売されております。
 さらに宮川泰には類似の曲調で『聞いちゃった!歌っちゃった!泣いちゃった!』という、日本版『すてきな16才』とも云うべき、この上なくチャ・チャ・チャーミングな歌(作詞:安井かずみ)があります。こちらは1964年にナベプロ3人娘の競作盤として発売されたため、ピーナッツは歌っていないようです。所属レコード会社が違うナベプロ3人娘が同時に同じ歌をリリースするというところに、当時の渡辺プロの隆盛ぶりがよく表れております。

LP「キャンディー・レーベル」キャンディーズ さて、渡辺プロといえばキャンディーズというこれまた人気のグループがおりました。そのキャンディーズの1977年のアルバム『キャンディー・レーベル』(写真左)は、B面がピーナッツのカバー集で、『ふりむかないで』と『こっちを向いて』も含まれておりました。当時このバージョンを聞いて、歌の持つ時代性を洗い落としてしまったような出来に、いささか物足りなさを感じた記憶があります。
シングル「ピーナツ・ピーナツ」キャンティ そこへいくと、1981年にキングレコードがリリースしたピーナッツ楽曲のフックトオン物(メドレー)『ピーナツ・ピーナツ』(写真右)からはリスペクトが感じられました。渡辺美佐も常連だった「キャンティ」というイタリア料理店の名を拝借した女の子2人組による企画物で、『ふりむかないで』を含む全9曲を、ザ・ピーナッツそっくりに歌っておりました。

 1983年『シオノギ・ミュージック・フェア'83』のザ・ピーナッツ特集で『ふりむかないで』を歌ったのは、時のアイドル松田聖子と河合奈保子でした。番組では宮川泰が「ピーナッツの歌った一番かわいらしい歌」としてイントロデュースしておりました。この時、松田聖子と河合奈保子が行った“振り付け”が、ピーナッツが歌う時に行った(かもしれない)振りなのかどうか、以来20年以上も気になって夜も眠れない状態なのです。私は悲しいかな、1962年当時、ピーナッツがこの歌をうたっているところを一度も見ておりません。どなたかご存じならぜひ教えていただきたく存じます。

 キャンディーズもピーナッツも“引退”という形で渡辺プロを離れましたが、ピーナッツの二人は芸能活動を完全に停止し、マスコミに顔を出すことすらありませんでした。おそらく今後ともないでしょう。彼女たちの現役時代と同じ時代を生きたことはかなりラッキーだったナー、との思いをますます深める昨今です。
(2003年5月30日)

041031_01.jpg¶postscript―*
木村屋總本店の菓子パン『ふんわりサンド ザ・ピーナッツ』126円。
粒入りピーナッツクリームを挟んだサンドイッチです。
スーパーで見つけちゃいました(笑)。
(2004年10月31日)

 

¶postscript―*

「恋のバカンス」「宇宙戦艦ヤマト」宮川泰氏死去

 「ウナ・セラ・ディ東京」「宇宙戦艦ヤマト」など数多くのヒット曲を手がけた作曲家の宮川泰(みやがわ・ひろし)氏が21日午前、虚血性心不全のため東京都世田谷区上馬5の30の2の自宅で亡くなっているのが見つかった。75歳だった。
(中略)
 大阪学芸大(現・大阪教育大)時代からピアニストとして活動。中退後、ジャズの平岡精二クインテットなどを経て作曲家に転身し、1962年にザ・ピーナッツが歌った「ふりむかないで」で注目された。63年、「恋のバカンス」でレコード大賞編曲賞、翌年には「ウナ・セラ・ディ東京」で同作曲賞に輝き、ザ・ピーナッツとのコンビで売れっ子となった。
 その後も梓みちよ、小柳ルミ子、沢田研二さんらに作品を提供。東宝の「無責任」シリーズを始めとする映画やミュージカルなどの音楽を手がけた。中でもアニメ「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ曲は人気を集めた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060321-00000312-yom-ent

すばらしいキャリアがあるのに、ぜんぜんエラぶらず、むしろ人を笑わせようとする、いそうでなかなかいないタイプの人でした。
一作曲家の枠にとどまらず、あの所得倍増時代・高度経済成長時代のムードメイカーの役割を果たした、その功績は大きいですね。
(2006年3月21日)

¶postscript―*

2006年5月26日・27日の2夜にわたって、フジテレビで金曜エンタテイメント2夜連続SPドラマ『ザ・ヒットパレード 芸能界を変えた男・渡辺晋物語』前・後編が放送されました。
このドラマでザ・ピーナッツを演じたのは安倍なつみ(伊藤日出代)と安倍麻美(伊藤月子)。
27日放送の、渡辺社長宅で行われたパーティーのシーンで、2人が『ふりむかないで』を歌っておりました。

060528_01.jpg

その振り付けは、1962年東宝『私と私』で、ピーナッツが『ふりむかないで』を歌うときにやっている振りとほぼ同じで、おそらくそれがオリジナルの振り付けなのでしょう。
(2006年5月27日)

¶postscript―*

1994年6月13日放送のNHK『ふたりのビッグショー 坂本冬美・藤あや子 〜復活!ザ・ピーナッツ〜』で、坂本冬美・藤あや子の二人が宮川泰のバンド指揮で『ふりむかないで』を歌いました。
(2006年8月21日)

2004年09月28日

大正テレビ寄席

牧伸二「大正テレビ寄席」復活宣言

 「ア〜ンアア、やんなっちゃった」のウクレレ漫談でおなじみの牧伸二(70)が伝説の名番組「大正テレビ寄席」を復活させる。古希の誕生日の翌日の27日に東京・渋谷の渋谷クラブクアトロで「平成クアトロ寄席」を主催。当時の笑いを再現する。
 1968年から15年間、テレビ朝日系で放送された「大正テレビ寄席」は最高視聴率30%を記録した伝説の番組。司会を務めた牧は「あの番組のおかげでメジャーになれた。本当に芸のある人間、芸人が出ていた」と振り返る。「今は(テレビで見ても)あんまり笑えない。ネタの作り方とか…。オチがない、テレビ向けの芸ばかり」という危機感から、本物の芸を見せる場として「平成クアトロ寄席」をプロデュースした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040926-00000014-sph-ent

場所がちょっと今風だなー。椅子あったっけか? 全員立ち見じゃ中年や年寄りは来ないでしょうねぇ。
ポカスカジャンあたりはぜったいに出さないとイカンでしょ。

2004年09月27日

消失投稿 最後のレスキュー

Internet Archive: Wayback Machine
http://www.archive.org/web/web.php
で、当ブログにおけるサーバ故障以前のエントリーを、またまたいくつか発見しましたので、まとめて掲載しておきます。
2003年12月の11、12、13、19日の記事です。
おそらくもうこれ以降は出ないでしょう。

◆  ◆  ◆

November 19, 2003
●黄金の腕〜ピンクの豹

映画ピンク・パンサー、S・マーティン主演で復活へ

 米喜劇俳優スティーブ・マーティンが、人気コメディーシリーズ「ピンク・パンサー」の新作への出演を承諾した。
 米映画大手MGMが発表した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031118-00000677-reu-ent

あの、目がチカチカするショッキングピンクの長ッポソイぬいぐるみが、またまたあちこちに飾られることになるのか。チョットげんなり。

Posted by eiji at November 19, 2003 08:46 AM

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November 13, 2003
●♪今日もコロッケ、明日も…♪

五月みどり、41年ぶりの「コロッケの唄」

 歌手五月みどり(64)が11日、東京・足立区のセイジョー五反野店で41年ぶりにセルフカバーした「コロッケの唄」の復活発表会を行った。同曲は62年(昭37)に、故浜口庫之助さん(享年73)が作詞した作品だが、歌詞の中に放送禁止用語があるとして絶版となっていた。夫婦のほのぼのとした愛をつづった曲だが、問題となった歌詞は、五月が浜口さん夫人で歌手の渚まゆみの許可を得てリメークしている。

http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/f-et-tp0-031111-0013.html

「コロッケの唄」というと1920(大正9)年、帝劇で歌われた益田太郎冠者・作詞の、あの外国曲であろうか。

Posted by eiji at November 13, 2003 06:38 AM

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November 12, 2003
●これがそもそも今度の悲劇的な事件の発端であります

中居で「砂の器」連ドラ化

 戦後を代表する社会派推理小説作家・故松本清張さんの代表作の一つ「砂の器」が、SMAPの中居正広(31)主演で、連続ドラマ化される。TBSが「日曜劇場」(後9・00)で来年1月から放送する予定。新潮社が文庫化している原作は発表から42年間ものロングセラーが続いており、1974年10月に公開された松竹による映画も大ヒット。TBSの連ドラも話題作になりそうだ。
 77年10月にはフジテレビが連ドラ化。この時、和賀を演じたのは田村正和(60)。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031111-00000021-spn-ent

田村正和の「砂の器」は憶えがない。
唐沢寿明の「白い巨塔」(CX)は初回だけ見てやめた。今度の「砂の器」は期待はずれにならないように作ってほしい。つまり期待してるってことです。

Posted by eiji at November 12, 2003 06:36 AM

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November 11, 2003
●キム・ノヴァク主演「媚薬」というのもありました

「奥さまは魔女」米倉涼子で日本版

(中略)
 66年の放送開始から67年まで白黒だった「奥さまは魔女」が、デジタル技術でこのほどカラー化され、DVDとなって12月19日に発売される。さらにハリウッドではニコール・キッドマン(36)の主演で、同番組の映画化が進行中。ダーリン役は未定だが、「めぐり逢えたら」のノーラ・エフロン監督がメガホンをとる。一方、トム・クルーズ(41)も42年の映画「奥様は魔女」(原題“I Married a Witch”)をリメークする予定で、元夫婦の競作が話題となっている。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2003/11/07/03.html

同じ時代のもうひとつの超人気ドラマ『THAT GIRL』は、あまりに時代性が濃厚でリメイクどころか忘れ去られているようだ。


THAT GIRL on the WEB !
http://thatgirltv.com/
1966年から1971年までアメリカで放映された人気TV番組。写真多数。

Blackcatter's World of TV Theme Lyrics & Voice-overs : That Girl!
http://home.att.net/~tvthemelyrics/that.htm
テーマソングの歌詞。

Posted by eiji at November 11, 2003 01:20 PM

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●ローハイドといえば、、、伊藤素道!?
明治『高原育ち6Pチーズ』のCMソングは『ローハイド』のパロディのようだ。
♪ローリンローリン…が、♪高原高原…となっている。

Rawhide tv theme lyrics
http://home.att.net/~tvthemelyrics/rawhide.htm

Posted by eiji at November 11, 2003 01:16 PM


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2004年09月26日

復讐するは我にあり

レノン殺害犯釈放なら復讐 ビートルズファンら警告

 26日付の英日曜紙オブザーバーは、元ビートルズの故ジョン・レノンさんを殺害したマーク・チャップマン服役囚の仮釈放の審問が米ニューヨーク州で近く行われ、仮釈放が認められた場合、ビートルズファンらが復讐(ふくしゅう)を誓っていると報じた。
 同服役囚は1980年12月、レノンさんを射殺、20年から無期の禁固という不定期刑で服役中。同州当局によると、審問は非公開で10月4日からの週に始まるが、仮釈放の可能性については「まったく分からない」(州当局者)という。
 ウェブサイト上には、「チャップマンには死刑がふさわしい」「多くの人がチャップマンの死を望んでいる」などのファンらの書き込みがあふれている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040926-00000040-kyodo-int

ジョン・レノンが復讐など望まないことは明らかでしょう。
ジョンのファンなら少しはジョンの思想を血肉としてもらいたいものです。
彼と彼の音楽を愛するなら彼のようにしなさい。

¶postscript―*

ジョン・レノン射殺男の仮釈放申請を却下

 米ニューヨーク州の仮釈放審査委員会は5日、1980年に元ビートルズのジョン・レノン氏を射殺し、終身刑判決を受けて服役中のマーク・チャップマン受刑者(49)に対し、仮釈放申請を却下する決定を下した。米メディアが伝えた。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20041006i3z2.htm

「光る目」は二度映画化されている

34年ぶり「太陽の塔」点灯 大阪万博のシンボル

1970年に大阪府吹田市で開かれた万国博覧会のシンボル「太陽の塔」の両目が25日、万博記念公園で34年ぶりに点灯された。
 来年3月に始まる愛知万博の開幕半年前イベントの一つ。愛知万博のマスコット「モリゾー」と「キッコロ」も登場し、会場を盛り上げた。
 日本万国博覧会記念機構によると、直径11メートルある太陽の塔の黄金の顔から強い光を放った当時の照明は老朽化し、目の脇に照明器具を仮設。午後6時半から約1時間半、当時の姿を再現した。
http://www.sankei.co.jp/news/040925/sha091.htm

1970年以来、「太陽の塔」とはごぶたさです。
今はデスクにミニチュアを置いて、往事を偲んでおります。

2004年09月25日

悲しみよこんにちは

仏作家フランソワーズ・サガンさんが死去

「悲しみよこんにちは」や「ブラームスはお好き」などの小説で有名な、フランスを代表する女流作家フランソワーズ・サガン(本名フランソワーズ・クワレーズ)さんが24日、仏北西部オンフルールの病院で心不全のため死去した。69歳だった。
 ここ数年は病気がちで、今週初め、親しい知人のいる同病院に入院、長男の看病を受けていた。
 1935年6月21日、仏カルジャックの裕福な家庭に生まれた。54年、18歳の時に書いた「悲しみよこんにちは」で文壇デビュー。同書は世界22か国語に翻訳され、約500万部が売れた。
 著作はほかに「ある微笑」「水彩画のような血」「愛は束縛」「束の間の悲しみ」など約50作。愛や孤独、人間の深層心理などをテーマに、ユーモアとペーソスを巧妙に絡めた文体で描き、ほとんどが世界的ベストセラーとなった。
(中略)
90年と95年の2回、コカインの使用と譲渡の罪で執行猶予付き禁固刑の判決を受けたが、「人間は他人の自由を侵さない限り、自由なはずだ」と麻薬常用を告白し、論議を呼んだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040925-00000501-yom-int

芸術家や作家がヤクをやってもあんまり非難されないのは洋の東西を問わず同じらしいですね。
SP・シングル共通歌詞カード「悲しみよこんにちは」フランク・永井映画になった『悲しみよこんにちは』(1957年米英合作)はテレビで見ております。ドラマにしちゃうと通俗な話になっちゃうなぁと、原作を読んでないのに思いましたよ。
さて左写真はその映画の主題歌の日本語カバー、日本公開された1958年に出たフランク永井のレコードの歌詞カードです。この年はSP盤とシングル盤の端境期で、この曲も両方で同時発売されてます。そうそう、その頃のフランク永井には、フランクと永井の間に中黒「・」が入ってましたっけね。

008 ガード下の靴みがき

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SP歌詞カード「ガード下の靴みがき」宮城まり子 聴く必ず泣いてしまう歌があります。人にもよるでしょうが私の場合『星の流れに』 『岸壁の母(菊池章子盤)』 『ああ上野駅』 『ヨイトマケの唄』 『学校の先生』、そして最も泣けるのがこの『ガード下の靴みがき』です。
 作詞・宮川哲夫、作曲・利根一郎、歌・宮城まり子。1955年ビクターレコード発売。
 〃逆境・貧困を堪え忍んで働く少年のいぢらしさ〃、当時としても難しい題材ですが、詞・曲・歌唱ともに間然するところ無く、聞く者の心にすっと入ってきます。まさにプロの仕事ですね。ちなみに「ガード」(けた橋、陸橋)というのは和製英語で、英語ではgirder bridge(ガーダー・ブリッジ)と云うそうです。

 1955(昭和30)年。ようやく敗戦の痛手から立ち直りかけてはいましたが、貧富の差は大きく、そのしわ寄せは子供たちに押しつけられていました。昭和8年に少年虐待防止法が、昭和22年暮には児童福祉法が施行されているにもかかわらず、働く子供の姿がそこかしこに見られた時代でした。数年後には「消費は美徳」の所得倍増・レジャー時代が国是としてスタートしようという、それはまさに高度経済成長前夜の〃深き闇〃であったのです。

 発売当時のB面曲は築地容子の『モスコウの花売娘』。男子の靴みがきに対して女子の花売りという一つの典型です。その境遇により働かざるを得ない子供たちの物語は、過去においては説経節『さんせう太夫』、地唄・長唄『越後獅子』、そして尋常小学校の教科書や少年向けの雑誌に描かれ、そうした要素をすべて受け継いで、戦後、美空ひばりが『越後獅子の唄』 『私は街の子』 『ひばりの花売娘』 『角兵衛獅子の唄』 『街の灯がとぼる頃』(花売娘物)、『旅の角兵衛獅子』 『流れのギター姉妹』などを歌っております。
 演劇・映画の分野では、戦後、主に左翼系劇団あるいは社会派の監督によって、劣悪な労働条件の下、経済的理由で働く未成年の健気な姿が感動的に描かれたりしました。

 ひばり登場後の歌謡曲の世界ではそうしたテーマの歌は昭和40年代の初めごろまで作られ、『三味線姉妹』『新聞少年』などがヒットしましたが、東京五輪の頃になると子供たちの状況はかなり改善されていて、年齢層が少し上の話題、たとえば就職か進学かの進路問題であるとか、生活の心配のないハイテーンの恋愛の悩みといったことに、テーマがシフトするようになります。(たとえば進路問題を扱う歌謡曲では『僕ら就職コース』というのがあります。これは改めてご紹介しましょう。)

 さて、話を戻しましょう。
 花売りをテーマにした歌は物売りソングの範疇に入り、靴みがきは職業ソングの変形に分類されるべき、というのが私の予(かね)てからの持論です。靴みがき物の先行例としてレッド・フォーレーほかでヒットした『チャタヌギ・シューシャインボーイ』(1950年)、暁テル子『東京シューシャインボーイ』(1951年)が有名ですね。どちらもブギの名曲で、シャッシャというブラシの音が蒸気機関車の音に似ていることからブギに乗せる必然性があるということなのでしょう。
 ブルース、ゴスペル、スイングジャズ、ヒルビリー、ウエスタン・スイング、R&B、ジャグバンド、スキッフルなどでは、トレインソング(レイルロードソング)、ホーボーソングというジャンルがあり(遠藤賢司『夜汽車のブルース』もこれですか)、トレインソングにブギウギそのものやそのベースパターンが多く用いられたという経緯がありました(例『チャタヌガ・チュー・チュー』 『A列車で行こう』 『ロック・アイランド・ライン』等々)。
 汽車が走る前の段階では、線路工夫の労働歌(ワークソング)がありますが、さすがにテンポが違います。
 日本ではトレインソングというと、トリローの傑作『僕は特急の機関士で』はむしろ例外的で、哀愁・旅・北国といった情緒的テーマが多く、『北帰行』 『哀愁列車』 『赤いランプの終列車』 『悲しきトレイン北国行き』 『津軽海峡冬景色』など、およそブギウギとは縁のない歌がほとんどです。
 ――いや、また脱線しました、トレインソングの話だけに!

 宮城まり子の話をしましょう。
私たちの間では中村メイコと宮城まり子は常に注目の的でした。二人とも本当に希有な才能の持ち主で一流のエンターテイナーでありましたが(今も!)、その卓越した才能と大衆的なルックスと謙虚な人柄ゆえに大スターの地位を得ることはなかった、という逆説的説明しかできないのが口惜(くちお)しいところです。
 レコード会社は中村メイコが日本コロムビア→ビクター、宮城まり子がポリドール→ビクターで、共にビクターからSP盤をリリースした時期があります。両者ともコミックソングの企画が続き、特に吉本興業の仕切るドサ回り一座に長くいた宮城まり子は、ビクター入社後もしばらくは色物扱いに甘んじておりましたが、たまたまシリアスな映画の主題歌を歌ったことからその豊かな表現力が認知され、昭和30年8月、人生のターニングポイントとなった『ガード下の靴みがき』がついにリリースされたのでした。

 3年後、芸術座で『まり子の自叙伝』を上演。宮城まり子の依って立つところとはいかなるものか、一連の歌とともに、そのイメージを決定づけたのです。『ガード下の靴みがき』以降、ギャラの出ないような施設への慰問活動を積極的に続ける中で、彼女の内面に醸成されていった事どもについては、軽々に論評すべきではないような気がします。

 金で勲章や名誉称号が買える世の中で、人間の福祉ということに一個人として、一女性として、いつかではなく今の今、現実の上で、あれほどまでに大きな貢献を成した宮城に対し、総理大臣・厚生労働省の大臣・官僚ども以下、七重の膝を八重に折り三拝九拝してもまだ足りないくらいです。
 たかが流行歌、ではあります。しかしひとつの歌と人間の出会い・共鳴・交感がその人生までも変えてしまう、ということがあります。宮城まり子と『ガード下の靴みがき』がその好い例でしょう。「ねむの木学園」サイトにあるプロフィールで、『ガード下の靴みがき』を自身すべての原点・出発点に据えていることからもそのことが明らかです。
 『ガード下の靴みがき』を聞いていっとき涙を流す人は多いでしょう。しかし、人間いかに生くべきかをこの歌は自身に問いかけているのだ、ということに思いを致さねば、この歌を唱う宮城まり子の心に触れることはできないのではないかと考えるのです。
(2003年4月3日)

シングル「口づけは山手線のガード下」ダンガン・ブラザーズ¶postscript―*
ガード下をテーマにした歌には、その後のものでは、たとえばダンガン・ブラザーズの『口づけは山手線のガード下』(1981年。写真右)、SIONの『ガード下』(1993年。アルバム『I DON'T LIKE MYSELF』収録曲)といったものがあります。
 ダンガン・ブラザーズの歌は、ガード下で愛の告白をするハッピーな内容で、列車の通過音でそれが聞こえないかもしれない、といったモノクロ時代のフランス映画を思わせる洒落たシチュエーションになってます。ボーカルは♪結局飲んでる黒ラベル♪の中島文明で、この人の声ならばたとえ蒸気機関車が走っていてもきっと聞こえることでしょう。
 SIONの楽曲は未聴ですが、東京では新宿のストリートから有名になった人なので、おそらくこの〃ガード下〃は新宿駅のそれではないかと思われます。福山雅治が私淑するシンガーとしても有名ですね。
(2003年4月17日)

¶postscript―*
6月16日に亡くなった春風亭柳昇の落語に『ガード下』という演目があったそうです。
(2003年6月16日)

シングル「小雨の陸橋」島倉千代子¶postscript―*
 ガードというのは人が常に“下”だけを通るわけじゃない……歩道橋を歩いていて、ふとそう気がつきました。
 線路の上を人や車の通る橋が架かっている。そういういわゆる“陸橋”は、むしろガードよりも多いんじゃないか。
 そう思いまして歌を探してみたら、なんと見つけちゃいました。
 島倉千代子1966年5月のリリース『小雨の陸橋』がそれです。
 橋の上で線路を見下ろしながら、夜汽車で去っていった恋人を偲ぶという内容。どうやらデートの待ち合わせもその陸橋だったようです。
 なんとなく『君の名は』の数寄屋橋みたいですね。
(2004年12月18日)

2004年09月23日

バーニング第一号タレント

040922_01.jpgモッツ出版刊、本郷直樹著『エルヴィス・プレスリーと呼ばれて バーニングプロ第一号タレントの告白』1365円。
和製プレスリーといってもカンバック後の、あの白いジャンプスーツ時代のプレスリーで、元祖「和製プレスリー」は佐々木功(ささきいさお)ですね。
それはともかく――
デビュー当時の本郷直樹は大型新人のスケールは確かにありましたが大味な印象でした。西城秀樹のような表現力、郷ひろみのようなチャーム、野口五郎のような陰影にいささか欠けるきらいがあり、デビュー1年後、1972年のアイドル当たり年には人気の中心から徐々に離れていった観がありました。
俳優としてはカタキ役で生彩を放っておりましたね。

この本は赤裸々な告白あり、業界の裏事情ありで、かなり興味深い内容です。面白い、と言っては失礼かもしれません。悪戦苦闘、チャレンジの日々、福祉政策への関心。著者のありのままの現在に対して、私は敬意を表したいと思います。

2004年09月22日

爆発的に増加する映像作品をどう保存するか?

昔のCM10万本、廃棄の危機 保管コストかさむ

 戦後のテレビ史を彩ったCMのうち、85年以前の原版のほとんどが捨てられ始めている。多ければ約10万本に達する。廃棄対象は、フィルムや旧式ビデオのもので、保管やデジタル化のコストがかさむのが主な理由だ。
 CMの原版は放映終了後、制作会社や広告主、広告会社などの申し合わせで、制作会社が2年間保管することになっているが、広告主などの要望に備え、以後も保存されていたものも多かった。
http://www.asahi.com/culture/update/0922/003.html

日本では映画全盛期に劇場用フィルム(本編マザー/ネガ)をどんどん捨てていました。
当時の経営者は決して映画を愛してなどいなかったのです。富と名声と女、それだけ。結果、金儲けすら失敗したんですけどね。
日本だけじゃありません。欧米をはじめどの国でも五十歩百歩です。
経営者の恣意的な価値判断がどこまで許されるのか。そもそも映像作品はすべて保存すべきなのか。
あなた、どう思います?

雑誌「薔薇族」が休刊

 雑誌「薔薇(ばら)族」(第二書房)が発売中の382号を最後に休刊することが22日、分かった。
 同誌は男性同性愛者専門誌の草分けとして1971年に創刊。ピーク時は約3万部に達したが、最近は3000部程度に落ち込んでいた。伊藤文学編集長(72)は「インターネットなどで情報が手に入りやすくなり、雑誌としての役割は終わった。残念だが休刊は仕方がない」としている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040922-00000575-jij-soci

私は男とは握手するのもイヤだ。未成熟な少年少女も好きではない。もちろん馬・牛・羊、犬や猫、ニワトリなどにも愛情を感じたことはない。年寄りも嫌いだし、死体などもってのほかだ。母親とはモウ10年以上会ってないし、かといって独りでいるのが好きなわけでもない。
ほ、ホントーですってばァ! 信じてくれぇ・・・

あの頃ペニー・レインと 【ネタバレ注意】

9月14日に録画した『あの頃ペニー・レインと(ALMOST FAMOUS)』(2000年・米)を先ほど見ました。
私は『ショーほど素敵な商売はない』という大昔の映画を思い出しましたね。あれは芸人一家のファミリー・ストーリーでしたが、こちらはロックバンドのメンバーとその妻や恋人、そして若き取材者とその一家という、複雑な人物構成。しかし本質は同じです。
反目、確執、理解、和解、人間的成長、
自信過剰、成功への不安、巡業の苦労、
親子の情愛、兄弟愛、友情、音楽賛歌。
初期のロックンロール映画(ドラマ)でも同じようにショービジネスの裏側が描かれており、その意味ではハリウッドのお家芸的テーマの範疇ではあります。

実在するローリングストーン誌があまりいい印象には描かれてません。それでも平気で映画に協力しているところはアメリカ人の懐の深さでしょうか。
ビリー・クラダップ演じるバンドメンバー“ラッセル・ハモンド”がラリッてプールに飛び込むシーンでは、ロックファンなら誰しも「あ、死んじゃうんだろうな」って思ったことでしょう。ありゃ引っ掛けですな。
ペニー・レイン役のケイト・ハドソンはゴールディー・ホーンの娘なんですね。ゴールディー・ホーンのあの頃の映画、ずいぶん見ましたよ。時代は変わる。完全に一世代廻っちゃった。ちょっとサビシイですね。

ラストはこの映画が描いている時代らしく挫折・蹉跌・転進・旅立ちといった形になるような気がしてましたが、思いのほかハッピーエンドでした。ただし馬鹿馬鹿しい終り方じゃありません。登場人物が葛藤を乗り越えて人間的に成長しているところがリアルさには欠けるものの爽やかな青春映画としての格調を一段と高めております。

製作・脚本・監督:キャメロン・クロウ
出演:パトリック・フュジット、ケイト・ハドソン、ビリー・クラダップ、フランシス・マクドーマンド

オフィシャル・サイト(JAPAN)
http://www.sonypictures.jp/archive/movie/almostfamous/
オフィシャル・サイト(USA)
http://www.almost-famous.com/

2004年09月20日

クリスマスと私の距離は計測不能、かもね

040919_01.jpg昨日、ウドー音楽事務所本社向い側のビルボード前を通りがかったら、オヤマー、またまたブライアンのセッちゃんではアーリマセンカ。
ジャンプブルース、スイングジャズ、ウエスタンスイング、ロカビリー、ハリウッドミュージカルと、趣味趣味音楽大爆発の不良中年、なんだこのあいだ来たばかりじゃないのッテナ感じですが、今回はクリスマス・バージョンだそうで。

さっき行ったスーパーで、来年2005年のカレンダーが売り出されてましたよ。
世の中もう年末・年始へ向かって、怒涛のように動いているのですね。
来年も良い年でありますように、お手手を合わせてナーム〜

ウドー音楽事務所
http://www.udo.co.jp/

大衆食堂半田屋

「東京五輪当時の値段を目指したい」“仙台発・大衆食堂”全国区へ

 「生まれた時からどんぶりめし」をキャッチフレーズに、セルフサービス方式の大衆食堂を全国展開する半田屋(仙台市、半田英俊社長)が徹底した低価格を武器に今夏、念願の東京進出を果たした。昔懐かしい大衆食堂スタイルにこだわって若い女性まで幅広い層に支持を広げ、仙台発“全国区”を目指す。
 七月にJR仙台駅東口前にオープンした「大衆食堂半田屋」。仙台市内では十店舗目となり、二十四時間営業で若い女性や会社員、子供連れの家族らで終日にぎわっている。陳列棚に並ぶ総菜は一品四十円から。一番高いチキンカツも百六十円ほど。ご飯も中盛りが五百二十グラム、小盛りで三百四十グラムあり、三、四百円も出せばおなかがいっぱいとなる。
(中略)
北海道や栃木、愛知、兵庫、広島に出店し、今年七月には東京・池袋に出店した。来年には中国・大連に“世界進出”。売り上げも好調で、今期は当初見込んでいた年商四十一億円を達成できる見通しだ。半田社長は「東京五輪当時の値段を目指したい。おいしくて安い、それが生活のゆとりにつながるはず」と話している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040920-00000014-san-bus_all

素晴らしい! 実際に五輪当時の値段には出来ないでしょうけど、その発言がよろしい。
いまどき東京五輪を持ち出すなんて、ナイスすぎます。
池袋、チョット遠いけど、機会があったら入ってみたい気がします。

大衆食堂半田屋
http://www.handaya.jp/

2004年09月18日

名犬はつらいよ奮闘編

「名犬リンチンチン」の映画、製作決定

 『NARC ナーク』を手掛けたエメット/ファーラ・フィルムズが、「名犬リンチンチン」の犬の生涯を描く物語を映画化することを決定した。「名犬リンチンチン」は、1954年から放映された長寿TVシリーズが有名だが、リンチンチンに扮したシェパード犬は曽祖父の代からハリウッドで活躍している由緒あるスター犬で、犬としては異例のハリウッドのウオーク・オブ・フェイムの星に名前が刻まれているほどだ。映画では、初代リンチンチンが第一次世界大戦中に爆破されたトンネルの中から救い出され無声映画へ出演し、その後代々スター犬として80年近くもハリウッドで活躍してきた伝説を描いていくそうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040917-00000004-flix-ent

先日のパートリッジ・ファミリーのドラマみたいな内幕もの+芸道ものになりそうですね。
だいたいハリウッドは昔から芸道ものが好きで、日本人の「寅さん映画」への共感と同じような感情を懐くようです。

2004年09月15日

アップグレードの顛末

MovableTypeを「2.661」から「3.01D-ja」のアップグレードしました。
しかもこれがショッパナからみごとに失敗し、一時は絶望的状況に。
さぁどーする!?

まず、アップグレード用ではなくフルインストール用のファイルをウッカリ上書きしてしまい、ログインできず。あーこりゃダメだと。
で、表示もされてないだろうと思いきや、MovableTypeはHTMLを書き出すようになっているので、これまでのindex.htmlや各エントリー(記事)はそのまま見ることができたのでした。

改めてアップグレード用のファイルを上書きし、mt-upgrade30.cgiの実行をしてみましたが、やはりログインできません。ログイン画面(mt.cgi)すら出ない。

しばし考え、mt.cgiのあるディレクトリのフォルダ以外のファイルを思い切って全部消去して(この状況でも以前に書き出されたHTMLはちゃんとい見ることができます!)、フルインストール用をアップロード。
cgi群のパーミッションを775にし、mt.cgiをみると、、、あっ、今度はちゃんとログイン画面が出ました。
ログインしようとすると・・・しかしエラーになりますねー。

ありゃりゃー、新規に作ったときは「Melody」「Nelson」で入るんじゃなかったっけ?
ためしにこれまでのIDとパスワードを入れたら、
・・・以前と同じように入ることができました。

一応サイト全体を再構築したら、なんということでしょう(うへっ!)、index.htmlのバージョン表示がちゃんと「Movable Type 3.01D-ja」になってるではありませんか。

どうやら、アップグレード作業はうまくいったようです。
MovableTypeというのはなかなかよく考えられてますね。
なんとか出来ちゃうモンです。

ところで、
『Milano::Monolog Movable Type 3.x 導入手順』
http://rebecca.ac/milano/install/archives/cat_5.html
に、

mt.cfgの編集
最後に、今まで使用していた<mt.cfg>に以下の1行を追加します。
DefaultLanguage ja
追加する場所はどこでも構いません。
CGIPathの上あたりで良いでしょう。
この作業を怠ると、日本語を正しく扱えないので必ず追加してください。

とありますが、見たらすでに書かれてありました。

あと、今回、図らずもmt.cfgを新たにUPするに際し、
PublishCharsetをどれにするかちょっと悩みました。
田口和裕ほか著『ウェブログ入門』の影響で、これまで『EUC-JP』にしてたんですが、トラックバックで文字化けするという話もあり、そのままの『UTF-8』にするか、どうせ日本語なのだから『Shift_JIS』がいいんじゃないかと、あれこれ考えました。
そして、以前のエントリーとの整合性という問題がもしもあるならば以前と同じ『EUC-JP』にするしかないんじゃないか、なんてシロートなりに思いつめ、そのようにいたしました。結果的には今のところ特に問題はないようです。

はーぁ、まぁよかった。無事終わってネ。


話はちがいますが、あのGeoURLって復活はないんでしょうか?
http://geourl.org/

平凡パンチ1964

040914_01.jpg平凡社新書 赤木洋一著『平凡パンチ1964』882円。
著者は『平凡パンチ』『平凡パンチデラックス』『アンアン』などの創刊メンバーで、のち平凡出版(現・マガジンハウス)の代表取締役社長にまでなった人物。

ハヤカワ文庫のエヴァン・ハンター著『暴力教室』が店頭に並んでました。表紙タイトルの下に「完全版」と表示されております。ハテ?訳が完全なのかしらん?・・・まさか著者自身が原著に新たに手を加えた?!
昔、ハヤカワ・ポケミスで買った同著と読み比べる気には、しかし、なりませんねー。
その気力はありませんよ、あたしゃ。

2004年09月13日

かもめ/ひとり寝る夜の子守唄

寺山修司の未発表歌詞を寄贈 服部公一氏が作曲

 歌人で詩人、劇作家の寺山修司=青森県弘前市出身=の未発表だった直筆原稿の歌詞2編を保存していた作曲家の服部公一さん(71)が13日までに、青森県三沢市の寺山修司記念館に寄贈した。服部さんは女性コーラス向けの曲を付け、11月1日に青森市内で開くコンサートで初披露することにしている。
http://www.sankei.co.jp/news/040913/bun072.htm

歌謡曲が事実上終わり、寺山って誰?という若者が増えている現代で、どのように聞こえるのでしょうか?
寺山については碩学・背呂利太先生のご意見を徴したいところです。

2004年09月11日

有田音頭チロリン節

幻の「ひばり節」復活=「チロリン」磁器の響き−37年ぶりCD化・佐賀県有田町

 歌手の美空ひばりさんが生前、唯一歌ったとされる幻の地方PRソングが、高級磁器の産地で知られる佐賀県有田町で復活した。1967年に発表された「有田音頭チロリン節」。地元以外では知る人がほとんどいない。CD化を手掛けた有田商工会議所は「ひばりファンをはじめ、全国からの観光客誘致につなげたい」と力を込める。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040911-00000584-jij-soci

実は昔の大物歌手は、けっこうこういう仕事をしてるんですよね。
全国の役場の観光課などで、レコードがないか聞いてみるとたいてい何とか音頭とか出してくるんですよ。まさにコレクターズアイテムですね。

ロンドンにラブホテル=実業家が日本から「輸入」−英紙

日本特有のラブホテルがついにロンドンに−。英実業家がノウハウなどを日本から「輸入」し、近く3件が開業する。10日付の英紙インディペンデントが報じた。
http://www.jiji.com/cgi-bin/content.cgi?content=040911062606X592&genre=int

ラブホテルといえば1970年代。目新しい性風俗の風景として映画にもなりました。

ペットサウンズに関する新刊書が本屋に並んでおりました。しばらくは店頭在庫があるでしょうから今日は買いませんでした。
ずいぶんと昔の話が本になるもんです。
ふと、アメリカの文明は涸れつつあるのではないか、との危惧が脳裏をよぎりました。

2004年09月08日

ハチ公像

<忠犬ハチ公>秋田県大館市の像が60年ぶりに再建

 JR渋谷駅前の忠犬ハチ公像(初代は1934年建立)の翌年に作られ、第二次世界大戦中の金属回収令で撤去された秋田県大館市のハチ公像が、古い台座を生かして約60年ぶりに再建されることになった。同市は「ハチ」が生まれた地で、市民の募金運動で制作費をねん出した。10月10日の生誕祭でお披露目される。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040908-00000034-mai-soci

忠孝だなんて戦前じゃあるまいし……。今、忠孝を教えたがってる人々自身が忠孝とはほど遠い生き方をし、ほど遠い社会を作ってきたのは歴史の皮肉としか云い様がありませんね。

恋は水色?ラ・ラヴ・マシーン(OngakuDB.com)

レペゼン・フレンチポップ・オールドスクール、“ラ・ラヴ・マシーン”!ヒップホップではありませんが、限りなくレトロで甘味なフレンチポップの世界を2004年に再現するユニークなポップ・ユニットがこのラ・ラヴ・マシーンです。
すでに浸透しつつある「Likeness」は、あのポール・モーリアの演奏で有名な「恋は水色」のフレーズをそのまま使ったキラー・チューン。老若男女を虜にすること間違いなし。だささすれすれの線をバランスよく成功させているプロデュース力は相当なもの。アルバムも期待できます。
http://music.yahoo.co.jp/rock/music_news/ ongakudb/20040906/odbent006.html

「恋は水色」は当時アメリカでも大ヒットしました。そのころはまだ、アメリカ人はフランスを尊敬しておりましたよ。

2004年09月06日

トッポ・ジージョ

トッポ・ジージョ大復活…37年ぶり映画&グッズ人気

 40代の読者には懐かしいイタリア生まれのいたずらネズミ「トッポ・ジージョ」が人気だ。
(中略)
 まず映画では、ジージョの来日50年という節目に、名匠・市川崑監督の「トッポ・ジージョのボタン戦争」(配給・ケイブルホーグ、4日公開)が37年ぶりにリバイバル上映される。
 映画は日本オリジナルで、街の中で見つけた赤い風船にジージョが恋をするが、その“2人”がいつの間にか銀行ギャングの事件に巻き込まれて…というもの。愛らしいキャラクターを使いながら、時代背景もあってか、大人の鑑賞にも堪える渋い作品だ。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_09/ g2004090410.html

手元に何枚かトッポ・ジージョのレコードがあります。
輸入盤のLPも持っていたはずなのですが、どこへ紛れ込んだか見つかりませんでした。よくあるんですよね、そーゆーことが。

シングル『ぼくはトッポ・ジージョ』トッポ・ジージョシングル『ぼくはトッポちゃん』山崎唯
朝日ソノラマ『メリー・Xマス トッポ・ジージョ』
シングル『トッポ・ジージョのワン・ツーかぞえうた』山崎唯シングル『トッポジージョのカモン・ツイスト』トッポ・ジージョ(山崎唯)

●ぼくはトッポ・ジージョ/トッポ・ジージョ
 マンマ/トッポ・ジージョ
イタリア原盤(イタリア人が歌っている)
東芝音産 OR-1591

●ぼくはトッポちゃん/山崎唯
 すてきなロージィ/山崎唯、久里千春
東芝音産 TP-1363

●朝日ソノラマ『メリー・Xマス トッポ・ジージョ』
1966年11月30日発売
出演:山崎唯、久里千春、藤村有弘、熊倉一雄、北川邦彦、ほか
脚本:岡田憲和
音楽:川口真
歌:ジングルベル/山崎唯、久里千春
  きよしこの夜/山崎唯、久里千春

●トッポ・ジージョのワン・ツーかぞえうた/山崎唯
 ボンジョルノ トッポ・ジージョ/山崎唯
1966年11月
日本ビクター SV-495

●トッポジージョのカモン・ツイスト/トッポ・ジージョ(山崎唯)
 トッポジージョの天才マジシャン/トッポ・ジージョ(山崎唯)
1977年
RVC RVS-1068

トッポ・ジージョといえば山崎唯(やまざき・ただし)ですね。当時すでにベテラン・ジャズ・ピアニストだった同氏もトッポの吹き替えがライフワークになるとは当初は考えていなかったでしょう。

トッポ・ジージョをイタリア版ミッキーマウスと勘違いする人もおりますが、イタリアの伝統的な操り人形劇ではとうぜんネズミも登場するわけで、むしろその愛すべきジェントルマンというキャラクターの新しさゆえに人気が出た、というべきでしょう。
1958年に誕生したトッポ・ジージョは徐々に人気を高め、1965年に大ブームとなりました。当時、日本ではカンツォーネ・ブーム、イタリア・ブームが始まりかけたころで、そうした時流に乗って日本へ番組が輸入され、吹き替えに山崎唯が起用されたというわけです。

2004年09月05日

サービスが煩雑で買いにいく気が失せるゼ

今日は久しぶりにHMVとタワーレコードへ行きました。
ポイントカードを出したら「去年の11月で期限切れになってます」だってサ。
タワーでは割引クーポンをくれたけど煩雑なだけ。
HMVではポイントカードのサービスが大幅に変わったそうで、これも面倒。
どちらももっと単純に、ストレートなサービスが出来ないものか。
両店で計8枚を購入。
今回困ったのはジャケット裏の曲目の文字が小さくて読めないことです。
老眼ですねカンペキに。店内の照明が暗いので余計です。
今度からルーペを持ってかないと。
ナサケナイ・・・

CD「THE GET EASY! SUNSHINE POP COLLECTION」CD「SNOW」SNOW
CD「ル!スキャット!」CD「Fais comme l'oiseau」MICHEL FUGAIN ET LE BIG BAZAR
CD「ロジャー・ニコルズ&ポール・ウィリアムス・ソングブック」CD「Mansfield」Mansfield Popp
CDシングル「純/流星2003/ホームラン・ブギ2003」吉田拓郎CD「レア・コレクション」ザ・ピーナッツ

●THE GET EASY! SUNSHINE POP COLLECTION / VARIOUS ARTISTS
(輸入盤2枚組)3245円
SUNSHINE POPという言い方が当時あったかどうかは知りませんが言い得て妙ですね。
いろいろ聞いてきて、現在の私の気分はこういう音楽の世界とぴったり重なっております。
この2枚組はソフト・ロックの名曲集として、万人に薦められる内容です。

●SNOW / SNOW
(輸入盤)2099円
手持ちの資料に載ってませんね。1960年代後半に活動したソフト・ロック、フォーク・ロック、サイケデリック・ロックのグループだそうです。
聞いてみるとビートルズの影響がそこはかとなく感じられます。どの曲も水準以上のデキで飽きさせません。

●ル!スキャット! 〜レジェンダリー・ヨーロピアンズ・コーラス〜 / VARIOUS ARTISTS
2400円
ジャズボーカルのスキャットはすでにバップ・スキャットに至り完成の域に達しておりました。60年代ポピュラー音楽におけるスキャットはそれとはまた別もので、ヨーロッパ教会音楽の影響を感じさせる、洗練されオシャレなムードのものでした。
1920〜30年代ファッション、あるいは中世ファッションのリバイバルと相まって60年代の音楽シーンを席巻しましたっけね。

●Fais comme l'oiseau / MICHEL FUGAIN ET LE BIG BAZAR
(輸入盤)1390円
ミシェル・フゲインは初めて買いました。収録曲「UNE BELLE HISTOIRE」はサーカスのヒットで知られる「ミスター・サマータイム」のオリジナルです。シブい感じで、これはこれで大いに気に入りました。

●ロジャー・ニコルズ&ポール・ウィリアムス・ソングブック / VARIOUS ARTISTS
2476円
●Mansfield / Mansfield Popp
2700円
両盤ともソフトロックのスタンダード「Love So Fine」のカバーを収録しています。

●純/流星2003/ホームラン・ブギ2003 吉田拓郎
1143円
ホームラン・ブギはもちろん笠置シヅ子の曲。拓郎盤は野球中継のテーマ曲としてテレビで流れておりますね。

●ザ・ピーナッツ レア・コレクション
2000円
渡辺音楽出版原盤のアポロン発売(カセットテープ、8トラックテープ)の音源と、以前ここでも紹介したベアファミリー(ドイツ)が復刻したドイツ録音音源、そして映画に関連して録音されたものなどを収録しています。

2004年09月03日

ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集

高木ブー:初孫誕生にニッコリ

 ブーは、ウクレレのアルバム「美女とYA!BOO」を16日に発売。「東京ブギウギ」「圭子の夢は夜ひらく」などをウクレレで演奏しながら歌ったり、山田まりや(24)ら「イエローキャブ」所属のタレント10人と「いい湯だな」も大合唱している。
http://www.mainichi-msn.co.jp/geinou/ news/20040902spn00m200006000c.html

 クレージーキャッツもドリフターズもそもそもがバンドでありミュージシャンの集まりだったわけですが、けっきょくミュージシャンとして初志貫徹したのはこの高木ブーひとりですね。
 もちろんドリフターズ時代あってこその活動でしょうけど、初心を貫くというのは立派なものです。どの世界でも最後に残るのはこういう地道な人ですね。

 ブレーク中のアイドル瀬戸早妃(19)が高木ブー(71)の新作CD「美女とYABOO!〜ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集〜」(9月16日発売)に参加していることが26日、分かった。高木はウクレレの“師匠”にあたり、CDで瀬戸は「いい湯だな」を演奏し、「小さな喫茶店」では高木とデュエットする。瀬戸は「仕事をご一緒したときに教えてもらった。ブーさんから頂いたウクレレもある」とニッコリ。師匠の指導もあり腕前はメキメキ上達、レパートリーは約60曲もあるという。
http://www.daily.co.jp/gossip/2004/07/27/ 136790.shtml

「美女とYA!BOO〜ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集〜」UICZ-4102
アルバム参加者は森公美子、サンディ、中澤裕子、イエローキャブ所属タレント(佐藤江梨子、雛形あきこ、山田まりあ、MEGUMI、根本はるみ、小池栄子など)
 酒匂ミユキ――「コーヒールンバ」
 中澤裕子――「ふりむかないで」
 ほか。

2004年09月02日

妖怪大戦争

“日本のハリポタ”だ、リメーク「妖怪大戦争」

 昭和30年代の人気シリーズをリメークする映画「妖怪大戦争」の製作発表が1日、東京・調布市の角川大映スタジオで行われ、製作総指揮を務める角川歴彦氏(61)、三池崇史監督(44)らが出席した。  大映を吸収した新生角川映画の第1弾で、漫画家の水木しげる氏らがプロデュースチーム「怪」として原案に参加。日本古来の妖怪たちと人間の対決を描く冒険ファンタジー。
(中略)
 会見には主人公の少年役の神木隆之介(11)、その祖父役の菅原文太(71)、悪霊に仕える妖怪役の栗山千明(19)らも出席した。来年8月公開予定。
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200409/ gt2004090208.html

シングル「妖怪マーチ」トリオ・ザ・パンチ大映レコードが1968年6月に発売したトリオ・ザ・パンチのシングル『妖怪マーチ』。
B面は大映ヴォーカル・グループの歌うスリラーソング『ドラキュラ』。
A・B面共に作詞は大伴昌司、作・編曲は原田良一です。
ジャケットを見ますと映画『妖怪大戦争』(1968年・大映)の妖怪たちが写ってますね。

『妖怪大戦争』はカンペキにお子チャマ向けで、しかもあまり良いデキではなかった、という記憶しかありません。リメイクの方が良いものになるんじゃないでしょうかね。


¶postscript―*

角川大映撮影所の映画スタジオから出火 1棟全焼

 21日午前0時55分ごろ、東京都調布市多摩川6丁目、角川大映撮影所の第3スタジオから出火し、同スタジオを含む鉄筋コンクリート平屋の約1千平方メートルが全焼した。スタジオ内には撮影用の発泡スチロールや木材があり、消防車約40台や消防ヘリが出て消火に当たったが、火は朝まで燃え続けた。けが人はなかった。
 調布署と東京消防庁などの調べでは、出火当時スタジオ内は無人で、警備員が火災を発見した。同署は失火の可能性が高いとみている。
 撮影所を運営する角川映画のスタジオ事業本部によると、第3スタジオは、20日には撮影がなかったが、同日午後11時半ごろまで、来夏公開予定の映画「妖怪大戦争」の撮影準備をしていたという。第3スタジオは角川大映撮影所に五つあるスタジオの一つ。 http://www.asahi.com/national/update/1121/015.html

祟り、でございましょうか、、、